幸せ経済社会研究所のウェブサイトで展開中の「経済成長についての7つの問い」、今回は「日本のダウンシフターズの先駆け」とも言われている高坂さんのお話をお届けします。高坂さんご自身の生き方のシフト、そして高坂さんのお店にやってくる人々の生き様から垣間見えることなど、読み応えたっぷりです!
高坂さんのご本もとっても面白いですよ~。
『減速して自由に生きる: ダウンシフターズ』 (ちくま文庫)
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オーガニック・バー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」店主、『減速して自由に生きる ダウンシフターズ 』著者、ナマケモノ倶楽部 世話人、NPO SOSAPROJECT 理事、緑の党 グリーンズジャパン 初代共同代表
Q. 経済成長とはどういうことですか、何が成長することですか。
「お金がいくら動くか」ということと、「モノがいくら増えるか」ということと、「モノとお金をどれだけ動かすか」という、世間で言うGDPが増えるということになるのでしょうね。
Q. モノとお金が増えて、いわゆるGDPが増えていくということ。
今はモノよりお金ですよね。モノもそうですけど、お金が過剰なほどに飛び回っている。アメリカ的な暮らしをしたら地球が6個必要とか、日本的な暮らしなら2.5個くらい必要。お金だけで考えるとたぶん、地球何十個、何百個分というお金が動いているのでしょう。それ自体、本当は架空の世界のはずなのに。
それがみんなの心を壊して、環境も壊しているのでしょう。モノを超えて、さらにお金まで、実体経済とかけ離れたお金が飛び回っている――それを目指していくのが経済成長かなと思います。
Q. 経済成長は望ましいものですか。
もういらないですね。むしろ害悪でしかないです。
Q. 同じような問いになりますが、経済成長は必要なものですか。
まったく必要ないですし、むしろ人間を不幸にしていく宗教みたいなものだなと思います。洗脳された宗教ですね。
Q. 「もう必要ない」の「もう」は、どこまで来たから「もう」なのでしょうか。
もちろん、途上国と先進国というところで考えると、また違うかもしれませんが、少なくても日本だけで見たときは、これ以上便利になっても。便座が自動的に開いたり、その次に何を求めるかと言うと、パンツを下ろしてくれるくらいかなと(笑)。そんな成長はもういらないと思います。
Q. 経済成長を続けることは可能ですか、それはなぜですか。
それはもう不可能ですね。一瞬だけ上がって、もっとひどくなる。また一瞬だけ上がってもっともっとひどくなるという、ブレが大きくなりながら、全体的には、普通の人々の暮らしは下降線で振り落とされて行きます。今のままの経済システムを続ければ残念ながら必然ですね。
だから、続けることは可能かと言えば、一瞬のハネ(経済成長)は、見せかけの政策で可能でしょうが、長期的には格差を作って人を不幸にしていくだけです。だから不可能ですね。少なくても先進国では。
Q. これまで上がってきて、今は下がっていく。それは何が変わったんでしょうね? 上がっていく時代、降りていく時代の違いはどこから?
もう成長できる分野がなくなってきているので。例えば世界で見たら、アフリカや、もっと小さい国、ベトナムなどに工場生産ラインを移していくとか、そういうことをして成長していくことは可能かもしれないけど、それももう限界が見えてきていますね。
次に成長を目指すとしたら、先進国でも途上国でも、国内で格差をつくっていくということでしかない。だから、仮に経済成長していても、途方もなく、一生かかっても使いきれないお金を手に入れるほんの一部の人と、どんどん生活が苦しくなる大多数の人が出てきます。「中間層」の人たちがどんどんいなくなっていく。
勝ち組、及び、中途半端な勝ち組の人、例えば、今、一部上場で頑張っている人たちも、いつか自分が振り落とされるという恐怖から、結局は心も体もすさんでいく。
日本で言うと、6割の人が正社員で、4割が非正規雇用と言われていますが、6割の人たちも、「いずれ落ちていくんじゃないか」という恐怖を抱き、実際にお給料も下がってきている。「0.1%の勝ち組と99.9%の負け組及び負け組予備軍」みたいな。それを「成長」と言うんだったら成長だろうけど、私にとっては、それは成長ではなくて「不幸」ということです。
Q. 経済成長を続けてきたことに伴う犠牲があるとしたら何でしょうか。
気候変動、温暖化、環境破壊、戦争・紛争の助長。今、日本もまさに武器輸出三原則を打ち破って、どんどん武器を売って儲ける、みたい感じになってます。それと何より人々の身体を荒ませて行くこと。
