エダヒロ・ライブラリーレスター・R・ブラウン

情報更新日:2009年12月06日

コペルニクス的転換が必要だ

 

                        レスター・R・ブラウン

1543年、ポーランドの天文学者、ニコラス・コペルニクスの著書『天体の回転について』が出版された。その中でコペルニクスは、太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているという説を主張した。この新しい太陽系のモデルをきっかけとして、科学者や神学者をはじめとする人々の間で、幅広い論争が繰り広げられた。地球を宇宙の中心に置いた伝統的なプトレマイオス説に代わる彼のモデルは、それまでの常識を覆し、新しい世界観を生み出す元となった。

同じく、今日の私たちも世界観を転換する必要がある。つまり、地球と経済の関係をどのように考えるのかということである。二つの天体のどちらが他方の周りを回転しているのかという問題に代わって、今日では、環境が経済の一部なのか、それとも経済が環境の一部なのかが問題とされている。経済学者は環境を経済の一部と考えるのに対し、生態学者はそれを逆だと考えている。

プトレマイオスの太陽系に関する説のように、現代の世界を理解しようとする経済学者の考え方には無理がある。彼らが考えた経済は、その基礎となる生態系と同調していないからだ。

経済の理論や指標を見ても、経済活動がどれほど地球の自然体系を乱し、破壊し続けているかは分からない。経済理論では、なぜ北極海の氷が解けているかは説明されていない。中国北西部の草原が砂漠化し、南太平洋でサンゴ礁が死滅している理由や、ニューファンドランド島のタラ漁が崩壊した訳についても説明されることはない。6,500万年前に恐竜が絶滅して以来、最大規模の動植物の絶滅が始まっている理由についても同じことがいえる。しかし、このような行き過ぎた行為によって、社会が受けた損害を計算するときには、経済学が欠かせない。

経済活動が地球の自然体系と摩擦を起こしているという証拠は、次のような日常のニュースの中に見られる。つまり、漁業の崩壊、森林の縮小、土壌浸食、放牧地の荒廃、砂漠の拡大、大気中の二酸化炭素濃度の上昇、地下水位の低下、気温の上昇、破壊力を増す暴風雨、氷河の融解、海面上昇、サンゴ礁の死滅、生物種の消滅などである。このような傾向は、経済と地球の生態系との緊張が高まっていることを示しており、経済的な負担をますます増大させている。いずれ、こうした負担が世界全体の成長力を上回り、経済を衰退させることになるかもしれない。

こうした傾向が目に付くようになってきたということは、下位のシステムである経済が、より大きなシステム、つまり地球の生態系の動きと、うまくかみ合っていなければ、最後には両者が共倒れすることを示している。経済並びに金融システムにおける最近の出来事を見て頭に浮かぶのは、経済が自然という土台に合わなくなるほど大きくなった影響が出始めたのではないかという疑問だ。

経済規模が生態系に対して大きくなり、地球の自然の限界に近づけば近づくほど、経済と生態系のずれは破滅的なものとなるだろう。私たちの世代に突きつけられたのは、過去の数多くの文明の二の舞を演じることなく、環境の悪化によって長期的な経済の衰退が始まる前に、こうした傾向を覆すという難題である。

環境の面で持続可能な経済、すなわちエコ・エコノミーでは、経済政策立案のための枠組みが生態学の原則によって作られ、経済学者と生態学者が共同で新しい経済を構築することが求められる。生態学者はすべての経済活動、まさにすべての生命の営みが地球の生態系に依存していることを知っている。

その生態系とは、共生し、影響し合う個々の生物種と、その物理的生息環境がつくり出す複雑な集まりのことである。この何百万という種が、食物連鎖や養分循環、水循環、気候システムによって絡み合い、複雑なバランスを保ちながら存在している。一方、経済学者は、目標を政策に反映させる方法を知っている。経済学者と生態学者が協力すれば、成長を続けられる経済、すなわちエコ・エコノミーを設計し、実現することができる。

地球が太陽系の中心ではないと認識することで、天文学、物理学やその関連科学の進歩に道が開けた。それと同じように、経済が私たちの世界の中心ではないと認識することで、経済成長を維持する条件が整い、人間を取り巻く環境も改善されていくだろう。

コペルニクスが革命的な理論の概要を示した後、世界観はまったく異なる二つに分かれた。プトレマイオスの説を支持し続けた人々が見る世界と、コペルニクスの考え方を受け入れた人々が見る世界はかけ離れたものとなった。今日でもそれと同じで、経済学者と生態学者が持つ世界観はかけ離れている。

