真鶴半島イトナミ美術館 @Webマガジン「コロカル」
「美の町」と呼ばれている神奈川県の真鶴町には、町の美を守るための「美の基準」があります。いったいどのようなものなのでしょうか? どうやって定められ、運用されているのでしょうか?
取材させていただいた内容を、幸せ経済社会研究所の英語ニュースレターで世界にお届けしました。日本語原稿をみなさんにお届けします。
英語版はこちらにあります。
~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~
美の基準 ~真鶴町のまちづくり
神奈川県西部に位置し、湯河原、熱海といった観光地にほど近い真鶴町は、東京まで電車で90分ほどの場所にある、人口7,300人弱の小さな町です。起伏に富んだ地形のため坂が多く、平坦な可住地面積は県内最小。自然が豊富で、半島尖端のこんもりとした緑と山間部の緑、そして海の青さが印象的です。
真鶴町は「美の町」と呼ばれています。だからといって、伝統的な建造物や、おしゃれなモダン建築があるわけではありません。普通のひなびた漁村風景が広がっているだけです。しかし、昔から引き継がれてきた懐かしい港町の生活風景こそが、真鶴町の美しさなのです。その美しさを守り、町の価値につなげていくためにつくられたのが、「美の基準」です。
「美の基準」とは、いったいどのようなものなのでしょうか? 今月号のニュースレターでは、美のまちづくりを進める真鶴町の取り組みを紹介します。
●「美の基準」ができるまで
1980年代後半から1990年代の日本では、都市政策の後押しをうけ、ホテルやマンションの開発が盛んに行われていました。開発の波は熱海から湯河原を経て真鶴にも押し寄せ、半島の森が切り開かれました。こうした乱開発を目の当たりにして、住民が立ち上がります。「町が壊されていく」という危機感を持ったのです。
真鶴町議会は1989年6月、宅地開発等指導要綱を改正するとともに、リゾートマンション建設凍結宣言を決議しました。更に、1990年7月に開発抑制の強化を公約に掲げた三木町長(当時)が当選すると、矢継ぎ早に「真鶴町土地利用指導基準」、「上水道事業給水規制条例」、「地下水採取の規制に関する条例」を施行。建築物の用途、規模、緑化、壁面の後退などについての基準を定めたことに加え、大型の共同住宅や宿泊施設には新たな給水を行わず、地下水を採取する施設の設置には町長の許可が必要としました。
しかし、これだけの仕組みを整えても、開発を食い止めるには十分ではありません。業者に訴えられたら、裁判で負ける可能性が大きいというのです。それでも町長は、もし裁判になって負けたら、個人で罰金を支払う覚悟で対応を進めました。
ここまでの対応には、ひとつ大事な視点が含まれていませんでした。それは「どういう町をつくるのか」という視点です。町長は1991年4月、「まちづくり条例」制定のためのプロジェクトを発足。町長、助役、町職員に、法律家、建築家、都市プランナーという専門家を加え、公式、非公式の会議を重ね議論を繰り返しました。そうして「美の基準」が生まれ、条例案の完成に至ったのです。
条例が制定されるまでの道のりは、平坦なものではありませんでした。県との調整、町民への説明と合意形成。言葉にすれば短いですが、粘り強く合意点を見出すプロセスを経て、条例が議会で可決されたのは、プロジェクト発足から2年あまりが過ぎた1993年6月でした。
●「美の基準」とは
「美の基準」については、まちづくり条例の第10条に記載されています。
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第10条(美の原則)
町は、まちづくり計画に基づいて、自然環境、生活環境及び歴史的文化的環境を守り、かつ発展させるために、次の各号に掲げる美の原則に配慮するものとし、その基準については規則で定める。
(1)場所
建築は場所を尊重し、風景を支配しないようにしなければならない。
(2)格づけ
建築は私たちの場所の記憶を再現し、私たちの町を表現するものである。
(3)尺度
すべての物の基準は人間である。建築はまず人間の大きさと調和した比率をもち、次に周囲の建物を尊重しなければならない。
(4)調和
建築は青い海と輝く緑の自然に調和し、かつ町全体と調和しなければならない。
(5)材料
建築は町の材料を活かして作らなければならない。
(6)装飾と芸術
建築には装飾が必要であり、私たちは町に独自な装飾を作り出す。芸術は人の心を豊かにする。建築は芸術と一体化しなければならない。
(7)コミュニティ
建築は人々のコミュニティを守り育てるためにある。人々は建築に参加するべきであり、コミュニティを守り育てる権利と義務を有する。
