レスター・R・ブラウン
低所得国に住む人々に基本医療を保障することは、貧困を解消し、人口を安定させるというプランBの目標達成に絶対不可欠である。先進国では、心臓病やがん(いずれも主に老化に伴う疾患)、肥満や喫煙が健康問題の大半を占めている一方で、発展途上国では感染症が何よりも優先される健康問題である。主な感染症はエイズのほか、下痢、呼吸器疾患、結核、マラリア、そしてはしかである。子供の死亡率は高い。
「2015年までに子供の死亡率を2/3減少させる」という「国連ミレニアム開発目標」達成に向けた進展は、かなり遅れている。2005年現在で、この目標を達成するめどが立っているのは発展途上国147カ国のうちわずか32カ国である。23カ国については、子供の死亡率が横ばいか、上昇してきている。そして、世界銀行が脆弱国家としている35カ国のうち、2015年までにこの目標を達成できそうなのは、2カ国にすぎない。
飢餓の解消に加え、水が不足している推定11億の人々に対する安全な水の安定供給は、すべての人の健康向上のためには欠かせない。現在多くの都市では、費用のかかる、水による汚水浄化処理システムの構築に取り組むのは避け、代わりに病原菌を拡散せず、水を使わない汚水処理システムを選択するのが現実的のようだ。このような転換は水不足を緩和し、水道システム内での病原体の拡散を抑制すると同時に、養分の循環システムを保護することにもつながるという、まさに「三方良し」の状態を生み出す。
健康状態の改善が最も目覚ましい事例の一つに、ほとんど報道されていないバングラデシュの非政府組織、BRAC(バングラデシュ農村向上委員会)が始めた運動がある。BRACは、同国に住む母親全員に、家庭での下痢の治療に使う経口補水液の作り方を教えた。水に塩と砂糖を加えるだけでいいというものだ。人口密度が高く、貧困に苦しみ、教育水準が高くないこの国で、BRACは下痢が原因で死亡する乳幼児の数を激減させることに成功したのである。
この大成功を目の当たりにし、国連児童基金(ユニセフ)はBRACの手法を世界の下痢症治療計画に利用した。極めて簡単な経口補水法はこうして世界で採用され、著しい効果を上げてきた。1980年に460万人だった下痢による子供の死者数を、2006年には160万人まで減少させたのである。ごく低コストでこれほど多くの命を救った投資はこれまでほとんどない。
感染症との闘いは、各方面で展開されている。現在、おそらく世界最大の民間資金による救命活動は、子供のための予防接種計画である。この世界的な取り組みの資金不足を補おうと、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団は子供たちをはしかのような感染症から守ることを目的として、2006年の一年間で15億ドル(約1,500億円)以上を出資した。さらなる出資があれば、幼児疾患のためのワクチンを買う余裕がないために予防接種計画が遅れている多くの国々を援助することが可能だ。
現在の資金不足のため、これらの国々は将来もっと多くの支出を迫られることになる。子供一人当たりに使われるわずかなお金が大きな変化をもたらすことができるのは、予防接種計画以外にほとんどないだろう。
国際社会の輝かしい成果の一つに、国連の世界保健機関(WHO)主導で取り組んだ天然痘の撲滅がある。世界中で予防接種を行う必要があった恐ろしい病気をうまく撲滅したことによって、何百万人もの命が救われているだけではなく、年間何百億円とかかる天然痘予防接種費用および何千億円という医療費を節減している。これを成し遂げたことだけで、国連の存在意義があると言っても過言ではないかもしれない。
同様に、WHO主導の国際的な連携で、何百万人もの子供たちの身体を不自由にしてきたポリオを根絶する活動が世界中で行われてきた。1988年以降、国際ロータリークラブはこの活動のために6億ドル(約600億円)もの寄付をしてきた。この連携組織が資金援助をする「世界ポリオ撲滅イニシアチブ」により、1988年には世界で年間約35万人だったポリオ患者数は、2003年には800人弱となった。
