1972年に刊行された『成長の限界』、1992年の『限界を超えて』に続く、シリーズ第3弾です。システム・ダイナミクス理論を用いて、「このまま人口も経済も拡大を続けると......」とシミュレーションした『成長の限界』、その20年後に再びデータ収集して分析した『限界を超えて』に続き、さらに10年たった今、最新のデータを土台に、「この30年間、 人間と地球との関係はどうなってきたのか」「いまの地球はどういう状態か」を分析し、「どうすれば崩壊せずに、持続可能な社会に移行できるのか」を、静かに熱く訴える本です。
訳者 まえがき
「環境問題」と聞いて、あなたは……?
「問題や悩みがあるところにこそ、チャンスがあるもの。環境問題は史上最大のビジネスチャンスだ!」と腕まくりする人もいるでしょう。
「美しい地球を未来に残したかったのに、こんなに川も空気も汚れ、温暖化は進み、もうだめなのかもしれない」と、絶望的な悲しみに押しつぶされそうな人もいるかもしれません。
「温暖化だ、オゾン層の破壊だと、科学者やNGOやマスコミのでっち上げにすぎない。今日の地球は何の問題もなく、経済活動だって盛んじゃないか。環境問題なんて存在しない」と、信じていない人もいるでしょう。
しかし、多くの人は「洪水や台風、異常気象が増えているし、何となくおかしい気がする。これが環境問題なのか、よくわからないけど……」と不安に思ったり、「未来の世代のために、何かしなくてはいけないと思う。でも、何をどう考えたらいいのだろう? 自分に何ができるのだろう?」ととまどったりしているのではないでしょうか。
本書は、「地球の環境問題」にしっかり目を見開いている人、薄目でこわごわのぞこうかどうしようかと迷っている人、そして、目をそむけている人に向けても書かれたものです。
悲観的になっている人には、「まだ間に合う。私たちの前にあるのは、運命の決まっている暗い未来ではなく、選択なのだ」というメッセージが届くでしょう。環境問題の存在を認めようとしない人には、否定しようのないデータとその傾向の構造がわかります。
「よくわからないけど不安だ」という人には、「実際に、何がおかしいのか、そしてそれはなぜなのか(ついでに、それはあなたが悪いわけではないということ)」がわかります。「問題に対する考え方や自分がすべきことがわからない」という人には、「問題を大きく全体像とその構造(システム)という考え方でとらえること、そして、その際に個人としてどのようなスタンスや方法を使えばよいのか」がわかります。
環境問題を、あなた自身の問題として考える、その背中を押してくれる本なのです。
本書は、一九七二年に出版された『成長の限界』 と一九九二年の『限界を超えて』につづく、同じ著者によるシリーズ第3弾となります。約三〇年前に著者らは、先見の明のある著名な実業家や政治家、科学者からなるローマ・クラブから、「現在の政策は、持続可能な将来につながっているのだろうか? それとも崩壊につながっているのか? すべての人に十分なものを提供する人間らしい経済をつくり出すために、どうしたらよいのか?」という問題の研究を委託され、システム・ダイナミクス理論とコンピュータによるモデリングを用いて、世界の人口と物質経済の成長の長期的な原因と結果を分析しました。
一九七二年時点での報告書が『成長の限界』であり、それから二〇年後に再びデータを収集し、シミュレーションを行った結果が『限界を超えて』です。
そして、さらに一〇年たったいま、最新のデータを土台に、「この三〇年間、人間と地球との関係はどうなってきたのか、いまの地球はどういう状態か」を分析し、「どうすれば崩壊せずに、持続可能な社会に移行できるのか」を、静かに熱く訴える本書が書かれました。
地球の状態を三〇年以上にわたって見つめ続け、一〇年ごとに緻密な分析に基づいた地球再生への提案をし続けるというのは、すごいことではないでしょうか。環境問題は原因が生じて問題が表面化するまで、時間的な遅れが発生することが多く、とくに長期的な視点が必要な分野です。三〇年前のシミュレーションと、実際の世界の状況がどう展開したかをつきあわせ、そこからさらに未来のシミュレーションを展開する本書は、冷静な研究者の分析と、人間としての祈りにも近い熱い思いとがあいまって、一気呵成に読ませる迫力を持っています。
『成長の限界』は刊行当時「未来予測」「予言」とも評されましたが、著者は本書で「二一世紀に実際に何が起こるかという予測をするために本書を書いたのではない。二一世紀がどのように展開しうるか、一〇通りの絵を示しているのだ。そうすることで、読者が学び、振り返り、自分自身の選択をしてほしい、と願っている」と述べています。
