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えだブログ

2009
May
25

Day3(5月25日)

2009年05月25日

今朝も目が覚めるまで寝ていようと思っていたら、3時半に目が覚める。昨日の夕食のテーブルに「今夜O時に時差発生! 寝る前に時計を1時間お戻し下さい」というカードが載っていたことを思い出した。

ということは、2時半だ。1時間ゲット、自然に2時起きしちゃった、ラッキー!ってな気分である。こうして、船では1時間ずつゲットしながら暮らしていくのである(もちろん、ゲットした分はどこかで一挙に放出しなくてはならないのだけど。^^;)

コーヒーを入れてから、「やらなきゃ」と前々から気になっていた作業に取りかかった。メールニュースにしたい!と思ったネタを入れておくホルダーに、数百のネタのタネ(?)が集まっているのである。

古いものには熟成したり発酵したり昇華してしまっているものもある。それらを整理する。メールニュースって、タイミングなんだよなぁ。出したい内容や情報はいっぱいあって、いっぱいいただくのだけど、ふだんはなかなかじっくり考えたりつなげたりする時間がとれないので(その割にはメールニュースを発行して
いるとは思うけど)、たまたまちょうどのタイミングですぐに出て行くものもあれば、「あー、ごめん、、、タイミングを失ってしまった。。。次のタイミングが来るまで待っていてね」という具合に、ずっと待ってもらっているものもある。

メールニュースを出し始めたのは1999年11月4日。声をかけて「読むよ」と言ってくれた知り合いや友人の18人に送ったのが最初である。今では読んでくれている(少なくとも受信してくれている)方が1万人以上いるということも、いつもありがたいと思いつつ、いまいち実感がもてない。全国各地の講演会場で「読んでますよー」と声をかけてもらうと、そのご縁にありがたいなあと思うけど。


9年半に1650号ぐらい出してきたことを考えると、そして、こうやって時間ができるとまずメールニュースの作業をしたくなっちゃうことを考えると、本当に好きなんだなぁ!と我ながら感心することであるよ。(他人にはよく感心されている。。。)

あと半年で10年である! 次の10年に向けて、何か区切りの機会でもやろうかな……。これまで考えていなかったけど。

9年半で1650号ということは、1年間に平均して約170本出している計算だ。かつて1年間に300本以上出していたときもあったなあ。忙しくなってきても年間100本は下ったことはないから、3日に1本は出してきた計算である。ちなみに、今年は最初の5ヶ月で75本ぐらいだから、平均的ペースかな。

メールニュースはまったくの私の趣味なので、何にも誰にもペースを左右されることがなく、好きなペースで出していくつもりではあるが、仮に環境問題がなかなか解決せずに、伝えたい情報が減らず、このペースで書き続いて、私の「人生のピークは90歳代!」が実現すれば、一生のうちに1万号ぐらいまでいく計算になる。

みんな、がんばって読んでね〜!(^^;

なんてことを考えながら、メールニュースのネタを整理しつつ、2本ほど書いた。今回はネットにつながれるので、船から送り出すことができる。

……が、やはり回線が細いらしく、時間がかかるぅ。1本メールニュースを送り出すのに、20分以上かかった。接続料金は1分0.4ドルだから1本1000円ぐらいかぁ。ふだんのメール環境はありがたいねぇ。。。

メールニュースを送りだしてから、ジムへ行った。自転車ほかマシンも数種類ある(がいまいち使い方がよくわからない)。自転車とダンベルで久しぶりの運動。汗を流してから、朝食。そして、8時すぎにイタリアシチリア島のカタニアの港に着いた。

Day3.JPG

寄港地ではいろいろなオプショナルツアーがある。私は事前に申し込んでいなかったので、人数に余裕がある「シラクーサ観光」に参加することにした。本当は自由行動であちこち行くのがよいのだろうけど、私の場合、帰船時刻までに戻れる自信がまったくないので、ツアーにまぜてもらうのが安全だからね。

シラクーサでは、アポロ神殿やギリシャ劇場、ローマ円形闘技場、ディオニソスの耳という洞窟などを見学し、おいしいイタリアンのランチをいただいた。シーフードのラザーニャってはじめて食べたけど、とってもおいしかった。

たまたま飛び込んだ観光ツアーだったのだけど、このシラクーサという名前に聞き覚えがあると思ったら、そう、ちょうど1ヶ月前、環境大臣のG8サミットがここで開かれたのだった。生物多様性に関するシラクサ宣言というのも出されている。斎藤大臣もここにいらしていたのねー。G8サミット用に置かれたという、
現代的なでっかい像が置かれていたけど、大聖堂まえの広場にはどうみても似つかわしくないなあ(現地の人もそう言っていた)。

夕方、船に戻り、17時頃出港。ツアーにはふだんは参加しないので、けっこういろいろなハプニングや疲れる要因もあって、疲れた〜。元気づけに、まだ早すぎて開店休業状態のバーに行く。バーといっても、海の見える明るいスペース。カウンターで生ビールを飲みながら、暇そうなバーテンダーさんとおしゃべり。インドネシア人というので、盛り上がった。

いろいろしゃべっていてびっくりしたこと。この船は定員1500人ぐらいの大型客船で、今回はいろいろな要因が重なって(景気停滞、スケジュール変更、豚インフルなど)乗客はかなり少なめ(なのでゆったりしていて、私も広めのお部屋をもらえて、それはそれでラッキーなのだけど)。バーテンダーさんやレストランのウェイターさんなどにはお目にかかるけど、そのほかに、この船の運航や乗客の生活を支えるために乗り込んでいるクルーは全部で700人ぐらいいるんだって!

ときどきメンテナンスをしているクルーには会うけど、避難訓練には「セーフティー・オフィサー」という人がどこからともなく現れたけど、こんなにたくさんの人たちが船に乗り込んで、乗客からはほとんど見えないところで、働いてくれていると聞いて、びっくりしたのであった。

ブディという名前のこのバーテンダーさんは、支払いをしたときの私のIDカードを読んで、「ジュンコサン?」と聞いてきた。「アナタも、この船に雇われているの?」

うーん、船に雇われているわけじゃなくて、ピースボートのボランティア講師なんだよ、ナビゲーターって呼ばれている役目で、明日から講座とかするの。私の専門は環境問題だから、そういうテーマでね。

と話しているうちに、ビールも終わりになったので、「じゃ、またね! ナッツをサービスしてくれてありがとう」と手を振って、夕食会場へ向かった。

レストランは、8人ぐらいが囲むテーブルがどこまでも続いており、入ってきた順番に案内されるので、いつも新しい乗客とご一緒することになる。今日みたいな日は、それぞれカタニアでどこへ行ったか、ツアーはどうだったか、どんな買い物をしたか、みたいな話でそれぞれのテーブルで盛り上がる。

明日から講座が始まって、多くの人々に顔と名前を覚えられてしまうまでは、私はただの乗客の一人なので、控えめに話に参加し、すっと部屋に戻った。前回の経験から、講座が始まると、「あ、先生!」とあちこちで声をかけられ、「○○についてどう思いますか?」という展開になって、けっこう話すことになるので、今のところはおとなしく〜。(^^;

部屋に戻ったあと、メールをチェックしようとネットに接続したが、15分たっても1つもダウンロードできず、あきらめた。1分0.4ドルずつ課金は発生していたのにぃ。ということで、今夜も早寝である。(^^;

 

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