4月29日、仙台経由石巻入り。
仙台までの新幹線もいっぱいだったし、仙台から石巻への高速バスも長蛇の列。乗る予定だったバスは、なんと私の前の人でいっぱいになってしまって、が〜ん!
まったくもって幸先よく?仙台到着から2時間も待ってからバスに乗り込めたのであった。長蛇の列のほとんどは、帰省の人たち。手にいっぱいおみやげを持っている。中に数人、私のような被災地支援のボランティアさんも。寝袋をかついでいるのですぐにわかる。
仙台はごくふつうの風景で、東京と何ら変わらない。高速バスは高速道路を降りると、イオン石巻という大きなショッピングモールの停留所へ。石巻市なのだけど、そこもまったく「日常」の風景だ。駐車場にたくさんの自動車が出入りし、店内はにぎやかに買い物客でいっぱい。
そこから海の方向にバスが進んでいくと、道路の路肩に家具やら本やらいろいろなものが粗大ごみのように積まれている。そのあたり、家は建っているけど、1階の家財道具が水をかぶってだめになってしまったみたい。
めざすJENの現地事務所は、ボランティア拠点の石巻専修大学のすぐそばにある。寄る予定だったバスは専修大学まで行くバスだったのだが、そのあとはすべて石巻駅止まり。ということで、石巻駅からタクシーに乗り込む。
私は何も聞かなかったのだけど、初老の運転手さんは、被災して小学校の避難所で暮らしている、まさか自分の家まで津波が来ると思わなかった、最初の10日間は避難所にすし詰め状態で、横になって寝ることもできなかった、家は住めなくなり、立て直すお金もなく、仮設住宅もすごい倍率だしずっといられるわけではないし、行くところがない、自分のまわりでも知っている人がずいぶん亡くなった、命が助かってよかったとみな言うが……死ぬときは一瞬苦しいと思うが、生き残ってしまった人間はあれもこれも悩まなくてはならない、どちらがよかったのかと思う……と、ぽつりぽつりと話をしてくれる。
JENの事務所に到着。プレハブの建物に、荷物がいっぱい積んであり、夕方になるとスタッフやボランティアさんたちでいっぱいである。このGW中は数千人のボランティアさんが石巻入りするとかで、JENのボランティアさんもいっぱい。
私は今回、ここの現地事務所で全体の指揮をとっていらっしゃる平野さんのお手伝い、ということで受け入れてもらっているので、さっそく平野さんについで、仮設住宅に供給品を届けにいったり、さまざまな現地との打ち合わせなどに同行させてもらう。
途中、わざわざ海の近くの被害のひどかった地域にも連れて行ってくださった。どこまで走っても、道の両側に、がれき(と呼ぶのはとても抵抗があるのだけど……少し前まで「どなたかのお家」を構成していた木材やボードや家具や、その他さまざまなもの)が山積みになっている。自動車もあちこちで、骨組みだけになったり、ひっくり返ったりしたまま。「捜索済み」という紙が貼ってある。。。車椅子がひっくり返っている。。。ぬいぐるみが泥の中から顔を出している。。。
夜は事務所で、スタッフミーティング。そのまえにおこなわれている、石巻で活動しているNGOの代表が集まって毎晩活動報告をする「調整会議」に出ていたスタッフからの報告。それぞれのスタッフの1日の活動の報告。明日の活動や人員配置などの確認。
そのあと、テント持参以外のボランティアさんが宿泊している借り上げ民家に移動。夜になったらすごく寒い。女子部屋で他のボランティアさんたちと並んで寝袋にくるまって就寝。23:30。