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前号に続き、石巻で活動を続けている杉浦さんのお話をお届けします。牡鹿半島には30を超える浜があって、それぞれの浜のニーズに合わせた取り組みをしてきています。具体的な例として、まず「浜友」の取り組みを紹介します。
・「浜友」の取り組みについて
牡鹿半島の根元に佐須浜という浜があり、震災前は43世帯 約135名が暮らしていました。2011年3月11日の東日本大震災直後にはみんな浜を離れざるを負えなくなり、6世帯 約20名まで減少しました。漁師仕事をするにも市内の仮設住宅から、サラリーマンのように通勤して仕事をし、また市内の仮設住宅に戻るという生活の方もいました。
私がこの浜に初めて入った時は、話せる人が漁協関係者や区長さん、地域のお母さんの4人でした。その中で、「地域の人たちが全然話せていないんだよね」という話を聞きました。
「では、皆さん、どこにいるかわかりますか」と聞き、漁協関係者や区長さんにも手伝ってもらいながら、地域の人たちと話をする機会をつくろうと、集まってもらい、1回目の話し合いができたんです。
その時、何から話そうかと思ったのですが、自分も被災していたこともあり、悪いイメージから話したくないなと思って、「この先どういうふうに考えていくか」という話ができればと思いました。
そうしたら、皆さんの口から出た第一声は、「まだ先は考えられない」「わからない」というものでした。1週間に1回くらい、何回か会議を開いているうちに、少しずつ皆さんの気持ちとか本音がポロポロ出るようになってきました。本来は生業支援で入ったのですが、ふたを開けてみるとコミュニティが崩壊寸前でした。
そこで、まず始めにコミュニティの話から始めようと思って、皆さんに声がけをしながら毎回集まってもらい、そのたびに地域の昔の暮らしとか、現状とか、どうなっていきたいのかを聞きました。回数を重ねるごとに、皆さんの口からから、「こうだったよね」「昔はこうだったんだよね」という話が出るようになってきたんです。
みんなが自分たちから話せるようになってきたと思ったので、コミュニティ支援と生業支援を合体させて、「皆さんが、この浜をどういうふうに考えていきたいかを話しましょう」となった時に、「この浜では、自分たちが作っている牡蠣がいちばんの自慢なんだ」という話になりました。
ほかの浜だと、牡蠣は二年で育つ「二年子」と言われるんです。でも佐須浜の牡蠣は、山の水と、万石浦湾の水と、近くに北上川と環境がとても良く、周りに豊富な栄養があるので1年で育つんです。
私も全部の浜で牡蠣を食べ比べましたけど、1年でもここの牡蠣は身が締まって味わい深くおいしいんです。そこで、「牡蠣をメインで何かできることはないか、皆さんで考えてみましょう」という話になって、「せっかくだから、自分たちの牡蠣をみんなに食べてもらいたいね」というので、牡蠣小屋が始まったんです。
もう1つ、ここは43世帯あったのに6世帯くらいまで減ってしまった。「またみんなに帰ってきてもらえるように、集まれる場所をつくりたい」「話せる場所をつくりたい」という声が出て、「集会所」という、プレハブで集まれる場所をつくりましょうというのが最初の話でした。
牡蠣小屋が始まって、人が集まってくるようになって、集会所にも震災後初めて地域の人たちが戻ってきて、話ができたんです。そこから皆さんが顔を合わせる度に話が弾むようになってきたり、会話が増えたりしてきた。そんな中で、半年ぐらいたった時、「集会所だけでなくて、ここでもっと何かできることがないかな」という話が出てきたんです。
「何ができそうですかね」という話の中で、「こういうのがやりたい」「ああいいうのがやりたい」というのがいろいろ出てきたんですけど、お母さんたちの手料理がおいしかったというのと、目の前に海があって、お父さんたちが小型定置網で朝獲ってくれるお魚がいっぱい揚がっていたので、「食堂をやりましょう」と言うことになりました。
「やりたいね」と、お母さんたちの熱が上がってきたので、そこからは浜の方々が話の主体としてシフトしていき、お母さんが自分たちで話を進めました。「ああしたい」「こうしたい」と、自分たちの意見がすごく出てきたので、これなら継続して、浜に帰ってくる人も食べられて、ボランティアさんとか外から来てくれる方々も、ここに帰ってきたときに浜の味も食べられる場所ができそうだと。
いろいろな形で、いろいろな人たちが巻き込まれていく中で、お互いに「活かし・活かされ」。浜のお母さんたちは元気が出るし、やりがいも感じてくるし、来てくれた方々も、こういう事ができてきたんだなと、少しずつだけれども浜も変わってきたのかな、という現状も知れるし、牡蠣や浜のものもおいしく食べられる。
ほかの復興商店などでは、外からのお客さんがメインというのもあって、値段も高かったりする。でも、ここのお母さんたちは、「せっかくみんな来てくれるんだから、地元のものを地元の値段で、食べやすくしよう」と、値段も抑えました。みんなが寄れる憩いの場、居場所にしましょう、と。
この「浜友」という名前は、「浜の友」と思っているんですけど、そもそも、そういう名前の浜遊びがあり、そこから名付けました。
