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細胞から学ぶ「幸せな社会のあり方」~高野翔さんへのインタビュー

2018年02月09日
細胞から学ぶ「幸せな社会のあり方」~高野翔さんへのインタビュー

幸せ経済社会研究所ウェブサイトのインタビューコーナーに、JICA職員でブータンでも活動され、現在シューマッハ・カレッジに留学中の高野翔さんへのインタビューがアップされました。バイオテクノロジーの研究からの「細胞社会学」のお話など、本当にワクワクと楽しいお話、ぜひどうぞ~!

高野 翔さんJICA(国際協力機構)Schumacher College留学中

JICA(国際協力機構)に入構後、アジア・アフリカ各国でさまざまなプロジェクトを担当し、2014年から2017年8月までブータンで持続可能な地域づくりを担っておられた高野翔さん。ブータンが取り組むGNH(Gross National Happiness: 国民総幸福量)やこれからの経済のあり方などお話を伺いました。

まずは学生時代に研究されていたバイオテクノロジーの世界について。人間の体と社会との興味深いつながりからお聞きしました。

■細胞や微生物の研究から社会のあり方を考える

枝廣:さっそくですが、そもそもどういった経緯で現在の活動に至ったのか、教えていただけますか。

高野:大学・大学院を通じてバイオテクノロジーを学んでいました。小中学校から高校の時は環境問題が世界中で社会問題化し始めた時代でした。生まれが福井でして、毎週末父親に連れて行って遊んでもらっていた山や川や海といった自分にとっては当然ながら身近にある自然やその景色が、だんだんと世界の各地で失われていくことにすごく違和感をもっていました。自然や環境のあり方に興味をもち、自然のもつ力や生命のもつ仕組みを活用して環境問題や社会の課題を解決できるような方策を考えたいなという気持ちで、まずバイオテクノロジーを選んだんです。

枝廣:バイオテクノロジーの分野では特にどういったことを研究されていたのですか?

高野:大きく2つあります。1つは、生命の最小単位である細胞の動きや細胞間の相互作用の仕組みの研究。もう1つは微生物が集合体となったときに見られる性質の研究です。

微生物は集合体になることで初めて活性化する役割があります。私の場合は微生物単体と微生物が集合体を形成したときの性質の違いを追ったりしていました。もう一つの細胞に関しては、がん細胞と正常細胞の違いについて興味をもって勉強していました。最終的には、がん細胞を生体に近い環境下で評価する実験のモデル系を作りました。通常の実験では平面のシャーレの上に細胞を撒いて細胞の挙動を観察するわけなんですが、実際私たちの体を構成している個々の細胞は3次元的に四方八方、他の細胞に囲まれた状態で存在していますよね。そこでシャーレの2次元の平面で細胞を見ていても3次元の生体内で行っている本当の挙動は見えていない状況に等しいなと思い、より実際の生体環境に近い3次元のゲルの中にがん細胞を入れ、その中で細胞の挙動や細胞間のコミュニケーションを評価する方法を修士論文では提案しました。

枝廣:おもしろいですね。2つとも大きくつながっているものがありますね。

高野:私たちの体は、極めて多様な細胞同士の物質・エネルギー・情報の交換、つまりは細胞同士のコミュニケーションのなかで、細胞間のコミュニケーションの総体として存在しているので、それを単体の性質だけで物事をみて判断するのは明らかに限界があるというか、それでは見えていないものが多々あるはず。集合体のあり方というのは、我々人間社会のあり方においてもまったく同じだと思います。私自身は人間の社会とは人々の関係性の集合体であると思っていますし、微生物や細胞でもそのような興味は変わらずもっていましたね。

枝廣:今でこそ、システム思考や「つながり」という概念がありますが、当時は大学・大学院の先生が研究されていたのですか?それとも自分の問題意識として持っていらっしゃったのですか?

高野:自分の中に問題意識があった気がしますね。当時、「ヒトゲノム計画」というものがバイオテクノロジーの世界では圧倒的な注目を得ていました。ヒトの設計図とも呼ばれる遺伝情報をすべて解読していこうというものです。バイオテクノロジーはアメリカが進んでいたのでアメリカに短期間ですが研究留学したのですが、そのとき一番インパクトが大きかったのが、ネズミの背中に人間の耳の形をした細胞構造体をつくりだす、という論文が生物工学や再生医療の最先端として注目を浴びていたことでした。

(写真:解読された全ヒトゲノムの上製本)

でも、再生医療で世界的に有名な教授の論文を見て、それはバイオテクノロジーをやっている人には憧れの論文なのですが、「僕にはできないな」と直感的に思ったんです。私の中で、倫理面でスイッチが入ったというか、なにかしらのブレーキがかかってしまったんですね。論文の世界では「これがすごい、再生医療に使える」など書けたと思うのですが、自分の子どもや家族にそのことを心から自慢して説明できる実験かと言えば、自分にはなんかできないなと。遺伝子や生命を操作するという感覚にブレーキがかかってしまったんです。

どちらかというと、相互関係しあう集合体としての性質、コミュニケーションしながら助け合う調和や共存の機能を私たちは本来的に生物として持っているわけなので、そちらに焦点をあてたほうが、日本人が培ってきってきたDNAとしてやれること、世界に貢献できることが大きいのではないかとその時思い始めていたので、そういう研究をやっていきたいなと思いました。考え方の違いを生命体の見方で感じたんですね。

■集合体がとるコミュニケーション相互作用なくしてありえない生命体

枝廣:分けて操作するという論理的思考やクリティカルシンキングと相対や全体として物事をとらえるということは、ある意味両極端ですよね。アメリカでそのような話をされたときはどのように受け取られましたか?