8章からなる本書は、次のような構成になっており、どこから読んでいただいてもかまわないと思います。いちばん気になるところからお読みください。
[起:第1~2章] 地球環境の危機を招くさまざまな「行き過ぎ」の構造的な原因と、行き過ぎをもたらしている人口と経済の幾何級数的な成長を考える
[承:第3~4章] 人口と経済にとっての限界――地球が資源を供給し、排出物を吸収する「供給源」と「吸収源」の現状を把握し、「何もしなかった場合」にどうなるかのシミュレーションを見る。
[心の箸休め:第5章] 私たちに希望を抱かせるオゾン層の物語――人間はいかに行き過ぎから引き返したか。
[転:第6章] 「何もしなかった場合」に「市場」と「技術」という人間のすばらしい対応能力が発揮された場合のシミュレーションを見る。市場と技術だけでは「有効だがそれだけでは十分ではない」ことがわかる。
[結:第7~8章] 市場と技術に加えて、世界が子どもの数と物質消費量に「足るを知る」ようになったとき、どうなるかを見る。人間は、崩壊を避けて行き過ぎから戻り、持続可能な社会が実現する! さらに、農業革命と産業革命につづく「持続可能性革命」が求められている歴史的な必然性と、私たち一人ひとりに必要な「ビジョンを描くこと」「ネットワークをつくること」「真実を語ること」「学ぶこと」「愛すること」について語る。
第3~4章だけを読むと、もしかしたら悲観的な気持ちになるかもしれません。厳然とした事実として、地球の現状に関するデータが次々と出てくるうえ、「もしこのまま何もしなかったら……?」その未来は、私たちの望むものとはかけ離れていることがわかるからです。これらは、私たちがしっかりと見なくてはならない重要な事実です。しかし、個々のデータに一喜一憂するのではなく、「どうしてこの数十年間に、多くの環境問題が出てきたのか?」という構造=システムを理解し、対処療法ではなく、構造から変える根治療法を考えていく必要があります。ここで著者の理論的枠組みであるシステム論が大変に役立ちます。
地球の現状を示すデータは、「人類の人口や経済活動は、地球の資源を提供し、排出物を吸収する限界を超えてしまっている」ことを告げていますが、これをシステム思考の用語で「行き過ぎ」と言います。意図してではなく、うっかりと限界を超えてしまうことです。
この行き過ぎが、度重なると回復できずに、崩壊がやってくる可能性があります。地球の人口や物質経済がどんどんと成長している現状は、この「行き過ぎ→崩壊」の可能性をはらんでいるのです。これこそが本書の焦点です。「人口や経済が、地球の支える能力を超えて大きくなってしまった原因は何なのか」「その結果、どうなる可能性があるのか」を本書ではさまざまな観点から考察しています。
もっとも、行き過ぎた結果、必ずしも崩壊がやってくるとは限りません。「行き過ぎの結果には、二つの可能性がある。何らかの形で崩壊するか、意識的に方向を転換し、過ちを修正し、注意深くスピードを落とすか」、です。未来に関する警告は、破滅の予言ではなく、別の道を進めという勧告なのです。
「しかし、近視眼的で利己的な人間や政府や企業に、いまの便利さを捨てて、行き過ぎから引き返すなんてことができるのだろうか?」と思う方は、ぜひ第5章を読んでください。すこし前までオゾン層の破壊がよくニュースになっていたけれど、そういえば、最近あまり聞かなくなったと思いませんか? 第5章は、このオゾン層の物語です。「人間には、先を見通し、限界を察知し、破局を経験する前に引き返す能力があること」がわかり、心に希望の光がともります。実際に人間は、自分たちが「行き過ぎ」てしまったことを知り、努力をして、代償を払って、引き返してきたのですから。
やっとのことで発効した京都議定書のプロセスも、行き過ぎから戻ろうという挑戦の一つですが、ここに示されている「行き過ぎから引き返すために必要なこと」をお手本にしっかり進んでほしいと祈っています。
著者の最後のメッセージは、「世界の現状に関するデータから地球規模のコンピュータ・モデルまで、われわれが見てきたものから、『確かに限界はあり、しかも、すぐそこに迫っている。私たちの現在の人口や活動が、地球の限界を超えてしまっている場合もある。しかし、ぐずぐずしている時間はないが、まだ間に合う。私たちには、持続可能な社会へ移行するための時間もお金も、人間の知恵や長所もあり、そのあいだ、地球は持ちこたえることができる』という考え方が正しいかもしれないことがわかる。正しいのか、間違っているのか――確実に知るには、試してみるしかないのだ」というものです。
