今回の選挙の結果に絶望したのではありませんか?とよく聞かれます。民主党政権の基本問題委員会などであれだけがんばっていたのに叶いませんでしたね、と。
自分なりにがんばってきたのはそのとおりですが、自民党から民主党にいっぺん変わっただけでハッピーエンドになるなんて思っていなかったので、今回の選挙結果を見ても「うーむ、そうきましたか」という感じで、ゼツボウもしていないし、ふだんと変わらずにいます(沸騰したり落ち込んだりしない、省エネ型なんですね^^;)。
もともと前回民主党に票が流れたのは、民主党がいい!というより、自民党、しっかりせよ、という「自民党へのお仕置き」の意味合いが強かったと思っています。お仕置きとして民主党に政権をとらせたけど、「このままがんばってくれれば未来が拓ける」というパフォーマンスではなかったし、じゃ、戻そうか、という感じが強かったのではないかな、と。
本当の意味で重要なのは次の選挙じゃないかなと思っています。自民党へのお仕置きが終わって政権を自民党に戻してみたけど、さて、その結果やいかに......ということになるからです(いつまでもぐるぐるとお仕置き合戦をしていてもしかたないのですが)。
さて、いま私が思っていることは3つあります。
1つは、
この夏のエネルギー政策をめぐる"国民的議論"に、経済界・産業界との対話や議論が欠けていたこと。意見聴取会から電力会社の社員を排除したのはその場としてはしかたない対応だったかもしれませんが、国民的議論から業界の人や産業界を排除してはいけない。それでは"国民的議論"にはなりません。経済界・産業界の"国民"ともきちんと対話し、議論できる場とスキル・作法を築いていかなくては、と思っています。
2つめは、
現在の代議民主制の限界ゆえに、市民がすべきことは投票が終わっても残っている、ということです。それぞれの政党はさまざまな論点(原発、景気、社会保障その他)について、それぞれの立場や意見を持っています。その政党に投票したからといって、その政党のすべての論点に関する立場や意見にお墨付きを与えたわけではない、という場合も多々あるでしょう。
たとえば、自民党が「自分たちは大勝したから、自分たちの原発推進の立場が国民に支持されたのだ」と思ってもらっては困ると思う人も多いでしょう。「そう思ってもらっては困りますよ、○○については支持したので票を入れたけど、××については違う意見です」ということを、私たち有権者がしっかりと伝えることです。「伝えない=反対意見はない=支持されていると受け取る」となります。
3つめは、
この夏のエネルギーをめぐる国民的議論と、政権がその結果を政策に反映しようとした事実は、後退させてはならない、ということです。
もともと社会を変えていくということは、行きつ戻りつを繰り返しつつ、少しずつ望ましい方向に進んでいくのだと思っています。今回のように「押し戻された」と感じる局面では、「それでも前回はここまでは進んだ」という楔を打ち込み、次の政権でもそこからの後退は許さないよう、見守り、見張っていることが重要です。
政権は変わっても、「エネルギーなど重要な政策について、お上に任せきりではなく、自分たちで考え、議論し、その結果を政策に反映してほしい」という国民の気持ちが変わるわけではありません。国民的議論のやり方を試し、その学びを次回の国民的議論につなげていくプロセス自体は止めてはならないのです。
このようなことを思いながら、「そのために何をしたらよいのだろう? 何が必要なのだろう?」と考えています。ゼツボウに浸っている暇などないのですー。
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