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大型で強い台風第24号が日本を縦断していきました。最大瞬間風速40メートルを超える暴風が吹き荒れるなど、ニュース映像を見ていても恐怖を感じました。
「これは温暖化の影響なのですか?」と聞かれます。私のシンプルな答えは、「この台風やこの猛暑が温暖化の影響だと科学的に断言はできませんが、温暖化が進行すれば台風が強大になり、猛暑が増えると予測されていて、まさにそのとおりになりつつあるのではないかと思います」。
大型で強い台風第24号が日本を縦断していきました。最大瞬間風速40メートルを超える暴風が吹き荒れるなど、ニュース映像を見ていても恐怖を感じました。
「これは温暖化の影響なのですか?」と聞かれます。私のシンプルな答えは、「この台風やこの猛暑が温暖化の影響だと科学的に断言はできませんが、温暖化が進行すれば台風が強大になり、猛暑が増えると予測されていて、まさにそのとおりになりつつあるのではないかと思います」。
温暖化科学者の江守正多さんがしっかり答えてくれていますので、ヤフーニュースに7月に投稿された記事を、ご本人の快諾を得てご紹介します。(写真やグラフなどは、URLからウェブサイトをご覧ください)
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豪雨も猛暑も、地球温暖化が進む限り増え続けるという現実に目を向けよう
江守正多 | 国立環境研究所 地球環境研究センター 副センター長
7/24(火)
西日本を中心に広い地域を襲った平成30年7月豪雨は、200人を超える犠牲者を出した。その直後から続く連日の猛暑は被災地の復旧作業を困難にしており、熱中症による死亡者も各地で続出している。亡くなった方々に心よりお悔やみ申し上げるとともに、被災地の一日も早い復旧をお祈り申し上げる。
この頻発する異常気象に対して、SNSを眺めると、一方では「これだけのことが起きているのに、なぜ日本のメディアは地球温暖化(気候変動)のことをもっと言わないのか」という声が、他方では「こういうことがあると非科学的に何でも地球温暖化と結び付けて煽る人が出てきて困る」という声が聞こえてくる。いつもの構図だ。
筆者自身は、西日本豪雨に際していくつかのメディアからコメントを求められ、基本的には、「今回生じた気圧パターンを前提とするならば、地球温暖化による水蒸気の増加が豪雨を強化させたことは明らかである」こと、「地球温暖化が進む限り、このような豪雨の起きる可能性はこれからも上がり続ける」ことを答えてきた。
被災の傷跡が生々しいうちは、他人事のような大上段のコメントはなかなかはばかられるのだが、時間が経つにつれて異常気象の記憶も風化してしまう。猛暑の続いているこのタイミングで、少しまとまったコメントを残しておくことにした。
○なぜ「地球温暖化は人間のせいである」といえるのか
「地球温暖化が人間活動(特にCO2排出)のせいである」ことは、おそらく社会の大部分の人がそう聞かされているが、明確な説明に接する機会は少なく、なんとなく疑わしいと思っている人も案外多いようだ。基本的なことだが、この機会にしっかりと知りたい方のために、改めて少し論理立った説明をしておきたい(この説明は以前に岩波「科学」に書いたものをアップデートしたもの)。
まず、「地球温暖化が人間のせいである」ことを科学的に示すにはどんな要件が必要かを考えてみよう。この問題では、気候のランダムな自然変動、観測データの不完全さ、シミュレーションモデルの不完全さといった不確かさが避けられないため、必然的に、統計学的な考え方を用いることになる。
第一に、観測された気候変化が、内部的な自然変動では考えられないほど大きいことを示す必要がある。これを気候変化の「検出」(detection)という。内部的な自然変動とは、エルニーニョ現象に代表されるような、大気、海洋、陸面、あるいはその結合系の中で勝手に生じるランダムな揺らぎのことである。つまり、観測された気候変化が、ランダムな偶然によっては起こりえない「異常」なものであるかどうかを統計的に検定する。
次に、検出された変化が、気候を変化させるさまざまな外部的要因(これを「強制力」とよぶ)のうち何によって説明でき、何によっては説明できないかを調べる必要がある。これを気候変化の「原因特定」(attribution)という。ここでは気候モデルによるシミュレーションの助けを借りることになる。たとえば、自然起源の(人間のせいではない)強制力である太陽活動や火山噴火の履歴を条件として与えて気候モデルによる20 世紀以降の気候再現シミュレーションを行った場合、観測された変化傾向と整合的な結果が得られるか、一方、人為起源の(人間のせいである)強制力である大気中CO2濃度等の履歴を条件として与えた場合はどうか、といったことを、やはりランダムな変動の不確実性を考慮しつつ統計的に検定するのである。