30歳までの自分は、百貨店に勤め、サラリーマンとして頑張っていたが次第に心がすさんでいった。「前年対比」に追われ、「去年の今日100万売ったら今日は110万円売れ」と会社や上司に迫られ、自らも上昇志向を保つか偽らねばならなかった。
私は雑貨売り場で婦人雑貨担当でした。全体で年間3億6,000万の売上げ予算、平均すれば1月3,000万、日割りにすると1日100万です。それを靴下やハンカチとスカーフとサングラスで売る。「今日、500円のハンカチいくら売るんだ」「いくら発注するんだ」と、前年対比に常に追われていて、必要のないものをお客さんに売っていくわけです。しかし経済が右肩下がりの中で、目標には達しない。
それに伴って、「こういうモノを売っていくことで、資源を使って戦争につながっている」というように、あるときから段々と気づいていった。でも「どうしようもない」って諦めながら、誤摩化しながら、生きざるを得ない。それが現代人の苦しみです。自分の闇(個人的悩み)と社会の闇(変えられそうもない大きな社会問題)の境がわからないままに、心と体が荒んで行き、果てしなく辛い永遠の自分探しに陥って行く。
サラリーマン経験から辿り着いた私のミッションは、環境/平和/持続可能社会への理論は学者さんや著名で発信力のある人にお任せしておいて、今苦しい人たちに、「持続可能な心と体を取り戻すために、もう成長から抜けた生き方をしようよ」と言うことだと思っています。
Q. 日本がこれまで経済成長を続ける中で失ったものは何だと思われますか。
健全な精神と身体と、時間です。 そして、人と人、人と自然との関係性もそうです。親子関係もそうだし、地域関係もそうだし。その先に、生存権/環境/平和などがつながっていきます。
Q. 心や体だけでなく時間というのも、経済成長のためにすべてを取られるようになるということでしょうか。
経済成長と労働時間は比例し、よって、経済成長と個人の自由時間は反比例になりますね。
モノが増えると、その支払うお金のために働く時間が増える。すると、余暇時間が減る。少ない余暇時間で、テレビ、ラジオ、ステレオ、パソコン、楽器、運動機具・・・・がたくさんあっても、音楽聴きながらテレビ見れないし、テレビ見ながらパソコンできないし、パソコンしながら運動できないし、運動しながら楽器できないし(笑)
結局、多くのそれらをそれぞれ使う時間は果てしなく短くなるか使わなくなる。モデルチェンジするとまた買い替える。置く場所がなくなり、大きな家に引っ越しが必要になり、その支払いのためにもっと多く働くようになって、せっかくの大きな家にいる時間は更に少なくなる。それらはいつかゴミになって環境破壊につながる。
だから必要なモノはミニマムなほうが、時間も確保できて、モノを楽しめて、幸せになれるんじゃないかな。
私の場合、ありがたいことに、暮らしも生業の飲み屋もミニマムなので、時間は自分のものです。昨日も53歳のメーカー勤めのサラリーマンの男性がやって来ました。まじめに一生懸命やってきて、マンション買って、ローンも20年残っていると言ったかな、お子さんが1人だけれども、奥さんは共働きで。来年高校受験だとのこと。
いろいろ転職してやってきて、英語にも自信があって、走り続けるんだと去年まで思っていたけど、何か「もういいんじゃないか」と思った。でも、まだローンと子どものことがある。53歳で人生で初めて「?」に気づいた時に、ふと私の本が目に入ったと言っていました。「自分は人生変えられるのかな」と。
彼が言っていたのは、「家族のためにと思って残業とか休日出勤なんていうのは、別に悪いとも思わないし、仕方ないし、当たり前のことと思っていたんだけど、ふと、自分に、田んぼとか畑とかできるかな、と思った」と。
今度は47歳の男性が来て、ずっと派遣で、IT技術は持っているから、IT企業で派遣でやっているけど、給料も安いし、待遇も悪い。徹夜とか労働時間も長いのに、非正規雇用待遇だからひどくて、来年も契約がつながるかわからない。
つらそうなんですよね。入ってきた時は、男前で、おしゃれというか、遊び人風の人が来たかなと思ったら、話しだしたらすごく暗くて。そういう人たちは下を向いて話すから、声も通らないんです。
「キャリアを捨てて、南のほうに行って農作業とかして生きていけるでしょうか」みたいなことを言うので、「とりあえず、うちの田んぼ、来てみますか」と言いました。
先述の53歳の男性が、メーカーのほうも、派遣の人の技術力を使わないとやっていけない。使い捨てというより、本当に必要としているんだけど、派遣でしか利益を出して回せない、という理屈だとか。大企業は内部留保を溜め込んでますから本当にそうかは別として。何があっても従業員に還元していくというのが企業の務めだと思うので、言い訳にしか聞こえないけど、でも、内部の人間からするとそうなのかな、と。つらいですよね。
そこからいろんな話が展開して、希望が見えるほうに話をしていって。最後はみんな仲良くなって、笑いながら帰っていきました。
