レスター・R・ブラウン
地球が温暖化するにつれて、世界の二大氷床である南極とグリーンランドの氷床が融解し海面が大きく上昇するおそれが出てきた。グリーンランド氷床の融解で7メートル、西南極氷床の融解で5メートルの海面上昇が起きると予測されている。
だが、この二大氷床はその一部が融解するだけでも海面の上昇に劇的な影響を与える。この分野に長く携わる科学者たちは、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が出した「今世紀中に海面が18~59センチメートル上昇する」との予測はもはや古く、上昇は今世紀中に2メートルに達する可能性があると指摘している。
グリーンランド氷床の将来予測を評価するには、まず、北極地方の温暖化の状況を見てみる必要がある。世界各国300人の科学者からなる北極気候影響評価(ACIA)チームが2005年に行った調査で、北極ではほかの地域のほぼ倍の速さで温暖化が進んでいるという結論が出ている。同チームの調査によると、アラスカ、カナダ西部、ロシア東部といった北極周辺地域で、冬期の気温がこの半世紀ですでに3~4℃上昇した。
イヌイットの活動家シェイラ・ワット・クルーティエ氏は米国の上院商務委員会で、アラスカ、カナダ、グリーンランド、ロシア連邦に住む15万5,000人のイヌイットを代表して証言を行い、急速に変化しつつある北極地方の気候に適応しようとイヌイットが苦闘している状況は「地球に今起きつつあることを断片的に映し出している」と述べた。彼女は、北極地方の温暖化を「地球の歴史における決定的なできごと」だと指摘する。
ACIAの調査報告書には、海氷の後退がホッキョクグマにいかに壊滅的な結果をもたらすことになったかが記されている。ホッキョクグマの生存はもはや風前の灯といってもいい。その後に出たレポートでは、必死で生き残ろうとするホッキョクグマが共食いするようになったことが報告されている。さらに、氷に住むアザラシはイヌイットの主要な食糧であるが、これもまた生存の危機にさらされている。
この2005年の調査報告の後、問題が従来考えられていたより深刻であることを示す新たな証拠が出た。米国の国立雪氷データセンターおよび米国大気研究センターの研究者からなるチームが行った調査は、北極の氷が気候モデルによって予測されていたよりもずっと速く融けつつあるという結論に至ったのだ。
この調査で、1979年から2006年までの夏期の海氷後退速度は10年当たり9.1%にまで加速したことが分かった。2007年には、北極海氷の面積は2005年の調査結果よりさらに20%ほど縮小している。つまり、北極海の氷がなくなるのは、IPCCが2007年の報告書で最も早い時期として予測した2050年よりも、ずっと早いかもしれないのだ。
現在では、早ければ2030年までに夏期の北極海には氷がなくなるだろうと考えている科学者もいる。北極を専門とする科学者、ジュリエンヌ・ストローブ氏は、北極海の氷の縮小は「地球の温帯域にも一連の気候変動を引き起こすような転換点に達した可能性がある」と見ている。
科学者たちが恐れているのは、幾つかの「自己強化型フィードバック・ループ」が始まりかけているのではないかということだ。「自己強化型フィードバック・ループ」とは、もともとあった動きがその動き自体が要因になってどんどん強まっていく状態を指す。可能性のあるフィードバックのメカニズムとして、科学者が特に危惧しているものが二つある。
一つは、北極でのアルベド効果である。北極海の氷面に届く太陽光線は70%までが反射されて宇宙に戻り、吸収されて熱となるのは30%に過ぎない。しかし、北極海氷が融けて太陽光線がより色の濃い海水面に届くようになると、反射されて宇宙に戻る光線はたった6%になり、94%が熱に変わる。このことが、北極海氷の縮小を加速させ、グリーンランド氷床にただちに影響するこの地域の気温上昇を招いているのかもしれない。
北極海の氷はすでに海にあるので、全部融解したとしても海水位に影響がない。しかし、日射のうち熱として吸収される量が増えるので、北極地方はずっと暖かくなるだろう。グリーンランドはその大部分が北極圏に位置しているのでこれが非常に懸念される。場によっては厚みが1,600メートルほどにもなるグリーンランド氷床は、北極地方の気温が上昇するにつれすでに融解を始めている。
