前回、第26回の基本問題委員会で、思い切って「経済的な側面ばかりでなく、倫理的な側面からも議論したい」ということを発言しました。短い発言録なので、読んでいただいて、ご感想やお考え、コメントをいただけたらうれしいです。
(このメールニュースに返信していただくと、私だけに届きます。個別にはお返事できないと思いますが、大事に読ませていただきます)
当日使った資料はこちらにあります。
http://www.es-inc.jp/news/final_20120605edahiro.pdf
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ありがとうございます。
議論し尽くして、もうこれでいいんだということではないと思っていますので発言させていただきます。この事務局資料の細かい文言ではなくて、もう少し大きいところから発言をさせていただきたいと思います。資料10を作ってきたので、そちらを見ていただければと思います。
http://www.es-inc.jp/news/final_20120605edahiro.pdf
今日、枝野大臣はいらっしゃらないのですね、本当はお答えいただきたかったんですが……。再稼動をめぐって、です。再稼動自体は今回のこの議論とは別の議論だとは思いますが、ただ、野田首相がそれに関して、「原子力発電はこの夏の電力確保のためだけではなくて、社会全体の安定と発展のために引き続き重要だ」ということをおっしゃっています。
「原発が私たち日本社会にとって引き続き重要なのかどうか?」ということを白紙から議論するのが、この基本問題委員会ではないかと思っています。ここでそういった議論を重ねて選択肢案を作って、これから国民的議論を行うというときに、この夏足りないからどうするということならともかく、「これからも引き続き重要だ」と、結論を先に言っていらっしゃるということに、非常にびっくりしたわけです。
この委員会や、これからの国民的議論の位置づけをどう考えていらっしゃるのか?単なるパフォーマンスなのかガス抜きなのか? 不信感が高まっていますので、そのことが1つめにお聞きしたいことです。
3ページ目に書きましたが、再稼動の問題は、本当は国民の信頼回復とか、これからやっていく国民的議論にとってチャンスのはずだと思っています。全体像として、3.11からこういうことはもう繰り返してはならない、ということですよね。悲劇を繰り返さないためにエネルギー政策を見直しているけれど、まだ時間がかかるし、その間、暮らしも経済活動も止めるわけにいかない。夏はどうしても電力が足りない可能性があるので、これだけ需要抑制と供給確保をやっているけれど、まだ足りない可能性があるので暫定的に再稼働を、という話であれば、まだいろいろ議論ができるかと思います。暫定的というのであれば、「いつまで」ということを含めてです。
そういった意味で、基本政策が決まらない間の緊急対策としてどうするのか、という議論ではないでしょうか。いや、電力は足りるんだという意見もありますし、そういった議論をすべきで、「原発維持」という結論ありきで、なし崩しの第一歩としてはいけないんじゃないかと思います。私たちの委員会がやってきたことは何なんだということです。
もう1つ、今日ご説明いただいた資料の「終わりに」というところの最後に、「世代を超えた公平性の確保」「次世代の英知に期待すべき」ということがありました。
繰り返し、私は、倫理的な面もエネルギー政策を考える上では必要だということを言ってきました。前々回、経済影響分析の時に、「原発事故で被害に遭った方々の痛みや悲しみはこの経済影響分析には入っていない」という発言をしたところ、「感情を持ち込むな。勘定(計算)のほうが大事で、痛みや悲しみといった情緒的な議論ではない」という批判をあちこちで受けております。
それはその通りで、経済影響分析のところでこういったことを議論すべきではないと思いますが。ただ、この委員会では倫理的側面を議論したり考えたりする時間がまったくないのです。それが必要だと私も繰り返し言ってきましたし、委員長も「あずかります」と言ってくださっていましたが、やはり議論する時間はこれまでまったくありませんでした。それをそのままで、「これが最後です」と委員会としての提案として出されることに、私はやはり異議を唱えたいと思います。
ちょっと過激な言い方ですが、経済学者の計算によると、「GDPを増やす最も確実は方法の1つは戦争だ」と言われています。これはもちろん、戦争に必要なモノをたくさん作るし、たくさん壊すから、また作らないといけないということですが。
だからといって、「GDPが増えるから戦争しよう」と言う人はもちろんいないわけです。それは経済的側面だけじゃなくて、人命その他、倫理の問題だからだと思います。
