レスター・R・ブラウン
史上最大の悲劇のひとつが始まろうとするのを、私たちは目の当たりにしている。米国が、自国の石油不安を軽減するために穀物を自動車用燃料に転用するという誤ちにより、かつてない規模の世界的食糧不安を引き起こしているのだ。
世界は過去最大級の食糧価格高騰に直面しており、穀物と大豆の価格は史上最高値に達している。シカゴ商品取引所の小麦の取引価格は12月17日に、ついに1ブッシェル10ドルを超えた(訳注:1ブッシェル=約35リットル)。1月半ばには、トウモロコシはブッシェルあたり5ドルと、史上最高値近くで取引され、1月11日の大豆取引価格はブッシェルあたり13ドル42セントと、史上最高値を記録した。これらの取引価格は1~2年前の倍である。
その結果、こうした品から直接作られるパン、パスタ、トルティーヤのような食品のほか、間接的に作られる豚肉、鶏肉、牛肉、牛乳、卵といった食品の価格が、各地で上昇している。メキシコでは挽き割りトウモロコシの価格が60%上昇した。パキスタンでは小麦価格が倍になった。中国は、ここ数十年で最も激しい食糧価格高騰に見舞われている。
先進諸国では、食品価格に占める加工費やマーケティング費用の割合が高いため、影響は緩和されているが、それでも主要食料品の価格が上昇している。2007年末までに、米国では全粒パン一斤の価格が1年前より12%、牛乳は29%、卵は36%値上がりした。イタリアではパスタ価格が20%上昇している。
世界の穀物価格の急騰は、第二次世界大戦以降3回起きているが、いずれも気候の影響による収穫量減少が原因だった。だが、今回の場合は需要の伸びが供給を上回ったことに尽きる。世界の穀物生産量は、過去8年間で7回、消費量を下回っている。そうした年の不足分は穀物在庫を取り崩すことによってまかなわれてきた。しかし現在、繰越在庫量(新しい収穫が始まった時点で貯蔵所にある在庫の量)は世界の消費量の54日分と、過去最低に落ち込んでいる。
(http://www.earthpolicy.org/Updates/2008/Update69_data.htm
1990年から2005年にかけて、世界の穀物消費量は、主に人口増加と穀物を飼料とする畜産物の消費量増大に押し上げられるかたちで、毎年平均2,100万トンずつ上昇していた。そこに、米国のエタノール蒸留所で用いる穀物の需要が一気に生じ、2006年には5,400万トン、そして、2007年には8,100万トンへとはね上がった。2,700万トンというこの需要の伸びは、世界の穀物需要の例年の伸びの実に2倍以上である。現在建設中の62ヶ所の蒸留所のうち80%が2008年後半までに完成すれば、自動車用燃料を生産するために用いられる穀物は1億1,400万トン、すなわち米国で2008年に予測される穀物収穫高の28%に達するであろう。
歴史的にみると、これまで食糧経済とエネルギー経済は概して別々のものであったのだが、このように多数のエタノール燃料蒸留所が建設されるようになった今、食糧とエネルギーの経済は一体化してきている。穀物の食糧としての価格が燃料としての価格を下回れば、市場は、穀物をエネルギー経済へと持っていくであろう。従って、石油の価格が上がると、穀物の価格もそれを追って上昇するのである。
イリノイ大学経済チームの計算によると、石油が1バレル50ドルの場合、トウモロコシ1ブッシェルの価格が4ドル以下なら、トウモロコシをエタノールに変換しても利益が出るのだという。というのは、エタノール燃料への変換には、1ガロンにつき51セントのエタノール補助金(トウモロコシ1ブッシェルにつき、1.43ドルに相当)が出るためだ。
ところが、石油が1バレル100ドルになれば、蒸留所はトウモロコシ1ブッシェルにつき7ドル以上支払うことができ、それでも赤字にはならない。仮に石油が140ドルまではね上がると、蒸留所はトウモロコシ1ブッシェルに対して10ドル支払うことができる――これは、2008年当初の1ブッシェル5ドルという価格の倍額である。(訳注:1ガロン=約3.785リットル、1バレル=約159リットル)
世界銀行は、食糧価格が1%上がるごとに、貧困層の人々の摂取カロリー量が0.5%低下すると報告している。そうなれば、世界経済の最下層に辛うじてしがみついている何百万人もの人々は、持ちこたえることができず、転落していくことになるだろう。