すなわち、ある観測された気候変化が「人間のせいである」とは、人間のせいである強制力を与えたシミュレーション結果と観測データが整合的であり、かつ、人間のせいでない強制力のみを与えたシミュレーション結果と観測データが整合的でない、ということだ。
このロジックに基づいて、2013年に発表されたIPCC第5次評価報告書(AR5)で評価された世界平均気温変化のdetection and attributionの結果は次の図のようになる。観測された世界平均気温変化(黒線)は、20世紀後半以降に上昇しており、これは人為起源の強制力を与えたシミュレーション結果(赤)と整合的であり、かつ、自然起源のみの強制力を与えたシミュレーション結果(青)とは整合的でない。
図
過去100年の世界平均気温変化の原因特定(IPCC 第一作業部会 第5次評価報告書に基づく)
これを元に、IPCC AR5は「人間による影響が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的な原因であった可能性が極めて高い」と結論している。ここで、「可能性が極めて高い」はIPCCの用語法で「95%以上の可能性」を意味する。
ちなみに、ここで「シミュレーションは太陽活動の効果を過小評価しているのでは」などの反論が考えられるが、太陽活動は20世紀後半以降弱まる傾向にあるため、その効果をどのような大きさで評価したとしても、観測された気温上昇を説明することはできないことを付け加えておきたい。
○異常気象の増加は地球温暖化のせいか
次に、異常気象の変化について同様なロジックによるIPCC AR5のdetection andattributionと将来予測の評価をみてみよう。以前に同僚が詳しめの解説を書いているので、そちらもご覧いただきたい。以下ではその中から猛暑と豪雨の長期傾向に絞ってポイントだけ述べる。
日本ではよく「異常気象」というが、これは気象庁の定義では30年に一度の極端な現象のことである。IPCCでは稀さを限定せずに「極端現象」(extreme event)という用語をよく用いる。いずれも、先ほど説明した気候の内部的な自然変動がランダムに揺らいでいるうちに、たまたま極端に振れた場合のことをいう、と理解しておけばよいだろう。したがって、温暖化しようがしまいが、30年に一度の豪雨や30年に一度の猛暑はある意味で必ずやってくる。
問題は、温暖化によって、過去には30年に一度だった強さの豪雨や猛暑が、たとえば近年は10年に一度といった具合に、より頻繁にやってきているかどうかである。
IPCC AR5の評価は、極端な高温日(猛暑)については、すでに増えている可能性が「非常に高く」(IPCCの用語法で「90%以上の可能性」の意味、以下同様)、その原因に人間活動の寄与がある可能性が非常に高く(90%以上)、今世紀初頭にさらに増える可能性が高く(66%以上)、今世紀末に向けてさらに増えるのはほぼ確実(99%以上)としている。人間活動を主な原因とする地球温暖化により平均気温が上昇しているのだから、その結果として極端な高温日が増えるのは当然だ。
なお、都市においては都市化(ヒートアイランド)の影響も大きいことを付け加えておく。たとえば、東京の気温上昇傾向は過去100年で約3℃であるが、おおまかにいってそのうちの1℃が地球温暖化、2℃がヒートアイランドと考えられる。ヒートアイランドの原因は、緑地の減少、アスファルト・コンクリートの蓄熱、人工排熱、風通しの悪化といったものの複合である。
次に、大雨についてのIPCCの評価は、すでに起きている傾向としては「陸上で大雨が増えている地域が減っている地域よりも多い可能性が高い(66%の可能性)」、その原因に人間活動の寄与があることについて「確信度が中程度」(証拠の量または一致度が不十分で、定量的な可能性まではいえない)、今世紀初頭に増える可能性が高く(66%以上)、今世紀末までに増える可能性は「中緯度の大陸のほとんどと、湿潤な熱帯域で、非常に高い」(90%以上)となっている。
降水量は、気温に比べて内部変動が大きく、観測データもより限られているため、IPCCの評価もより不確かなものとなっている。ただし、この評価は「大雨の増加が地球温暖化と関係ない」ことを積極的に意味してはいない点に注意してほしい。現時点のデータでは、十分に明瞭な関係はまだいえないということだ。理論的には、気温が上がれば大気中の水蒸気が増えることにより、大雨が増えることは当然と考えられる。
○地球温暖化が続く限り、豪雨も猛暑も増え続ける
