フランクフルトで無事乗り換え、チューリッヒで無事タクシーに乗って(ドイツ語で行き先と行き方を書いた紙をもらっていたので)待ち合わせのレストランに着くことができた。
アランとエレックが食事をしているところにジョイン。やあ、久しぶり、元気? とても長旅の後に見えないね、アランこそ、新しい仕事に就くので、忙しいんでしょう? どんな感じなの? とおしゃべりをしながら、スイスビール(薄い……)で軽く食事。
「何時間かかったの?」と言われて、計算しようと思ったのだけど、うーん、、、面倒なので「たくさん!」
あとで、考えてみたら、空港まで3時間、2時間待って、フランクフルトまで12時間、2時間待って、チューリッヒまで1時間、タクシーで30分であるので、やっぱり「たくさん!」である。(^^;
こじんまりした居心地のよいホテルに連れて行ってもらい、お休みなさいの挨拶。アランが「バラトンみたいに、早朝ミーティングやろうか?」というので、朝6時に約束。
5時間半ぐらい寝て目が覚める。数時間仕事をしてから、迎えに来たアランとまだ暗い外へ。「どこも開いていないから、チューリッヒへ行こう」と近くの駅から、かっこいい電車に乗ってチューリッヒへ。駅のカフェで、6時半から3時間ほど話し込む。
10時には戻らなくちゃ、というので、帰途に着くが、電車の中でも話し込んでいたら、2駅も乗り過ごしてしまい、戻ってくる羽目に(15分ごとに走っているので便利である)。今回は会議で缶詰なので、はじめて訪れたチューリッヒの街を少しは見ることができて、よかった。
続々と運営委員会のメンバーが到着。この会議は一人のメンバーの自宅で開催されるのが恒例だそうで、それはそれは広いお家だ。ベッドルームが6つぐらいあって、デニスたち常連はここに泊まっている。
会議が始まる前に、デニスと1時間ほど打ち合わせ。7月に来てくれて以来のシステム思考のワークショップや開発の報告をしてアドバイスをもらい、3月のシステム・ダイナミクスのコースの話など。忙しい中でもこうして時間を取って、面倒を見てくれる。とてもありがたいことであるよ。
今回の会議参加者は、アメリカ2人、デンマーク1人、スウェーデン1人、インド1人、スイス1人、英国1人、オランダ1人、ドイツ2人、ラトビア1人、ハンガリー1人、そして日本1人である。ほんと、インターナショナルだけど、日本の外ではこういう構成がふつうである。
1日目の会議は、来年デニスがバラトングループの代表を引退すると言っているので、「そのあともこのグループは続けるべきか?」という根本的なところからの話し合い。各自意見を言う。私も言う。(20年選手の多いグループの中で、私はいわゆる「ヤング・ジェネレーション」と呼ばれる一人である)
ダイアナが言っていたことをメモしておこう、とてもわかりやすく、なるほど、と思うので。「あるグループがその活動をやめるには、3つの場合があると思うのよ。1つは、資金やエネルギーが続かなかった場合。もう1つは、そのグループのミッション(任務)を果たし、もう必要がなくなった場合。そしてもう一つは、そのミッションをより効果的に遂行する他のグループが出てきた場合ね」。
19:30に予定どおり、1日目は終了。グループのガバナンス委員長のアロ(インド)がいつもながら、じょうずに司会をしてくれたおかげだ。
それからワイワイとビールやワインを飲みながら、夕食の準備を手伝う。きわめてスイスらしい夕食らしい。サラダ。山のようなゆでたじゃがいも。10種類以上のチーズ。ワインとビール。以上。
成田空港で買ってきた梅酒を出したら、好評だった。にぎやかな雑談の中、「日本から来てくれた森口センセイはまた来てくれるかな?」という話になって、「9月に参加した日本人3人組で、日本でミニバラトン会合をしようって、メールしていたんだよ。日本の歌を歌おうって」と言うと、デニスが愉しそうに大笑いして、「前回のハイライトのひとつだったよ、あの歌は」とほめてくれた(?)。
みんなはまだ盛り上がっていたけど、私はお皿洗いを手伝って、先に失礼することにする(就寝時間はとうに過ぎている……)。ここからホテルまでは2回曲がるだけなのだけど、暗そうだしなー、着けるかなー、と心配していたら、アランが「ちょっと冷たい空気を吸いたいから、ついでに送ってあげるよ」と言って、荷物を持って送ってくれた。優しい人だ。そういえば、来年新しい本が出るみたいなので、楽しみだ(私が「書いたらいいのに!」とやいやい言い続けてきた本なのだ)。