「あなたはあなたのままでいい」。まわりのつらい環境に悩んでいる子どもや大人に、心からのメッセージを送りたいと思って書きました。子どものいじめをどう見つけ、どう接したらいいのか、そして、いじめの有無とは関係なく、大人や子どもが、自分の価値を自分で認め、小さな自信を持つきっかけになればと願っています。
はじめに
大人の世界でも子どもの世界でも、悲しいことに「いじめ問題」があります。
社会から見れば、「いじめという問題がある」となりますが、本人にとっては「~という問題」ではなくて状況そのものがとてもつらく、悲しく、苦しいものです。
いじめが苦しいのは、「自分の存在そのもの」が否定されているように感じられるためだと思います。
私も小学校のときに、いじめの対象になったことがあります。
いまのいじめとは性格が違うものだったと思いますが、クラス全員に無視されたり、悪口を言われたり、上履きを隠されたりという経験は、とてもつらいものでした(いまでもそのときの情景やいじめっ子たちの顔や名前、自分の思いや感情はよーく覚えています)。
そして、大好きな母にも、そのことを言えずにいました――何でも話す仲のいい親子だったのですが!
大好きな母を悲しませたくない、というのもありましたが、何より、母に「いじめられるような子だと思ってほしくない」という思いが強かった、いまになって振り返ると、そう思います。子どもなりに、自分を、自分の存在価値を守ろうと一生懸命だったのだ、と。
ある日、あまりにつらくて、一瞬だけ「いっそ、この世からいなくなれば」と思ったことがあります。
次の瞬間、私は大泣きしていました。残された母がどんなに悲しむだろう……と思うと、悲しくて悲しくて、絶対に「この世からいなくなる」ことなんて、考えるのはやめよう、と大泣きしながら心に決めたのでした。「この子が生きているだけでいい」という、親の無条件の愛が自分を救ってくれたのだと思っています。
私のいじめられ体験は小学校卒業とともに終わり、後の数十年間は、そのときの経験も思いも、自分の心の中に封印してきました。当時のいじめっ子と再会する機会もありましたが、ごくふつうに笑って過ごせるようになっていました。
昨今、いじめを苦に命を絶つという痛ましい事件が続いています。そうした報道に触れるたびに、チラッとでも同じことを思った経験のある自分が、叫んででも伝えたい思いに心が熱くなります。
「あなたが悪いんじゃない。いじめられたって、あなたの価値も存在も、ひっかき傷ほども傷つかないんだよ。そこにいつづける必要もない。世界は広いんだよ、自分を活かせる場を探すことだってできるんだよ」と。
本書は、こんな思いを少しでも伝えることができたら、と思って書いたものです。
いじめという「事件」は、子どもの心だけでなく、親の心も揺さぶります。
親の心の持ち方や子どもへの接し方によって、つらい思いの子どもが救われることもあり、逆に、ますますつらくなることもあります。
『負けないで!』を一つの手がかりに、いじめというつらい経験を通して、親も子も「生きる」ということを考えてもらえたら、と願っています。
この本は二部構成になっています。
第一部は、私からプチグマへの手紙形式の物語です。いじめにあっている子どもたちに、そして、同じくつらい思いをしている大人にも、ぜひ読んでほしいと思っています。
第二部は、親のための解説とアドバイスになっています。第一部の物語をモチーフにして、状況ごとに親にかけてほしい言葉、取ってほしい態度を紹介していきます。
わが子がいじめられているという現実をどう見つけ、どう自分自身の中で折り合いをつけ、どう子どもに接したらいいのか――すべてはケース・バイ・ケースですが、基本的な考え方や留意すべきことをまとめました。少しでもお役に立てば、と願っています。
親のための本ですが、いじめに悩む子ども自身が、そっと手に取って、少しでも自分を楽にするために役立ててくれたら――。
いじめの有無とは関係なく、「すぐに他人のことを気にしてしまう」大人や子どもが、自分にしかない自分の価値を自分で認め、受け入れ、小さな自信を持つきっかけになったら――。
著者として、心からうれしく思います。
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おわりに