Q. 最後の質問です。「経済成長」と「持続可能で幸せな社会」の関係はどうなっていると思われますか。
単純に言えば、GDPのような指標によって経済成長を測るのであれば、「経済成長」と「持続可能な幸せな社会」は絶対共存できない。むしろ相反するものになっていく。
経済の指標が、循環する指標を数字で示せるとか、世間で最近言われているブータンみたいな「国民総幸福」とか、数字で測れないものも加味していけるような指標ができるなら、そういう感覚での経済成長なら、共存というか、むしろ相関関係にあるでしょうけど、今の経済指標でいくと絶対にあり得ません。
ただ、こういうことを言うと、「経済を否定するのか」とか、「おまえも金をもらって生きているんだろう」と言われます。
経済と持続可能な社会は共存できます。物々交換の延長線上が貨幣経済ですから。モノを交換していく経済は、当たり前のものです。当たり前に人々がモノを受け渡したり、サービスでも何でも、お互いに足りないものを譲り合うというか、交換し合う手段としての経済に戻れば、経済と持続可能な社会は、もちろん絶対に共存する。だけど、成長という言葉が付くと厄介になる。
Q. 高坂さん自身が、「成長しないといけない」という企業の論理の中で大変になって、ある意味、降りたんですよね。
そうですね。当時は、「降りた」なんていう感覚はなかったけど、それを確信できるようになったのは、会社を辞めてから1年後ぐらいからですね。
Q. そのbefore/after を比べた時、経済成長で失ってきたという、自分の心、体、時間、関係性はどんな感じですか。
失ったものは全部、取り戻せています。「足るを知る」という言葉が誤解されていると思います。「抑制、我慢」みたいなことではなくて、「足るを知る幸せ」という価値観で言えば、自分は世界一幸せかなと、本当に恵まれているなと思います。
今のパレスチナのガザじゃないけど、爆弾は落ちてこないし、好きなことをして、そんなにお金はないけど、でも、不思議と欲しいものは手に入るし。俗に言う大量消費のモノとかブランド品なんかには、もう関心がないから。でも、自分がしたい、イコール社会に必要なものは、自然と巡り巡って手に入ってくる。だから幸せだなと思います。社会人の競争の中で失ったものはすべて、今取り戻せている。
Q. さきほどの53歳と47歳のお客さんの話ですが、そういう人たちは増えている 気がしますか。
すごく増えていますね。この間、NHKの「ラジオ深夜便」で45分お話しする機会をいただいたんですけど、「50代ですけど、この間会社を辞めてフリーターになったけど、あなたの田んぼに行ったら生き直せるでしょうか」という人が来ました。
もう行き詰まっている感じだから、「田んぼに来られますか」と言うと、「車持っているから行けます」。それで1万5,000円の一軒家を見つけてあげて、電気は引くのに5万円かかると東京電力が言うから、私の持っている太陽光パネルを1枚貸してあげて、何とか電気と携帯、パソコンをつなげました。夜は、電球1個だから暗いだろうけど、でも、家はしっかりしているので。
それで、ジャガイモだニンジンだと、余ったら持っていってあげたり。やっとこの間、彼も、安いですけど、仕事見つかりました。
派遣社員が4割まで増えてきたじゃないですか。10年前にお店を開業するとき、「格差がひどくなっていって、そんな人たちがどんどんあぶれてくる」とは予測してたのですが、残念ながら当たってきてしまっています。そういう人たちが毎日のように店に田んぼに来てくれたりする。
一方で面白いのは、いわゆる勝ち組と言われる人たちも、店にも田んぼにも来るんです。田んぼで言えば、毎年、25~30組、お米と大豆の自給をお教えしているんですけど。区画を作って、それぞれ自分たちでやっている。そこに、弁護士さんとか税理士さんとか不動産屋さんとかで、想いのある人たちがやってきます。
うつ自立支援会社の人たちも来ている。うつで田んぼに来ていたんだけど、農作業してたら、うつから復活したんですよ、と。そういう人たちが、田んぼ近くに都会から移住した障がい者とかゲイとか、いろんな人たちと交わることで、生き方って多彩だなと、みんなが少しずつわかっていきます。
田んぼでお米を作れる自信にもなるし、生き方の選択が増えるんですね。人間多様性なので、みんながそこで刺激を受けていく。
うつ自立支援会社の社長も相談しに来てくれました。成果も効果も上がっている。「でも、やっぱり、ウツになった人を会社に復帰させることが問題解決にならない。またウツになってしまう。だとしたら、ダウンシフターズのような生き方、小さい生業(なりわい)で生きていく方法を伝えていかないといけないんじゃないか」と言うんです。来年、プログラム化したいからという相談でした。そういうふうになっていくのかな。
