レスター・R・ブラウン
1998年、テルアビブでホテルから会議場まで車で移動していたとき、自動車と駐車場の数の多いことが、いやでも私の目についた。半世紀前の小さな入植地から、今や約300万人を抱える都市に発展したテルアビブが、自動車時代とともに進化してきたことは明らかだった。このときふと私の頭を過ぎったのは、駐車場と公園の比率は都市の住みやすさを測る最適の指標ではないか、その指標によって都市がヒトとクルマのどちらを重視して設計されているかが分かるのではないか、ということだった。
テルアビブが世界で唯一急成長した都市だというわけではない。人口動向を特徴づける要因としては、現在、都市への人口流入が人口増加に次いで2番目の大きな要因となっている。1900年当時、都市人口は1億5,000万人程度であった。それが2000年には28億人となり、19倍に膨らんだ。今では人類の半数以上が史上初めて都市で暮らしている。人類はその歴史上初めて、都市に生息する種となったのだ。
世界中の都市は今、過去に例のない難題に直面している。メキシコシティ、テヘラン、コルカタ、バンコク、北京、ほかにも何百という都市で、安心して空気が吸えなくなっているのだ。大気汚染があまりにも進み、呼吸することが一日当たり2箱のタバコを吸うことと変わらなくなった都市もある。呼吸器疾患が蔓延している。通勤者が交通の混雑した道路やハイウエーで車に乗ったまま過ごす時間は、多くの場所で年々増え、ますます彼らをいらつかせている。
こうした状況に対応して、新たな都市計画哲学、ニュー・アーバニズムが台頭しつつある。環境問題専門家のフランチェスカ・ライマンが言うには、それは「クルマではなく、ヒトを中心に設計されていた時代の伝統的な都市計画を復活させようとする」考え方だ。
特に目を引く現代都市の変革のひとつが、エンリケ・ペニャロサが3年間市長を務めたコロンビアの首都ボゴタで起きている。彼は1998年に市長に就任したとき、車を所有する30%の人々の生活をどうすれば向上させられるかではなく、大多数の自動車を持っていない70%の人々のために何ができるかを探ろうとした。
ペニャロサは子どもや高齢者にとって快適な環境を備えた都市は、誰にでも快適なことを知っていた。そこで彼はわずか数年で都市生活の質をすっかり一変させた。彼のリーダーシップのもとで、町は1,200の公園を新設もしくは整備し、またバス中心の高速交通システムを導入してこれを成功させた。
さらに数百キロメートルに及ぶ自転車道路や歩道を建設し、ラッシュ時の交通量を40%緩和させたほか、10万本の木を植え、地域住民を直接巻き込んでその人たちが住む地域を改善したのだ。こうした施策によって、彼は市民としての誇りを800万人の住民の心に植え付け、内戦で疲弊したコロンビアで、ボゴタの道路をワシントンD.Cよりも安全な道路にしたのである。
この新しい都市哲学を採り入れたのは、ペニャロサだけではない。ジャイメ・レルネルもまた、ブラジルのクリチバ市の市長当時、低料金で通勤者に優しい代替交通システムの設計と導入を率先して進めた。その結果、1974年以降、クリチバ市の交通システムはすっかり様変わりした。市民の60%は自動車を保有しているにもかかわらず、今では、市内移動手段の80%をバス、自転車、徒歩が占めている。
ジョージア州のアトランタのように、労働者の95%までもが車通勤をするようになると、都市には問題が生じる。対照的にアムステルダムでは、住民の35%が自転車か、徒歩で通勤しており、公共交通機関を利用する人は25%、車を使っている人は40%である。パリでは通勤に車を使う人は通勤者の半数以下。しかもこの数はパリ市長、ベルトラン・ドラノエの努力によって、減少し続けている。これらの欧州の都市は歴史が古く、道幅が狭いことも多いのだが、それでも混雑はアトランタよりはるかに少ない。
車の渋滞を解決する方法の一つは、多くの雇用者が駐車代として間接的に支給することの多い補助金を失くすことである。ドナルド・シャウプは、著書「無料駐車は高くつく」の中で、米国における路外駐車の補助金額は少なく見積もっても年間1,270億ドル(約10兆5,000億円)を下らないとしている。これだけ補助があれば、車に乗ろうとするものが多くなるのは明白である。自動車や駐車場の増加によって道路渋滞によるコストが嵩み、生活の質が悪化することを考えるなら、社会が今なすべきことは駐車に補助金を出すことではなく、駐車料金をとることである。
市内に自動車乗り入れ禁止区域を設けた都市は多く、ニューヨーク、ストックホルム、ウイーン、ローマなどがそうした区域を設けている。パリ市は、日曜・祝日はセーヌ川沿いへの乗り入れを全面的に禁止しており、セーヌ川左岸の1.2マイル(約2Km)区間も2012年までに恒常的な乗り入れ禁止区域にする予定である。