著者は一〇年後に再びシリーズ第四弾を書く予定だそうです。一〇年後の本書のグラフの形が、限界に無理やり押さえつけられてではなく、人間の意思と行動によって下向きに変わっていることを信じつつ。
なお、本書の訳文中、飲用の箇所に関しては『限界を超えて』(デニス・L・メドウズ他著、松橋隆治、村井昌子訳、茅陽一監訳、一九九二年)を参考にさせていただきました。
二〇〇五年二月
枝廣淳子
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訳者あとがき
「バラトン・グループの合宿に招待したいと思いますが、参加の意思はありますか?」というメールをいただいた二〇〇二年の春、本書の著者のひとりであるデニス・メドウズ氏とのつながりができました。氏とドネラ・メドウズさんが立ち上げたバラトン・グループは、不思議なインフォーマルなグループで、オフィスも事務局もありません。毎年秋に、ハンガリーのバラトン湖畔の小さなホテルで、二十数ヵ国からの約五〇人のメンバーで約一週間、朝から夜まで、その年のテーマに沿って勉強し、議論し、各自で共同プロジェクトを考えて実行していくという合宿を行っています。私に声をかけてくれたのは二一年目の第二一回でした。
バラトン合宿での唯一のルールは、「自室にはこもらないこと。ありとあらゆる時間を、メンバーとの会話に充てること」。さすがに全員とじっくり話すことはできませんが、以来毎年参加させていただくなかで、いくつもの興味深いコラボレーションの可能性を探ることができ、『カサンドラのジレンマ』(アラン・アトキソン著、PHP研究所刊)の翻訳や、この本の著者で、バラトン・グループの中心メンバーのひとりであるアラン氏を日本に招聘して、欧米での体験に基づいた持続可能な開発をテーマにした講演会を開催することなどにつながっています。
参加して二年目、二〇〇三年の合宿で、デニスが『成長の限界』の三〇年後の本の準備を進めていることを知りました。日本や世界の多くの人と同じように、私も『成長の限界』に大きな影響を受けました。この本を読んで、目の前がぱっと開けるような思いをしたことを今でもよく覚えています。その本が新しく出る! これは日本でも読んでもらいたい!
私がそう伝えると、デニスは「ぜひ、やってくれる?」という返事をくれました。帰国後、前書の出版元であるダイヤモンド社に企画書を出し、両者のやりとりを手伝いながら、「仕事しながら勉強できる」翻訳者の役得を味わいつつ、こうして実現したことをとてもうれしく思っています。
私を『成長の限界』に惹きつけ、バラトン・グループに惹きつけている大きな魅力の一つが「システム思考」です。本書そのものがシステム思考に基づいて書かれていますが、端的には、「資源を壊滅させようと夢中になっている市場の当事者たちは、まったく合理的な行動をしている。システムのなかでのそれぞれの立場から見える報酬や制約を考えれば、まったく妥当なことをしているのだ。問題は、人にあるのではなく、『システム』にある」という箇所を読むとよくわかります。
誰も環境や地球を破壊しようと思っているわけではない。多くの人は常識的な範囲で活動している。それなのに、問題が起こっているとしたら、人が悪いのではなく、悪意なく行動しても問題を起こすようになっている「しくみ」が問題なのだ。そのシステムを変えなくては問題解決にはならない、という考え方です。私にとって、とても腑に落ちる考え方なのです。そして本書にも簡単にふれられているように、「システムを変えるにはどうしたらよいか」の研究が行われ、世界各地からの事例もあります。
バラトン・グループはもともとシステム・ダイナミクスの専門家の参加が多かったという背景もあり、各国からの参加者の共通言語は「英語とシステム思考」だと思うほど、自然にシステム思考のアプローチをとります。課題があると、本書にも出てくる矢印のたくさんついた図(causal loop diagram)を書き始めます。すると、各自の問題のとらえ方がわかります(けっこう違っているものなのです)。そして、「誰が悪い」「~したらよかったのに」という話ではなく、「どうしたらシステムをよい方向に変えられるか?」という建設的な議論ができます。
日本では世界に誇れるほど、各分野で、環境問題への取り組みが盛んです。日本人が自ら「日本は遅れている」と言う人もいますし、たしかに遅れている分野もありますが、通訳・環境ジャーナリストという仕事や海外の人々とのやりとりを通じて、私は「日本の活動はすごいなあ!」と思っています(そして、言葉の壁でその活動が世界に伝わっていないことを残念に思い、日本の環境活動を英語で世界に発信するNGOジャパン・フォー・サステナビリティを仲間と立ち上げ、多くの方々と一緒に活動しています)。