もう一つの自己強化型のフィードバックのメカニズムも、氷の融解に関係がある。氷床の表面が融け始めると、その水分の一部が氷河の亀裂を通って下に浸み通っていき、氷河と氷河の下の岩石との間の滑りがよくなる。そのため、氷河の流れが速まり、氷河から氷山が分離して周囲の海に流出するのも速くなる。また、相対的に温かい水が氷河の中を流れていくことによって、単純な伝導に比べるとずっと速く、表面の熱が氷床の奥深くへと伝わっていく。
グリーンランド氷床の融解が加速していることが、最近の幾つかの研究で報告されている。2006年9月の『サイエンス』誌に掲載された研究によると、この広大な島の氷の融解速度は、それまでの数年間で3倍になった。2006年10月には、米国航空宇宙局(NASA)の科学者のチームが、氷河の海への流入が加速していると報告している。
NASAのジェット推進研究所(JPL)の雪氷学者、エリック・リグノ氏は、「これは、数値モデルでは全く予想されていなかった。つまり、グリーンランドの海面(の上昇)への影響の予測は、すべて現実よりもずっと低く見積もられているということだ」と述べている。
地球の反対側に目を転じると、厚さ2キロメートルの南極氷床もやはり融け始めている。この氷床は、オーストラリアのほぼ2倍の大きさの南極大陸を覆っており、地球上の淡水の70%がこの氷床にある。南極大陸から周囲の海に伸びる棚氷は、驚異的な速さで崩落するようになった。
2007年5月、NASAとコロラド大学の科学者からなるチームは、南極氷床の内陸部で、カリフォルニア州ほどの広さにわたって雪が融けたことを示す衛星データについて報告した。参加した科学者の一人、コンラッド・ステファン氏は、次のように述べた。「近年、南極では、南極半島を除いて温暖化の兆候はほとんどあるいは全くなかった。しかし今では、広い範囲で温暖化の影響の兆しが見られる」
国際環境開発研究所(IIED)が行った、海面が10メートル上昇した場合の影響の分析から、このような世界最大の氷床の融解がどのようなものかが分かる。IIEDの研究では、海抜10メートル以下の海岸沿いを低海抜沿岸地域(LECZ)と呼び、そこに6億3,400万人が住んでいることを初めに指摘している。この影響を受けやすい膨大な数の人々の中に、世界の都市人口の1/8が含まれている。
最も影響が大きい国の一つは中国で、1億4,400万人が「気候難民」となる可能性がある。それに次ぐのはインドとバングラデシュで、それぞれ6,300万人と6,200万人だ。ベトナムで影響を受けやすいのは4,300万人、インドネシアでは4,200万人である。このほか、影響が大きい上位10カ国には、日本(3,000万人)、エジプト(2,600万人)、米国(2,300万人)も入っている。
世界はこれまで、これほどの規模で人々が移住するかもしれないという状況を経験したことはない。避難民の一部は、自国内でもっと標高の高い場所に逃れれば済むかもしれない。そのほかの人々は、自国の内陸部に人があふれているため、ほかの地域へ逃れようとするだろう。
バングラデシュの人口密度は、今でも世界最高レベルであるが、さらにずっと高くなってしまうだろう。つまり、6,200万人がもっと高い土地に移住せざるを得なくなるだろうが、その先には既に9,700万人が暮らしているのだ。
上海、コルカタ、ロンドン、ニューヨークなどの世界最大規模の都市の幾つかが、一部分にせよ全域にせよ、水浸しになるだろう。それだけではなく、豊かな農地も広い面積にわたって失われると思われる。アジアで稲作が行われている三角州 や氾濫原は、塩水で覆われ、アジアの食糧供給の一部が失われるだろう。
結局のところ問題は、各国政府が、家屋や産業施設を失いつつあるさなかに多数の人々を移住させるという政治的および経済的な負担に耐えられるほど強いかどうかである。
移住は国内の問題に限らない。土地を離れることになる人々の多くは、ほかの国への移住を望むと思われるからだ。各国政府は、これらの負担に耐えられるだろうか。それとも、ますます多くの国が破綻国家となっていくのだろうか。