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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2012年11月06日

「高レベル放射性廃棄物の処分」日本学術会議からの提言に関する原子力委員会での発言録 (2012.11.06)

エネルギー危機
新しいあり方へ
 

前号でお伝えしたように、原子力委員会が高レベル放射性廃棄物の処分についての日本学術会議からの提言を受け、委員会としての回答を作成するために行った、有識者との意見交換の第2回に参加してきました。

11月2日 第48回原子力委員会臨時会議

高レベル放射性廃棄物の処分に関する取組についての有識者との意見交換
・財団法人地球環境産業技術研究機構 理事 山地憲治氏
・幸せ経済社会研究所 所長 枝廣淳子氏
・株式会社野村総合研究所 顧問 増田寛也氏
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2012/siryo48/index.htm
(資料も掲載されています)

私の資料はこちらにあります。
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2012/siryo48/siryo1-1.pdf

以下、最初に15分ほどまとめてお話しした内容です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ありがとうございます。今日、このような機会をいただいたことをうれしく思っています。初めに私の結論を申し上げて、そのあと、用意した資料に沿ってその理由を話していきたいと思っています。

日本学術会議からこういった回答を求めることに至った現状の問題というのは、「核廃棄物が処分できない」ということです。

その問題がどれくらい深刻かと言うと、実際にそれを処分しようということを始めてから10年以上かかっても、1件も、たとえば最終処分地の候補にしても、さまざまな技術的な意味でも先が見えていません。

その一方で、貯蔵プールが限界に近づきつつあります。貯蔵にまつわるリスクもそうですし、満杯になってしまうとそれだけで原子力発電そのものが立ち行かない恐れがあるという、さまざまなリスクを生んでいる。

それとともに、この問題がなかなか解決されないということで、社会の中での嫌悪感や無力感が広がっていることも、私は深刻な問題だと思っています。かつ、この問題が未解決であるということで、原発そのものについての思考や議論も停止しがちである。これも深刻な問題だと思っています。

なぜこのような深刻な問題、現状の問題が起こっているか。それはこれまでの政策、進め方に原因があると思っています。

極めて平たい言い方をしてしまうと、「原発そのものの方向性が決まらないまま」、「再処理・地層処分ありき」で、「科学的にはすでにわかっているものとし」、「お金で釣るかのようなやり方」で、「社会全体から切り離した候補地と相対で解決しようとしてきた」ことだと思っています。

なかなか候補地が見つからないということで、立候補式だけではなくて申入れ式も行うとか、単に交付金だけではなくて産業支援も行うなど、個別戦術の改善を図るという動きはありますが、問題そのものに向き合わない限り、そういった個別の戦術レベルでの改善では、この深刻な問題、状況は解決できないのではないかと思っています。

そういった点で、今回の日本学術会議からの回答、提案というのは、問題そのものの根本に向き合うものであると、私は評価しており、今述べた問題に対する解決性が高いとともに、実施を阻むほどの本質的な弊害は少ない。よって具体的に進めてほしい、というのが私の結論です。

資料を用意しましたので、このような意見を述べた自分の立ち位置、もしくは背景と考え方をお伝えしたいと思います。

私は多分、今回呼ばれている有識者の中で唯一、原子力の専門家ではない立場ではないかと思っています。そういった意味で、なぜここに呼ばれたかということを自分なりに考えたところ、1つには基本問題委員会で、エネルギー・原発を含め、話をしている時に、2030年までの、主に経済的な影響で議論していた中で、「30年を超えた時間軸で、経済だけではなくて倫理なども考えるべき」という発言をしてきていること。

そして特に「未来世代への責任を考える必要がある」ということを述べていること。委員会ではどうしても女性や若者の代表性が薄いのですが、その声にも耳を傾けようということで動いてきたこと。

エネ庁に、核廃棄物だけではなくて、あらゆるエネルギーに関する政策を進めるために、単に情報提供ではなくて、国民と議論しながら進めていく「パブリック・エンゲージメント室」をつくるべき、それによって継続的な情報提供と国民的議論をするべきだ、というような案をしていることなどがあると思います。

