「まちづくり」の主体者は誰なのだろう?と考え続けている。日本の地域が直面している多くの課題を前に、将来を見据えたまちづくりの取り組みを進めている町もあれば、そうでない町もある。そうしたいと思っている人がいても、そうできない町もある。その違いはどこにあるのだろう?
私の問題意識を共有しておく。人口減少・高齢化、地方交付税など中央からの資金の先細りが避けられない状況下で、それでも持続可能で幸せな地域にしていこうとするならば、少なくとも以下の「3つの力」が不可欠である。
(1)敏捷性:「これまで通り」や「決まったこと」に縛られず、きちんとした理由と根拠を持って、必要があれば機を見て進路変更ができる力。多くの行政にとって苦手なことであり、「変わり身が早い」ことは批判・非難の対象となるため、回避しようとする。
(2)長期的見通し:根拠のないバラ色の将来を描く力ではなく、現状のデータと今後の見通しをしっかり把握し、それが自分の町にとって何を意味するのか、残された時間と変えられる幅はどの程度なのかを客観的に冷静に計算する力。また、その見通しをだれにでも理解できる形に「見える化」する力。
(3)痛みを乗り越える力:日本の多くの地域は今後「これまで住民に提供していたものが提供できなくなる」状況に直面する。だれだって便益や特権を取り上げられるのは嫌である。「なぜ去年あの人はもらえていたのに、自分はもらえないのか」「なぜあの地区・グループはもらえて、自分たちはもらえないのか」という状況に、批判・非難を交わそうとだれにでも良い顔をしつづけるとしたら、破綻が早まる。きちんとデータと見通しを示し、なぜ痛みを甘受しなくてはならないのか、それがどのような町の未来につながるかをしっかり伝えて、住民とともに痛みを乗り越えていけるか。
最悪の組み合わせは、「次の選挙に当選することしか考えていない首長・議員+短期的な自己利益しか考えていない住民+これまでどおりをやっているだけの行政職員」である。行動経済学でいうところの「損失回避性」「現状維持バイアス」という人間の強い傾向が相まって、これは「無変化・衰退」の方程式だ。
一方、課題に向き合って確実に進んでいる地域もある。そういった地域のようすを見ていて、その「原動力・進め方」にはいくつかの潜在的な成功パターンがあることが見えてきた。
その成功パターンを強化するために、関わっている地域で自分は何をすべきなのか? その成功パターンをほかの地域でも創り出すためにできることは何なのか?
時間が無限にあれば、どの地域だってそのうち解決していくだろうけど、現実は「時間切れ」が迫ってきているのだ。残された時間で効果を最大化するために注力すべきことは何なのか?