高野:当時学生で、アメリカの研究室では周りが年上の博士の方々ばかりだったのですが、そういう疑問を呈することはまったくできませんでしたね。英語で深いところを話せないという、英語力の問題も正直ありますしね(笑)。自分の自然観や生命観を伝えるということは難しかったです。逆にそれは自分の中で恥ずかしさであり、なんとかしたい、次の仕事で果たしていきたいという気持ちとして残りました。

枝廣:アメリカや西洋では、総体や集合体という考えはなかなか理解しにくいかもしれないですね。

高野:機能を細かくしっかり分けながら分析していくというのが今の科学の基本姿勢だと思います。例えば、最先端のバイオテクノロジーでは、人間の体の中のひとつの細胞をとりだして、相互依存する集合体ではなく、その単体としての細胞の挙動を見るという研究が流行っていましたし、そのほうが潮流でした。また、遺伝子のことを考えてみると、細かく分けていくことにより分かってきたことがたくさんあります。遺伝情報をつかさどっているのはたった4つの物質という、それは素晴らしい発見だと思うんです。ただ、たった4つの物質の組み合わせの延長で、生命の神秘や私たちの人間社会の複雑性を生み出していると考えると、分けて考えてきたものを相互作用する関係に結びなおし、関係性の中での調和や共存のあり方に価値が置かれる時代がくると思うんです。そのとき日本人の考え方が合うのではと思います。

枝廣:東洋医学と西洋医学の違いもそうですよね。東洋医学だと全体とか気の流れを言いますが、西洋だと細分化して、専門医が存在します。微生物の場合、1個の微生物ではなく集合体になることで微生物らしさが生まれる挙動とはどんなことが挙げられますか?

高野:微生物は単体ではなく集合体を形成するのが普通なのだとおもいます。単体では他の存在とコミュニケーションできませんからね。物理的に接触するというコミュニケーションや化学物質を外にだし、またそれを受け取るというコミュニケーションなど、多様なコミュニケーションを通じて集合体を形成して、ともに生活しているというのが自然な形なのだと思います。

例えば、私は、微生物が集合体になって形成する菌膜、バイオフィルムと呼んでいましたが、そのバイオフィルムの研究をしていました。我々の歯に微生物単体ではなくバイオフィルムが形成されると取り除きにくくなります。それは単体の機能の単純な足し算では表せないような集合体としての役割として粘着的な物質を出したりということが次々と集合体内で起こってくるからです。そういう機能をもっているのが集合体ですね。

枝廣:私も分けるという考え方に頼ってしまっているのだなと思って聞いていました。単体では出せない物質を集合体になって出せるとのことですが、その物質は無から生まれるわけではないので、それぞれ単体にあるものが集合体になることでスイッチが入るということですか?

高野:そうですね。集合体を形成することではじめてスイッチがはいる現象は自然界にたくさんあります。コミュニケーションの密度の度合いはいろいろとあると思いますが、集合体であることは普通のことで、相互作用あるその関係性の中でしか単体としても生きていくことができない、ということなのだと思います。

■「細胞社会学」の世界

枝廣:単細胞生物の場合はひとりで生きていけるんですか?

高野:単細胞生物は一つの生命体として存在できるわけですが、ただ単細胞生物が単体だけでいる、ひとりでいるという状況はないと思います。必ずその周りに他の単細胞生物がいて、その中でのコミュニケーションというのは必ずある。また、その単細胞が内包している水やいろんな物質は絶えず循環しているはずです。私たちの体を構成している細胞も3カ月後には違う細胞にすべて入れ替わっているといわれています。なので、最初にあったものが死ぬまで同じ形というのはありえないはずなんですね。

枝廣:細胞学を研究している人はそういうふうに見ているんですね。

高野:どうなんでしょう(笑)。私は最近、ブータンに行ってからこういう見方をし始めました。人間社会のあり方と細胞社会のあり方というのはかなり高い親和性を持っているのではと。これは決して学問として確立しているわけではないのですが、「細胞社会学」といったものになると思うんです。

枝廣:細胞が3カ月に1回入れ替わって人間は保たれている。細胞1つ1つも取り入れては出すという循環をしている。「the細胞」というのはなく、瞬間を切り取ったら細胞の形は見えるけど出たり入ったりする。これは仏教的な見方ですよね。

高野:そういう見方もあるんだと思います。学問や技術というのは間違いなくその国の思想観というか、生き方の歴史の積み上げのようなものが反映されて出てくるものだと思うので、その思想観で一歩でもより積み上げられれば世界的に貢献できることがあるのだと思います。それを他の国の思想観を借りているだけだと、僕らのDNAや文化の積み上げはなくなってしまいますよね。日本人が、和のあり方、循環のあり方、諸行無常のあり方を感覚でもち、研究できるのであれば、それは本当に素晴らしい研究結果が出る可能性があると思いますね。

■周りとの関係性で自己を規定し生きるためにコミュニケーションを求める正常細胞

枝廣:ブータンでは人が亡くなったときに明るくおくってあげるんですよね?

高野:お墓を作らないですし、お葬式も悲壮感があまりありません。四十九日は日本と一緒ですが、四十九日以降は悲しんではいけない。次の人生に旅立ったという捉え方をするので、そこで悲しんでしまうとお化けみたいにとどめてしまうという感覚があるんです。その感覚は日本とは違いますよね。私だったら天国でおばあちゃんが見守ってくれている、というような感覚がありますが、彼らはそうではなく、次の人生として牛になっているかもしれなし、植物になっているかもしれないという感覚をもっています。

枝廣:自分も死んだあと何になるかわからないから、絶対に殺生しないんですよね。

高野:ハエとかも殺さないですね。

枝廣:命も循環しているというような考えですか?

高野:そうですね。実際、例えば、私が排泄すれば、その物質は、土の養分となり、植物を養い、動物を養い、人がその動植物を食べて、体を構成する細胞の一部となっていく。このような循環が自然界では常に行われている。仏教や宗教に関係なく、科学的に見ても物質はいろいろな命をまわりめぐっているわけなので、そういう意味で命がつながっている、循環しているといえますよね。それを彼らは仏教の文脈の中で、おそらく物質だけにとどまらない命の循環性を、家族や地域での生活を通じて、自然に身につけているわけですね。

(写真:ブータンの首都ティンプーの街並み)

枝廣:私たちは大きな循環の中にたまたま生かされている、私たちを構成している細胞も入れ替わっている。そうなると、「存在」とは何になるんでしょう?

