島根県隠岐の海士町は、本気&独創力あふれるまちづくりで、いまでは全国に知られています。私もお手伝いさせていただいた総合戦略づくりのプロセスを、事務局の中心となって推進してきた町役場の濱中さんがわかりやすい記事に書かれました。公益財団法人「日本離島センター」の季刊 『しま』(244号)よりご紹介します。「バックキャスティング」と「システム思考」を駆使してまちの将来と具体的なプロジェクトを考えていったプロセスを、ぜひお読みください。
なお、この記事は、日本離島センターのウェブサイトからもダウンロードできます。ループ図や写真なども見られますので、ぜひどうぞ!
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島根県海士町「挑戦する人」への覚悟が醸成された戦略策定
島根県海士町総務課主査 濱中 香理
「合併しない宣言」をし、財政危機をのりこえ、「自立・挑戦・交流」という経営指針を掲げて挑戦を続ける隠岐・海士町。町版総合戦略の策定は、その指針にもとづく 長期ビジョンの中で、次代を担う「挑戦する人」を育てる試みだった。若手住民が主 体となった好循環を生み出す自発的なプランづくりに、離島創生の萌芽をみる。
海士町の現状と課題
島根県の沖合約60キロメートルの日本海に浮かぶ隠岐諸島のひとつ、中ノ島に海士町は位置しています。漁業だ けではなく稲作や畜産業も盛んで、自給自足のできる半農半漁の島です。承久の乱(1221年)に敗れた後鳥羽上皇が配流されたことでも有名であり、多くの史跡や独特の伝統文化が残る歴史ある島でもあります。
全国の離島や中山間地域と同じように、海士町でも過疎・少子高齢化による人口減少が続いています。1980年に3537人だった人口は、2010年には2374人となり、この30年で1163人も減少していました。そのため、「このままでは無人島になってしまう」との強い 危機感のもと、「ないものはない」の精神で、地域課題を 地域資源と捉え、島の自立に向けた多くの挑戦を続けてきました。
例えば、海士町を代表する特産品「島じゃ常識 さざえカレー」。島では貴重な肉の代用として豊富に獲れるサザエを使っていましたが、島外では珍しいというところに着目し商品化。年間4万個を売る大ヒット商品となりました。
また、島根県のブランド認証も受けている「いわがき春香」。かつては住民に食されることもなかった貝ですが、養殖事業化とブランド化に着手し、首都圏などで人気が出始めていたオイスターバーなどをターゲットに売り込みを開始しました。今では海士町を代表する基幹産業に成長し、いわがき春香の成功は、特殊凍結技術CAS(Cell Alive System)を活用した水産加工施設の導入と、「島風便」ブランドの事業化、さらには地元建設業の異業種参入による肥育牛ブランド「隠岐牛」の立ち上げなど、町内での多くのプロジェクトが誕生する呼び水にもなりました。
近年は教育でも力を入れています。入学者数が落ち込み、全学年が1クラスに減少するなど、数年後には確実に廃校の危機となっていた隠岐島前高校。「離島だからできない」ではなく、「離島だからこそできる」教育の魅力化を目指す「島前高校魅力化プロジェクト」を2008年に立ち上げ、島外の学生を積極的に呼び込む「島留学」 を推進してきました。その結果、島外からの入学数は増加、 島内の進学率も上がるなど、全学年2クラス化の実現とV字回復をすることができました。
こうしたさまざまな挑戦が、島外からの多くのUIター ンを呼び寄せることになり、島は活気づきました。その結 果、2015年の国勢調査では人口が2354人(島根県 の独自集計による速報値)となり、ひとまずは人口減少に歯止めをかけることができました。
一見、順調にも見える海士町の取り組みですが、課題がないわけではありません。むしろ課題だらけともいえます。島で立ち上がった多くのプロジェクトは、成功事例というより〝挑戦事例〟であり、ひとつの課題を乗り越えたかと思えばまた新たな課題に直面しています。この繰り返しで海士町のまちづくりは進められてきました。
そして、ここにきて大きな問題に直面することになります。それは世代交代の波が近づきつつあるということです。 この十数年の海士町のまちづくりは、強力なリーダーシッ プを持つ山内町長をはじめ、今の管理職世代が中心となって進められてきました。その町長も現在は77歳。また管理職もこの5年以内に大半が定年を迎えるなど、今後の数年でトップの構成ががらりと変わることになります。 島内の民間業者に目を向けても、日本の高度成長期が落ち着き始めた昭和40~50年代に島に帰り起業した世代が多く、現在は二代目が後を継ぎつつあるなど、ここでも 世代交代の波が押し寄せています。