実際に、代表性が薄い女性や若者の声を何とか基本問題委員会に届けたいと思って、これは委員会ではやってもらえなかったので、自分で「エネ女の集い」と「エネ若(やん)の集い」と、それぞれ数十人、100人集まって、女性の視点から、若者の視点からエネルギーを考え、その結果を委員会に出すということをやっています。

それとともに、3.11のあと、「みんなのエネルギー・環境会議」という、ここに発起人が書いてありますが、原発推進の方も反対の方も、まず一堂に会して、両陣に分かれて議論するのではなくて、一緒に議論しようという会議体を立ち上げて、運営を行っています。実際に1年間、これまで何回も議論をしてきて、ユーストでも中継をし、かなりの方と議論をしてきました。

それとともに、推進と反対の分断を超えるお手伝いをするということもやっています。ここに載っているのは、9月の末に行われた柏崎市でのシンポジウムです。これまで分断されていた推進派・反対派の方々が初めて一堂に会して、それぞれの歴史と思いとこれからをみんなで語る、というシンポジウムを開くことができました。これに先立って数カ月、反対派・賛成派の方々と話をしながら、共に紡ぐような作業をしてお手伝いをしてきました。

今回のそもそもの原子力委員会からの依頼が、「国民に対する説明や情報提供のあり方」ということだったので、こういった背景を持っているため、原子力の専門家ではありませんが、意見をということだと理解しています。

これまで多くの国民と議論をし、それから原発立地地域で--柏崎だけではなくて、大飯原発の若狭であるとか、玄海原発を抱えている佐賀であるといった所でも--、地元の方々と、両方の意見の方々と話をするということを行ってきているのですが、そこで強く感じているのは、本当に絶望的な不信、それから分断・対立ということです。

特に3.11をきっかけに、これは国民全体に広がっていると思いますが、本当に絶望的としか言いようがないほどの、政府、関連機関、事業者への不信感。それとともに、原発推進を支えてきた科学技術への不信もかなり強いものとなっていると認識しています。

そして3.11で表面化したところも多々ありますが、大きな分断・対立の構造が日本の中にはあって、それがさまざまな議論や、みんなが幸せになれる社会づくりを阻んでいると理解しています。

消費地と生産地という大きな分断・対立があります。特に消費地が「交付金をもらっているんだから」「これまでいい思いをしてきたんだから」という目で生産地を見てしまうということもあります。

生産地はそれに対して「自分たちは国策として引き受けてきたのだから」ということで反発をするという構造が、かなりどこにでも見られます。また、生産地の地元の中でも、推進派と反対派が40年以上反目し合っており、一切話をしないという状況もあるほど、非常に悲しい、繰り返してはならない分断があると認識しています。

この社会全体の不信に根本的に対処して、あちこちでの分断を紡ぎ直さない限り、先ほど述べたような問題、つまり核廃棄物の処分について冷静な議論が進むことは難しいですし、その結果、処分方法や最終処分地も決められない。となると、処分ができないままになる。と同時に、社会の中で不要な分断、憎しみを生み出し続けてしまうのではないかと懸念しています。

先ほど述べた、原発推進を支えてきた科学技術への不信ということですが、これは3.11で明らかになったと思いますが、これまで「絶対に安全だ」と言われていた“安全神話”の崩壊、それから「想定外」ということがあちこちから出てきました。

つまり、「現在の科学技術を超える可能性がある」ということを、みんなが認識したということです。つまり、現在の科学技術では十分わからないところもある。だったら、わかったふりはやめるべきだ。わかるところとわかってないところを一緒くたにして、「安全が確認された」と当局から言われても信じられない。こういった不信を打破しない限りは先へ進めないし、いくら安全を確認するための研究や分析を積み重ねても、それだけでは打破できないのではないかと思っています。

そういった意味で言うと、まず「わからないことがある」ということを認めること。これが一番のスタートになると思っています。そういった意味で、学術会議からの回答で、「現在の科学的知見、知識、技術的能力では限界があるということを、明確に自覚する必要がある」というのは、これを素直にみんなで認めようということで、最大のブレークスルーであり、私は日本学術会議の回答の一番大きな貢献になるのではないかと思っています。

