政府は3月15日にTPP参加による経済効果の試算を公表しました。「米など、主な農林水産物の国内生産額は3兆円減るが、工業品の輸出や消費の増加で、GDPは3.2兆円増加し、農業生産額の減少を上回る経済効果がある」という結論のようです。
「農林水産業の生産高は落ちるが、他の産業の生産の伸びや消費の拡大がそれを補う」という書き方をしている新聞を見て、「同じではない、比べられないものを比べて「補う」と言うのは違うのでは?」と違和感を抱いたのは私だけではないでしょう。
3.2-3=0.2。「ゼロじゃないからやったほうがよい」という安直な結論ではないでしょうが、それに近い思考を示すような記事の書きぶりが目立ちました。
生産量が減少すると試算されている中で最大の打撃を受けるのは米で、約1兆100億円の生産減少額となります。(そもそも、生産の減少を「額」で表すと、単価をどのように設定するかで大きく変わってしまいますので、要注意です)
この試算の考え方を見てみると、「米の国内生産量の約3割が輸入に置き換わる。それ以外の国内生産は残るが価格は下落」とされています。価格に関係なく、「国内生産量の約3割がなくなる」です。
参考:(別紙)農林水産物への影響試算の計算方法について
価格の下落や輸入に押されて、農業が続けられなくなる農家に対し、農家への収入補てんという政策が議論されており、その範囲や期間はともかく、大きな票田でもある農家対策として行われることでしょう。
しかし、失われるものの補てんということであれば、農家の収入だけではありません。今回の試算のように、国内生産量の約3割がなくなるとしたら、1年間に約65億トンの地下水が失われることにもなります。
農林水産統計によると、平成23年産の水稲作付面積は157万4,000ヘクタールです。そのうち約3割ということは、50万ヘクタールの田んぼが失われることになります。
田んぼが失われると、生産される米のみならず、田んぼが果たしているさまざまな多面的な機能も失われることになります。田んぼはさまざまな役割を果たしていますが、その1つが「地下水涵養機能」です。
参考:平成13年学術会議「農業の多面的機能」
稲作期間に水田に湛水された灌漑用水は、1日当たり20ミリ程度減水し、そのうち7ミリ程度が蒸発散、13ミリ程度が地中に浸透するのが、わが国の平均的状況であると認められている、とされています。
稲作期間を100日として、1ヘクタール当たり年間1.3万トンの地下水が田んぼを通してつくられ、供給されている計算になります。50万ヘクタールの田んぼが失われるということは、65億トンの地下水が毎年失われるということになるのです。
いま水ビジネスが活況を呈していて、地下から汲み上げたおいしい水をボトルに詰めて販売する業者さんが増えていますが、たとえば、この65億トンの地下水は、1リットル100円で計算すると650兆円の価値があります。(TPPで得られる経済効果は3.2兆円でしたよね......)
『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)を書かれた水ジャーナリストの橋本淳司さんは、1969年から2011年までに減反政策によって、320億トンの地下水が減ったことになると計算し、「減反政策とは減水政策だった。国策により地域の水を減らしてきたと言える」と書かれています。
水ビジネスの販売用であれ、企業や自治体が水道水の代わりに使うものであれ、現在地下から汲み上げている地下水は、数年~数十年前の地下水涵養のおかげで湧き出ている水です。TPPにせよ、減反政策にせよ、田んぼを失うことは、数年~数十年先の人々の地下水を失わせていることにもなる、ということをしっかり認識しなくてはなりません。
「TPPによってメリットがあるから参加する」と決めるのであれば、目の前の農家に収入補てんをするだけではなく、数十年後の地下水を失う人たちにも補てんをしなくてはなりません。または、数十年後の地下水が失われないように手を打たねばなりません。
そうでないと、原子力発電・核廃棄物の問題と同じく、「現世代がメリットを得るが、将来世代がそのデメリットを被らざるを得なくなる」構造になってしまいます。
そして、何より大切なことは、星の王子様が「本当に大事なことは目には見えないんだよ」と言っているように、目の前の収支だけではなく、目には見えない(確かに地下水は見えません!)けど大事なものも見ようとすること、その収支も含めて、短期だけでなく、中長期的な時間軸もしっかり持って考えていくことを、私たち一人ひとりが意識し、取り組むことだと思うのです。
橋本淳司さんの『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、今の地下水をめぐる状況や考えるべきことがわかりやすく書かれています。ご興味のある方、ぜひご一読をお薦めします。
『日本の地下水が危ない』 (幻冬舎新書) 橋本 淳司 (著)