2001年06月29日
生物多様性(2001.06.29)
[No.466][No.476] で、生物多様性について書いたのですが、おふたりの方から、まったく同じコメントをもらいました。「一生懸命読んだけど、何が書いてあるのだか、よくわからない!」という感想です。
「書き方が悪かった」という見方もできるのですが(^^;)、私自身も何となくこのコメントがわかるような気がします。頭では「生物多様性の問題」は分かる気がするのですが・・・。もう少し「この感じが何なのか」わかってきたら、また書きたいと思います。
・・・とここまで書いたところで、
> 生物多様性という概念について、わかりやすく説明されているものがございまし
> たので、連絡させていただきます。
> 森林総合研究所北海道支所の方で平川浩文さんという方が書かれました、「生物
> 多様性の保全」という文章です。
> http://member.nifty.ne.jp/gap/report/11HIrakawa.pdf
というメールをいただきました。すごいグッドタイミング!にびっくり(^^;)。
ありがとうございます!
早速読んでみました。アンダーラインを引いた箇所から"つまみ紹介"します。
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ではこうした定義から「生物多様性の保全」がどういう主張か、わかるだろうか。多くの人はとまどいを覚えるだろう。このためもあって、「生物多様性」という言葉に対する批判は後を断たない。・・・
生物多様性の保全とは、努力目標を示した標語であり、呼びかけであって、実際に何をどうすべきかを指示する運動論・実践論・政策論ではないことに注意してほしい。この意味で、「交通事故の撲滅」という標語と似ている。・・・
では何が「生物多様性」の保全についての理解を妨げ、混乱を引き起こしているのか、それは、多くの人々が「生物多様性」を計量可能なものとして捉え、また同時にこれを運動論に結びつけたことである。・・・
生物自然の多様性を一つの数値に集約すること自体が悪いわけではない。しかし、非常に複雑な生物自然の多様性を包括的に捉えることが出きる多様性尺度はない。どのように複雑な多様性尺度であっても、一面だけしか捉えられないきわめて不完全なものである。・・・
多くの人が「生物多様性」計量可能なものと捉え、またこれを運動論に短絡的に結びつけた結果、「多様度の高い自然が価値が高い(重要だ)」というきわめて奇妙な議論が横行することになった。・・・
こうした議論のどこがおかしいのだろうか。それは、こうした議論には中身についての情報がまったく欠落していることである。たとえば、植物の種数が二つの土地で同じだったとしても、その構成はまったく一致する場合からまったく異なる場合までありうる。ところが多様度はそれについて何も語らない。数値だけで中身を抜きにした保全論議・価値論議にはまったく意味がない。・・・
結局、生物多様性の保全とは、多様度の高い自然を作ることでも、多様度の高い自然を守ることでもない。各地それぞれ特長ある在来の自然を守ることであり、その自然を構成する在来の植物や動物を失わないことである。・・・
では、放っておけば止めどなく進む開発の動きに対して、各地域の自然を適切に保全していくにはどうすればいいのか。・・・
個別の保全努力は重要である。しかし、これを以下に協力に続けていっても、全体としてみれば、結局虫食い状態になるのは目に見えている。保護区など特定部分での保全努力だけに期待するのではなく、全体を視野に入れトップダウンで保全の枠をはめていくアプローチがどうしても必要であると思う。全体を覆う津ランドデザインが必要なのである。・・・
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この論文では、「生物多様性」という概念を軸にした自然環境保全の動きがいつ頃どのように始まり、92年のリオサミットでの「生物多様性条約」に至ったかについても簡単に紹介してあり、参考になりました。
「中身を伴わない数字のひとりあるき」「個別努力も重要だが、グランドデザインが必要」という点は、生物多様性にかぎらず、そのとおり!と思います。