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えだブログ

2011
May
12

高岡より

2011年05月12日

おととい、石巻から戻ってきた。

最後の夜は、キャンドルナイト幹事会の「心をひとつにする合宿」にならって、「心をひとつにする懇親会」をしよう!と呼びかけて快諾を得た。現地スタッフが次々と採用になって参加しているけど、みなそれぞれに忙しくて、なかなかみんなで業務以外の話をしたりしていない、と聞いていたので、エダヒロの送別会?という口実を作っちゃおう、と思ったのである。

その前日に石巻入りして私の仕事を引き継いでくれたオダサンに頼んで、夕方食材を買い出しに行き、カセットコンロ2つを使って、10数人分の食べ物を準備。ご飯を炊いて、手巻き寿司。野菜をいっぱい入れたキムチ鍋。焼き肉。そして、被災して倉庫に寝泊まりしながらがんばっている現地スタッフが「煮付けた食いたい」と言っていたので、カレイの煮付け、などなど。現地スタッフも「石巻チームから」と、特産の笹かまぼこ(おいしかった!)を差し入れてくれた。とてもうれしかった。

懇親会の前に、ちょっとだけミーティングをしたいとお願いして、みんなで事務所の床に車座になって座る。事務所の責任者の平野さんに、「JENらしい支援活動」ってどういうものなのか、話していただいた。個別に聞かせてもらった「JENらしさ」がなるほど!JENってそういう団体だったんだ、それってビジョンそのものだよね、というすてきなお話だったので、ぜひスタッフのみなさんにも聞いてほしいと思って。

そのあと、ひとりずつ「JENがここ石巻で活動することで、3年後、5年後、石巻が、そして自分はどうなっていてほしいか?」を共有してみませんか、と呼びかけた。被災した現地スタッフの言葉や思いに、そして東京から支援に入っているスタッフの決意や自分たちの立ち位置の確認に、心がゆすぶられる。

みんながみんなの振り絞るような声や思いに耳を傾け抱きしめる。ふだん忙しくて雑談もできずにいるけれど、こうしてそれぞれの思いの共有ができてよかった、と思った。そのときはじめてわかったけど、この呼びかけができるだけの関係性を築くために、私はこの11日間、みんなと一緒に過ごし、お手伝いしてきたんだ。

30分ちょっとの、そんな“ミーティング”のあとは、みんなで和気藹々と飲み、喋り、食べる。現地スタッフが「避難所ではこういうのは食べられません」と、煮付けをとても喜んでくれて、うれしく切なかった。また作るね!

翌朝、事務所でみなさんに見送られて、石巻駅へ。石巻から仙台へのバスでは、みんなの言葉や顔が浮かんで、ぽろぽろ。「あちら側」に戻ってしまうまえの貴重な時間であることがわかっていたので、涙も止めようとせずに。

新幹線。埼京線。小田急線。「あちら側」と「こちら側」の境はどこにあるのだろう?と思いながら。たぶん埼京線の途中にあったみたいだ。。。

帰宅した翌日(昨日)から、講演、パネル、ミーティング、勉強会などの詰まった「いつもどおりの毎日」。昨日は、午前中の英会話レッスン(4月に再開していた)から始まり、夜9時過ぎまでの小林武史さんのところでの勉強会まで。

今日は、高岡に出張し、商工会議所青年部の夜の例会での講演と懇親会が終わって、いまホテルで、石巻報告その1のメールニュースを出したところ。

あちら側からこちら側に戻ってしまったら、2つの世界をつなぐ道は閉ざされてしまうのだろうとおそれていたけれど、そして、確かにこちら側では「日常」が始まっているのだけど、でも、心の中にいつでも「あちら側」に戻れる道があることに気づいた。こちら側にいながら、あちら側にもいられる。こちら側にいるからこそ、あちら側につながる活動ができる。自分にとっては大きなうれしい発見。

JENの現地事務所のスタッフに、「また戻ってくる」と約束した。いつ戻ろうかな、ボランティア希望の人を募って一緒に行こうかな、そのときには何の料理を作ろうかな、などと考えている。

 

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