ミネソタ大学のC・フォード・ランゲ及びベンジャミン・セナウアー両教授の行った4年前の予測では、飢えに苦しむ栄養不良の人々の数は、8億人超から、2025年には6億2,500万人まで減少するとしていた。しかし、2007年初めには、世界の食糧価格に対するバイオ燃料の影響を考慮してこの予測を書き換え、2025年にはその数は12億に達するとしている。このような増加は、既に始まっている。
国際的な食糧援助諸団体の予算はあらかじめ定められているため、食糧価格が上昇すれば、食糧援助が縮小されることになる。国連世界食糧計画(WFP)は現在37カ国の国々に緊急食糧援助を行っているのだが、食糧価格の急騰により、援助物資の量を削減している。WFPの報告によると、毎日1万8,000人の子どもが、飢えやそれに起因する疾患によって死亡しているという。
穀物価格が上昇するに伴い、穀物輸出国は自国内の食品価格が上昇するのを抑えようと輸出を制限するので、食糧不足が政治問題化してきている。小麦の五大輸出国の一つ、ロシアは、1月末から小麦に対して40%の輸出税を課し、事実上、輸出を禁止する。もう一つの小麦輸出大国であるアルゼンチンは、12月初旬から解除期限をつけずに小麦の輸出規制を実施し、次期収穫小麦の作柄が評価できるようになって規制を解除した。そしてタイに次ぐ世界第二の米輸出国であるベトナムは、ここ数カ月米の輸出を禁止しており、これは新米が市場に出るまで続くとみられる。
食品価格の値上がりは社会不安を生み出しつつある。2007年初めにメキシコでトルティーヤ値上げに対する抗議デモが行われたのを皮切りに、イタリアでパスタ値上げに対する抗議行動が起き、もっと最近では、パキスタンでパンの価格上昇が社会不安を招いている。ジャカルタでは、大豆価格が倍に跳ね上がり、大豆から作られる国民にとって主要なタンパク源のテンペが値上がりしたため、今年の1月14日、1万人もの国民が大統領府前に集結しデモを行った。食用油の価格が高騰している中国の重慶市では、あるスーパーが食用油の値下げセールを行ったところ、ドアが開くや殺到した買い物客の押し合いで3人が死亡、31人が怪我をするという事態になった。
経済的緊張状態が政治的緊張を生み出していく中で、アフガニスタン、ソマリア、スーダン、コンゴ共和国、ハイチなどのように経済的に破綻しかかっている国の数は、食糧価格上昇前にも既に増えつつあったが、今後さらに急速に増加すると考えられる。
食糧問題については数々の不安材料がある。世界の穀物在庫量は過去最低となり、穀物価格は過去最高の値をつけている。米国では、昨年大豆からトウモロコシに作物転換した農地のうち数百万エーカーが再び大豆生産に戻されるため、トウモロコシ収穫量の減少が予想される。
一方、世界は7,000万人という人口増分を養っていかねばならず、また、米国のエタノール製造業界は今年新規に増える生産工場用に、さらに3,300万トン増のトウモロコシ需要を見込んでいる。今年の穀物生産は、このような状況下で、スタートするのである。2008年12月受け渡しのトウモロコシ先物価格は同年3月受け渡しの価格より高値となっており、これは次回の収穫後さらに供給が厳しくなると市場が見ていることを示している。
過去における穀物価格の高騰が天候によってもたらされたものだったのに比べると、今回の価格高騰は政治が誘導したものであり、政治的な調整をはかることが可能である。穀物からつくられる燃料は、現在のところ米国におけるガソリン需要のたかだか3%を満たしているに過ぎず、この試みは世界の人々を苦しめ政治的混乱を引き起こしてまで遂行するほどのものではない。たとえ米国の穀物収穫のすべてをエタノール生産につぎ込んだところで、米国における自動車用燃料のわずか18%が賄われるにすぎないのだ。
米国では穀物からのエタノール生産に対して、税金から補助金が出るため、米国市民は皮肉にも、自分たちの食べる食品の価格上昇を事実上助成していることになる。食糧を燃料へと転換することに対する補助金などはもうやめよう。早急に手を打たなければ、悪化しつつある世界の食糧事情が制御不可能な状況に陥ってしまう。