生態学と経済学にはこのように根本的な違いがある。例えば、生態学者は限界があることを心配するが、経済学者にはそのような制約を一切認めようとしない傾向がある。また、生態学者は自然からヒントをつかみ、物事を循環的にとらえるのに対し、経済学者は往々にして直線、ないしは曲線的な見方をする。さらに経済学者は市場に大きな信頼を寄せるが、生態学者は市場を正しく評価するのを苦手とすることが多い。

21世紀を迎え、経済学者と生態学者とでは、世界認識の仕方にこれまでになく大きな違いが出ている。経済学者は世界の経済、貿易および投資が過去に例のないほど伸びたことを目の当りにして、将来も同様に明るいものだと予測した。彼らは、経済が1950年以後7倍に膨れ上がったことを当然のように、誇らしげに指摘したのだった。2000年になると財やサービスの産出高は6兆ドル(約590兆円)から43兆ドル(約4,200兆円)に跳ね上がり、生活水準は以前には夢想もしなかったレベルにまで上昇した。

生態学者も同じ経済成長を見ていた。しかし彼らは、これはわざと価格を安くして化石燃料を大量に燃やした結果だとし、このことが気候の安定化を損なわせるに至ることを充分理解していた。将来は熱波がさらに厳しくなり、強力な嵐が押し寄せ、氷冠が融解する。そしてちょうど人口が増加し続けているときに、陸地の面積を縮小させるような海面上昇が起こると予測したのだ。経済学者の目に映るのは沸騰する経済指標であるが、生態学者が見るのは気候を変動させ、想像もつかないような事態を招いている経済の姿である。

経済学者は意思決定に際して市場の動きを重視する。彼らがそうするのは、中央官庁の計画担当者が太刀打ちできないほど(ソ連政府が身にしみて感じたように)市場が効率よく資源を配分するからだ。ところが生態学者はそれほど市場を重視はしない。市場は真実を語っていない。彼らはそういう目で市場を見ている。

例えば、ガソリンを1ガロン(3.785リットル)購入したとする。顧客は、地中からの石油採掘費用、石油をガソリンにするための精製費用、それを各地のガソリンスタンドに運ぶ運搬費用に対して実際支払いをする。しかし、大気汚染による呼吸器疾患を治療するための医療費や気候変動に伴う費用まで支払うことはない。

私たちがこれまで構築してきた経済は、今、経済を支えるシステムと摩擦を起こしている。それは、地球上の自然資本を急速に消耗させ、世界経済を、将来破綻に向かう環境上の道筋へと誘導している。このような経済では自身の発展を遂げることはおぼつかない。私たちの望む所には、向かって行けないのだ。

ちょうど、数十年にわたる天体観測と数値計算の末に、コペルニクスが新しい天文学的世界観を構築せざるをえなかったように、私たちもまたそれだけの時間をかけ、環境観察と分析を通じて新しい経済的世界観を組み立てなければならない。経済発展を今後も維持しようとするなら、経済と地球の生態系との間に安定した関係を築くことが不可欠である。

経済学を生態学の中に取り込む? いかにも突飛な考えのようだが、現実を反映するにはその方法しかないことを多くの証拠が示している。観察の結果が理論に合わなくなれば、そのときは理論を改めるのがよい。科学史学者のトーマス・クーンが言うところのパラダイムシフトが起きているのである。もし、経済が地球の生態系の一部であるとするなら、生態学の基本法則を守って立てられた経済政策だけが成功を収めるだろう。

うれしいニュースがある。経済学者たちが生態学にこれまでより一層注目するようになったというのである。経済がもともと地球の生態系に依存していたことを経済学者は認め始めたのだ。その一例が、ノーベル経済学賞の受賞者8名を含むおよそ2,500人の経済学者が、気候安定化のために炭素税の導入を支持したことである。また市場に生態学的な真実を語らせようと、その方法を模索する経済学者も増え始めている。

現行の産業経済モデルでは持続可能な経済発展を遂げることは無理だろう。私たちは、現在の世界経済を維持しようとして近視眼的な努力をし、それによって地球の自然の資本を食いつぶしている。私たちは、経済上の赤字を出すと、多くの時間を費やしてそれを心配する。

しかしこれから先、長い期間にわたって経済を脅かすのは生態学的赤字の方である。経済面で生じた赤字なら現世代同士の貸し借りで済むが、私たちが生態系に残した赤字は、先の世代にまでつけとして残されていく。

 

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