海士町のまちづくりは、数々の課題への挑戦による「輝きの連鎖」によりつくられてきましたが、若い世代からは「これ以上なにをがんばるのか」「次をどうすればよいのかわからない」などの不安や迷いの声も出ており、このままではその輝きの連鎖が止まってしまうという危機感も出始めていました。数年前から、地元商工会の青年部や役場の若手など、一部のグループが集まり議論もしてきましたが、 これといった打つ手もないまま、踏み出すきっかけを探していました。
地方創生をきっかけに、次世代で島の未来を考える
同じような懸念は町長や管理職世代も持っており、次世代のまちづくりに対する気運を高める必要があると考えて いました。そこで海士町では、今回の国の地方創生の動きを受け、次世代を担う若手に海士町の未来を真剣に考えてもらうひとつのきっかけとして、海士町版創生総合戦略策定のための住民参加型会議を立ち上げることにしました。
「20~40歳代の男女で、戦略を策定するだけでなく自ら成し遂げたいという強い思いをもつ者」という募集資格を設け、町内及び役場内に募集をかけましたが、あえて年齢制限をつけたのはそうした理由があったからです。
町内募集をかけたところ、商工会青年部や役場の若手の中ですぐに反応がありました。「これは自分たちでやるしかない」「自分たちだけではだめだ、キーマンになるあの人を呼ぼう」このようにメンバーで呼びかけあいながら応募をしました。最終的に20名の応募がありましたが、半数はこのようにして集まったメンバーです。他のメンバーについてもそれぞれの想いを胸に参加を決めました。こうして、海士町の総合戦略を考えるための住民参加型会議「明日の海士をつくる会」(通称あすあま)が結成されました。
明日の海士をつくる会の「あす」には未来を示す明日と いう意味と、英語のus(私たち)をかけ、「自分たちで海士の未来をつくる」という想いが込められており、この名称はメンバーの話し合いにより決められました。20名のうち、民間では漁業・農業・飲食・建設建築・教育・福祉な ど、幅広い分野から11名が参加、行政からも総務・産業・ 建設・福祉・教育など、さまざまな部署から9名が集まり ました。また、UIターンの構成もちょうど半々となって おり、結果的に偏りのない構成となりました。私自身も総合戦略を取りまとめる事務局長として兼任する形でメンバーに入りましたが、ほかにも行政から2名、民間から2名が事務局兼 メンバーとして参加しています。
また、外部アドバイザーとして、東京都市大学教授の枝廣淳子氏に参加していただき した。枝廣氏は、物事をひとつの現象として捉えるのではなく、全体を構成するシステムのひとつと捉える「システム思考」の第一人者です。今回の総合戦略づくり においては、戦略そのものではなく、戦略づくりのプロセス(過程)を組み立てる部分でアドバイスをいただきました。
住民主体の計画『あすあまチャレンジプラン』
あすあまのミッションは、海士町の総合戦略のフレームとなる戦略プランをつくり上げることです。当初の予定では8月末をめどに戦略プランをつくり上げ、その基本フレ ームに行政施策を盛り込む形で海士町の総合戦略とし、 10月末の完成を目指すこととしました。
あすあまでは、3月5日に1回目の戦略会議を開き、そ れから1回あたり4時間程度かかる会議を合計13回行い ました。さまざまな職種が集まっていることもあり、出席率を上げるため、休日や仕事終わりの時間を使いながら時には夜遅くまで議論を深めました。
戦略会議の進め方については、枝廣氏のアドバイスを受けながら、システム思考を取り入れた方法で行いましたが、 そこには他の市町村のやり方にはない、特徴的なプロセスが2つあると思っています。
ひとつは、「バックキャスティング」という手法を用いて、2050年のありたい海士町の姿を描くというプロセスです。現状の問題はひとまず置いておき、ありたい未来を自由に描き、その実現のためには何が必要で何を残さないといけないかを全員で考え、共有します。2050年という35年後の未来に設定したのは、自分たちではなく子ども たちにとってより良い海士町とするためです。
通常は、現状の問題から物事を考え積み上げていく「フ ォアキャスティング」という手法をとります。即効性はある反面、今をしのげば良いという考えにもなりやすく、問題を未来に先送りする可能性もあります。