高野:「存在とは何か」というのは難しい問いですよね。がん細胞と正常細胞の話に戻りますが、正常細胞は基本的にまわりとの関係性をもって自己を規定します。

私たちには足があったり、手があったり、脳や心臓があったりと、60兆個におよぶ細胞が多種多様な組織をつくっているわけですが、細胞が新たに生まれたときに最初からその細胞の役割が決まっているわけではありません。正常細胞は自分がどこにいるかを3次元的に位置把握できる性質をもっており、自分の場所を認知し、そして周りの細胞とのコミュニケーションを通じてはじめて自分の役割を決めていきます。足の一部になったり、脳の一部になったりと、各々の細胞が役割を決めていき、全体として調和し我々の一つの体をつくっています。

さらに、細胞はまわりの細胞とコミュニケーションがとれないと死んでしまいます。細胞の実験をしている方にとっては肌感覚として理解している現象だとおもいます。シャーレに、細胞を培養するために必要な栄養素が入った液体の培地※をいれ、そのあとに細胞をシャーレに移して、細胞がどのように育つのかを観察します。そのときにシャーレに移す細胞の数が少ないと、培地にどんなに栄養素が豊富に含まれていても、細胞は育つことなく死滅してしまうんです。

※培地とは:細胞や微生物の培養に必要な栄養成分をもつ液体や固形物

細胞間のコミュニケーションはある程度の密度にならないととることはできません。密度が少ないと、個体という存在になる。そうなると、周りとのつながりをつくれずに、いくら豊富に栄養があったとしても、細胞は死んでしまうのですね。周りとのコミュニケーションがあってはじめて生きていける。正常細胞は生きるためにコミュニケーションを求める、というのが、私たちの体の中で常に無数に起こっていることなんです。

■学ぶべきものは体のなかに

枝廣:細胞は単体では生きていけないようにプログラムがされているんですか?

高野:細胞は単体だけで、必要なエネルギーや物質、情報など、自分が生命体として維持されるために必要なものを保つ、ということができないのではないかと思います。単体の細胞だけでできることは限られるし、担える役割もごくごく一部なので、ほかの細胞群と補完することではじめて生存ができる。

また、正常細胞は決まった回数だけですが増殖することができます。ただ、細胞同士等の物理的な接触があってはじめてスイッチがはいり増殖が可能となります。足場依存性といって、細胞は足場のような物理的に何か固定したものと接触していないと増殖できないという特色をもっています。人間社会と同じかもしれませんね。何かしっかりとした土台や足場や仲間がいないと成長できないのは。正常細胞は利他性を含む多様なコミュニケーションをもって豊かな細胞社会を形成し生命を維持させる。それが、生命の神秘であり美しいところなんだとおもいます。

その正常細胞と真反対にあるのががん化したがん細胞です。がん細胞に関してはまだまだ分からないことだらけですが、がん細胞は他との接触や関係性を必要とせずに、無限に自分だけで増殖することができるんです。正常な細胞には、増殖の回数上限、つまりは寿命があって、新しい細胞に役割を任していくという循環がありますが、がん細胞にはそれがない。足場も必要ない。まわりの正常細胞の秩序を切りながら、自己を拡大していく。そして、その拡大が細胞の集合体であるヒト個体の生命を死においやり、自己も死へと向かうことになる運命をたどる。短期的で無秩序な快感を伴うような増殖の追求が、長期的で調和した命の定常状態を壊してしまう。

(写真:生体環境に近い3次元のゲルの中で観察したがん細胞)

なぜ正常な細胞ががん細胞になるのかというのは、いくつもの諸説がありますが、その一つとして、細胞間のコミュニケーション不全があります。細胞同士のコミュニケーションを担っている部分にギャップ結合という物質が細胞間を行き来できるようなトンネルのようなものがあるのですが、その結合になんらかの遺伝子変異が起こってしまって、相互のコミュニケーションがうまく取れなくなってしまい、細胞のがん化が進行するという説があります。もちろんこれが原因のすべてという単純な話ではありません。

枝廣:人間の体ってすごいんですね。

高野:すごいですよね。学ぶべきものは体のなかにたくさんありますね。一つ一つの細胞同士のコミュニケーションの総体として我々の体が存在しているわけなので、神秘的ですよね。人間世界も一緒で、コミュニケーションの総体が人間社会ということだと思うんです。

■「環境」の影響を受ける細胞

枝廣:今までこんな風に細胞の話をしてくださった方はいなかったです。個体にしても集合体にしても、コミュニケーションができるかどうか、エネルギーや情報のやり取りができるかどうか、それによって生かされているということですよね、細胞社会も人間社会も。

高野:そうですね。細胞社会も人間社会も相似関係なのだとおもいます。コミュニケーションの循環が止まってしまったかたちががん化なので、人間社会に当てはめると、コミュニケーションがうまくいかない、循環しない社会というのはある種のがん化のシグナルというか、そうさせてしまう社会環境がおかしいということかもしれません。がん化の進行も細胞を囲んでいる様々な環境条件によって変わるんですね。社会のその時の雰囲気によって、人間社会ががん化してしまう、周囲と円滑なコミュニケーションをとることが難しくなってしまう人が増えてしまう、ということはあり得るのだとおもいます。

正常な細胞が寿命があるのに対して、がん細胞は無限に増殖すると言いましたが、同様に京都大学の山中教授が作成に成功したiPS細胞(様々な細胞へと分化することができる万能細胞の一種)も無限に増殖する能力をもっています。でもiPS細胞の場合は、特定の刺激、一種のコミュニケーションともいえるかもしれませんが、それによって、医療の目的に応じ、心臓の細胞になったり神経の細胞になったりと、求められる必要な役割へと変化していくことができる細胞なのです。無限に増殖するという同じ機能をもっているのに、がん細胞はコミュニケーションをうまくとれないことで、何に必要とされているかという役割を自己で把握することができずに、人を死に致しめる。一方で、iPS細胞は周りの細胞とコミュニケーションをとれることで役割を自己確認し、未来の医療として人々の命を助ける、という違いが出てくるんですよね。

枝廣:本当の意味でのがん患者というのもそうですし、人間社会の「がん」という意味でも同じように捉えられますね。がんはどうやったら治せるのでしょうか?