(8)眺め
建築は人々の眺めの中にあり、美しい眺めを育てるためにあらゆる努力をしなければならない。
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「美の基準」は、条文にある規則の中で、「別に定めるデザインコードによるものとする」とされています。例えば、(7)のコミュニティについては以下のようになっており、8項目に対して合計69のキーワードが定められています。
■基本的精神:建築は人々のコミュニティを守り育てるためにある。人々は建築に参加するべきであり、コミュニティを守り育てる権利と義務を有する。
■手がかり:コミュニティの保全、生活共域、生活環境、生涯学習
■キーワード:世帯の混合、人の気配、お年寄り、店先学校、子供の家、外廊、小さな人だまり、街路を見下ろすテラス、街路に向かう窓、座れる階段、ふだんの緑、さわれる花
キーワードの説明例も、3点ほど記しておきます。
○世帯の混合
集合住宅をつくる時は世帯を混合させなければならないという基準。間取りや広さをさまざまにつくることで、若者、小家族、大家族などさまざまな構成となり、町全体が多様な年齢層を持つようにすることである。
○店先学校
地域の仕事の風景を積極的に見せる基準で、日常から学習する機会を持つこと。干物を干している風景、漁師が網をつくる風景。これは東京から来た人にとっては漁師町に来たと感じさせる風景になる。石屋も石材商品を店の奥に大事にしまうのではなく、軒先に石材を出して仕事をすることにより、石の町に来たと感じることができる。地域の仕事を積極的に見せることで、地域の固有性が発揮できるという視点での基準になっている。
○小さな人だまり
人が立ち話を何時間でもできるような、車やバイクに妨げられない空地やベンチを置いて人だまりをつくる仕掛け、空間を考える基準。真鶴町では、おじいちゃん、おばあちゃんたちもそれぞれ皆「マイ人だまり」を持っている。4、5人のグループで、ある人はお肉屋さんのベンチだったり、ある人はお茶屋さんだったり、ある人は屋根つきのガレージが「マイ人だまり」となっている。そのような場所をつくる解決法には、「背後が囲まれていたり、真ん中に何か寄りつくものがある様につくること」とある。
●「美の基準」の運用
ここまで読んでいただいて、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、「美の基準」では、具体的な数値等は示されていません。この抽象的なルールは、どのように運営されているのでしょうか?
条例の施行当初、「美の基準」は有効に運用できていませんでした。公平性を重視し、一方的に行政から「指導」する形になってしまい、抽象的なルールを活かした柔軟な運用ができていなかったのです。建築する側との「対話型協議」を行って最適解を探っていくことで「美の基準」をどう実現していくが明確になり、定性的基準を運用する方法として定着してきました。
「対話型協議」にしたことにより、建築する側にも、どうやって基準を実現しようか、アイデアを出すことを楽しむ雰囲気が生じています。その結果として、販売パンフレットに「『美の規準』をクリアした物件で、真鶴は美の町と呼ばれていて」と町の宣伝にもなる文言が組み込まれたこともありました。「美の基準」が縛りになるのではなく、価値を高めた事例で、町が望んでいる方向でもあります。
真鶴町では、人口減少、高齢化が進んでいることが、大きな課題となっています。2017年には、県内で初めて、過疎地域自立促進特別措置法に基づいて過疎地域の指定を受けました。「仕事をつくり、安心して働くことができるようにする」、「新しい人の流れをつくる」、「若い世代の結婚・出産・子育ての希望をかなえる」、「時代にあった地域をつくり、安心な暮らしを守るとともに、地域と地域を連携する」という4つの目標を掲げ、課題解決に取り組んでいます。
「真鶴半島イトナミ美術館」というウェブ上に構築した美術館の取り組みでは、真鶴町の暮らしを彩る「人」「場所」「営み」といった作品(=大切なもの)を紹介していて、サイトを見て興味を持った人が、実際に真鶴を訪れるケースが増えてきています。「美の基準」を残した風景があるから、この風景を使って創作するという流れ。そしてそれは良い環境で働くことにもつながるのではないか、ということで、サテライトオフィスの誘致にもつながっています。
「美の基準」で守った風景を価値化していくことが町を元気にする事業とつながっている状態、この風景を残すことで住民が潤う状態を目指し、挑戦を続ける真鶴町の取り組みに今後も注目です。
(幸せ経済社会研究所)