レスター・R・ブラウン
現在の環境問題を理解するには、かつて同じ問題を経験した古代文明に目を向けることが役に立つ。環境問題が引き金となり経済の衰退が懸念される事態に直面したのは、なにも21世紀初頭の現代文明社会が初めてではないからだ。問題は、われわれがどのようにそれに対応していくのかということである。
ジャレド・ダイアモンドが『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの』の中で指摘したように、かつて環境問題に直面しながらも自分たちのやり方を変えることによって、文明の衰退・崩壊を免れた社会があった。
例えば、今から600年前、アイスランドの人々は、過剰な放牧によって、高原のもともと薄い牧草地の土壌が広範囲に失われることを知っていた。「牧草地を失い、経済が衰退する目には遭いたくない」、そうした思いから農民たちは団結し、高原で放牧できる羊の数を決め、各自が飼う頭数を制限することで牧草地の保全を図ったのである。今でもこの国の羊毛生産と毛織物産業は繁栄を続けている。
しかし、全ての社会がアイスランドのようにうまくいったわけではない。紀元前4000年頃の古代シュメール文明はそれまでに例がないほど高度な文明を誇っていた。入念に設計された灌漑設備は、食糧の余剰生産ができるほど生産性の高い農業を可能とし、歴史上初めて都市や書き言葉(楔形文字)が発達する基盤となっていた。
どの点をとっても、シュメール文明は卓越していた。しかし、灌漑システムには設計面で環境上の問題があり、そのことがやがて食糧の供給量を低下させていった。ユーフラテス河全域に設けられたダムの水は、高低差を利用し、方々に張り巡らされた水路を通って農地へと送られていた。
しかし、多くの灌漑システムと同じように、水は地下にも浸み込んでいく。また排水がよくないこの地域では、地下水位が徐々に上昇し、地表近くに達した水は大気中に蒸発して地表に塩分を残した。やがて、塩分は蓄積し土地から生産力を奪っていったのである。
小麦の栽培を塩分に強い大麦に代えることで、シュメール文明の衰退に一時的な歯止めがかかりはした。しかしそのことは穀物収穫量の低下を表面的に抑えただけで、根本的な解決につながるものではなかった。塩分の濃度が増すと、やがて大麦の収穫量も減少していった。食糧供給の落ち込みが、かつて栄えたシュメール文明の基盤を揺るがせ、土地の生産性の低下とともに文明は衰退していったのである。
米大陸で、シュメール文明と同じ運命をたどったのが現在のグアテマラの低地で発達したマヤ文明である。この文明は紀元250年頃から、文明の崩壊が始まる紀元900年頃まで隆盛を誇っていた。シュメール文明と同様、マヤ文明にも高度で生産性の高い農業が発達していた。段々畑を作り、その周りに水路をめぐらせ水を供給していたのだ。
シュメール文明と同じように、マヤ文明の崩壊も食糧供給の破綻に関連していたようだ。マヤ文明の農業を衰退に導いたのは、森林伐採と土壌の浸食であった。加えて、当時頻発した干ばつの影響もあっただろう。さらに食糧不足をきっかけに都市国家間の争いが起こったと言われている。現在、この地域はかつての自然がよみがえり、密林と化している。
アイスランド人は、牧草地帯が荒廃し取り返しのつかない状態になる前に、団結して放牧に制限を加えることで政治的な転換点(ティッピングポイント)を越えることができた。シュメール人やマヤ人にはそれができなかった。行動が遅すぎたのだ。
今日、私たちがなしえた成功も、また今抱えている問題も、元を正せば同じこの1世紀にわたる世界経済の異常な成長が原因である。経済成長を表わす年間生産高の単位は、かつては数十億ドル(数千億円)であったが、今では数兆ドル(数百兆円)にもなっている。実際、近年のモノとサービスの年間生産高の増加分だけをとってみても、1900年の世界経済の全生産高を上回っているほどである。