残念ながら、ポリオの撲滅状況は後戻りし始めている。2003年半ば、ナイジェリア北部の宗教指導者たちが、エイズと不妊症を広める陰謀だとして予防接種に反対を唱え始めたのである。その結果ナイジェリアのポリオ患者数は急増し、その後3年間で3倍になっている。
その間、ナイジェリアのイスラム教徒は年に一度のメッカへの巡礼によってポリオを広めた可能性があり、インドネシアやチャド、ソマリアといった、すでに根絶していた国々にポリオを復活させることとなった。2008年には世界で1,600人以上のポリオ患者が報告され、今なおポリオはナイジェリア、インド、パキスタン、アフガニスタンの4カ国で流行している。
さらに注目すべき健康向上の成功例は、糸状虫症をほぼ撲滅したことである。1980年に米国疾病管理予防センター(CDC)が着手したこの世界的な取り組みは、現在ジミー・カーター元米大統領とカーター・センターが指揮している。糸状虫は、その幼虫が生息する湖や河川から生水を飲むことで人体に入り込み、時には2フィート(約60センチ)以上の長さまで成長する。
その後、糸状虫は時間をかけて皮膚から体外に出るのだが、その時の激痛と衰弱を伴う苦しみは数週間に及ぶこともある。この世界的な取り組みによって、1986年に350万人だった糸状虫症患者数は、2006年には2万5,217人に減少した。99%減という驚異的な変化である。
若年死の主原因は、喫煙などの生活習慣である。WHOは、2005年にたばこを原因とした疾患によって死亡した人は540万人に上ったと見積もっている。この数字はどの感染症よりも多い。今日、喫煙に伴う健康への脅威は、心臓病、脳梗塞、呼吸器疾患、さまざまなタイプのがんを含む、約25種類が明らかになっている。500万人以上というたばこの煙による年間死亡者数は、ほかの大気汚染物質による死亡者総数の300万人を上回る。
喫煙人口の減少はかなり進んでいる。100年にわたって喫煙の習慣を積み重ねた後、WHO主導の「たばこのない世界構想」によって、世界はたばこに背を向けつつある。健康問題対策に特化した初の国際協定、たばこ規制枠組条約が、2003年5月にジュネーブにおいて満場一致で採択されると、この動きはさらに勢いを増した。本条約は、たばこ税の値上げや、公共の場での喫煙制限、健康に関する厳しい警告をたばこの包装に表示することを特に求めている。
皮肉なことに、たばこを発明した国が、今や世界のたばこ離れをけん引している。米国の一人当たりの平均喫煙本数は、最盛期だった1976年の2,814本から2006年には1,225本まで減少した。つまり56%減である。世界全体では、米国での減少にほぼ12年遅れて、一人当たりの喫煙本数は1988年の1,027本という史上最高値から2004年の859本まで、16%減少した。
喫煙の健康への影響に関するマスコミ報道、たばこの包装上への健康に関する警告表示義務、たばこ税の大幅な引き上げによって、着実に減少してきたのである。実際、喫煙は喫煙率の高いフランス、中国、日本を含め、ほぼすべての喫煙大国で減少している。
2003年のたばこ規制枠組条約の承認を受けて、多くの国々が喫煙を減らすために強硬策を取った。アイルランドは職場、バー、レストランでの喫煙を全国的に禁止した。インドでは公共の場を禁煙とし、ノルウェーとニュージーランドはバーとレストランを禁煙とした。インドと中国に挟まれたヒマラヤ山中の小国、ブータンは、タバコの販売を完全に禁止した。さらに最近では、英国が職場と屋内の公共の場を禁煙とし、フランスも同様の禁煙措置を段階的に行っている。
もっと広く見てみると、村の診療所が提供するような最も基本的な医療サービスを供給するには、せいぜい年間平均330億ドル(約3兆3,300億円)の寄付金があればいいという、発展途上国の医療経済を分析した2001年のWHOの研究結果がある。
この330億ドルには基本的なサービスに加え、世界エイズ・結核・マラリア対策基金や、世界中の小児期予防接種のための資金が含まれている。そうした取り組みは、発展途上国にとっても世界全体にとっても、莫大な経済利益をもたらすことだろう。