私が参加していた基本問題委員会は、委員会自体の構成が「女性が少ない」(25人中4人)、「若い年代の声が届かない」(60才以上が64%)ものでした。その点について繰り返し問題提起し、少しでも補いたいと、「エネ女の集い」「エネ若の集い」を自主開催し、声を委員会に届けてきました。こういった集まりでも「そもそもの委員の人選を、性別や年齢的にも国民をより代表するような形にしてほしい」という声が強く出されていました。
が、今回の部会の委員名簿を見ると、ますます「女性が少ない」(15人中2人)「やはり若い年代がいない」状況ですね。
総合部会委員名簿
民主党時代の基本問題委員会や国民的議論の進め方にはいろいろ課題もあり、改善すべきことも多いとは思いますが、委員会の議論をすべて公開し、ネット中継し、アーカイブも見られるようにし、いくつものやり方で国民的議論をおこない、その声に耳を傾けようとしたことは評価すべきだと思っています。
今後の議論も、すべて公開し、政策策定のプロセスで国民的議論をおこない、その結果を勘案して方向性を定めていってほしいと思います。
国民との関係性において、前政権から後退することは許されないし、私たちも許してはならないと思っています。
先日、NHKの番組で茂木大臣とのやりとりをさせていただいたとき、政府の役人の方々と話していてよく感じることを、やはり感じました。
「国民の理解は大事だ。丁寧にわかりやすく説明すれば理解してもらえるはずだ」
たしかに、理解のためにわかりやすい説明は必要です。でも「わかりやすく説明されれば、理解できる」というものでもない、ということをわかっていただきたいと思うのです。
わかりやすく説明されて、内容が理解できたとしても、「それは自分たちにとってどういう影響や意味があるのだろう?」「あれとこれの関係はどうなっているのだろう?」等々、聞き手側にはいろいろな疑問や連想、自分に惹きつけた問いが出てきます。
それらを出し合って、対話・議論していくこと(自分にとっての意味を見出していく=ワガコト化)が鍵なのです。腑に落ちるか落ちないかの分かれ目です。ここを抜かすと「理解はすれど、受容はしない」ということになりかねないのです。
対話や議論とは、話を蒸し返したり面倒くさくするものだと思っている向きもあるようですが、そうではなく、本当の理解のために必要なのです。
「理解のために、丁寧な説明だけではなく、継続した対話を」。
今後のエネルギー政策のプロセスに対し、強く強く願っています。