都市が直面している環境問題に対処するには、二つ方法がある。一つは都市の形を変えることだ。2007年のアースデイ、この日ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグは、市の環境を改善し、経済力を強め、市を住み良い都市にするという総合的な計画、PlaNYCを発表した。
この計画の主眼は市の温室効果ガスを2030年までに30%削減することにある。すでにタクシーの25%は燃料効率の良い,ガソリンと電気併用のハイブリッド車に代わっており、30万本以上の植樹も実施されてきている。またエネルギー効率を高めるための努力は数十の公共建物と、ニューヨークを象徴するエンパイア・ステートビルを含むさらに多数の民間ビルでなされている。計画が実施されてわずか3年で、ニューヨーク市全体では炭素の排出量が9%減少した。
対処法の二つ目は最初から新しい都市を建設することだ。例えば、不動産業者のシドニー・キットソンはフロリダ南部にすでに9万1,000エーカー(約370平方キロメートル)のバブコック・ランチを取得し、新しい街作りを計画している。手始めが、その内、7万3,000エーカー(約290平方キロメートル)を超える広大な土地を永久保護地区として残すため、州政府にこれを買い取らせことだ。
4万5,000人が住めるようにした街の中心部には、ビジネス・商業施設や高密度の住宅が開発され、ダウンタウンは近郊のいくつかの地域と公共の交通機関で結ばれる。この街の目的は、街自体を環境に優しい街のモデルにするとともに、再生可能エネルギーの研究と開発を行う国の中核的な拠点にする点にある。
街の特徴には、電力の100%を太陽光発電から得るとしたほか、住宅及び商業用ビルのすべてをフロリダ州グリーンビルディング協会(Florida Green BuildingCoalition)が定める基準に合致させたこと、住民が徒歩や自転車で通勤できる40マイル(約64Km)以上のグリーンウェイを作ろうとしていることなどが挙げられる。
米国から地球を半周したところにある石油の豊富なアブダビでは、5万人が住めるマスダールシティーの建設が始まっている。政府の目標はこの地に、国際再生可能エネルギー研究・開発センター、いわば東のシリコンバレーを作ることにある。電力の大部分を太陽光エネルギーで賄い、断熱ビルが建ち並ぶこの都市は、自動車をなくし、代わって、線路上を走る、電動の、コンピュータ制御による個人所有の乗り物が主体の交通網を作ろうとしている。
世界でも水の乏しいこの地域には、都市で使用した水を絶えずリサイクルする計画もある。ここにはごみ処理場に捨てられるものは何もない。すべてのものがリサイクルされ、あるいは堆肥となるかエネルギー供給のために気化される。こうした人工都市が都市として充分機能するかどうか、人が住み、働く場所として魅力的なところとなるかどうか、答えが出るのはまだ先である。
私たちはまだ、人類が望む未来の姿の片鱗を見始めたに過ぎない。2006年、ヒストリーチャンネル主催の未来のニューヨークコンテストが開かれたとき、参加した設計事務所は一週間以内に、百年後のニューヨーク像を描くことになった。
そのなかで建築家のマイケル・ソーキンを中心とするデザインスタジオTerreFormが提案したのが、自動車の数を徐々に削減し、市の道路空間の半分を公園や農場、庭園に代えるという案だった。デザイナーたちは、2038年までにニューヨーク市民のほぼ60%が徒歩通勤するようになり、市が最終的には歩行者にとっての天国になる姿を描いて見せた。
今のところ、TerreFormの提案は現実離れしていると思えるかもしれない。しかし日常茶飯事となったマンハッタンの交通渋滞を今のままほっておくわけにはゆかないだろう。それは財政的な負担を増やすだけでなく、住民の健康を脅かす恐れがあるからである。企業や投資会社で構成されるニューヨーク市パートナーシップは、市内および周辺の交通渋滞に伴うコストは、失われた時間と生産力、無駄となった燃料、企業の逸失利益を考えると、控えめに見積もっても年間130億ドル(約1兆700億円)以上になると試算している。
世界中の市長や都市計画担当者は自動車の役割を考え直し始めており、クルマではなく、ヒトが中心の町作りを模索している。公共交通機関が定着している都市の交通システムに歩道と自転車道路を組み込むなら、ほぼ全面的に自家用車に依存する都市に比べて、都市の暮らしやすさはさらに著しく向上する。騒音、排気ガス、交通渋滞、人の苛立ち、これら全てが緩和され、ヒトも地球も共により健康な状態になるのである。