ある年のある日に異常気象をもたらす直接的な原因は、その時に特有の気圧パターンだ。平成30年7月豪雨は停滞した梅雨前線に水蒸気が流れ込んだことが原因であり、引き続く猛暑は太平洋高気圧とチベット高気圧に日本列島が覆われたこと(ところによりフェーン現象)が原因だ、といった説明がなされる。
地球温暖化により、このような気圧パターンが起きやすくなるかどうか、といった問題はたいへん難しく、専門家が緻密な解析に取り組むだろうが、明瞭な答えが得られるかわからない。
しかし、それよりもずっと単純明快であり、かつ重要な点は、(仮に人間活動による地球温暖化が無かった場合と比較して)地球温暖化により、猛暑の気温は1℃程度、豪雨の降水量は少なくとも7%程度、「かさ上げ」されたといえることだ。
わずかな変化だと思うかもしれないが、今回のような異常気象の気圧パターンがたまたま生じたときに、この地球温暖化によるかさ上げが、「ふつうの異常気象」を「記録的な異常気象」に押し上げる、とみることができる。
そして、地球温暖化を止めない限り、このかさ上げの大きさが1℃から2℃へ、さらに放っておけば、今世紀末にかけて3℃、4℃と大きくなっていくのである。それに伴って、長期的傾向として豪雨も猛暑もさらに頻度が増え続ける、あるいはさらに降水量や最高気温の記録を更新し続けることが予想される。
今回の豪雨や猛暑の報道で、「これまでの常識が通用しない」という解説を何度か聞いた。これはそのとおりだが、それで終わりではない。さらに重要な点は、地球温暖化が続く限り、これからも「これまでの常識が通用しなくなり続ける」ということだ。つまり、30年前の気温や降水量の統計がいま通用しないのと同様に、いまの統計は30年後には通用しなくなる。
豪雨も猛暑も、地球温暖化が続く限り、これからも増え続ける。
今回の豪雨と猛暑を象徴的なできごととして、この機会に、日本社会は上記の事実にしっかりと目を向けるべきだと考える。
これを社会がどう受け止め、どう対応したらよいのかについては、稿を改めて述べたい
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「単純明快であり、かつ重要な点は、(仮に人間活動による地球温暖化が無かった場合と比較して)地球温暖化により、猛暑の気温は1℃程度、豪雨の降水量は少なくとも7%程度、「かさ上げ」されたといえることだ」というのはとてもわかりやすいですね! 次に温暖化と異常気象との関連を聞かれたら、ぜひ使わせてもらおうと思います。
では、つづきの「ではどうすればよいのか」をご紹介します。
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豪雨も猛暑も、地球温暖化が進む限り増え続けるという現実に目を向けよう(続編:ではどうすればよいか)
江守正多 | 国立環境研究所 地球環境研究センター 副センター長
8/6(月)
前回の記事で、地球温暖化の主な原因は人間活動である可能性が極めて高く、それによって猛暑の暑さや豪雨の雨量はかさ上げされていること、今後も地球温暖化が進む限り、そのような異常気象の頻度が増える、あるいはより激しい異常気象の記録が塗り替えられていくと予想されることを説明した。
では、この現実に目を向けたとき、日本社会はどのように対応すべきか。筆者が重要と思う点をいくつか述べたい。今回は、前回のように専門分野の標準的な理解を解説するものではなく、問題の周辺分野の一専門家としての意見の側面が強いことをお断りしておく。
述べたいことは大きく2点ある。一つは、地球温暖化に伴う気象災害の激化を考慮に入れた防災・減災のあり方、少し広くとらえると気候変動への適応策についてである。もう一つは、地球温暖化を止めるために必要な「脱炭素」のビジョンを、日本人がより切実さを持って共有することについてだ。
○大規模水害への防災にともなう社会的難問
筆者は防災の専門家ではないが、2年前に、ちょうど今回の豪雨を見越したかのような趣旨の有識者委員会(「防災4.0」未来構想プロジェクト)に参加する機会を得て、その際に多くを学んだ。筆者が最も印象に残っている議論を一つ紹介したい。
もしも、利根川、荒川の流域に200年に一度の大雨が降ると、これらの河川が氾濫し、東京の東部・北部から埼玉県あたりが浸水することがわかっている。いわゆる「首都圏水没」リスクである。利根川、荒川の治水計画は、200年に一度の大雨に耐えることを目標にしているが、そのインフラは整備途上とのことである。つまり、予算が限られているので少しずつしか進まないのだ。
ここで注意してほしいのは、「200年に一度」の大雨とは、毎年、1/200の確率で起きうるということである。「自分は200年も生きないから関係ない」ということはもちろんないし、仮にある年に起きたとして、次は200年後まで起きないということではなく、翌年にだって起きてもおかしくはない。
