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数年前から、「持続可能な地域づくり」のお手伝いに力を入れています。「未来は地域にある!」と強く思っているからです。2030年のビジョンづくりのお手伝いをさせていただいている下川町の素敵な取り組みをご紹介しましょう。
島根県海士町での地方創生総合戦略のためのビジョン策定・プロジェクト促進のお手伝いのほか、北海道の下川町でも、「2030年に向けた町のビジョンづくり」のお手伝いをさせてもらっています。下川町の今回のビジョンづくりの特徴は、SDGs(持続可能な開発目標)を枠組みにしていることです。
海士町と下川町の取り組みについて、12月13日夜に開催する勉強会「定常経済とないものはないについて考える」で、私から詳しく紹介し、議論を深めたいと思っています。いつもは課題書を読む読書会ですが、今回は私のレク+ディスカションの勉強会です。
「まちづくり」「地域のビジョンづくり」「地元経済を取り戻す」「外に頼らない、レジリエンスの高い持続可能な地域経済」「21世紀を先導する新しい価値観とライフスタイル」などにご興味のある方、ぜひご参加下さい!
http://ishes.org/news/2017/inws_id002328.html
下川町の取り組みについて、昨日世界184カ国に発信したJFSのニュースレター記事に書きましたので、ご紹介します。
~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
JFS ニュースレター No.183 (2017年11月号)
下川町の持続可能な地域づくり
~森林資源を永久に利用し続けることができる循環型森林経営
人口減少社会となった日本。まだ東京は地方から若い人々が教育や雇用を求めて流入している一方、多くの地方の市町村では、出生数よりも死亡数が多いことによる自然減と、転入数よりも転出数が多いことによる社会減のダブルパンチで、人口減少のペースが大きくなっています。
そのような中で、「人口が減少していく中で、これまでどおりの経済成長を続けることは可能なのか、必要なのか、望ましいのか」「どのように賢く縮小していくかを考えるべきではないか」といった議論が出てきています。とくに地方の市町村では、「持続可能な地域づくり」への取り組みが待ったなしの状況になっており、いくつかの先進的な取り組みが世に知られるようになってきました。
世界に情報発信をしているグローバルな活動に携わっているJFSの代表を務めている私自身も、「未来は地域にある」との信念のもと、数年前から、いくつかの自治体の「持続可能な未来づくり」のお手伝いをしています。
今回と次号のニュースレターでは、先進的な自治体の取り組みの1つとして、北海道・下川町の取り組みをお伝えします。
○下川町のこれまで下川町は北海道の中央北部にある人口約3400人の町です。面積は644.2平方キロメートルと、東京都23区とほぼ同じ面積を有していますが、その約9割は森林です。冬はマイナス30度にもなる多雪地域で、これまでに数多くのスキージャンプ選手を輩出しています。
下川町は、2011年に政府から環境未来都市の1つとして選定され、田舎暮らしの本(宝島社)の「50歳から住みたい地方ランキング全国1位(2016年、2万人以下の町部門)」に選ばれるなど、大きな注目を集めています。近年は都市からの移住者も多く、そうでなかった場合に比べ、人口減少にも歯止めがかかっています。しかし、その歩みは最初から順調だったわけではありません。
北海道は、厳しい自然の地でした。明治時代に、本州から北海道に入植して、その原生林を拓き、北海道の基礎が築かれました。下川町への入植が始まったのは1901年です。1917年にはその地域で鉱山が発見され、多くの働き手が移住しました。1919年には国鉄名寄本線が開通。その後、農林業と鉱業を軸に発展し、1949年には「村」から「町」になりました。高度経済成長期の1960年には人口は1万5千人を超えるまでに増え、大いに繁栄しました。
しかしその後、1983年と1986年に2つの鉱山が相次いで休山し、人口は減少していきました。それに伴って、1989年には鉄道も廃止され、さらに人口は急減していきました。
この危機的な状況の中、下川町の人々は、「自分たちにできる取り組み」を始めました。1つは、1986年に「手づくり観光日本一」をめざして始まった「万里長城築城」です。業者に頼らず、自分たちで「もっこ」を用いて石を運び、万里の長城を築き始めたのです。このプロジェクトは脈々と続き、2000年には、築城2000メートル達成記念セレモニーが行なわれ、観光名所の1つとなりました。また、下川町は、毎年最低気温で日本1・2位を競うほどの厳寒の地なのですが、1986年にはその冬の寒さを活用して氷のランプシェード「アイスキャンドル」を作って、お祭りで飾ることも始めました。アイスキャンドルは今も、冬の下川町を彩る風物詩です。