ということでやり始めたら、お母さんたちがすごく生き生きし始めました。その中で、昔は帰ってくると話している人はなかなかいなかったんですけど、今では別の仮設住宅にいた方々も「帰ってきたい」と話しています。皆さん、高台移転になりますが、元の世帯の半分くらい、十数世帯は戻ってくるという話を聞き、うれしかったです。
毎週1回はここで食べます。皆さんから「愛されているな」というのをすごく感じますし、自分も最前線でかかわらせてもらってよかったなという思いを強く感じる場所の1つです。自分から見ると「実家」みたいです。だからいつも「ただいま!」と言って帰ってくるんです。ボランティアさんも帰ってくると、「浜友行こうぜ」「今度また浜友に連れていってね」と、皆さん言ってくれます。
最初に建てた時は、ほんとのプレハブで、灰色の掘っ立てでした。ボランティアの方々と作業の一つとして、この辺り全体の清掃活動をしたんです。1回目に清掃活動した時、浜のお母さんやボランティアさんから「このプレハブに、ペンキ塗って可愛くできたらいいね」という話が出ました。浜の人も一緒に作業していたので、「じゃあ、次来たとき、ペンキ塗ろうか」となって、2回目の時にペンキを塗ることにしました。
浜友のイメージカラーはオレンジ色なんです。ここから夕日がきれいに見えるので、浜友=オレンジ色。だからオレンジ色に塗るつもりだったんです。ですが、色の配合を間違えて、なぜかピンクになった(笑)。でも、中で働く方々が女性なので、「ピンク色、可愛いからいいじゃん」ということで、そのまま塗ったんですけど。
普通に塗ったら丸一日かかるところが、ボランティアさんの力というんですか、半日ぐらいで終わったと思います。一緒にやっていると、外から来てくださる方々のマンパワーだけでなく「気持ち」とか「繋がり」を感じ、いつもそういうところに心を動かされます。
いろいろな思いで被災地に来ている人もいると思うのですが、結果的に来てくれているということと、一緒に汗を流してくれて、一緒に考えながら、「ああだよね」「こうだよね」と話している間に、お互いにコミュニケーションも生まれてくることが本当に楽しいんです。
毎年、宮城県で地産地消のコンテストがあるんですが、今年の春に、この「浜友」が地産地消で認められて、準グランプリを取る事ができました。今ではコミュニティの中心的な居場所にもなっています。
・「浜こん」の取り組みについて
そして次に「浜こん」についてですが、どうして始まったのかというと、いろいろな活動をしていると、浜のお父さん、お母さん、じいちゃん、ばあちゃんから、「杉浦さん、本当に支援ありがとうね」と言ってもらえるのですが、「最後に1つだけお願いがあんだよね」「うちらの息子、うちらの孫にお嫁さんを世話してくれないかな~」と。
浜の漁師たちの中にも、そういう出会いを求めている人もいるという話も聞いたので、浜の共通課題の一つとして「だったら、浜の男性と外からの女性で、婚活!」。そうすれば浜に嫁ぐ人、そこから子どもができる、となれば後継者が浜に残り跡継ぎが出来る、そして人口増加などにもつながるかも。ということで、「浜の婚活」で「浜こん」というのを2013年と2014年の2回開催しました。
「浜こん」では、現在までに1組が結婚しているんですよ。つい最近「おかげさまで子どもが生まれました」と連絡がありまして、「今度、お祝いいしようね」という話になっています。
何よりも、浜の男性はシャイな方が多いものですから、自分から動くきっかけを持てなかったんですけど、「浜こん」ができたことで、自分から婚活で動く男性が増えたり。実際に、そこでカップルになって結婚した人だけでなく、そこから結婚したいという意欲が出てきた人もいます。そういうふうに「心を動かすこと」ができたのかなと。意識を持つことができたというか、心を動かすことができたのかなと思います。
コミュニケーションが苦手な人って、自分をあんまり知らないんですよね。自分を知らないから、会話のキャッチボールが苦手で、恋愛につながりにくかったのかなと思います。
だから、自分のプロフィールを書くにしても、「おれって何が趣味だったのかな」「普段のおれって、どういう人間?」というところから引き出しを開けてあげることが必要だと!
自分の趣味とか、得意・不得意とか、自分を知ってもらうという作業から始めたんです。
それができたことによって、話す会話がまず1つ、すぐ見つかるようになったんです。「ドライブに出かけるのが趣味だ」とか「音楽を聴くのが趣味だ」とか。まず自分を知ることによってきっかけが生まれて、自分を前に出せるようになってきた、というところが大きかったのかなと思っています。
中には「おれパチンコが趣味なんだよね」と言う方もいましたが、「そこは球技に直して!」と言う冗談も言いながら、徐々に会話する内容が増えたことを思い出します。(笑)
( つ づ く )
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第2回をお届けしました。次回がシリーズの最後になります。どうぞお楽しみに!
サードステージのウェブサイトに、いろいろな活動や写真が載っていますので、ぜひご覧下さい~。
http://thirdstage2016.wixsite.com/ishinomaki
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