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えだブログ

2004
Sep
05

ステップと足踏み、そして駆け出しの思い出

2004年09月05日

 日比谷公園で華麗なるステップを披露した(だれにも頼まれていないが)翌日であるところの昨日は、「自分の本当の北極星を見つけよう」という本の翻訳の最終章ととっくみあいをしていた。

 なんだか進まないなー、ゴールは見えているのになー、と何度も残りページを数えてはため息をついていたら、ハムスターのプチが「それじゃ、ステップじゃなくて、足踏みだよねー」というので、もーっ!と怒ったら、「あ、こんどは地団駄踏んでる」だって。(_ _;

 ということであと6ページ。しかも終わったらすぐに書き直しをしなくてはならない(この翻訳は思ったのの100倍も大変だった……そのままの翻訳では使えないからだ)。

 ざっとかかっている時間を計算して、定価と初版部数を想定してみると(印税率はわかっているので)、時給換算の数字が出る。足踏みしながら計算してみたら、そうだなー、ファーストフードのアルバイトの時給よりはちょっとマシか、これからの修正の時間によっては、いい勝負だな~。

 翻訳(特に出版翻訳)ってこんなものなのである。私が最初の頃に訳した訳書の何冊かは、マクドナルドの時給の3分の1か4分の1だった。しかもマクドナルドだったら、働いた時間が長ければそれだけたくさんもらえるけど、翻訳の場合は、丁寧に一生懸命時間をかければかけるほど、時給は低下していく構造である。マイナス残業手当、である。(^^;

 ということで、お金のためなら出版翻訳は(絶対にヒットするものを訳さない限り)お薦めできない。お金ではない別のものを求めているからこそ、できるのだし、やりたいと思うのである。「とにかく最高のモノを作りたい」「納得いくまで出さねえ」という職人さんに近いんだなあ、きっと。

 私の場合は、メールニュースにしてもダイアリーにしても、「お金ではないもの」があるから時間を使っている。自分の時間はお金に換金するだけのものではないもの。(と通訳駆け出しの頃は思えなかったが……。人間、成長するものである。^^;)

 駆け出しと言えば、駆け出しの通訳者からもらったメールを読んでいたら、自分の駆け出し時代のくやしかったことを思い出した。

 当時鳴り物入りで設立された大きな会社があった。今は亡き……である(通訳者はよくこういう業界や企業の栄枯盛衰をまざまざと見ることがある)。その会社の立ち上げ時に、通訳者が10人以上毎日投入されていた。こういうドタバタ時に何となくまぎれて駆け出しが最初のチャンスをもらうことはよくある(あ、人数足りないから、とりあえず、コイツを行かせよう、となるのだ)。

 駆け出しだった私は、そうしてベテランのAさんとBさんの息継ぎ用として(?)、現場に出た。ふたりはこの会社の仕事にも慣れていたが、まったくはじめての私は業界用語や社内用語にもてこずっていた。(こういう社内通訳の場合、あまり資料ももらえないので、準備もできない)

 必死にやっていたら、AさんとBさんがこそこそとメモに書き込んではクスクスしているのが目に入った。あとでそのメモも見た。私がやっているようすを見て、笑っているのだった。ま、ベテランからしたら、私の必死さもそのパフォーマンスも、おかしかったのだろう。

 でも私はとってもくやしく思った。自分に対してである(ふたりみたいにできていないのは、自分でもよくわかる)。パートナーが笑っているということは、クライアントだって、笑うか怒るか(こちらだろう)するパフォーマンスだ、ということだ。絶対に、パートナーに笑われないようなパフォーマンスができるようになりたい!と心から思った。

 同時に、ふたりの先輩に対してもくやしく思った。「私はベテランになっても、絶対に人のパフォーマンスを笑ったり傷つけたりする人にはならない」とそのときに思った。(自分もいずれベテランになる気でいたのだ。厚かましいというか面の皮が厚いというか……。^^;)

 その後何年かして、別の医学関係の会議の通訳でBさんと一緒になった。同じクライアントから次の会議の通訳手配の依頼が来たとき、通訳会社からまた声がかかった。ありがたいとは思いつつ、「でも医学ならBさんが専門だし、ベテランだから、私よりそちらのほうがいいと思いますけど」と言ったら、「先方がBさんはあまりよくなかったので、枝廣さんのほうに来てほしい、とご指名なんですよ」と言う。

 別にふたりを見返してやろうとか思ったことはないけど、ああ、そうか、この数年、私は少しでもじょうずになりたくて、ウサギとカメのカメみたいに、少しずつでもやってきたけど、Bさんは仕事はしてもあまり先に進んでは来なかったのかなあ、と思った。

 主に私を笑っていたAさんとも、その後何度か現場でお会いした。丁寧に挨拶はするし、向こうも(その時のことなどもちろん覚えてはいないだろう)「通訳以外でもご活躍ね!」とニッコリ声をかけてくれるし、年賀状もくださったりするのだが、やっぱりコワイ。コワクて、私が自分の会社で通訳者を手配するときに、数が足りなくても、声がかけられないのである。

 こんな、どーでもいいことを書いたのは、メールをくれた駆け出しの通訳者さんや、そのほか、いま「がんばり中」の、それだからこそくやしい思いをしている人たちに、「私もそうだった~」と伝えたくて。

 くやしい思いは、外に出す(相手にぶつける)必要はまったくないけど(そうすると、せっかくのそのエネルギーがなくなってしまう)、自分の中である方向に向けることができれば、大きな推進力になる。
……と実感している今日この頃である。

 もっとも私の場合は、最近はあまりくやしいことがないので(人間が円くなったのか?)、だから最後の6ページだというのに、ステップ&足踏み&地団駄なんて踏んでいるわけね。(^^;

 

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