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エダヒロの本棚

地球のセーターって、なあに?
著書
 

枝廣 淳子(著)
海象社

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メールニュースから、さまざまな分野の根底に共通して流れている「考え方」や「物の見方」を取り上げているものを中心に選び、編集した書。エッセイ的なものが多いので、環境問題は初めて、という方にもとっつきやすく読んでいただけます。坂本龍一さんが寄せて下さった心温まる序文も本当に素敵です。

序文

枝廣さんの環境ニュースを読んで誰でもまず圧倒されるのが、その情報量でしょう。「普通の」主婦が、いくら朝2時に起きたとしても、よくもこれだけ多様なテーマを、これだけの深さで扱えるものだと感心してしまう。それだけでなく、その人的交流の幅の広さ、通訳も翻訳もこなし、講演もし、会議にも出席するという、その行動力にも驚嘆。そんな著者をぼくは、ガリガリ勉強してカッカッと素早く歩き、ファッションには全く興味がなくて、男どもを叱咤激励するこわーいスーパーウーマンじゃないかと想像してましたが、実際にお会いした枝廣さんは意外なことに、人の話をよく聞く、もの静かで才色兼備な女性でした。

この本には、様々な「気づき」へのヒントが散りばめられています。そして気づいたら次にどのように行動すればいいかも。枝廣さんが紹介する多くの事例から浮かび上がってくるのは、人と人との関係、人と他の生物との関係とそれをとりまく自然との関係について、近代を支配してきた思考方法―――例えばGNPを豊かさの指標とする、あるいは自然を資源とみなす―――ではなく、新な見方、新たな関係を築くことなしには、現在のような自然破壊、生き物破壊の趨勢は止まらないということだと思います。新たな思考は一つではないので、枝廣さんは、観念的、哲学的に一直線に語るのではなく、多くの事例とともに、たくさんの人々の試行を枝廣さん自身が学びながら、人間の関係を再生させることと、環境を再生させることが実は同じ根っこをもつ問題なのだということを、その饒舌な言葉の下で、静かに見つめているような気がします。
実はぼくがこの本で一番印象に残った記事は、No. 521 (2001.07.25)「学級崩壊から総合授業へ」でした。これは、ある小学校での学級崩壊の危機から総合授業を通して、子どもたちがお互いに自由に意見を言えるようになり、学級崩壊の危機が救われる過程を紹介したものです。本物の民主主義を「手づくり」で模索する子どもたちと、それをやさしく助ける大人たちがいることに、ぼくはまるで奇跡を見るように感動します。そして、自分たちで問題を考え、議論し、意見を交換し、意見の違いを認め合うという、子どもにできることが、なぜぼくたち大人社会ではなかなか機能しないのか、不思議に感じます。

このように、この本は頭と心で考えることを促します。それをさらに「身体で考える」ことにつなげていくかどうかは、私たち読者が踏み出すほんの小さな一歩にかかっています。