高野:がん細胞が体内にできたときにそのがん細胞を100%取り除くということは現代医療ではできないのだと思います。そこで大事なのが環境です。体内環境であり社会環境。生きている限り紫外線などで遺伝子変異はどうしてもおきますので、がん細胞の発生を0%にしようということは現実的ではありませんが、がん化を進めないとか発生する可能性を下げるという環境条件は必ずあると思います。そのような環境をどのようにしてつくっていくか、体内のがんも人間社会のがん化も同じところにいきつくような気がしますね。

■ブータンは正常細胞?私たちは?

枝廣:人間社会に置き換えたときのお話をもう少しお聞きしたいのですが、たとえばブータンや昔の日本は正常細胞で構成されるような社会で、日本のある部分や先進国が、がん化した社会だという見立てはありますか?

高野:仮定としてはできますよね。もちろんそう言ってしまうと寂しいところもありますが、どちらかといえば、人間らしいという点において、ブータンの方が正常細胞であふれた社会であると。

枝廣:人間をどう規定するかですよね。人間らしいといったときに、たとえば経済合理性をとるとどうか。

高野:そうですね。人間を合理的経済人、自己の利益を最大化させる行動をとるものと仮定する今の経済学の視点を前提にすると、我々日本や先進国のほうが合理的な経済活動をたくさんおこなっていますよね。人間は合理的経済人で収斂されるような存在だとは私は思っていませんが、人間は自己の利益を最大化させるものだという狭い視点だけにたてば、正常細胞よりもがん細胞の挙動のほうが優位に働く社会となってしまいますね。

また、正常細胞のような豊富なコミュニケーションを維持し、持ちつ持たれつの関係性の社会という場合にはブータンのほうが近いでしょうね。ブータンにいると仕事は3割、家族は3割、地域コミュニティは3割というような時間の過ごし方をしていて、必ず周りとの複数の関係性があって、自己の役割があるような居場所みたいなものがあるんですね。金銭的に貧しくても拡大家族のような支え合うインフォーマルな保証があるし、地域コミュニティの役割もあるので、関係性のスイッチが入らないということはない。また、仕事だけに偏って時間を使うこともなく、残業とかもほとんどしない。夕刻定時になれば、家族や地域コミュニティとの時間のスタートです。

おもしろいのは、例えば、ブータンの同僚とご飯を食べているときに同僚に電話がかかってきて、楽しそうに話をしていたので、終わってから何の話をしていたのかを聞くと、間違い電話だったと。なぜ間違い電話でそんなに楽しそうに話すんだろうと(笑)。日本人なら間違い電話だとわかるとすぐ切るじゃないですか。でもブータンの人は「地元どこ?」とか「なんで電話してきたの?」「なんの用事?」とか、どんどん話を続けながら接点を探して、結果、「共通の友人がいたんだよ」みたいなことで盛り上がっているんです。それって日本ではありえない関係性の持ち方ですよね。もちろんブータンでも、人と人とのつながりはすべてがポジティブなものだけではなく、なかにはネガティブなものもあるわけですが、ただ日本よりも「つながっていることが心地よい」という感覚があきらかに高く、関係性に生かされて生きているなというのがブータン人のあり方です。とても正常細胞っぽいですね。

枝廣:仕事3割、家族3割、地域コミュニティ3割、時間的にもコミュニケーション的にも調和をとっている。ブータンのその価値観というのは、それが自然だということでしょうか?

高野:私はそれが自然なんだろうなと思っていますね。人間としてそれが自然で心地よさを感じているので続いているんだろうなと思います。もう一つはブータンの国是であるGNH(国民総幸福量)という大きな思想が守ってくれているという側面があると思います。GNHは9つの領域を定めていますが、その一つは「時間の使い方」です。日々の生活を支えるお金などの財産(「生活水準」)と同じだけ「時間の使い方」が重要と国としても位置づけています。

(図:GNHの9つの領域)

■短期的な快楽が導く世界とは

枝廣:コミュニケーション不全に陥って、自己や社会の短期的な利益の最大化に走ったときに社会のがんが生まれると思うのですが、その時の大きな原因は「お金」かなと思うんです。お金の持つ価値を最大化することだけを目的化してコミュニケーションを考えなくなる。もしコミュニケーション不全の原因の1つがお金だと仮定すると、過去にブータンは開発のペースをコントロールして、無秩序に行うというかたちではなかったと思います。ただ今はインターネットの影響もあり、すべてがつながっています。そうした時に首都のティンプーをみていると、ある意味先進国化しているところがあるなと思います。これまでのブータンと今ティンプーで起こっていることをご覧になって、何が変えていると思われますか?

高野:変化は現実として起こっていると思います。ブータンでも地方に行けば昔から変わらないところがたくさんありますが、首都ティンプーは少し別世界になっていますね。

幸せというのは私の感覚では2つに分類できるのかなと思っていて、「快楽を伴うような短期的なもの」と「心の平穏のような中長期的なもの」。ブータンでももちろん両者あります。ただ、私自身ブータンに行って初めて、その違いを体感したというか、中長期的な平穏な幸せというものも確実に人々の中には存在する大事なものだと学ばせてもらいました。

しかし、短期的な幸せのほうが早く影響が出るというか、政治としてもそちらのほうが比較的成し遂げやすいものが多いし、我々の短期的な欲求的なものと今の経済やお金との相性もいいと思うんですね。ティンプーなどの都市部には国境を越えてたくさんのものが入ってきます。一方で心の平穏を守り同時に築いていくという姿勢には長い時間軸での視点が欠かせません。ブータンであっても、大きな世界の潮流としてグローバリゼーションが進行する中で、短期的な利益の追求という影響を避けられない状況なのだと思います。

経済の視点からみると、ブータンはインドと中国に挟まれた内陸国ですが、中国とは国交をもっておらず、インドとの関係がきわめて強いです。輸出入のほとんどをインドと行っているといっても言い過ぎではありません。経済も人口も比較にならないほどインドのほうが大きいので、ブータンがインドにどう接するかということよりも、インドがブータンにどう接するかによって経済的に大きな影響を受ける関係性にあり、他国の影響は無視できない状況にあります。