「暫定保管」というモラトリアムの期間を設定するということで、その間に科学技術を進める、もしくは先ほど山地先生もおっしゃっていた社会の合意形成を進める。そして、回収可能性があるということで、受け入れやすくなるという可能性もあると私は思っています。という意味で、この暫定保管という考え方も高く評価しています。というよりも、それ以外に方法はないのではないかと思っています。

加えて、この学術会議の中では触れられていなかったと思いますが、将来世代が、ガラス固化体にしてしまうと難しいのだとは思いますが、暫定保管しておく核廃棄物を資源として利活用する可能性も残せるのではないかと思っています。

前回24日の議論を少し聞いたところ、地層処分ということに対するエンドポイントへのこだわりが非常に強いとと聞きました。「地層処分は工学的には成立している」と山地先生はおっしゃいましたが、さっきご指摘の通り、それを国民が一緒にわかって納得しているわけではないので、地層処分というゴールを先に決めて議論を進めるというのは、不信感を募らせるだけで逆効果だと思っています。

これはぜひ、あとで担当の方に教えていただきたいんですが、エンドポイントを決めないデメリットは何なのか、ということです。いくつかお聞きした中では、国際的な共通認識に反するということでしたが、しかし日本は特殊な事情があるとも思います。受け入れ地の社会的受容性というお話もありましたが、暫定であるがゆえの受け入れやすさのほうも、私は大きいのではないかと思います。

エンドポイントを決めておかないと、将来の不確実な期待によることになるというお話もあったんですが、しかし現在、それが十分にない、科学技術が十分わかっていないということがスタート地点なので、それでエンドポイントを決めてしまうということはどうなのかと、議論を進める上で邪魔になるのではないかと思っています。

もう1つ、核廃棄物の処分に対する社会の現状ということで、特に3.11のあと、無関心層がかなり減りました。関心を持っている人はすごく多いですが、残念ながら、これまであまり、そういった情報を得たり、自分で考える機会を持つことがなかったので、理解はあまり進んでいないというのが現状です。

たとえば、「再処分すると核廃棄物がなくなる」と信じている人もたくさんいます。そういったレベルである人々も多いということを、まず理解していただきたいと思います。

関心を持って、しかもある程度理解している人たちもいます。たとえば環境問題にかかわっているNGOであるとか、そういった関心・理解層はいます。本当はこういった人たちが、温暖化などそうですが、社会的合意のために、低理解層もしくは無関心層に働き掛けるということで、社会の合意形成を担っているわけなのですが、実際には、今は無関心層も関心層も、お上への反発、不振は強く、現状のまま政府主導で進めることへの不信感が強く、しかも関心・理解層、特に原発についていろいろ考えている人たちは、地層処分については議論しないというような風潮があります。

それはなぜかと言うと、「原発の将来が決まっていない現状で地層処分を認めてしまうと、原発の存続を認めることになってしまう」という恐れがあるからだと私は理解しています。つまり、蛇口を、入り口を締めてからでないと、出口について考えられない。出口を先につくってしまうと、どんどん入れられてしまうのではないかという思いです。

「すでに核廃棄物あるんだから、これから増えても同じだ」というような暴論を聞かされることもあり、地層処分については考えない、議論しないということで、何かフタをしているというようなところもあります。

ということで、もう出てしまった、レガシー(legacy)と呼んでよいのでしょうか、すでにある核廃棄物、それはみんなで処分していかないといけないのですが、しかし、それと、今後生じる核廃棄物とはしっかり区別する必要があるという意味で、私は絶対量としての「総量管理」、--個人的には「総量規制」を進めてほしいと思っていますが--この総量管理という考え方は、議論を進める1つの前提になると思っています。

高速増殖炉にしても、安全な地層処分にしても、「将来できるようになる。だからいいんだ」というような議論がこれまでありましたが、それはできるようになってから使ってほしいと思います。「そのうちできるようになるから」と突っ走ることは、普通子どもでもやりません。できるようになるまでは待っているべきではないでしょうか。

今後に向けて、いくつか述べておしまいにしたいと思います。社会的な合意形成のプロセスは、学術会議の中でも、もしくは当局でも認識されていますが、具体策がないというのがこれまでの問題でもあり、現状の問題でもあると思います。

