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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2002年11月08日

たこ焼きを焼きながら考えたこと (2000.10.29)

森林のこと
 
[No.289] でご紹介した「木にふれあうフェスティバル」に参加してきました。 模擬上棟式に、宮城県の田舎に住んでいた小さい頃、周りの田んぼが次々と住宅に変わっていた様子を思い出しました。朝小学校に登校するときに、目星をつけておくのですね。「あの建てかけの家は、今日ぐらいじゃないか」と。学校帰りに建築現場に寄ると、"たてまえ"といって、大工さんが屋根から紅白のお餅や小銭の入ったおひねりを投げるお祝いをやっています。大人も子どももお餅をキャッチしよう、拾おうと、キャーキャーと賑やかでウキウキするお祝いでした。 その頃は、地面しか見ていなかったので(^^;)、その餅捲きのまえに、厳かな儀式が執り行われていたことは、この模擬上棟式で初めて知りました。ああやって祈りや命を吹き込みながら、大工さんたちは家を作っていたのだな、と。 まえに「最近の大工は家を建てているというより、2x4の組み立てをしているだけの人も多い」と聞いたことがあります。フレーマー(フレーム=型を組み立てる人)と陰で呼ばれることもあるとか。 我が家には神棚もないし、家を建てる予定も全くありませんけど、もしそういう事態になったら、組み立てではなく、あのように命を吹き込んでくれる人々に家を造ってほしいなぁ、そしていっぱい紅白のお餅を撒きたいなぁ、と思いました。 ところで、このフェスティバルでは、私も参加させてもらっている木材業者のネットワークはタコ焼き屋さんを出していて、私も少しお手伝いしました。タコ焼きは「タコ焼きにするのはもったいない」と魚屋さんにいわれたという新鮮なタコのぶつ切りに、大阪直送のタコ焼き粉と天かす、アサツキがまぶしてある、という豪勢なもので、とてもよく売れました。 タコ焼きを焼きながら気づいたのは、タコ焼きを美味しそうに頬張って食べた後に、ちょっとどうしようかな、という感じのお客さんがいるんですね。何を「どうしようかな」かというと、タコ焼きを載せるトレイなんです。木材業者の集まりですから、スギの間伐材を薄くスライスして張り合わせたウッドトレイ(エコトレイなど最近はいろいろ出ています)を使っているのです。 見るからに「木のお皿」です。イベント用のシングルユース(一度使うためのもの)ですが、洗えばけっこう何回も使えるお皿です。タコ焼きを食べ終えたお客さんは、「このお皿、どーしたらいいのだろう・・・。捨てるにはもったいないし。手に持って歩くわけにも行かないし・・・」という感じだったのだと思います。おずおずと店の横のゴミ箱に捨てる人、私たちに返してくれる人もいました。 1日目が終わってこのグループで話していたときに「発泡スチロールのトレイだったら、あんなに迷うだろうか」という声がありました。 皆さんはどう思われますか? タコ焼きのお皿、発泡スチロールだったら、何もためらわずに捨てちゃう。木のお皿だったら、捨てるにしても何かちょっと罪悪感というか心の痛みを感じちゃうという方も多いのではないかな、と思います。 まだ考えがまとまっていないのですが、タコ焼きを焼きながら考えていたのは、「木=命」という意識があるからだろう、と。このフェスティバルでは、林業や国産材の置かれた現状を知ってもらうための紙芝居でやっていましたが、そこでも、「木は生きているんだ、それなのに・・・」と登場木?が泣き、観客の涙を 誘っていました。 そんな泣く木が身を捧げて変身してくれたと思えば、木の皿は罪悪感なしには捨てられないでしょう。大事に使おう、リサイクルしよう、燃やしてしまうことは避けよう、と思うでしょう。 この辺がうまく表せないのですが、その消費者の"自然な"貴い思いが、間伐材の利用促進を妨げる心理的要因になりはしないか、とも思ったのでした。 間伐は、植栽後15〜35年頃までの成長期に行う手入れで、間伐をしないと、林に光が入らなくなり、ひょろひょろの木になってしまい、木の上部にしか葉っぱがなくなってしまうなど、木の成長に悪影響を与えます。 子ども向けの連載で、間伐のことを書いていたときに調べたら、スギやヒノキは1ヘクタールあたり3000〜5000本の苗木を植え、成長期に7〜8年おきに3回ぐらい間伐を行って、最後には1ヘクタールあたり1000本以下にする、と書いてありました。 「最初から間伐がいらないように、少なく植え付けをすればいいじゃない?」とド素人発言をしましたら、「苗木の段階でよい木かどうかわからないので、ある程度必要なのです」ということでした。 