経済が飛躍的に増大している一方で、淡水や林産物、海産物などをもたらす地球の供給力は増加していない。人類全体の需要が初めて地球の再生可能な供給を上回ったのは1980年頃だった。今では、生態系に対する需要と地球の持続可能な供給力の格差はほぼ30%にまで広がっている。私たちは目先の需要を満たすために、地球の自然という財産を食いつぶしながら、まさに衰退と崩壊の準備を進めている。
人間の経済活動や存在そのものが地球の生態系や天然資源に完全に依存しているということを、科学技術が高度に発達した現代文明ではとかく忘れがちである。例えば、私たちは気候システムの恩恵によって農業に適した環境を得ている。淡水が手に入るのは、水循環のおかげである。また、岩石を土に変える長期的な地質学的変化があるからこそ、地球はこれほど生物学的に豊かでいられる。
現在、あまりにも多くの人が地球に対して過剰な要求をしており、地球の資源を使い果たそうとしている。森林は縮小を続け、過剰な放牧により、広大な面積の草地が年々砂漠化し、さらに、世界人口の半数を抱える国々では地下水の汲み上げすぎで地下水位が回復せず、水不足が深刻化している。
人間は誰しも森林や湿地、サンゴ礁、草地など地球の生態系がもたらす恵みと機能に依存している。生態系には、浄水、授粉、炭素隔離、洪水制御、土壌保全などさまざまな機能がある。科学者1,360人が4年にわたり世界の生態系を調査した「ミレニアム生態系評価」では、調査した生態系機能24項目のうち15項目が劣化しつつある、または限界点をすでに越えているという結果が出ている。例えば、人々に主要なタンパク源を供給してきた世界の海洋漁場は、今やその3/4がすでに利用し尽くされているか、あるいは乱獲状態にあり、その多くが壊滅寸前にある。
広大なアマゾンをはじめとする熱帯雨林という生態系にも大きな負荷がかかっている。現在、熱帯雨林の20%が牛の放牧や大豆栽培のために開墾されている。さらに22%が伐採や道路建設による環境悪化によって太陽光線が林床まで達し、地面が乾燥して森林火災を引き起こしやすい状態になっている。このように火災への抵抗力が低下した森林では落雷などによる自然発火から火災が広がりやすい。
科学者たちは、アマゾン熱帯林の半分で開墾、または環境悪化が進んだ時が転換点(ティッピングポイント)となるだろうと予測している。つまり、そこまで到達すれば、もはや取り返しはつかず、熱帯雨林の復元は不可能になる、ということである。
米マサチューセッツ州のウッズホール研究所の科学者であるダニエル・ネプスタッドはアマゾン一帯の調査から、将来、この地域では「地球規模の火災」が相次ぎ、乾燥しつつある熱帯雨林を焼き尽くすだろうという見通しを示している。同氏によれば、アマゾンの木々に吸収される炭素は人為的活動で排出される炭素の約15年分に相当し、もしアマゾンの森林破壊がティッピングポイントを越え、取り返しのつかないところまで進めば、この文明の運命を決しうる大規模な気候変動が引き起こされるという。
ある資源に需要が集中するという現象は、初めはほんの数カ国だけでみられたものであっても、徐々に他国にも広がっていく。例えば、ナイジェリアとフィリピンはかつては林産物の純輸出国であったが、現在は輸入国である。タイではすでに森林の大部分が失われ、森林伐採が禁止されている。中国でも自国の木材需要を満たすため、シベリア、そしてミャンマーやパプアニューギニアなど東南アジア諸国のなかでわずかに残る森林保有国に目を向け始めている。
井戸が干上がり、草地の砂漠化が進み、漁場が枯渇し、土壌が侵食されると、そこに居住する人々は国内の別の場所、あるいは国境を越えて移住することを余儀なくされる。地球の限界を越えた土地では経済活動が困難になるため、環境難民を生み出してしまうのだ。
現代社会は、同時にいくつもの環境問題に直面しており、しかも問題同士が絡み合い複雑な様相を呈している。シュメール文明やマヤ文明など過去の文明は一地域に属し、文明の興隆や衰退が他の地域に与える影響はほとんどなかった。しかし、現代文明は地球規模である。私たちは、この文明を救うために力を合わせるのかそれとも、文明崩壊の犠牲者として甘んじるのかという二者択一を迫られている。