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エダヒロの本棚

朝2時起きで、なんでもできる!
著書
 

枝廣 淳子(著)
サンマーク出版

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「はじまりは夢と思いつき」と、29才にして同時通訳をめざした「バックキャスティング人生」や試行錯誤の「自分をマネジメントするシステム」を紹介。駆け出し通訳者として、どうスタートして、どう活動を広げてきたのか、どうして環境ジャーナリストという肩書きも持つようになったのか。そして、「やりたいことをやりたいだけやる」ためのタイムマネジメントやストレスマネジメント(つまり自分とのつきあい方)の工夫も。

はじめに

 ある日、下の娘のあかりが保育園から帰ってきて、「○○ちゃんのお母さんは、朝二時に起きないんだって」と不思議そうな顔をしたときに、「うわぁ……」と思いました。子どもにとっては、わが家のことが「とーぜん」なのですね。
「そうだねぇ、ふつうのお母さんは(いや、ふつうの人は、というべきか?)、六時か七時に起きると思うよ。お母さんはたまたま、毎日二時に起きるけどね」というと、わかったようなわからないような顔をしていました。
 しばらくたって、保育園で保母さんが笑いながら、「このあいだ、ママゴトしていておかしかったんですよ」とおっしゃる。「お宅のお子さんがお母さん役で、みんなに飲み物を渡していたんですけどね、『はい、お姉ちゃんはジュース』の次が、『はい、パパはお水ね』で、『ママはビール』と配っているんですもの」
うわぁ……子どもってコワイなー、正直に家の実情をばらしちゃうのねー、と思いつつ、「いや、夫はアルコールが苦手なもので」としどろもどろ言い訳しながら汗をかいてしまいました。
 いまでは子どもたちも小学生ですが、先日も久しぶりの夫の出張に、「お父さんも出張に行くことがあるんだね」とびっくりしている。「お父さんが出張に行くおうちのほうが多いと思うよ」といいつつ、うちの子どもたちの「世界観」は、ふつうとはずいぶん違うんだろうなぁとおかしくなりました。
うちはかなり変わっているのかもしれません。
でも、たぶん最初から変わった家だったわけではなく、それぞれが(というか、私が)やりたいことをやりたいがために試行錯誤するなかで、少しずつ生活や役割も「進化」してきた(家族にとっては、進化させられた)結果、はたから見れば「変わった」家庭になったのかも、と思います。
メールだけでやりとりしていた人と初めて会ったときに、「枝廣さんって水商売やっている人かと思いましたよー」といわれたことがあります。「だって、メールの発信時刻がいつも午前三時とか四時とかなんだもの」と。
「あははは!」と笑いながら、夜は子どもと一緒に八時に寝て、朝は二時に起きるこの生活は快適でやめられないよなー、と思いました。この早朝(二時は朝ではない!という声もありますが)の時間がなければ、いまの自分はなかっただろうし、こんなに楽しい生活も送れなかったでしょう。
二時から、家族が起きてくる七時までの五時間も、積もれば山。一年に一八二五時間、私は八年前からこの生活時間に変えたので、すでに一四六〇〇時間をゲットした計算になるのでしょうか。
通訳の勉強、翻訳、執筆、情報収集などの仕事関係のほか、じっくり本を読む、じっくりメールを書く、いろいろなことに思いをはせるなどなど、自分の心にも頭にも友人関係にも、なくてはならない至福の時間なのです。そして、その結果として、やりたいことを好きなだけできるいまがある……。
この原稿もモチロン、いつものように「朝飯前」に書いています。

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おわりに

 この本を母に捧げたいと思います。
私はよく「なんでそんなに楽しそうなのですか?」と聞かれますが、「そういうふうに生まれついて、そういうふうに育てられたからじゃないかな~?」という答えしか思い浮かびません。
小学校が「児童の安全」のため、たとえ父兄がいっしょでも河原での遊びを禁止したときも、母は「ばかなことを」と取り合わず、「自分が全責任を取りますから」と学校に宣言して、私たち子どもを引き連れて、好きなだけ川や野原で遊ばせてくれました。「勉強しなさい」とは一度もいわれたことがないけど、成績が落ちたときに、正座して「持って生まれた能力を生かすかどうかは、自分の努力しだい」といわれたことは忘れません。
「大学院やめるわ」「通訳学校に行くことにした(子どものお守りよろしく!)」「あ、明日からアメリカに出張なの~(保育園のお迎え頼むね)」と、いつも突然の事後通告にも、「娘がやっていることは意義があるから」ではなくて、たんに「娘がやっていることだから」と、イヤな顔ひとつせずに(うちの娘たちと同じレベルで遊んでいる母を私はひそかに女良寛と呼んでいる)支えてくれています。私が時差も国境も? 超越して好きなことを好きなだけやっているにもかかわらず、わが家が野垂れ死にしないのは母と夫のおかげです。
……と書いていたら、「おはよう~」「だっこ~」と娘たちが起きてきました。ひざに乗っかって強引にパソコンを乗っ取り、朝二時からの「私だけの時間」を終わらせます。おっ、今日は七時半には家を出なくてはならないのだった! たいへ~ん。
大急ぎで、夫のお弁当をつめます。結婚以来、毎日お弁当なのに、いつも直前まで思い出さない私って……と毎朝同じことを思いながら、朝食の用意。ガスコンロにフライパン二つかけて、お湯も沸かさなきゃ。あ、あの単語リスト、打ち出すの忘れてた! プリントアウトさせて、と子どもをパソコンからどけつつ、カバンの用意。「お湯が沸いてるよ~」と子どもたち。
「お母さん、あと五分だよ」きゃー、大変! 「あと三分」……、子どもたちは走り回る私を目で追いながら「声で知らせる時計」をやってくれます。
「もうだめ! ご飯を食べている時間がない!」と叫ぶと、あかりが「はいはい」といいながら、自分のお菓子箱からクッキーを出して私のバッグに入れてくれる。「あと一分だよ、お母さん!」のかけ声とともに、みさきは、部屋中じゅうのものを脇に寄せます。最後に私が玄関まで直線コースを駆けられるように!
「じゃ行ってくる! あとはよろしく!」とダッシュ。三人の「いってらっしゃ~い」の声を背に、重い通訳バッグを振りながら、駅までの坂道を駆け下ります。
「クッキー、どこで食べようかな。おなかが鳴る音がマイクに入ったら恥ずかしいもんねぇ」と考えつつ、まだ「朝飯前」が終わらない私です。

 

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