12月の前半もあっという間に過ぎていったなあ。
11月末にゴアさんの翻訳が終わったあと、大阪〜大津出張、福島出張、名古屋〜大分出張とワークショップや講演が続き、そのままエコプロ展へなだれ込んだ感じ。
そうそう、それでも企業向けの講演の内容を大きく変え、新しいバージョンで展開してみた。環境の世界は展開が早いから、つねにちょっと先を行こうと思うと、どんどんバージョンアップしていくことになる。その作業も楽しいのだけどね。
エコプロ展にはこれまでJFSのブースをいつも出して事務局スタッフとボランティアさんが回してくれているのだけど、今回初めて、イーズとして「日刊温暖化新聞」のブースを出展。グラム・デザインさんのチームがすばらしいブースと号外を作ってくれて、スタッフもがんばって号外を配ってくれていた。
今回のエコプロ展は、企画委員会のサブグループ(シンポジウムの企画担当)の委員長を務めていたため、いつもより関わりが深く、自分が言い出しっぺのシンポジウムもあって、1日目の午前中に低炭素都市づくりのシンポジウム、午後に記念シンポジウム、3日目の午前中に女性シンポジウムと、3つのシンポジウムに参加することになった。
低炭素都市づくりのシンポジウムでは基調講演の森口さんに久しぶりに会えてうれしかった。そのあとのパネルディスカションのコーディネータをしたのだけど、こちらも企業やNPO、自治体の方々が本音で話してくれてよい議論ができたように思う。
1日目の午後は、1000人の会場での記念シンポジウム。小宮山先生の基調講演のあと、パネル1は、日本の企業や専門家と「技術と社会の融合」をテーマにディスカション。時間が足りなくてもっといろいろお聞きしたかったが残念だった。打ち合わせと称する直前の控え室での雑談がすごく面白くて盛り上がっていたので、それをもっと出したかったのだけど。
パネル2は、エコプロ展の国際的展開の第一歩として、アジアの方を招いてのパネルディスカション。こちらもコーディネータとして参加。中国、インド、タイ、韓国の方から、それぞれの国での環境や温暖化への取り組みについて話していただき、「日本への期待」「アジアから世界に発信すべきこと」などをお聞きしていった。中国や韓国など、日本よりずっと進んでいる面もあることが少しでも伝わっていたら、と願う。
この日は終了後、国際パネルディスカションのパネリストの方々との夕食会にも参加。私の前の席がインドの方だったので、その方といろいろとしゃべっているうち、飲んでいらした日本酒の話からアルコール飲料の話になった。
「私はビールが好きですが、中でもいちばん好きなのは、IPA、India Pale Ale なんです」と言うと、「インドってついているのですか? 聞いたことないなあ。どういう綴りですか?」と言うので、メモに書いて渡すと、「国に帰ったら調べてみます」って。インドの名がついたビールなのにインドにはないのかな、面白いなぁ。
2日目は、企業研修が入っていたため、エコプロ展には行かず、体力温存させてもらう。
3日目の午前中は、「女性のまなざしと思いを語る」という副題の付いた「エコプロダクツからエコプログレスへ」というシンポジウム。イーウーマンの佐々木かをりさんをはじめ、女性パネリストが並ぶ華やかなパネルディスカションになった。4人のパネリストの10分ずつのプレゼンを聞いたあと、共通するテーマとして浮かんできた「多様性を大事にする社会にするには?」「地球の限界の範囲内で折り合いをつけて生きていくには?」「つなぐ、つなげるための作法とは?」という切り口で、ディスカション。学びも多く、すごく面白くてわくわくして、2時間があっという間だった。続きをぜひやりたいな〜。
その午後、日刊温暖化新聞のブースで1時間「江守正多×枝廣淳子 温暖化の質問や悩みに答えます!」というトークセッションをした。会場のブースでのセッションだし、どのくらい集まってくれるかわからないまま「やってみよう!」でやることになったセッションだけど、私と江守さんが席につくと開始前から集まってくれる人もいて、最終的には60〜80人ぐらいいてくれたのではないかと思う。何重にも取り囲んで、前のほうの方々は座り込んで聞いてくれていた。
3日間にブースに集まった質問の束を見ながら、「クライメート・ゲートをどう考えます?」から始まって、「それがもし本当だったとして、温暖化が人為的原因で進んでいるということは揺らぐのですか?」といった質問で切り出し、温暖化の科学、原因、影響、対策とさまざまな観点から江守さんの意見を聞き、自分の考えを伝えられた。
今回初めての試みで、グラムさんのスタッフの一部にツイッターズになってもらって、日刊温暖化新聞のツイッターページでツイッター中継をした。ツイッターの画面が背後のTVスクリーンに映し出されていく。会場に来ていない方々からの質問も出てくる。私たちのコメントをRTで伝えてくれているようすもわかる。面白い体験だったし、今後の可能性も感じられた。
また映像でも流していて、こちらで見ることができる。よろしければどうぞ〜!