例えばあすあまでは、バックキャスティングの考え方で、 将来的に文化や暮らしを大切にしている島となっていることが海士町の魅力を高め、観光客や移住者を呼び寄せると考えました。これがフォアキャスティングで考えると、観光客や移住者を呼ぶために一番効果的な方法は何かというところから考えます。即効性を重視しすぎると、やり方に よっては将来的に海士町の文化や暮らしを壊すことになります。結果田舎としての魅力を失い、逆に観光客や移住者が減ってしまう可能性もあります。行き過ぎたリゾート開発などはフォアキャスティングの発想によるものです
もうひとつは、「ループ図」という手法により、ありたい海士町の未来の実現に影響を与える要因や要素を抜き出し、そのつながりを意識しながら好循環を生み出す構造を考えるというプロセスです。 まちで起きているさまざまな問題は、ひとつの要因で起きているのではなく、いろいろな要因の積み重ねの中で起きています。好循環 を生み出す理想の構造を考えた上で、現状ではなぜその循環がうま くいっていないのか、その循環を促すにはどうすればいいのかを考えます。
このループ図は、あすあまでこれまで作成してきたさまざまなループ図を合体させ、簡略化したものです。あすあまではさまざまなテーマにより最終的に30を超えるループ図を作成しました。1つのループ図を仕上げるには、最低でも2時間はかかります。膨大な時間をかけながら、ありたい海士町の未来を実現し、好循環を生み出す構造を考えていきま した。13回行っ た会議のうち、第3回から第8回会議まではこうした「バックキャスティング」と「ループ図」の作業に費やしました。
こうして好循環を生み出すループ 図を作成していく と、循環を阻む要因も見えてきます。 例えば、先ほどのループ図にある「(1)挑戦する人 →(2)海士の課題解決 →(3)海士の魅力 → (4)意欲あるUIターン →(1)挑戦する人」の場合、これまで海士町では町長などの「挑戦する人」が(1)→(2)の流れをつくり、その後の好循環を生みだしていましたが、世代交代により「挑戦する人」がいなくなると(1)→(2)の流れがなくなり、それ以降の循環も止まってしまいます。これは挑戦による「輝きの連鎖」がなくなることを意味しますが、その要因は、じつは次世代を担う自分たち自身にあるというところに気がつきます。自分たち自身が挑戦する人になれていないことこそが問題であり、なぜ自分たちは挑戦する人になれていないのか? 挑戦する人になるためには何が必要なのか? ということを具体化しながら、プロジェクトを考えていきました。
このように循環を止める要因を探していくと、その要因は意外と身近なところにあり、大半は自分たち自身の問題であることに気がつきました。当初は「どうすればよいの かわからない」「何から手をつけてよいのかわからない」 という迷いもあった中、いつしかまちづくりの問題を自分事として考えるようになりました。
あすあまでは、当初からメンバーで確認していたことがあります。計画づくりはゴール(目的)ではなく、むしろ スタート(手段)であるという認識です。いくら完成度の高い計画をつくっても、それを実現するものがいなければ計画の意味がありませんし、誰かがやってくれるだろうという考えは依存しか生みません。まちづくりを他人ごとで はなくいかに自分ごととして考え進めていくか、このことは当初からメンバーで確認しながら進めてきたつもりでしたが、よりよい海士町にしていくためには、結局は自分たち自身が変わらなければならないことに気づきました。そうした気づきもあり、あすあまでは最終的に14のプロジェクトが立案されましたが、メンバーそれぞれが担当のプ ロジェクトを持ち、実際に動き始めようとしています。
このように、あすあまでは13回におよぶ会議のプロセスを経ながら議論を重ね、その計画は『あすあまチャレン ジプラン』として、9月27日に海士町に提出されました。 手交式という形をとり、メンバー1人ひとりが町長の前で 自分のプロジェクトを発表し、想いを伝えての提出となりましたが、その時の涙を潤ませながらも喜んで聞いていた町長の顔は今でも忘れられません。「スタートの時と顔つきが変わった。自分たちでやってやるんだという顔になっている。もうわれわれじゃない、こ れからの海士町は君たちにかかっているんだ。よくぞここまで成長してくれた」
そして海士町創生総合戦略『海士チャレンジプラン』へ