枝廣:がん化した細胞が後先考えずに短期的にどんどん増殖して、最終的には人を死に導いてしまう。そうなったらがん細胞たちも生きてはいけないわけですよね。

高野:そうですね、生命を維持する調和ある正常状態を壊すことになってしまいますからね。

枝廣:短期的なほうに目が奪われてしまう。それは人間も同じですよね。

■防波堤の役割を果たすGNH幸せを最上位の目標に

枝廣:私がブータンで第5代国王とお話しさせてもらった時に、「今ティンプーにさまざまな消費文化が入ってきてこれからどうなっていくのか」という質問をしたら「だからこそGNHが重要なんです」という話でした。何もないところで消費文化が入ってくるよりも、幸せのフレームがあれば少なくとも1回は自分でその影響を考えることができる。そういう意味では防波堤みたいなかたちでGNHは役に立ってきました。ただ、その防波堤を乗り越えるような勢いで外からの力が入ってきているのは事実だと思います。

高野:国王のお言葉は、まさにその通りだと思います。GNHという開発指針は幸せを守る防波堤の役割に近いと思いますね。

日本や他の世界中の国からブータンの幸せに関して注目するポイントが少しずれているなと思うのは、ブータンは世界一幸せな国で、みんな幸せなんだよね、というあまりにもユートピアなイメージをもたれることが多い。ブータンにもたくさんのいいところがあると同時に、当然解決していくべき問題だってあります。ユートピアが漫然と広がっているというわけではありません。同じ21世紀を生きる国です。

そのような中で、物質的な豊かさを越えて幸せの価値を国として最上位のゴールとして据えたこと。これは世界の文脈でみるとパラダイムシフトともいえる、大きな変化です。ブータンがブータン自身で自分の国は幸せだ!と宣言していることを私は聞いたことはありませんが、幸せという、他の国が目標にしてこれなかった大事なそしてシンプルなものを試行錯誤しながら目指している。それがブータンの現在地であり、そこにこそ私たちがブータンから学ぶべきことがあるんだと思っています。

ブータンの人々の幸せを調査するGNH調査も、97%の人が幸せと明らかにして公表することが大切なのではなく、幸せに至ることができていない人の環境要因はどういう状態なのかということをその9つの領域のものさしから把握することができ、それに対して改善するための政策を打つことができる。また、経年の変化を追っていくことによって環境や文化などの人々の幸せを構成する環境要因の悪化を予防することができる。そのことが私は大事だと思うので、国王がおっしゃっている防波堤という要素は、GNHは十分に果たしていると思います。人々が本来的にもっている幸せというものを、9つの領域の環境要因が守っているというイメージですね。

■政府は「幸せ」を与えるのでなく環境要因をつくり、予防する

枝廣:ブータン人が幸せでハッピーでしたという話ではなくて、人びとの幸せの「well-being」を最上位に置くということが他にないですよね。その考えはどこからきたのでしょうか?

高野:歴史を振り返ると、1600年代に「人々の幸せを政府がつくることができないのであれば、政府が存在する意味はない (If the government cannot create happiness for its people, then there is no purpose for government to exist.)」という経典がブータンにはあります。当時はブータン国内で、各地で力をもった有力者同士が戦ったりする国内紛争といった戦国時代でした。食料事情も厳しく、1食を人々に提供できるだけでも幸せを提供できたといえるような時代のHappinessですね。私の感覚では、今の時代の幸せというのは政府が直接提供できるような幸せではなく、マズローの欲求段階説で考えると、生存の欲求を越え、承認や自己実現の欲求の時代です。あくまでも幸せを感じるのは人々の心からであり、政府の役割は、ひとりでも多くの方がその人らしい幸せを感じられるような社会環境をつくっていく、ということなのだと思います。そして、1979年に第4代国王が「ブータンではGDP(国内総生産)よりもGNH(国民総幸福量)が大事だ」という発言をされたのがGNHの直接的な起源となります。

枝廣:国王はどうしてそう発言されたのでしょう?

高野:2つ考えられるポイントがあると思っています。1つは、第4代国王は父である先代国王の突然の死で17歳の時国王になられ、国家運営を任されます。その中で、はじめにされたことはブータン中を歩き回り、ご自身の耳で国民の意見を聞いて回られることでした。他国と比べて、経済的に豊かでないことは分かっている。ただブータンには素朴に人々の笑顔や幸せがたくさんあった。我々はそれを大事にしていこう、と国づくりの舵のきりかたを定められたのです。

もう1つの視点はブータンのお金、ニュルタム(Nu)の歴史です。ニュルタムができたのが1974年で、第4代国王が発言されているのも1970年代。国際的な会議などに出ると諸外国ではGDPの話が盛んにされている状況ですが、ブータンでは貨幣制度がはじめて確立した時期だったんですね。

その当時、人々の幸せを政府が目指すということは、ブータンにとって言わなくても当然のことだったらしいんです。なのであまり政策としてもそのことを言及することはなかったのですが、1990年代に前首相がソウルで開催された国際会議でGNHの話をしたら、「なんだそれは」「すばらしい開発思考を持っている」と国際社会からかなり反響があったと聞いています。その後、GNHをより明確に政策として推進していく動きが強くなり、1999年にはGNHを研究する王立の研究所が設立されたり、また、GNHを指標化する流れに至ってきます。

枝廣:お金が出来たのが1974年。その前はどのように生活していたんですか?

