ある方が、蓬莱551の数字のワケを調べて教えて下さった。うーむ、深い……。(^^;
ところで、ずーっと愛用している(旅行にも出張にも連れて行っている)小さな目覚まし時計の秒針が、数週間前からおかしくなっていた。6時の方向から12時に向けてやや苦しそうに上がっていくと、やおら、するっと6時まで一瞬で滑り落ちてしまうのだ。
「これでは1分が30秒になってしまうでないのー」とハムスターのプチが目をぐるぐるさせながら(@_@)叫んでいたが、不思議なことに、これでも分針は正しく進んでいく。
「これっていったいどーゆーこと? まるで秒針は分針にまったく関係ないみたいじゃん。秒針が1周したら分針が1つ進むんでないの???」と思っていたら、ついに先日、秒針が取れた。
時計の底に横たわる秒針。そして、何事もなかったかのように正しく時を刻む分針……。
うーむ。まるで人生のようだ。こういうことって、実はけっこうあるんだよなー。
「絶対にこれがなきゃ、あれは動かない」と思っていても、実はそうじゃないってことが。「彼がいなきゃ生きていけない!」と叫んでも、結局いなくても素晴らしく生きちゃえる自分に気づいたり、「たくさんモノを買えることが幸せ!」と思っていても、「あら、買うか買わないかに関わらず、幸せになれるんだわ」と気づいたり。
これをデカップル(decouple)という。ふたつくっついていたものを切り離すことだ。AがあってこそのBだと思っていたけど、AがなくてもBは成り立つ、ってこと。
デカップルしていまや自立した分針は自信を持って時を刻み、デカップルされちゃった秒針は時計の底で何だか寂しそうである。(私の人生っていったい……って感じ。^^;)
しかし、そのうち分針だって時針からデカップルされちゃうかもしれない。それにこの愛する時計が壊れて止まったとしても、時間は止まらない。この時計だって、「時間といっしょ」という顔をしているけど、実は時計があるから時間が回っているわけじゃないってこと。
うーん。奥が深いものであるよ。(^^;