そして、前回の話を踏まえると、従来の「200年に一度」の強さの大雨が起きる確率は、地球温暖化が進むにつれて、150年に一度、100年に一度と、次第に高まっていくということを理解してほしい。平成30年7月豪雨は西日本を中心に起きたが、もちろん東日本も他人事ではないのだ。
国土交通省が治水計画の見直しに地球温暖化の予測を加味すると報じられている。これは歓迎すべきことだが、先に述べたように、予算的な制約により現状の計画に対してもインフラが整備途上であることを考えると、地球温暖化が続く限り激化し続ける気象災害に治水施設が追いついていくことを期待するのは難しい。
では、利根川、荒川が氾濫すると、どれほどの被害が出るのか。これについては、中央防災会議の専門家委員会から2010年に詳細に報告されている。最悪(避難率ゼロなど)の場合、推定死者数は利根川首都圏広域氾濫で約2600人、荒川右岸低地氾濫で約2000人とされる。
内閣府 中央防災会議 資料より
(http://www.bousai.go.jp/fusuigai/pdf/higaisoutei_gaiyou.pdf)
もちろん、気象災害の場合は、地震と異なり、数日前から予報を元に避難勧告や避難指示を出すことができ、人命の被害は大幅に軽減できる可能性がある。ところが、この大規模水害の想定では、百万人規模の人々が、市区町村を超えて「広域避難」する必要があるのだ。
果たして、首都圏に住む人々が、数日前の避難指示に従い、他所の自治体まで整然と避難することが可能だろうか。様々な日常生活、産業活動や都市機能を速やかに休止できるだろうか。高齢や重病の方々は大丈夫だろうか。周辺自治体では十分な受け入れ態勢がとれるだろうか。そして、もしも予報よりも実際の降水量が少なく、結果的に避難が「空振り」に終わった場合、次に同様の避難指示が出た時にも人々は避難するだろうか。こういった難しい問題が、ここには横たわっている。
これらの問題は、専門家と行政によってよく認識され、議論が進められている。これはもちろん適切なことだが、一方で、ほとんどの国民はこれらの問題を知り、考える機会が今までのところなかっただろう。
地球温暖化に伴う水害確率の増加によって、こういった難問を、切実さをもって、社会全体で話し合わなければならない時期が来ているのではないかというのが、筆者の実感である。
○気候変動適応法の下で自治体レベルの議論を
関連して、先月まで行われていた国会で成立した「気候変動適応法」に簡単に触れておきたい。気象災害への防災はもちろんのこと、健康、農業、生態系など様々な分野への気候変動(地球温暖化)の影響に対して日本社会が計画的に備えていくということが法律化されたのだ。
国はおおむね5年ごとに気候変動影響評価を行い、気候変動適応計画を策定する。地方自治体も、努力義務としてではあるが、それぞれに適応計画を策定することを促される。気候変動の影響のうち何が深刻であり、それにどう備えるかは、各地域の地理的特性や社会的特性によって大きく異なるため、自治体の役割は重要だ。
特に激化する気象災害への対応については、地方自治体での適応計画の検討を、防災・減災計画ともうまく連結させ、上記のような難しい社会的論点を含めた議論が活発に行われることを切に願う。
○日本人は「脱炭素」の必要性を実感できるか
次に、今年の豪雨と猛暑を、「地球温暖化を止める」ことの動機付けにつなげられるかを考えたい。
生命や生活基盤を脅かす気象災害が地球温暖化により増え始めており、そのさらなる拡大を治水によっては防ぎきれないのであるから、必然的に、災害の拡大を抑制するために地球温暖化を止めることが、日本人にとっても死活問題になってきたといえるのではないか。
かねてより、日本人の気候変動リスク認知は他国に比べて低いことが指摘されている。2015年に行われた「世界市民会議」(World Wide Views)という社会調査によれば、「あなたは、気候変動の影響をどれくらい心配していますか?」という問に対して、「とても心配している」という回答が世界平均の78%に対して日本では44%であった。
(グラフ)
World Wide Views on Climate and Energy (2015)より
防災インフラが整備された近年の日本では、地球温暖化で異常気象が増えるといわれても、生命の危険を感じるほどではないと思う人がこれまで多かったのはよく理解できる(正直にいって、筆者もそうだ)。これはもちろん、ある意味でとても幸せなことだ。しかし、そのために多くの日本人は、地球温暖化という世界規模の課題に、(少なくとも他国の人に比べて相対的に)実感を持たずに取り組まねばならないという状況に置かれてきたのかもしれない。