高野:基本的には物品交換だったといわれています。食べ物、衣服、塩とか調味料の交換ですね。貴金属のコインのようなものもあったようですが貨幣制度としてしっかりとしたものはなかったといわれています。お金の歴史が浅いということと、経済ではインドとの結びつきが強いということになると思います。

ブータンでは五カ年計画という計画が政府の最上位計画になるのですが、第一次の五カ年計画は1961年に制定されています。そこから今では第十二次の計画を作っているところです。そして、第一次の五カ年計画を振り返ってみると、その資金はすべてインドからきています。インドのお金です。一次、二次はすべてインドのお金で、三次から第4代国王がこの計画を主導してつくられることになり、ブータンのお金がはいってきます。全予算の7.8%です。私も聞いたり調べたりしてびっくりしたのですが、それだけお金の歴史は浅くて、また外来のものであり、それ以前はお金がなくてもブータンの生活はまわっていたということですね。そういった時期にブータンは国際社会から「GDPはいくらですか?」と言う議論にさらされたのです。そこで、国王は「幸せのほうが大事です」と放つのです。

枝廣:それは概念であり、価値観だったんですものね。

高野:当たり前のことだったんでしょう。

枝廣:ブータンのGNHがすごいなと思うのは、幸福はあくまで主観的なものなので、政府が与えるというのではなくて、「それぞれが幸せを追求するための環境要因に刻苦奮闘しなければならない」とブータンの憲法9条で定めていることですよね。

高野:まさに9つの領域、環境要因に対してやれることをやっていこうということですね。

枝廣:私が聞いたのは少なくとも健康、そして教育が受けられないと幸せは追求できないということで医療も教育も無料なんですよね。

高野:まさにそうですね。幸せの追求の道筋は各々様々ですが、9つの領域の中で健康と教育はベーシックに必要な環境要因ということで無料にしていますね。

■GNH調査からみえた幸せは多様であり、身近なものだった

枝廣:ブータン政府が作った世界的に活躍するwell-beingに関する専門家ワーキンググループの活動のように、ブータンだけではなく世界全体で同じように変えていかなくてはと働きかけをしているのはすごいなと思います。

高野:そうですね。また、GNH政策スクリーニングツール※というのもあって、ブータンの主要な政策については必ず幸せの9つの領域の観点から評価しています。GNHの観点を守っているか・促進できるかを審査する仕組みです。外国人である私も外部アドバイザーとして選んでいただいてブータンの政策に関してアドバイスが出来る関係性にある、こんな国はほかにはなく、おもしろいですよね。 ※GNH政策スクリーニングツール:GNHの9つの領域に基づき20数個の項目があり、項目ごとに4段階(4=Positive、3=Neutral、2=Uncertain、1=Negative )の評価をしていき、平均で3点以上でないと、政策として承認されないという仕組み。

枝廣:個々人の幸せ追求のために政府ががんばりつつ、一方で、例えばここにダムをつくりたい、橋をつくりたいといったときに、スクリーニングツールに照らし合わせて本当にどうなのかと政策チェックをかける、両方をやっているんですね。

高野:まさに防波堤ですよね。そのほかに、私はGNH調査をブータンの研究所の若い研究員のみんなと一緒に国内を歩き回って調査させてもらったのは大きな経験でした。GNH調査はブータン全土20県、国全体の人口の1%にあたる約8000人を対象にしています。対象者1人に対して148の幸せの9つの領域に関する質問を2時間半ほどかけて丁寧におこなっていきました。お茶やお菓子をだしてもらいながら一日中幸せのことを聞きまわって、夜はたき火のまわりにみんなが集まって飲みながら調査を振り返るという感じなんです。

(写真:GNH調査の様子。高野さんは左から二番目。)

私の発見は2つあって、一つは「幸せは多様である」ということ。幸せは政府が決めるものではなくて、人それぞれ違う、多様であるっていうことと。もう一つは「身近なものである」ということです。

僕はGNH調査をはじめたときにブータン独自の瞑想方法とか、幸せにいたる特別な方法があるのかなと思ったりもしていたのですが、実際そんな特別なものはなくて、「親が健康だから幸せなんだ」とか「子どもが無事に育ってきているから幸せ」、「近所の人がたまに会いに来てお茶する時は幸せ」という答えなんですね。きわめて身近なものです。日本人はどちらかというと幸せは、眉間にしわを寄せて大変な思いをして目標達成してやっと手に入れられるもの、というような感覚があると思うんです。でも、幸せって、多様であり、かつ身近なものなんだなって。あたりまえのことなんですけど、それがブータンのいろんな場所でいろんな方とゆっくりお話させてもらって、あらためて感じたことです。

■ブータンらしい経済とは

枝廣:ブータンの人たちはどういう風に幸せを考えているのでしょうか。

高野:私が一つ希望を見たのは、ブータン農業省とJICAとで実施してきた農業プロジェクトについて農家の皆さんの幸せへの効果を測ったときですね。ブータンの東部で15年以上、日本人の農業の専門家が信頼関係を結びながら、標高や斜面の状況に応じた多種多様な野菜や果物の作り方をブータンの農家の方に共有していくプロジェクトです。私自身そのプロジェクトの地域に行くなかで、すごくいい影響を、農家のみなさんと話していて感じたんですね。そこで、ブータンではじめての試みだったのですが、GNHの9つの領域と33の指標を使って、農業プロジェクトの幸せに関するインパクト評価を行うことにしたんです。そのプロジェクトに関わってくれた農家さんと関わっていない農家さんのGNH、幸せ度合いの比較調査をしたんです。

(写真:ブータン東部の農業プロジェクトの現場視察)

調査のサンプル数はそんなに多くないので、統計的にいえることというのには限りがあるのですが、それでも嬉しい結果や傾向がみえました。1つは、プロジェクトに関わってくれた農家さんの方が、現在の収入と資産に充たされている方が多かった。これはプロジェクトで農業による所得増加を当初からの目的としていますので達成すべき事柄ですね。今まではここまでしか測れなかったわけですが、GNHの幸せに関する33の指標を使うことでわかったことに、プロジェクトに関わってくれた農家さんには「地域コミュニティ内でのつながりが高い」「メンタルヘルス(心の健康)の状況がよい」、「ネガティブな気持ちを抱くことが少ない」という結果が見えたのです。

こういう結果が出て、私はひとつの光を見たといいますか、つまり働くこと、いい仕事というのは、お金を稼ぐということが、同時に地域コミュニティの活力を強くしたり、精神面をふくむ健康状態を良くしたりするところに循環する可能性、というものを感じたんです。