つまり、間伐は継続的に必要で、間伐材は継続的に出てくる、ということです。ある程度は山に捨てておいても山の保全に役立つ面もあるようですが、逆に捨てられた間伐材が腐って病原菌の元になるなどの問題もあり、何よりも「つまみ菜」のように間引きも有効な資金回収源になることが大切なのだと思います。 つまり、間伐材も「つまみ菜」のようにどんどん遠慮なく消費しちゃうことが大切で、(乱暴な言い方をすると)間伐材で作った木の皿もリサイクルとか考えずに、じゃんじゃん捨ててもらった方がよいということになります。 因みに、温暖化の側面からいうと、「木は二酸化炭素中立」という考え方が主流で、これが木質系バイオマスなど、バイオ燃料促進を支えています。「木は成長の過程で、二酸化炭素を吸収し、固定する(二酸化炭素と水と太陽光で光合成をして、成長のための糖分と酸素を作る)ので、燃やしてもその木が吸収してきた分が排出されるだけなので、プラスマイナスゼロである」という考え方です。 「切った後にちゃんと同じように植林すれば」森林全体として、地球全体として、木を切って燃やしても、二酸化炭素の増減はありません。この条件が満たされない伐採が多いため(少なくともイメージとして)森林伐採に対する否定感情が広がっているのだと思いますが、これはまたちょっと別の問題なので、いつかまた。 話を戻すと、間伐材や木材はリサイクルを考えるより、どんどん使って燃やしてよい、という考え方も成り立つのです。建設廃材のリサイクルをこれから進めることになりますが、現場の話を聞いていると、建材には様々な化学物質が入っているのですね。それを考えずに、目に見える「木」だけをリサイクルするのでは、かなり危険な状況も考えられます。これも別の大きな問題なので、いつかまた。 そういうこともいろいろと考えると、「切ったあとは植えること」を条件に、間伐材や木材はどしどし消費すべし、という考え方は一理あるように思えます。そうなったときに、「命ある木」に由来する心理的な抵抗が、特に消費者にはありえるということを考えて進めないと、本筋と違うところで反対され、進まない気がしました。 つまみ菜のついでではないですが、もうひとつ、違う角度から考えてみました。大根と、木と、石油の違いは何か? どう思われますか? 私がこのときに考えていたのは、循環の周期の違いです。再生周期といってもよいでしょう。大根は1年。木は80年ぐらいでしょうか。石油は何百万年、何千万年かけないと再生しないのですね。 これはナチュラル・ステップの考え方でもありますが、「石油を使うことがいけないのではなく、この循環の周期以上に石油を使うことが問題である」ということになります。 今だって、どこかの湖底や海底で、死んだ藻が溜まって改質過程を進んでいることでしょう。それが何百万年か何千万年たてば、石炭や石油になるのでしょう。そのスピードの範囲内であれば、石油も石炭を使うことは何の問題もありません。 では、木はどうでしょう? [No.270] で高知県について取り上げたときに、木の総蓄積量を変えずに、成長する分だけを伐採するとして「全国の木材供給能力を試算すると、消費量の約2.3倍程度の供給力がある」という推算をご紹介しました。循環(再生)周期の範囲内で、十分に供給できる量があるのですね。となったら、やはり石油ではなく木材を使うこと(お皿でも燃料でもその他でも)が理に適っているのではないか。 石油は「無機的な命なきものだから、じゃんじゃん使っちゃえ」という業界?の心理作戦が成功しているのだとしたら、そうじゃない、石油だって植物の命の結晶なのだ、しかも結晶に気が遠くなるほどの時間がかかるのだ、という「逆刷り込み」も木材業者も私たちも作戦として考えなくちゃいけないかも。 な〜んてことを、タコ焼き台で考えていました。まだ自分でもよくわかっていないので、何かご意見やヒントなどあれば、お寄せ下さい。11月のエコ・ネットワーキングのパーティでもこのウッドトレイが登場しますので、ぜひ使ってみてください。また会にいらっしゃれないけど、ウッドトレイに関心のある方、イベントなどで使ってみたい方、入手先におつなぎします。 ところで、タコ焼き終わって日が暮れて、おみやげにと「タコ6匹、アサツキ5把、タコ焼き粉2袋、卵4個、サラダ油半本」をもらって帰る私は、タコ焼き帰りというより、これから焼きに行くみたいでした(^^;)。 タコ焼きって、クルリと上手にひっくり返せて、美味しそうに焼け色がついてくる、あの達成感が病みつきになるってことも学んだ秋の日でした(^^;)。
 

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