一つのいじめが解決して、「そしてそのあとはずっと幸せに暮らしました」という人生はおそらくありません。
しかし、つらいことばかりが続いていくのが人生、というわけでもないでしょう。
人生にも、毎日の生活にも、「自分が選んだり変えたりできる部分」と、「自分では変えられない状況がつくり出す部分」があります。
そうした中で、どうやって「状況」と「自分」、そして「ありたい自分」の折り合いをつけていくのか――その過程そのものが、苦しいこともあるけど、楽しく、やりがいのあることなのだ、と思うのです。
この先、どんなつらいことがあっても、つらさにおぼれてしまうのではなく、そのつらさを一つのバネとして、さらに自分らしい自分になっていってくれたら――これは親としての心からの願いではないでしょうか。そのために、親も子もいまのつらい経験から、何らかの学びを得ることができたら、と思います。
いじめという状況は、単にその子といじめる子、もしくはその子とクラスの問題ではありません。
そのクラスを取り巻く学校、学校を取り巻く地域、地域を取り巻く国や世界といった、社会の大きなつながりの中の一つの具体的な場面として、起きていることなのです。
親も子どもも、そうした大きな視点を持ってもらえたら、と思います。そうすれば、いま自分がここで苦しんでいることは、自分だけの問題ではないということが、きっとわかってくるでしょう。自分が悪いという問題ではない、ということが。
昔から「子どもは大人の鏡」と言います。
いま、子どもたちがあちこちで苦しんでいる状況は、日本の大人社会のゆがみを克明に表しているのだと思います。
『大学力』(主婦の友社)という本で対談させていただいたとき、早稲田大学の白井克彦総長が、「生きる力を子どもにつけるための教育というけれど、生きる力を子どもに注入しようとするのではなく、社会が、『生きたい』と思わせる社会にならなくては、子どもに生きる力なんか出てこない」と語っていました。
そのとおりだと思います。
特にいまの日本を見ていると心配になります。海外から帰国するたびに、「ああ、なんて子どもたちの笑顔が少ない国だろう」と思うほどです。子どもの笑顔は、社会の一つの縮図なのでしょう。
子どもたちは、そんな状況のしわ寄せを受けているかもしれません。
大人が、イライラ、カリカリしていると、子どもたちもそうなるでしょう。
大人がいじめ合っていると、子どもたちもきっといじめ合うようになるでしょう。
いま、いじめのターゲットになっている子どもには、「誰かのしわ寄せなんかで、自分の人生を台無しにしないで。ずっとこのままじゃないから(いまはそう思っているかもしれないけれど)。あなたが悪いんじゃない」と伝え、少しでも生きていることがラクになるように、私たち大人はできるだけの知恵を持ち寄り、手助けをしなくてはなりません。
そして、個々の「いじめ」という症状に対する対症療法を進めると同時に、次々とあちこちで「いじめ」が発生し、繰り返される社会の根本的な原因を見極め、少しでも改善していく責任もあります。
世界六カ国の母親に対して、「自分の子どもの成長に満足しているか」という質問をしたところ、〇~三歳児を持つアメリカ、イギリス、スウェーデンの母親の九十二~九十四%が満足していると答えているのに対し、日本の母親で満足しているのは六十八%。十~十二才では、先の三カ国の八十数%に対して、日本の母親は三十六%しか満足していないという結果だったそうです。
日本、韓国、中国、アメリカ、ニュージーランド、ブラジルの小学五年生に、「将来への期待」に関する質問をしたところ、日本の子どもはすべての質問において最下位で、「日本の子どもは最も自信がない」という結果でした。
これらは子どもに関する質問ですが、「大人としての自分」に関する質問だとしても――「自分に満足しているか」「自分は将来に期待を持っているか」――もしかしたら同じような結果になるかもしれません。
子どもが「生きたいと思う社会」は、きっと大人にとっても「生きたいと思う社会」なのでしょう。
そんな社会の姿をどう描き、現実のものとしてつくり出していったらよいのか――大人も子どもも一緒に考えていけたら、と願っています。
二〇〇八年二月
枝廣淳子