また、もしお金に関する指標しか持っていない国であれば、ほかの指標が下がっていても分からないですよね。文化が衰退したり、環境が劣化したり、地域のつながりがなくなったり、人々のメンタルヘルスが悪化したりしても、表になかなかでてこない。それに比べて、ブータンはいい「カルテ」を持っている。国や人々の健康状態を適切にはかる包括的な「カルテ」。私たちが自分の健康状態を知るときに身長や体重だけを見ていても分からないことが多々ありますよね。この国は幸せに関する広範な指標をもって、そのカルテで予防ができるわけです。実施しているプロジェクトが人々の幸せを考えたときに健全で有益なものなのか。国がすすむ道は健康なものなのか。

そもそもブータンの言葉では、経済を「ペルジョア」といいます。「ペル」はprosperous、「ジョア」はwell-beingで、「ジョア」は文中で使うと集合的、集まるという意味もあって、日本語にすると「持続的で繁栄的な集合的幸せ」という意味です。GNHそのものですね。なので、もし「ブータンの経済成長とは何か」という問いに私なりの答えを出すとすれば、それは生活水準を上げたり、お金を稼いだりすることだけに収まる議論ではなく、経済が「回る」という状態を目指すということになると思います。いい仕事をして、稼ぐこと、働くことが、同時にペルジョア、集合的な幸せを構成する要素であるGNHの9つの領域もぐるぐると回すこと。それが、ブータンの経済成長なのだと思います。本来の彼らの経済の言葉からすると経済循環みたいなことなのだと思うのです。それを可能とする、いい仕事や働き方を増やしていくのが、ブータンの経済政策のあり方なのだと思います。

枝廣:経済というと日本ではもともと「経世済民」ということを考えます。ブータンの政府はそういうかたちで経済のことをとらえていますか?

高野:経済をグローバルスタンダードのエコノミーと捉えるのであれば、お金というか生活水準により焦点がいきますよね。

枝廣:そうですよね。農家さんの調査の例はJICAとしても同じ生活水準をあげる働きかけにしても、コミュニティのつながりや活力にプラスに働くプロジェクトの作り方もあるし、マイナスに働く作り方もありえますよね。

高野:そうですね。いかにプラスに働く作り方をおこなっていくかなのだと思います。農業のプロジェクトでも日本人の農業専門家がブータンの農家のみなさん全員に直接教えることは無理なので、ある人に教えたらその人が近所の農家さんに教えるという、普及の輪を広げていけるようなプロジェクトの仕組みをとりました。それは非常にブータンにあっているというか、人に教えられるということは、友達が増えることでもあり、共同体の中で承認を得られたり、誇りを得られたりと。つながりたいという気持ちの強いブータンの特徴をいかした農業プロジェクトの設計が出来たからこそ、生活水準が上がるところ以外にも影響が出たのだと思います。

■私たちが求める「幸せ」とは?

枝廣:まさに正常細胞のように、自分だけで走るのではなく全体で走る、ですね。例えば日本では生活水準を上げるために健康を害すといったようなことがあります。何のために生活水準を上げようと思っているかといえば幸せのためなのに・・・。なぜそういうふうになってしまうのでしょうかね。

高野:どの国でもその国なりの経済があったと思うんです。ブータンではペルジョア、日本では経世済民。経世済民もお金の概念だけでなく、国を治めて民を救うという広範なものですよね。ただ、どの国もグローバル化の影響もうけて、経済の相互関係するいろんな要素がある中で、数字としてわかりやすいお金の価値へと、バランスを崩して一元的に収斂してきてしまっているということなんでしょうね。

枝廣:一方、生活水準が上がったのに多くの人が幸せになっていないというアメリカの調査もあります。みんなが幸せになると相対的に比べて不幸せに思ってしまう。正常細胞のように、周りを見ながら自己を規定したりうまく作用するのと、周りを見るがゆえに不幸せになるのと、何が違うのでしょうか。

高野:そうですね、GNHで話すのであれば、おもしろいのは、「sufficient」という「足るを知る」という考え方ですね。GNHの一つの指標である生活水準の所得をみると、例えば年間収入100万円が「足るを知る」ラインとしてある場合、200万円稼いだ人も、1000万円稼いだ人も、1億円稼いだ人も、GNHの33ある指標の一つとして同じように充たされていると見なされます。稼いだ数字がいくら高くなっても、33ある指標のうちの一つが充たされていること以上にはなんら幸せへの影響はないとみるんです。

ただ、我々の今の世界の価値観は、「より多くあるほうがいい」というモノサシですよね。そこは少し細胞とは違うのかもしれませんね。細胞にとって生命を維持していく上では、ひとつひとつの生きていくために必要な要素・物質を、充たされている以上に体内に抱えるということは、細胞にとってプラスにならないのかもしれません。それよりも生命体として命を支えている様々な要素の調和あるバランスのほうが大事なのではないでしょうか。細胞がもっている生きるための調和的なバランス感と人間社会がもっている長さを測るモノサシには大きな違いがあるということかもしれませんね。

枝廣:比較ということでいうと、たとえばラダックは昔、貧しいけれど幸せな人が多かった。でも西洋文化が入ってきて、自分たちがこれだけ貧しいのだということを知り、比べるようになると、何もないといって不幸になったということがあります。ブータンは現在、テレビもインターネットもどこにいても同じように使えて、日本よりもスマートフォンが流行っているかもしれないような環境です。いろいろなところと比べられるツールはあるけれど、比べることで不幸せにはなっていないですよね。

高野:可能性としては不幸せにもなり得るんだと思います。ただ、防波堤を持っているので、これがそのスピードを遅らせる効果が私はあると思います。やはり世界はつながっているので、ブータンにその影響がないかと言われれば嘘になる。やはり引っ張られるでしょうし、しかも情報が快感に近いものを伴って入ってくるので、昔よりも不幸せな状況が増えてくる可能性はあるのだろうと思いますね。

ただ、GNH調査をして「あなたにとって幸せは何ですか」と聞くと、やっぱり「身近なもの」ですよ。「家族が健康」とか「隣の人が幸せそうに笑っている」ですよね。最終的にはみんな分かっていると思います。大事なことを。それは日本人も一緒ですよね。枝廣:「隣の人が幸せそうだから、私も幸せ」とは日本人はなかなか言えないですよね(笑)。

