訳者あとがき
第一巻が出たあと、たくさんの方々から、直接、メールで、お手紙で、書評で、出版社のお便りコーナーで、「早くつづきを訳して出して下さい!」と言っていただいた。訳者冥利に尽きるとはこのことよ……とうれしく思いつつ、みなさんより一足早く第二巻の原書を読ませてもらい、こうしてお届けできることをとてもうれしく思う。
英国での第二巻の発売は秋である。日本で、ご当地に先行しての発売がかなったのも、読者のみなさんの「早く~!」という熱い思いのおかげです。ありがとうございます~。
この本を母子が共著した、と聞いたとき、いったい母子がどういう役割分担で書いたのだろう? と思った。そう思った人も多いに違いない。翻訳していても、さすがにそれはわからなかった。
第一巻の発売にあわせて、英国からルイーザとイザベルが来日した一週間、今度は通訳として、いろいろなセミナーや取材、会食などでずっといっしょに過ごした(こういうとき、翻訳と通訳の両方をやっていてよかった~! とつくづく思う)。そのときに、この母子がどうやって、この楽しくスリリングにして温かく勇気と元気を与えてくれる『ライオンボーイ』を書いたのか、がわかった。
事の発端は、イザベルが幼かったころ、夜寝る前に「お話をして」と頼まれたルイーザは、「いいわよ」と返事をしたものの、疲れ果てていたので、「何のお話がいいの?」と聞いたことである。
「男の子の話」とイザベル。「名前は?」「チャーリーよ」「わかったわ。むかしむかし、チャーリーという男の子がいました。……それで?」「それで家を出ていったの」「どうして?」……とまあ、こんなぐーたらママと空想好き娘の会話から、「チャーリーの冒険物語」ができたそうだ。
そのころは、この話だけではなくて、いろいろな物語をふたりで「協創」していたという。「面白いのもそうでないのもあったけどね」とルイーザ。「面白い話にすると、イザベルが寝てくれないんだもの。だからわざとすごーく退屈な話を作ったこともあるわ」。
ふたりの物語の中で、チャーリーの物語はイザベルのお気に入りになった。「本にしたらずっと取っておける」と思ったイザベルの願いから、本作りがはじまった。このころイザベルは小学生中高学年。「この次はどうする?」「こうしようか」「そうだね、それでこういう事件が起こるっていうのはどう?」「うんうん、それでね……」というやりとりを、毎日の生活の中で繰り広げているのだ(現在もこうして第三巻を書いている)。
改めて言葉にするには照れくさい相手への思いも、人間以外のものへの愛も、未来への夢も恐れも、年長者として伝えたい智恵も、こうして二人のあいだに響きあって『ライオンボーイ』の物語の中に吹き込まれているのだ。だから本書はただのエンターテイメントではない。しっとりとした温かさと爽やかな風がワクワクしたエールを送ってくれる、そんな本なのだ。
スティーブン・スピルバーグの「ドリームワークス」による映画化も楽しみである。ふたりも、「うん、台本の第一稿を読んだよ」「すごくよかった。だれがチャーリー役をやるんだろうって、ワクワクしちゃう」と楽しみにしている。
そして第三巻、早く読みたいなぁ! 実は訳者&通訳者特権で、「ナイショだけどね」とこっそり教えてもらったことがある。「ええっ!」と思わず叫んでしまったのだが、それ以上はナイショなのでお伝えできない。申し訳ない。大団円となるはずの第三巻、原書の到着を首を長くして待っている私である。
第二巻も天野喜孝さんが素敵なイラストを描いて下さった(ちなみに天野さんはライオンが大好きだそう)。一〇〇を超える質問に丁寧に答えてくれたルイーザ、翻訳のお手伝いをしてくれた五頭美知さん、中小路佳代子さん、イタリア語やフランス語を助けてくれた森節子さん、長谷川浩代さん、私が原書を見ながら読み上げる訳文を正確かつ迅速にテープ起こししてくれた阿部泰子さん、そして、編集者の木南勇二さんに感謝します。
二〇〇四年初夏
枝廣淳子