カイ・カイ・クリームでキハダマグロのお刺身などをいただきながら、ツバル・フナフチでの滞在が続いています。
残念ながら天候はまだ回復していなくて、海には出られませんが、海岸浸食や洪水のようすをはじめ、島のあちこちを見学したり、地元のおうちをみせてもらったり、いろいろなお話を聞いたりしています。
港の新しい波止場や、非常用の海水の淡水化装置、ごみの焼却炉など、日本の援助で作られたり、贈られたりしたものもたくさんあります。
ツバルに実際に来てみて、いろいろなことを見聞きしていると、日本でのツバルのイメージがとても一面的であることを強く感じます。その背景には、ある(アピールしやすい)側面を切り取って見せるマスコミの伝え方や、わかりやすい切り口やイメージ(たとえば、「温暖化に沈みつつある悲劇の国」みたいな)を好む視聴者、物事の多面性をじっくりとらえて考えることをやりにくくしている社会のペースや効率至上主義的な価値観など、さまざまな要因があるのでしょう。
でも、実際に私がいままさに体験しているツバルのフナフチ島は、人々が逃げまどっているわけでもなく、「助けてくれ!」と駆け寄ってくるわけでもなく、それどころか、日本人が忘れて久しいような素敵な笑顔で、誰にでも(きっと特に外部から来る人に)にっこりしてくれる優しい人々が幸せに生きている島なのです。
現地に詳しい方のおかげで、ツバルの海面上昇やその被害のようすだけではなく、「どうしてツバルの人々は幸せに暮らしているのか」の社会的・文化的背景も少しずつわかってきました。そして、一面的にとらえられがちなツバルの状況を解きほぐすことで、問題の構造はもっと複雑で、さまざまな時間軸で考えていく必要があることも実感として伝えられるのではないかな、と考えています。そしてそのことは、ツバルだけじゃなく、温暖化をはじめとするさまざまな問題や、特に日本について考える上で、とっても大事だと。
「笑顔の国・ツバル」から見えてくること、考えさせられることをどうやって伝えたらいいかな?と考え中です。