高野:GNH調査がおもしろいのは、自分だけじゃなくて、家族はどれだけ幸せですかとか、家族の状況も聞くことです。こういう質問が入っているのは、私は好きですね。

枝廣:宮沢賢治がいう「社会全体の幸せになるまでは、個人の幸せはない」ですね。

高野:それに近いですよね。集合的幸福感ですよね。

枝廣:微生物や細胞の話と平行になりますが、切り分けて、一個人の幸せを足し合わせて、平均して国全体の幸せを他の国は測ろうとしているけれど、切り分けた段階で集合的な幸せはもう切れてしまっていますよね。

高野:そうですね。

枝廣:一方で日本やアメリカなどでも少しずつGDP至上主義みたいな経済至上主義はおかしいよねとそこから降りていく人たちや違う価値観をもつ人たちも増えてきているので、その人たちがどこかの段階で主流になるまではブータンが保ち続けてほしいですね。

高野:目には見えない防波堤がこれからも機能してくれたらと願っています。

■人々を幸せにする循環する経済をめざして

枝廣:細胞の勉強をして、ブータンに行き、いろんな問題意識を持たれた高野さんが、イギリスのシューマッハ・カレッジに1年間留学をされると伺いました。今度はどういうことを学ばれるんですか?

高野:経済というものをとらえ直す必要があると思ったんです。ブータンでも幸せのガバナンスとしてGNHという防波堤があるのですけど、同時に世界の周りの経済に大きな影響を受けているので、ブータンらしい経済、地域経済を作っていかないと、人々の幸せある生活というのは難しくなってきているなと感じていました。

そういったときに、私としては農業プロジェクトに「経済と人々の幸せが循環するかたち」をみたわけですよね。それが本来の彼らの経済だし、日本もかなり近いものがあると思っています。人々の幸せを循環させる経済のあり方、健康や教育、文化、地域活力、環境にも好循環がまわっていく経済のあり方というのを、考えてみたいと思ったんです。

まず、現代社会においてお金は大事だということは否定できません。ただ、お金を稼ぐという行為が他の人々の幸せを支えている要素を下げるのではなくて、それを増やし循環させるかたちがあり得ると思うんです。それが健全な経済、ペルジョアです。たとえば文化を守ることが仕事となってお金を回すこともあるわけですし、地域のコミュニティを強くすることで地域内経済循環がよくなり人々の生活水準を上げるということもあり得るわけです。そのような経済循環の姿を自分のなかで持ちたいなと思いましたし、そういう道筋みたいなものを自分のなかに景色として入れたいなと思いました。そうでないと現在の経済の向かう先というのはどちらかというと不安なほうが多いと感じます。ブータンですらもそうです。

枝廣:主流は生活水準を上げることで、それに伴うネガティブをいかに少なくするかというのが企業の活動で、社会のネガティブを少なくするためにCSRや社会貢献活動、という見方がどうしてもあります。経済が回るというのは本当にあるべき姿ですが、あまり例を見たことがないですね。

高野:そうですね。先日、「和える」という0~6歳の子ども向けの日本の伝統文化を体現するおもちゃや産品を展開する会社の矢島里佳さんがブータンにきてくれたのですが、矢島さんの仕事はまさに伝統文化を守り次の世代に繋ぐということで稼ぎ、経済を回しているんですよね。経済との一体性を失ってきた文化や伝統や環境という人々の幸せに影響する要素が、経済と新しい関係性を結びなおして、経済と両輪で好循環、まわっていくというような事例は、日本でどんどん出てくるのではないかなと思います。

枝廣:がん細胞単体が悪いというよりは、その環境とか培地とかが大事ですものね。

高野:そうですね。GNHは培地の条件を測っているようなものですからね。1個の指標だけで培地を測っていてもわからない。9つの領域の包括的な条件を培地の中でみているので対応策もできるし、予防策もできます。

枝廣:アメリカでベネフィットコーポレーションという新しい会社のあり方が広がっています。日本の上場企業は株主法によって株主利益を最大化することを義務付けられているので、株主利益を下げない程度にしかCSRや社会的な取り組みができません。アメリカのベネフィットコーポレーションは、州レベルの会社法なのですが、目的が株主利益最大化ではなく社会の利益の最大化が目標なんです。今アメリカで3000社以上の会社が登録しています。何を生み出すべきか、培地を変えてあげると企業がいきいきと動く例ですね。

高野:培地を変えることで細胞同士のコミュニケーションが強くなる可能性がありますよね。我々は人々が幸せを感じられる健全な培地とその状況を測る指標を持ち得ることが必要ですね。

枝廣:おっしゃるとおりで、培地と測る指標を変える取り組みや試みというのが大事なのでしょうね。それが変わらないと経済が変わらない。そういう意味でいうとブータンは本当に指標という点で世界にすごい影響を与えています。

高野:本当にシンプルで、大事な宝物を第4代国王が残されたのだと思いますね。

枝廣:細胞の話、ブータン、シューマッハ・カレッジなど、いろいろおもしろいお話をどうもありがとうございました。

<Profile>高野 翔(たかの しょう)JICA(国際協力機構)

1983年、福井県生まれ。2009年、JICAに入構し、これまでに約20ケ国のアジア・アフリカ地域で持続可能な地域づくりを担当。直近(2014-2017)では、ブータンにて人々の幸せを国是とするGross National Happiness(GNH)を軸とした国づくりを展開。現在は、ブータン政府におけるGNH政策の外部アドバイザーも務める。地元福井では、まちづくり活動を行っており、2013年、福井の人の魅力を紹介する観光ガイドブック「Community Travel Guide 福井人」を作成し、「グッドデザイン賞」を受賞。2017年8月末からブータンから英国に渡り、スモール イズ ビューティフルを執筆した経済学者 E. F. Schumacher の系譜を引く、Schumacher Collegeで新しい経済学を学んでいる。

JICA (国際協力機構)

「Community Travel Guide 福井人」(Web版)

 

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