原発はもちろん戦争ではありませんが、やはり倫理的に考える必要がある問題だと、私は思っています。この原発事故で、福島県だけでも16万人、自宅に戻れないという方がいる。長期的に人が住めない場所が生まれている。人体や生態系への影響も出ている。事故だけではなくて、繰り返し辰巳委員もご指摘されていますが、未解決で先送りされている核廃棄物の問題があると。
こういったことを考えると、やはり、経済分析とか、GDPがどうなるというだけではなくて、倫理的にどうなんだ、未来世代にどういうエネルギーを私たちは残していくんだ、という議論を、やはりどこかでしないといけないと思います。
ドイツの倫理委員会の話は何度かさせていただいていますが、ここに書いてあるような形で、倫理的な面も考えて、もちろん経済的な面も考えていますが、その方針を決めています。
特に日本の場合は地震があります。その特別な原発リスクということを、ここでは一度も議論をしていないと思っています。
ということで、最後、「バランスの取れた議論を」と書いていますが、経済的側面だけで議論して結論を出すのは、私は未来世代に申し開きができないことだと思っています。
繰り返しこういう議論をしても、この基本問題委員会ではいつもスルーされてしまいます。もしここでこういう議論ができないんだったら、この中継を見ていらっしゃる方、もしくはこれから国民的議論をされる一人ひとりが、ちゃんと考えて、口に出してほしいと強く願っていますし、これから私たちの基本問題委員会からエネ環会議にいって、そこで最終的な選択肢を作るときには、倫理的な側面をきちんと考えに入れた上で、選択肢そしてその提示をしてほしいと思っています。
以上です。
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ありがとうございます。先ほど発言させていただいた倫理的な面について、何人かの委員の方からコメントをいただきました。
私自身の思いは、報告書に「倫理面は重要だということをこの委員会が認識している」等の修飾文言を入れこと求めているわけではありません。この委員会で、本当にそういった側面を議論するのかしないのかだと思っています。
この委員会では、経済影響分析ということで、GDPへの影響等、そういった分析はして、それは国民的議論や判断の参考に供するということをしています。それとは別の分析、ほかの参考情報として、倫理的な側面についてここで考えたり分析したりするのかどうかだと思っています。
先ほど言及した、ドイツの倫理委員会の報告書で、倫理的なところをどのように説明しているかと言うと、ちょっと読ませていただきます。
「原子力エネルギーの利用やその終結、他のエネルギー生産の形態への切り替え等に関する決定はすべて、社会による価値決定に基づくものであって、これは技術的、あるいは経済的な観点よりも先行しているものである。短期的な利益を優先して、未来の何世代にも負担を強いるような決定に対しては、社会が責任を負わなくてはならない」
こういう社会による価値決定、価値の選択肢について、私たちは議論をしていませんし、未来世代に対する責任を、私たちがどう取り得るかという、そういった選択肢についても議論していません。
もしこの基本委員会で、それは議論しないのだということだったら、私は、国民に提示する際、もしくはエネ環会議に上げる際に、「倫理的な面も重要だ」という文言をどこかに入れて終わりにするのではなくて、「この委員会では、それは議論していません」ということをしっかり入れてほしいと思います。委員会としては、議論すべきという意見はあったけれど、それは議論しないでこの選択肢を作っていると明示して下さい。
つまり、「どの範囲を考えてこの選択肢ができているか」ということを、事実を伝えるべき、ということです。受け取った人がそれでいいと思うかもしれないし、足りないから自分で補おうと思うかもしれない。
それを、あたかも議論したかのように、「倫理的側面うんぬん」という言葉だけで済ますことはやめていただきたい。議論しないのであれば、議論していないということを明示していただきたいと思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
このように、思い切って発言しましたが、結果的には他の委員から「いや、この委員会でも倫理的な面も含めて議論している」「それぞれの委員が選択肢を出す際には、それぞれが倫理的な面も考えた上で出しているはずだ」等の意見が出ました。自分の伝えたいことをあまりじょうずに伝えられなかったようです。(これまでのように、まったく無視されるよりはマシだったかもしれませんが。^^;)
発言し反応してもらってはじめて敗因がわかったところもあり(本当はやるまえにわからなくちゃいけないのですが)、もうちょっとしっかり勉強し、伝え方も考えなくちゃ、と思案中です〜。