夕方、片づけをして(役に立たない私は突っ立っていただけだけど。。。^^;)、江守さんも含めて、みんなで打ち上げへ。シーフードをいただきながら、みんなで楽しい時間を過ごす。
実は私は翌日、初めてのハーフマラソンだったので、ふつうは走る前日には飲まないのだけど、まあ、打ち上げで飲まないというのもありえないし、「今日は(中ジョッキ)2杯までにする」と宣言。まえに多摩川を20キロ走ったときは前日2杯半ぐらい飲んでも走れたので、それぐらいなら、と思ったのである。
ところが問題は、生ビールではなく、瓶ビールだった、ということだ。飲み放題の上、私がビール好きなのを知っているので、みんな注ぎ足してくれるので、どのくらい飲んでいるのかすぐにわからなくなってしまったのであった……。
たぶん2杯よりは多く飲んで、打ち上げ終了。翌日のマラソン大会のため、川越へ移動し、一泊。
そして昨日が小川町マラソン大会の当日であった。8月末に走り始めて3ヵ月半、でもこの1ヵ月半はゴアさんと風邪のせいでほとんど走れていないので、かなり心配である(それなのに前日に飲んじゃったし)。
今回のレースはハーフは2時間半という制限時間がある。この間の多摩川ジョギングのペースでぎりぎり間に合うかな、、、と思いつつ、送迎バスから会場まで歩く。私、歩くのは速いのでトップで会場にゴールイン!(歩くのは速いけど、走るのは遅いんだなぁ。。。)
ハーフ出場者は2千人を超えていて、目標タイムの早い順にグループになって並んでいく。「ええと、2時間20分ってどこだろ?」と探したけど、見つからなかった。。。そんな目標タイムの人はいないみたいなのである。しかたないので、最後尾の「1時間50分以上」のグループの後ろのほうに並ぶ。
ヨーイドン!でスタート。といっても列の後ろのほうがスタート地点を通るのはけっこう時差がある。もっとも、靴につけたチップで計測しているらしいので、気にする必要はない。スタートしていきなり長い上り坂である。「この間練習で走った多摩川はずっと平坦だったけど、そういえばこのレースは『アップダウン豊かなコース』って書いてあったなあ」と思い出してもあとの祭りである。。。
6キロを過ぎたあたりでおなかが痛くなって、道沿いのマックに寄る。マックから出てきたときには、もう誰も走っていない。100メートルぐらい先の坂の上を「後尾車」というクルマが走っている。あちゃー。
「後尾車のあとを走るなんて、なかなか経験できないよねー」と思いつつ、走り出す。後尾車を抜いたら、最後尾のランナーについて走っていた「最後尾伴走者」というゼッケンを付けたスタッフの人が迎えに来てくれた。これで晴れて「最後尾ランナー」である。(^^;
モト最後尾ランナーのところに追いつくと、その方は「このスピードで行ってください。そしたら関門も通れますよ」と送り出してくれた。そう、13.9キロのところに関門があって、1時間39分以内で通過しないと回収車に回収されちゃうのである。
9キロぐらいを過ぎたあたりで左足が痛くなってきたが、数キロ走るうちに痛みが消えてほっとする。そういえば、この間多摩川を走ったときには痛くなった膝は平気である。こうやって走りながら鍛えていくんだなぁ、と思う。
10キロを超えたときに、天啓のように「ビールが飲みたい!」と思った(天啓ってこんなものか……?)。よく考えると、のどが乾いていたのね。給水所までがんばる。今回給水所が3箇所あって、水を飲んだけど、走りながらコップをもらうのはともかく、走りながらコップから水を飲むのはとても難しいことがわかった。むせちゃうよねぇ。これも今度の課題である。練習しなくては。(^^;
「関門まであと1キロ。11時59分に閉めます」と立て看板があった。時計を見ると、11時52分。時速9キロ、1キロ6.7分ペースで走っていたので、ぎりぎり間に合いそう〜。
小川町のマラソン大会は評判がよいみたいだけど、町ぐるみで応援してくれるのねー。沿道のあちこちで、小さな子どもからお年寄りまで、旗を振って応援してくれるのだ。スタート後に集団段で走っているときはいいけど、こうやってばらけて走っていると、直接私を応援してくれていることがよくわかるので、どうしてよいか困ってしまう。慣れたランナーは手を振ったりしているのだけど。(^^;
それにしても、「おかあさん、頑張れ!」というより、「おねえさん、頑張れ!」って言ってもらったほうが元気が出るんだけど〜。(^^;
残り5キロごろ、ペースアップしたいなと思ったけど、足はイヤだって。1キロずつ「あと○キロ」と出るのを心の支えにがんばる。途中で、小さな坊やがおぼんにキャンディを載せて、ランナーに差し出してくれていた。ぽろぽろきそうな応援である。いまキャンディをなめたら窒息しちゃう、と思ったけど、坊やの応援を力にしたくて、1つありがたくいただいてポケットに入れて走り続けた(もっとも本人は走っているつもりだったけど、走っているように見えたかどうかはわからない)。
最後の1キロは沿道の「もう少しだ、がんばれ!」に押されるように走って、ようやくゴール! ロスタイムをのぞくと2時間20分。おお、目標時間ぴったりではないか。(^^;
靴ひもからチップを外しながら、「もうマラソンなんて走らないぞ〜! と思っても、きっとまた申し込んじゃうんだろうなあ」。8月下旬までは、何でかわからないけど、けっしてラクじゃないのに、走り続ける人がいっぱいいるよねえ、と思っていたのに、今や「そちら側」にいる自分を発見。。。
ストレッチをして、着替えをして、送迎バスに並んで、小川町から電車に乗って帰宅。途中でパーソナルトレーナーのスズキサンから「どうでした?」とメールが来たので、「制限時間ぎりぎりだったけど、完走しましたー」と返事したら、「今回は怪我なく完走できればばんばんざいです」って。
うん、ほんとほんと。坊やのくれた飴をなめながら電車に揺られ、川越で降りて、ホテルに荷物を取りに行き、遅いお昼ご飯を食べながらとりあえずビールでカンパイ!
今朝起きてみたら、足の痛みは許容範囲(今日も外で仕事だから、そうじゃないと困るのだけど)。前回痛くなった上半身も、今回は大丈夫だ。ただ、階段を降りるのがキツイんだよねー。とってもぎこちなく階段を降りている人がいたら、それは私です。(^^;