石巻のJ被災地支援の現地事務所にお手伝いで入って、6日目。
震災直後、このあたりを飲み込んですべてを破壊しながら押し進む津波の中継映像に絶句したが、そのあとすぐに東京電力原発事故が起こり、「起こった」という過去形ではなく、「今なお起こりつつある」危険と、被災地に限らず日本中(世界中)の人々に被ばくリスクを降り注ぐ問題状況や停電というあらゆる人への影響、東電を巡る政治的な動きといった状況に、少なくとも私の感じていた限り、首都圏のその後の報道も関心も「福島原発」「東電」ほぼ一色だったように思う。
東京から東北を見たとき、福島あたりにそびえ立つ「大問題」の壁に、その向こう側は見えなくなっていたように思う。
今回、東京を出て、新幹線で福島を通り過ぎ、「こちら側」に来てみると、町は破壊されたまま、被災地の人々は最低限の暮らしを送るのにさえ不便をし、多くの事業者が事務所や自動車や機械を失って、大量の解雇が発生しつつあり、事業を再建するための資金がないという悲鳴が飛び交い、ボランティア団体によって毎日1万食近くの炊き出しがおこなわれている。こちらに来てから一度も「原発」という言葉を聞いていない。
石巻で被災した市街地や牡鹿半島の集落での泥出しや炊き出し、仮設住宅への生活必需品の配布、地域社会でみなが集まれる広場づくりなどの支援を展開するNGOのお手伝いをさせてもらいながら、メールボックスに入ってくるメールや情報は、これまでどおり、ほぼ原発事故・放射能汚染の関係。
「あちら側」と「こちら側」。私はたまたまいま「こちら側」にいるけど、あと1週間後には「あちら側」に戻り、そうしたら、あちら側が「こちら側」になって、こちら側の状況は「あちら側」になってしまう、、、という(考えてみれば当然の)現実が、間に「原発事故のあった福島」があるおかげで、妙に際立って、ヘンな気持ちになってくる。あちら側に戻ったらこちら側はあちら側になってしまうとこちら側で考えている私はどちら側にいるんだろう???
それにしても、私が今回ご一緒させていただいている国際協力NGO・JENのスタッフの働きぶりには本当に頭が下がる。朝早くから夜遅くまで、食べる間もないほど、働きづめだ。それでもみなさん、明るくて笑顔で優しくて、すてきだなあ!と。
現在、東京本部からのスタッフが5名、現地スタッフが9名。現地で被災した方々をスタッフとして雇用し、最初は本部スタッフとペアを組んで仕事をしながら、じょじょに現地だけで回せるようにする、というのがJEN式。
みなさん、とてもよい感じでチームを組んでいらして、毎日何か起こるばたばたの状況も自ら動くことでよい方向に切り抜けていく。どうみても、「○○がもうちょっとしっかりしてくれたら」「××はこうすべきなのに」と文句をいいたくなる状況であっても、批判をして突き放すのではなく、その状況の中でベストにするには自分はどうしたらよいか?を考えて、動く。すばらしいなあ、と思う。いろいろな状況に同席?させてもらっているので、「自分だったらどうするか?」と考えるのだけど、そのあとのスタッフの動きを見ていると、そうでないようにと気をつけていたつもりでも私は批評家に近かったことも多かったかも、と反省。
この石巻事務所の責任者・平野さんの静かなるリーダーシップにも感銘を受けている。さまざまな問題状況への対応の仕方、(いわれのないものも含め)苦情や文句への対応の仕方、新しいスタッフを育てつつ、日常業務を進めていくやり方など、学ぶこと、いっぱい。同じく組織を率いる者として、自分はまだまだ未熟だなあ、、、と思う。
ほんとは平野さんのサポートに、ということでこちらにおじゃましているのだけど、サポートは全然いらない状態なので、食べる時間もないスタッフにせめて、カップ麺やレトルトばかりじゃない食べ物を食べてもらおうと、(といっても買い物にいけないので、食材は限られているのだけど)ちょっとしたおかずをつくったり、炊飯器はあるので、たくさん差し入れてもらったバナナを使って炊飯器でバナナケーキをつくったりしつつ(あ、あと、1回だけ、海外の方が訪問されたときに、通訳としてお手伝いをしたかな)、あとはいろいろ勉強させてもらっているところ。
あと数日の「こちら側」で、さらに何を感じ、何を考えることになるのだろうか。そして、そのあと「あちら側」に戻る日が来たら、本当に私は「戻れる」のだろうか……?