2015年に合意された「パリ協定」で、国際社会は今世紀後半の「脱炭素」(基本的には、人類が化石燃料の使用から脱却すること)を志したわけだが、「そこまでする必要性」を理解し、納得している日本人はおそらくあまり多くないと想像される。
これまで、その必要性を説明するためには、「温暖化の原因に責任がないにもかかわらず深刻な被害を受ける途上国の人々や将来世代の人々の人権問題」といった話をして倫理観や共感に期待するか、「ある温度を超えると生じるかもしれない地球規模の異変」といった科学的な不確かさが高めの話をする必要があった。これらを理解することはもちろん重要だが、「自分事」という意識がなければ、実感を持った理解は難しいだろう。
たとえば、「過去20年で世界では60万人以上が気象災害で死亡した」といった数字を聞かされても、「たいへんなんだなあ」くらいで聞き流すことが多かったかもしれない。しかし、日本でも200人以上の犠牲者を出す水害があったことを意識したうえであれば、このような数字も、より切実なものとして心に響くのではないか。
○「脱炭素」を前向きに志すとき
しかし、こういう話をすると、「そりゃあ地球温暖化は止まった方がいいけど、そのためには我慢や負担がたいへんなんじゃないか」と思われる方もおそらく日本には多い。
「世界市民会議」の結果をもう一つ引用すると、「あなたにとって、気候変動対策は、どのようなものですか」という問に対して、「多くの場合、生活の質を高めるものである」と答えた人が世界平均の66%に対して日本では17%、「多くの場合、生活の質を脅かすものである」と答えた人が世界平均の27%に対して日本は60%であった。つまり、日本では温暖化対策に対して後ろ向きの認識が強いのに対して、世界ではもっと前向きらしい。
(グラフ)
World Wide Views on Climate and Energy (2015) より
もう一ついえば、京都議定書の時代からパリ協定の時代になり、パラダイムが変わったと解説している専門家がいる。京都議定書のころは、自国の排出削減は自国の経済の負担になるという認識で、各国は排出削減の負担をなるべく他国に押し付けようとした。一方、現在のパリ協定下の状況では、技術が変われば排出はどんどん減るという認識で、各国は技術の変化をいかに主導するかという競争を始めたというのだ。
世界では「脱炭素」に前向きに取り組むどころか、「脱炭素」に向かう競争を始めているのに対し、日本社会の大部分における認識は、未だ京都議定書のころのパラダイムに取り残されているのかもしれない。
8月3日に開かれた、地球温暖化対策の長期戦略を検討する政府の有識者会議の冒頭で、安倍首相が「温暖化対策はもはや企業にとってコストではなく、競争力の源泉だ」と述べたそうだ。筆者が上に述べた世界の認識と完全に一致する。
この発言のとおりに、政府と企業の姿勢にも本腰が入ることを願いたい。そして、今年の豪雨と猛暑をきっかけに、日本の多くの人々が「脱炭素」の必要性を実感し、世界で起きている温暖化対策のパラダイム転換にも目を向けてほしいと願っている。それは、人々の実感や理解の欠如が、日本が「脱炭素」に向かう競争を世界と戦う上での大きなハンデになってしまうことを懸念するからだ。
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以下、特に大事なメッセージだと思います。
「200年に一度」の大雨とは、毎年、1/200の確率で起きうるということである。「自分は200年も生きないから関係ない」ということはもちろんないし、仮にある年に起きたとして、次は200年後まで起きないということではなく、翌年にだって起きてもおかしくはない。
そして、前回の話を踏まえると、従来の「200年に一度」の強さの大雨が起きる確率は、地球温暖化が進むにつれて、150年に一度、100年に一度と、次第に高まっていくということを理解してほしい。
昨夜の暴風雨の記憶が新しいうちに、脳裏に刻んでおきたい言葉です。
また、「あなたにとって、気候変動対策は、どのようなものですか」という問に対して、「多くの場合、生活の質を高めるものである」と答えた人が世界平均の66%に対して日本では17%、「多くの場合、生活の質を脅かすものである」と答えた人が世界平均の27%に対して日本は60%であった、という調査結果は、私の内外での肌感覚にも合致します。
日本ではまだ、産業界も一般の人々にも、「温暖化対策はコストアップや利便性を損なうことになるから、できたら避けたいものだ」という意識が強くあります。
5月に取材してきたスウェーデンでも、9月に取材してきたドイツでも、「温暖化対策はチャンスだ。企業の競争力につながり、国民の生活の質の向上につながるものだ」という意識が強くありました。
この違いはどこから生まれているのか? どうすれば変えていけるのでしょうか?