講演や取材を通して、各地の地域や企業、行政などに属しながら「このままではいけない。何とか変えていかなくては」という思いで活動されている方々に出会う一方、環境問題への関心の有無にかかわらず、「どう生きたら本当に幸せになれるのだろう」という個人のビジョンづくりや自分マネジメントへのニーズが世の中で高まっていることを感じ、セミナーやコースを提供するようになりました。個人のレベルでも、組織や地域のレベルでも、「変えたい」「変えよう」という意思や願いを強く感じます。
実際に「自分を変え、まわりを変えていく人」のことをchange agent(変化の担い手)と呼びますが、日本での環境活動を「一部の人がやっている」という状態から「社会のうねり」にしていくためにも、そして、一人ひとりが本当に納得できる人生を生きるためにも、change agent のための考え方やトレーニング、方法論やツールを提供していきたい、と思っています。バラトン・グループ自体がそのような意識を持っているため、日本に紹介したい考え方や広げたいツールがたくさんあります。システム思考はその一つです。いまデニスたちと相談しながら、システム思考を広く使ってもらうための日本語でのセミナーやワークショップなどを考えています。人や自分や状況を責めるのではなく、問題解決に注力するための役に立つと思っています。
さて、システム思考を日本で広く使ってもらえるようにしたい、という夢のほかに、私にはもう三つ、夢があります。
一つは、著者のおひとりであるヨルゲンさんとお会いしてお話ししてみたい、ということです。まだ面識がなくて、とても残念なのです。
もうひとつは、本書の完成をたのしみにしつつ、刊行を見ることなく突然亡くなったドネラ・メドウズさんのスピリットを多くの人に伝えたい、ということです。残念ながら私はお会いできませんでしたが、バラトン・グループを通じて、ドネラさんの薫陶を受けているような気がします。
システム・ダイナミクスの研究者であるとともに、環境ジャーナリストでもあったドネラさんは、「厳しいことでもしっかりと、しかし、誰にでもわかるように、人間的な温かさを持って伝える」ことにかけては、右に並ぶ者はいないとみな口を揃えます。ドネラさんの遺されたシンプルで温かいエッセイなどを読むと、どんな問題があっても私たちはなんとかやっていけるはずだ、と希望が持てる気がします。ぜひドネラさんの思いやメッセージを広く日本に伝え、各地で活動している方々の支えとエネルギーにしてもらいたい。そう思って、準備を進めているところです。
もう一つの夢は、デニスとフランスのペタング大会に出場することです。ペタングというのは、フランスでは数百万人が夢中になっているというメジャーなスポーツだそうですが、ふたり一チームで、重い硬球を投げて転がし、的にできるだけ近く寄せる技を競います。
デニスは、バラトン合宿にこのペタングセットを持参しては、休み時間にペタング場で興じているのですが、ある日、人が足りなかったらしく、「ジュンコ、いっしょに組んでやらないか」と誘ってくれました。「やったこと、ないのだけど」と言ったのですが、「簡単だから」と促されてやってみたところ、ビギナーズ・ラックとはこのことで、私は何度も自分のボールを的にぴったりと添わせることができ、そのたびにデニスは大喜び。我がチームは大勝しました。デニスは終わると握手を求めてきて「この調子だったら、僕らはフランスの大会に出られるかもしれない!」とにこにこ。
というわけで、デニスたちが一〇年後に本シリーズの四作目を出すまでに、私のほうは「システム思考を日本でふつうに誰もが使っている考え方にする」「ヨルゲンさんにお会いしている」「ドネラさんの希望のメッセージを広く日本に伝える」「ペタング大会に出場する」ことを目指しています!
最後になりましたが、「編集者と翻訳者」というより、「大事なメッセージをどう伝えるか」をいっしょに考えるチームメートとして本書の準備を進めてくださったダイヤモンド社の石田哲哉氏、原書を読んだうえで初訳すべてに目を通し、貴重なコメントを寄せてくださった小田理一郎氏に感謝します。デニスは、細かい質問にも根気よく丁寧に答えてくれ、バラトン・メンバーをはじめいろいろな方々が励まし、支えてくれました。よい仲間に恵まれて本書を出すことができ、本当に幸せです。
枝廣淳子