Q. ご自分でも実践し、本も書かれていますが「ダウンシフターズ」とは、どういうものだと説明します?
大量消費から抜け出して、手作りを増やして自給もできたら、健康健全になってゆく上に出費が減るので、小さな生業(なりわい)の小さな収入で生きていける。時間もできるし、さらに好きなことや大切なことにエネルギーを投入できるという好循環になる。そういうやつは、幸せなやつが多くて、仲間も多い。
ダウンシフターズは物々交換が多いんですよ。誰かの家に寄ると「冬瓜持っていけ」と。それを家でも食いきれないから、豆腐屋に差し上げると、お礼に豆腐やがんもを貰えたり。金銭やりとりがある場合でも、関係性があると超安い。
この間も、田んぼから帰ってくる時、親しい有機農家さんに立ち寄ってトマトとかキュウリとかたくさんの野菜を段ボール1箱分買おうとしたら、500円と言うんです。「500円ってないでしょう」と言ったら、「お盆休みで、どうせ売れないからいいんだよ」と。
それで、「じゃあ、1,000円置いていきます」と言ったら、「こっちにもまだまだ余っているから、持っていってくれ」と、段ボール2箱。食いきれないのでお店でお客さんに配りました。
Q. 私はよく、3つの経済(貨幣経済、自給経済、バーター経済)というのですが、それで言うと、高坂さんのおうちは、自給もしているし、バーターもあるし。割合的に言うと、貨幣がきっと小さい。
食い物で言えば6割、7割が自給・バーターでしょうね。もっといっているような感じがします。でも、生協や八百屋さんで買ったりもします。応援したい人たちもいるから。
Q. 応援するためにね。
小さい「たまTSUKI」でもね。家で採れるものもあるけど、今までお付き合いして応援している農家さんもあるし、酒蔵やお醤油蔵からも仕入れている。自分で造れるけど、やっぱり応援したい生業(なりわい)やプロの仕事がある。
Q. 今、お店は週休3日でしたっけ?
はい、週休3日です。
Q. それでお家を買うほど貯金もできるし、自分の時間もある。
はい。僅かずつですが。
Q. これからの日本を考えると、おそらく、もっと状況は悪くなってくる。高坂さんは「実例」と「止まり木」を提供しているんだなと思いました。田んぼとか、住んでいいよという家とか。そうやって、みんなが小さくても生業(なりわい)を自分でつくっていくことが今、大事なことだと。
そうですね。私はたぶん、一生をかけて、「たまTSUKI」をやめても、そのミッションは変わらずずっとやっていくんだろうなと思います。それが自分の喜びでもあるし。
ダウンシフトって、価値観の変換ですから。フリーターや派遣の人たちや仕事がないという人たちに、「こうすれば生きていけるよ」という、脱成長というか、足るを知る幸せというか、そして自給していくことを伝える。実践して後ろ姿を見せる。
理想論ですが、国民みんなが自営もしくは自給のどちらかに携わる。もちろん、現実問題、都会に住んで自給できない人もいますけど、産直で買うとか、援農でたまにお手伝いしていくという形で、間接的自給をしていく社会になれば、いろんな社会の問題が解決していくだろうなと思います。
<インタビューを終えて>
米国にはダウンシフターズ(意図的に収入を減らして、自分や家族のための時間を増やす人)が1,200万人いるという調査もあるように、世界的に先進国で「降りてゆく生き方」をする人々が増えていると言われています。
日本のダウンシフターズの草分け(?)であり、伝道者であり、サポーターでもある 高坂さんのお話は、 高坂さんのお店にやってくるお客さんの話を通じての社会の実情も垣間見ることができ、いろいろ考えさせられるものでした。
「これ以上の成長は、格差を作りだし、人々を不幸にするだけ」「「0.1%の勝ち組と99.9%の負け組及び負け組予備軍」という世界に比べて、後半に語ってくれたたんぼや畑を中心とした自給やお裾分けの世界の豊かで楽しげなこと。最初の世界で苦しい思いをしている人たちが、早く2つめの世界へ移行していけたらいいなあ!と思いました。