昨日も翻訳だけでも12時間も机にへばりついていたのに、午後から減速してしまい、「希望的予定」まではとても到達せず、「最低限予定」をこなすのが精一杯であった。
20時近くに「もう今日はおしまい……」と出てきた私を見て、ハムスターのプチが「髪がトサカみたい」と一言。苦闘のあとがわかる……?(^^;
翌日(つまり今日)はやり方を変えてみることにする。それにしても、訳文とともに、肩こりとの戦いである。現時点の肩こり指数は65。(_ _;
昨日ある人とメールで喋っていたことから、ふと思い出して、昔のメールを引っ張り出してみた。(こういうことをやっているから進まない……というわけでもなくて。せいぜい20分ぐらいだったもの)
3年半以上まえになるのかなあ、『朝2時①』を書いていたころのメールである。自分が当時何を考え、どうしてこの本を書くことになったのか、よくわかる。
この本にも書いてあるけど、私は何かをやるときに、「最善の結果」「最悪の結果」「もっともありそうな結果」を考えることにしているのだけど、この本を書くことに対して、当時どういう「もっともありそうな結果」を考えていたかを読んで、くすりと笑ってしまった。
結局はありがたいことに、多くの人に読んでもらうことができて、10万部を超えて、書店の常備本にしてもらえたらしく、今でも買って読んで下さる方がいて、シリーズ3冊目も出て、関連する翻訳書も出ることになって、考えていた「最善」を予想もできない形で上回る展開になっていることは、本当にありがたくて幸せなことである。
しかしその「結果論」よりも、振り返ってみれば、自分が人生のある時期に、考え、選んだ行動の結果、いまの自分があるのだ、という感覚が、いちばんの自信につながるものであることよ、と思う。
いま一生懸命、考え、やっていることも、きっと数年後に振り返れば、そう思える、と思えるからだ。
さあ、始めようっと。腕が動くうちに、翻訳、翻訳……。