坂本龍一

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あとがき

 何だかとても不思議な気がしています。「思いつきで」環境メールニュースの無料配信を始めてから、2年と数ヶ月しかたっていませんが、「メールニュースを始めるまえは、私は何をやっていたんだろう?」と思うほど、自分にとって大切な部分となってきました。
 いまは昔(?)、1999年11月4日に、20人弱の読者に宛てて第1号を配信しました。1年後の2000年11月に、それまでのメールニュースを編集した『エコ・ネットワーキング!』を出版してもらいました。そして、その続編ともいえる本書を用意している現在、号数は700号に近づきつつあります。登録者数は3300人を超え、特に宣伝もしていないのに、1日約10人のペースで増え続けています。
 これはどういうことなのだろう???
 ひとつには、まぎれもなく、「私は書くのが大好き!」ということなのですが(^^;)、それ以上に、「書きたいこと、紹介したいこと」が目白押しで、一つ書けば二つも三つも次に書きたいことが出てくる、“芋づるニュースの畑”に私はいるらしい、ということです。
 昔から公害問題はありましたが、いわゆる「地球環境問題」は、比較的新しい分野です。「温暖化」だの「オゾン層」だの、私たちが子どもの頃には(いえ、学生の頃だって)“日常語”ではありませんでした。ごく限られた専門家や科学者の分野でした。
 それが、地球環境のすさまじい悪化が明らかになるにつれて、また、その原因が私たち一人ひとりの生活や経済活動に存在することがわかるにつれて、「みんなの問題」になってきました。「あの工場からの排水が原因だ」という公害型ではない、「全員が被害者、全員が加害者」という問題だからです。
 このように「新しい分野」であることと、「みんなの問題」であることから、私のように、環境を専攻したわけでもない人間が、自分の興味と関心の導くままに勉強し、現場を見せてもらったり、いろいろな人に教えてもらうことができる。そして、そこで考えたことや感じることを発信しているメールニュースを、たくさんの方が読んで下さり、フィードバックや情報を寄せて、私の勉強を手助けして下さっているのでしょう。
 私の専攻は教育心理学で、カウンセリングを専攻していました。人のこころも地球環境も、“本当はひとつのもの”が効率や競争のために細分化されたときに、傷つくのではないかな……。人のこころも地球環境も、あまりに成長ばかりを求め、何かに追われるように、大切なものとのつながりを断ってしまったときに、すさむのではないかな……。
 家族とのつながり、近所や知り合いとのつながり、自然とのつながり、大地や地球とのつながり、そして、自分自身とのつながり。その分断されてしまったつながりを、もう一度思い出し、取り戻すためのひとつのきっかけが「環境問題」なんじゃないかな。私はこんなふうに思うようになりました。
 うれしいことに、日本にも世界にも、あちこちで、わくわくした取り組みが始まっています。技術や制度、企業の活動や私たちの暮らし方、そして、その根っこにある考え方や思い――。
 それにしても、この「わくわく」を少しでも伝えたい!いっしょにわくわくしたい!という思いが強すぎるのかなあ~と思いつつ、まったく反省せず、相変わらずのマイペース(私の場合は、多すぎるペース、という意味)でニュースを書き続けている私です(^^;)。
 本書は、前書『エコ・ネットワーキング!』に掲載していないニュースから、さまざまな分野の根底に共通して流れている「考え方」や「物の見方」を取り上げているものを中心に選びました。エッセイ的なものが多いので、環境問題は初めて、という方にも読んでいただければとうれしいです。レイアウトも読みやすく工夫してもらいました。
 当初、この本は2001年の晩秋に出す予定でした。夏に作業を進め、「さあ、本腰を入れよう!」という頃に、9.11が起こりましたが、アメリカを中心にアフガニスタン戦争への傾斜が加速するなかで、私はメール交換をしていた坂本龍一さんと情報交換のためのMLを作り、そのグループで『非戦』(幻冬舎)を緊急出版する作業に時間を費やすことになりました。
 本書の発行はその分遅れてしまいましたが(そして、2001年3月にニュースでご紹介した「地球の人口が100人だったら」を書名にするという計画を変更する事になりましたが)、世界から発信されるテロ/戦争の情報や論考を読み、仲間と議論するなかで、「地球環境問題と、このテロ/戦争の問題は、根っこがまったく同じ」だと痛感するようになりました。そして、地球環境のためにも、真の世界平和のためにも、ひとりひとりが人間らしく生きるためにも、「それぞれの地域が、エネルギーも食糧も、できるだけ自給自足できるようになること、地域での小さな循環の環をたくさん作っていくこと」が解決への道ではないか、と思っています。

 坂本龍一さんが、心温まる本当に素敵な序文を寄せて下さいました。坂本さんには、昨年のアースデーで初めてお会いし、ご挨拶したところ、「読んでますよ」といわれて目がテンになったのですが、かなりまえからニュースを読んで下さっているそうです(全然知らなかった!^^;)。その坂本さんに序文を書いていただけて幸せです。
 ニュースを読んで下さる方々、情報やコメントを下さる方々、様々な取り組みにつなげて下さる方々、新しい活動の場面を提供して下さる方々、そして、私のメンターであるレスター・ブラウン氏(アースポリシー研究所所長、ワールドウォッチ研究所理事)やジャーナリストの師である三橋規宏氏(千葉商科大学教授)など、たくさんの方々のおかげで、本書ができました。そしていつもながら、好きなことを好きなようにやっている私(朝2時起きも含めて!^^;)を温かく見守り支えてくれている家族に多謝! 

「あなたのニュースはどこまで行くんでしょうね?」と聞かれます。「さあ?」と私。「サザエさんを抜くぐらい出して下さい」と言って下さる方もいて、「いや~、ずっこけぶりは負けてないんだけど~」と私(^^;)。
 新しい取り組みや素敵な出会いを追いかけて、「♪はだしで駆けてく~♪」毎日は、当分続きそうです。(^^;

2002年3月
枝廣淳子

 

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