情報更新日:2007年07月26日
環境と文明を救うために戦時動員を
レスター・ブラウン
初めてのアースデイが36年前に生まれて以来、われわれは環境問題をめぐる争いで多くの勝ち星を挙げてきたが、地球環境を守る戦争そのものには白旗を掲げようとしている。
21世紀初頭の文明は、自らのよりどころである自然システムを破壊し、破滅に導くような経済路線を歩んでいる。再生可能な資源を、その再生が間に合わないようなスピードで消費しているのだ。そのため、森林の減少、牧草地の荒廃、土壌侵食、地下水位の低下、そして漁場の崩壊が進行している。
われわれは原油を非常に速いペースで消費し続けているため、ピーク・オイル、つまり世界の原油生産量が頭打ちとなった後の計画を立てる時間もほとんど残されていない状態だ。さらに、自然が吸収できないほどのスピードで、温室効果ガスを大気中に排出している。その結果、地球の温度は上昇し、氷床は融解し、海面が上昇している。
環境の面で持続可能でない経済路線に移行したのは、今世紀のわれわれの文明が最初ではない。以前にも多くの文明が環境問題に直面してきた。ジャレド・ダイアモンドが『文明崩壊―滅亡と存続の命運を分けるもの』で述べているように、進路を変更して経済の衰退を免れた社会もあれば、そうはできなかった社会もあった。シュメール、マヤ、イースター島やその他の古代文明の遺跡に、必要な軌道修正が間に合わなかった例を見ることができる。
われわれの未来もまた、軌道修正できるかどうか、つまり従来の「プランA」から、世界経済を再構築する「プランB」へ移行できるかどうかにかかっている。社会が進歩し続けるためには、化石燃料に依存した自動車中心の使い捨て経済から、再生エネルギーを基盤とし、多様な輸送手段を活用する、リユースやリサイクルの盛んな経済へ移行できるかどうかが鍵となる。
幸いなことに、新しい経済を構築するために必要な技術はすでにある。西欧の風力発電地帯、太陽光発電を備えた日本の住宅の屋根、米国で増加しているガソリン電気ハイブリッド車、植林された韓国の山々、自転車に優しいアムステルダムの道路などに、プランB経済の萌芽を目にすることができる。
ただし問題なのは時間が限られていることだ。迅速な改革を必要とするわれわれにとって、第二次世界大戦時に米国が行った変革には、学ぶところが多く、励みにもなる。当初、参戦に慎重だった米国は、1941年12月7日に真珠湾を直撃されて初めて参戦に踏み切った。しかし応戦すると決めたからには徹底的だった。米国の全面的な関与により形勢は逆転し、3年半の間に連合軍を勝利へと導いたのだ。
真珠湾攻撃から1カ月後の1942年1月6日、ルーズベルト大統領は一般教書演説で武器の生産目標を掲げた。米国は、戦車4万5000台と航空機6万機、高射砲2万基、積載量600万トン分の商船を生産するという計画であった。
これほど大量の武器生産など、誰も聞いたためしがなかった。だが、ルーズベルトと閣僚たちは、当時、世界最強の工業生産力を持つのは米国の自動車産業だと認識していた。大恐慌のときでさえ、米国は年間300万台の自動車を生産していたのだ。
一般教書演説の後に、ルーズベルト大統領は自動車業界のトップと会い、この武器の生産目標を達成するため、業界の協力を大いに頼みにしていると語った。業界側は当初、それまで通りの自動車生産を続けながら、軍事兵器の生産を加えるだけでいいのだろうと考えていた。この時点では予想だにしていなかったのだが、その後間もなく民間用の自動車販売は規制されることになる。1942年4月初めから1944年末までのほぼ3年間、事実上1台の自動車も生産されることはなかったのだ。
自家用車の生産販売の禁止に加え、住宅や幹線道路の建設が中止になり、娯楽目的のドライブも禁止された。さらに物資統制が始まり、タイヤ、ガソリン、燃料油、砂糖などの戦略物資が1942年から配給制になった。こうした物資の消費を切りつめることで、戦争を支える物的資源を確保したのだ。
1942年、工業生産高は米国史上最大の伸びを見せた。しかも、そのすべてが軍事目的だ。戦時には飛行機の需要はいくらでもある。戦闘機、爆撃機、偵察機だけでなく、遠く離れた前線2カ所へ兵士や物資を運ぶ輸送機も必要だ。
1942年初頭から1944年にかけて、米国は当初の6万機という目標をはるかに超え、最終的には22万9600機もの航空機を製造した。今日でさえ想像もつかないような数である。同様に驚くべきことには、1939年には1000隻ほどだった米国の商船隊に加え、終戦時までに5000隻以上が新たに製造されたのである。
ドリス・カーンズ・グッドウィンは、著書『仮邦題:戦時体制』(No Ordinary Time)で、さまざまな企業や工場がいかに戦時生産体制に転換していったのかを描いている。いち早く機関銃の生産に切り替えられたのは点火プラグの工場だ。ほどなくして、ガスこんろの製造業者は救命ボートを、メリーゴーランドの工場は砲座を、おもちゃ工場は方位磁石を、コルセットの製造業者は手榴弾用ベルトを、そして、ピンボールの工場は徹甲弾を生産し始めた。
振り返ってみると、平時から戦時経済への転換の速さは見事なものだった。米国の工業生産力を活用したことで、戦況の流れが逆転し、連合国の優勢は決定的なものになったのだ。ドイツと日本は、すでに戦力をほぼ拡大しきっており、米国のこの動きに対抗することはできなかった。
当時の英国首相ウィンストン・チャーチルは、外務大臣だったエドワード・グレイ卿の言葉をしばしば引用したものだ。「合衆国はまるで巨大なボイラーのようだ。いったん火がつくと、生み出すパワーに限界というものがない」と。
このように、わずか数カ月足らずで資源を集められたことを思えば、必要だという確信さえあれば、一国、それどころか世界全体が、ごく短期間に経済構造を変えられることが分かる。
こうした資源の総動員に際し、何よりも足りなくなるものは時間である。例えば、気候変動に関していえば、われわれはもう後戻りできない段階に急速に近づいている。時計の針を元に戻したいのはやまやまだが、そうはいかない。時を刻んでいるのは自然なのだから。
各国政府は、脅威が大惨事となる前に手を打てるかどうかという問題に直面している。帯水層の枯渇、気温上昇、砂漠化の進行、極地の氷冠の融解や石油供給量の先細りといった問題に取り組んだ経験は、世界中を探してもほとんど見当たらない。
こうした局面では、われわれの政治制度や指導者の実力がしっかりと試されることになる。危機の時代には、ときとして「暴君ネロ」と称された第5代ローマ皇帝のような指導者が現れることもあれば、チャーチルのように国民に敬愛される指導者が現れることもあるものだ。
リーダーシップもまた、時間と同様に得がたい資源である。政治指導者は、その時代の重大な問題に対処したかどうかで、その後世の評価が決まるものだ。今日の指導者にとっての重大な課題とは、いかに環境を損なわない方向に世界経済を移行できるかどうかである。国の政治指導者は、いわば「環境派チャーチル」となって、こうした取り組みのもとに全世界をひとつにすべく邁進する必要があるのだ。