○エネルギーの自給自足へ下川町では2000年代に入り、森林資源の新たな活用の研究がなされ、方策の一つにバイオマス利用が挙げられました。その後、2004年に北海道で初めて、町内公共温泉に木質バイオマスボイラーを導入しました。
また2012年には、大学の研究者と組んで、町の域際収支を計算するという作業を行いました。その結果、下川町の黒字部門は、農業(約18億円の黒字)と製材・木製品(約23億円の黒字)である一方、暖房用の灯油などの石油・石炭製品(約7.5億円の赤字)、電力(約5.2億円の赤字)が大きな赤字であることがわかりました。
この結果に基づき、「森林に恵まれ、林業が盛んな町なのだから、バイオマス資源を活用して、エネルギーの自給自足をめざそう」という方針を掲げ、取り組みを進めています。
まずは、暖房用の灯油などの石油・石炭製品です。町内の林業・林作業で発生する林地残材や小径の間伐材、枝打ちした枝、加工プロセスから出る端材などを原料に、木材チップを製造し、そのチップを燃料に、町内のバイオマスボイラーで生み出した熱を町内の施設に供給するという取り組みです。
現在町には、合計13基のバイオマスボイラーが稼働しており、下川町全体の熱自給率は45%に達しています。すでに、町内の熱需要の半分近くを自給しているのです。今後、熱供給導管の埋設を進め、住宅への熱供給を促進するなどして、熱の100%自給をめざすとともに、熱電併給システムの導入を進め、電力の自給率も上げようとしています。
このように、輸入の化石燃料に頼らず、地域で生産される木材チップでエネルギーの自給自足を目指し、着実に進んでいる下川町は、日本の自治体のお手本の1つです。
○エネルギーの自給自足を支える森林資源を持続可能にところで、そのバイオマス資源を町内で持続的に生産するためには、持続可能な森林経営が必要になります。下川町はこの点でも、長期的な時間軸での素晴らしい取り組みを行なっています。
下川町の地域経済の「稼ぎ頭」である製材・木製品は、毎年約23億円という収入を生み出していますが、そのために、約50ヘクタールの森林を伐採しています。伐採した木を製材して、木材として域外にも販売し、その際の残材や端材から燃料用木材チップを製造しているのです。
下川町では毎年、約50ヘクタールの森林を伐採し、約50ヘクタールの植林を行っています。植林した苗は60年かけて成木に成長し、60年後に伐採されます。50ヘクタール×60=3000ヘクタール。下川町には、約4500ヘクタールの町有林がありますが、そのうち、約3000ヘクタールを占める人工林を、このような循環型の森林経営で活用しています。この長期的なしくみが確立されているため、下川町はいつまでも森林資源を利用し続けることができるのです。この真に持続可能な森林経営に向けて、下川町が取り組みを始めたのはいつだったのでしょうか。
下川町では、1953年に、町の基本財産を造成し、雇用を確保しようと、当時の町の財政が1億円規模だった時代に、8800万円をかけて1221ヘクタールの国有林を取得しました。1960年には、「毎年40~50ヘクタールを伐採しては植林する」という経営計画が作られ、現在に至るまで継続されています。この計画を実現するために、1994年から2003年にかけて、さらに1902ヘクタールの国有林を取得しました。そうして、2014年からは、先人が植えた木を伐採し、そこに植林をする「循環型森林経営」ができるようになり、持続可能な森林経営が実現しました。
下川町では、森林資源をベースにさまざまな産業を振興しています。また、バイオマスボイラーが生産する熱を用いて、シイタケ栽培など新しい産業も興っています。こうした新しい動きに惹きつけられて、UターンやIターンも増えています。最近では、就学や就職などで地域から出て行く転出者よりも、UターンやIターンなどの転入者の数の方が多い年も出始めています。
下川町にとって、森林は、産業とお金と地元のためのエネルギーを生み出し、移住者を惹きつける大切な資源です。この大切な森林資源を守りつづけるために、下川町では森林教育にも力を入れています。下川町では、幼児から高校生まで、15年間の総合的な森林環境教育を行っているのです。この取り組みについては、来月号でお伝えします。どうぞお楽しみに!
枝廣淳子
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海士町が打ち出している「ないものはない」という価値観・ライフスタイルについても、ご紹介したいと思っています。これも日本から世界に発信すべき!大事な指針です。
多くの方々のご参加をお待ちしています!