『あすあまチャレンジプラン』は完成しましたが、当初の予定より遅れてしまったため、海士町の総合戦略を仕上げるには、残り1カ月しかありませんでした。しかし、あすあまチャレンジプランに各課の行政施策をマッチングさせる作業は、そう難しくはないと考えていました。
なぜなら、これまで行われてきた海士町のまちづくりも、 潜在的ですが「システム思考」の考え方で進められてきたからです。例えば、「このままでは無人島になってしまう」 という強い危機感。これは最悪の未来から物事を考える「バ ックキャスティング」の方法です。また、冒頭に紹介した 産業振興の取り組みは、「海士に眠る地域資源の活用(さざえカレー、いわがき春香)→ 外貨獲得 → 新たな雇用 → 次の挑戦(CAS、隠岐牛、干しナマコ)→ 外貨獲得......」という 好循環を生んでおり、教育の取り組みでも、「高校魅力化→ 地域課題に挑戦する人材の育成 → 地域の魅力化 → 高 校魅力化......」という好循環を生んでいます。海士町では 以前から「まちづくりは連想ゲーム」といわれていました。 この発想はまさに「ループ図」の手法そのものです。
もっとも強く表れているのが、海士町の経営指針である「自立・挑戦・交流」です。「挑戦が自立を生み、自立が交 流を呼び寄せ、交流が新たな挑戦をつくる」この好循環が 回ることで海士町のまちづくりは進められてきました。
システム思考という言葉を知らずとも、これまで海士町のまちづくりは根本的にはシステム思考の考え方で実践されてきたものと思っています。
こうした考え方から、「同じ手法で考えているなら、取り組むべき課題もあすあまと同じはずだ」という根拠のも と、各課との施策の調整を図りました。結果、各課の方向性とあすあまの方向性にズレはほとんどありませんでした。 あと必要だったのは、あすあまの視点で抜けていた行政での課題や施策を盛り込み、海士町としての人口ビジョンや 数値目標、重要業績評価指標(KPI)を設定することでしたが、あすあま会議と並行して事務局でその作業を進めていたこともあり、また各課の迅速な協力もあったため、10月末には海士町版創生総合戦略『海士チャレンジプラン』を完成させることができました。
海士町の地方創生とは 挑戦が生みだす魅力づくりと文化の継承
『あすあまチャレンジプラン』および『海士チャレンジプ ラン』に共通する特徴的な部分は、国が地方創生でうたっ ている「まち・ひと・しごと」をそれぞれ「まちづくり」「ひとづくり」「しごとづくり」の3パートに置き換え、それ ぞれにおいて方向性と課題、施策を整理し、好循環を生み出す仕組みを考えながら、全体でも好循環を生み出してい こうとしているところです。そして全体の好循環を生み出すためには、これまでの海士町の経営指針である「自立・ 挑戦・交流」が重要な役割を果たすと考えています。
これは、海士チャレンジプランに掲載しているループ図 です。挑戦はしごとをつくり、しごとは自立を生む。自立 はまちをつくり、まちは交流を生む。交流はひとをつくり、 ひとは挑戦を生む。このサイクルを回していくことにより、 海士の魅力はつくられ、文化は継承されていきます。海士町ではこれまでこのやり方でまちづくりを進めてきましたし、これからも同様に進めていかなければなりません。そのためには、次世代を担うべき自分たち自身が「挑戦する人」となり、サイクルを回すためのエンジンになる必要があります。今回の海士町の総合戦略策定では、そうした次世代の覚悟が問われていたものであり、これに応える覚悟が次世代の中で醸成できたのではないかと考えています。
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バックキャスティングとシステム思考を駆使してのまちづくりを通して、共有ビジョンが生まれ、働きかけの有効なポイント(レバレッジポイント)を意識しながら、具体的なプロジェクトがいくつも立ち上がりました。
総合計画ができたところで終わるわけではなく、これからが本番!という海士町を、これからも応援していきたいと思っています。
また、今回海士町でお手伝いさせていただいたような、バックキャスティングとシステム思考を活用してのまちづくりは、どの地域でも効果的なアプローチだと思っています。「うちでもぜひ!」という地域・自治体の方、まずはバックキャスティングやシステム思考の研修をやってみたいという自治体の方、ぜひお声を掛けてください。お役に立てればと思います。
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