これまでのプロセスは、たとえば「二次とりまとめ」もほぼそうだと思いますが、推進派の専門家が作り、それを根拠に進めてきています。国民の議論を喚起していません。そういった意味で言うと、“技術的信頼性”以前に、その作り方の“プロセスの信頼性”が欠如しているというのが問題だと思います。

それとともに、「合意形成」といったときに、働き掛けの対象が候補地というピンポイントで、社会全体の合意形成が必要であるという認識が薄いと、私は思っています。

それはなぜなのかなと考えたとき、「やり方がわからない」という方法論の障壁であれば、越える努力をすればよいのですが、どうもいまだに、その地域だけを懐柔すれば何とかなると思っているのではないか。社会からその地域が孤立して影響を受けずに、その地域との相対でやりとりすればよいという時代は、もう終わっていると思っています。社会全体の合意があってこそ、その地域も受け入れられるということです。時間はかかりますが、社会全体に対する働き掛けをやっていかないといけない。

しかも、これは先ほど山地先生がおっしゃったこととも重なるのですが、リスク確率論という考え方を、国民がちゃんと取っていかないといけないんですね。つまり、リスクはゼロではないということを受け入れて、その上でどう付き合っていくかということを、負担を含めて考えいく必要があるのですが、残念ながらこれまで、そういったことを働き掛けもしていませんでしたし、安全神話にしがみついている。「安全でないんだったらゼロだ」という考え方がほとんどだと思っています。

これは時間がかかるということで言うと、ドイツにしてもスウェーデンにしても、20年、30年かけて、こういった説明と合意形成をしてきていています。これはスウェーデンの1つの資料ですが、その結果、きちんと合意形成をしてきた地元のほうが、核廃棄物の受け入れに賛成する度合いが高いという結果です。これだけ丁寧なコミュニケーション、しかもスウェーデンの場合は特別な交付金なしで行っているそうです。「お金を払うということは危険だということを言っているんじゃないか」と、スウェーデンの人に言われたことがあります。

これから科学には、もちろんキャスクなど、これまでは輸送用でしたが、これからもし長期貯蔵用ということであれば、いろいろな開発や法整備も必要になると思っていますが、自然科学だけではなくて、今回、提言をまとめられた先生方のように、社会科学的にも、倫理とか情報伝達についても研究が必要です。

たとえば何百年とか何千年という話になると、日本という国が残っているか、この体制が続いているかもわからないわけで、そうなっても情報を伝えるというのはどういうやり方があるのかとか、不確実性の付き合い方などについても考えていく、もしくは研究を進めていく必要があると思っています。

ということでまとめですが、先ほど冒頭に申し上げたように、今回の回答を高く評価し、ぜひこれに沿って進めていくことが必要である、それ以外に進む方法はないのではないかということを思っています。

特に、「暫定保管」が単なる問題の先送りとならないため、これを恐れている人は国民の中にもたくさんいるので、中長期的なプロセスとルールをきちんと作ることと、短期的に、そういったことを実際に進めていくためのロードマップを作っていく必要があるということ。

あと、非常に大事な社会的合意ということで言うと、「公正な立場にある第三者が討論をコーディネートする」ということが学術会議の回答に書いてありますが、これが誰できるのかということで、その選定、育成も非常に大事なことだと思っています。

こういったことに気をつけながら進めていく。そして、たとえば短期的には3年、そして中長期的には20〜30年というロードマップをひいて、社会的な合意を形成していくということが大事ではないかと思っています。

以上です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

このあと、出席されていた資源エネ庁の方々との意見交換や、原子力委員会の委員の方々からの質問にお答えするなど、2時間ほどの会議でした。委員の方々は特に社会的合意形成について、具体的にどのようにしたらよいのだろうか、といった関心が強かったようです。(議事録がアップされると思うので、またご案内します)

「原発に関わる対話と合意形成」--自分の大事にしてきたテーマであり、数年前から絶対に必要と思いつつも、入口がみつからなくてうろうろしていた気がします。3.11という悲劇がその入口を拓いてくれた感じがします。自分でも考えながら、学びながら、試行錯誤しながらですが、少しずつでも進んでいければ、と思っています。

 

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