ホーム > 環境メールニュース > コミュニケーションの三原則

エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2005年05月17日

コミュニケーションの三原則

コミュニケーション
 
*日本語と日本語の翻訳機 ちょっと雑談っぽくなりますが、最近思っていることを書きます。ここしばらく、いろいろな所から環境に関して「手伝ってほしい」「参加してほしい」「やってほしい」というお声掛けをいただいています。 「確かに環境関連産業は伸びているんだなぁ。会社を作ったら儲かるかも(^^;)」と個人レベルで実感しつつ、思いが重なるところはできるだけご一緒させていただいていますが、何が求められているのか、少しずつわかってきました。 多くの組織や活動が、通訳者や翻訳者をお求めなのですね。だから私の所にいらっしゃる。通訳や翻訳といっても、この場合は「英語と日本語」ではなく「日本語と日本語」なのですが。 これまで環境問題への取り組みは、各分野の研究者や科学者、自治体や企業、NGOや市民がそれぞれ行ってきたのだと思います。それがだんだんと、「自分たちだけ」ではなく、「垣根を超えて」いっしょに進めなくてはならなくなってきた。または自分たちがやっていることを、他の人々にもわかってもらう必要がでてきた。他の人々がやっていることも自分たちが理解する必要がでてきた。 そうしたときに、「専門家と一般市民」「企業と消費者」「ある専門分野と別の専門分野」「自治体と住民・企業」「大人と子ども」などの間に、"インターフェイス"が必要となる場面が多いようです。 専門家の専門的な知識はそのままでは一般市民には通じませんから、「要するにこういうことですよ」と翻訳する。一般市民の日常的感覚に基づいたコメントをその専門家の専門性につながる形で伝える。 子どもに「温暖化」といってもわかりませんから、「1枚でちょうどいいのに、セーターを2枚も着ちゃったら暑いでしょう? 地球はいまそんな感じなんだよ。地球のセーターって何だと思う?」と説明する。 「企業と消費者」にしても、両方の立場と制約がある程度わかっていて始めて、「いいたいことをお互いにいうだけ」を超えたコミュニケーションが可能になります。そういう「平たく言う翻訳機」みたいなインターフェイスです。 本当の通訳(英/日という意味です)をしていてもよく思うのですが、コミュニケーションとはそもそも「立場や理解が違う相手に、何かを伝えること」です。つまり何らかのギャップを乗り越える努力がコミュニケーションだと思います。 そのときのギャップには少なくとも2種類あるように思います。
(1)知識のギャップ:専門家と素人のように
(2)置かれた立場のギャップ:企業と消費者のように。
たとえば企業にとって「当然」のことが消費者にとっては「当然」ではありませんし、逆も同じです。 (1)知識のギャップを超えるには、専門家側が「噛み砕く」努力をどれほどするか、ですが、この努力をする/しない、できる/できない専門家を(通訳ブースや打ち合わせの席で)たくさんみてきました。 何が違うんだろう?と思っていましたが、努力をする、または努力ができる専門家は、たぶん -自分が子どもだったことを覚えている大人(=知らない、わからないという状態を忘れていない専門家) -相手に伝えることが大切だと思っている人 -相手に伝わっているかどうかについて、感受性がある人
なのだと思います。 (2)立場のギャップも同じですが、
・相手の立場に身を置ける人
を付け加えることができるでしょう。 英語では、put oneself in sb's shoes(人の身になって考える)というとてもわかりやすい表現があります。put myself in their shoes といえば、彼らの靴に自分の身を置く、ということで、彼らの身になって考える、という意味です。 *コミュニケーションの三原則 優れたコミュニケーターには共通する3原則があると思っています。 その1:伝えるべき内容を持っている
その2:伝えようという気持ちを持っている
その3:伝えるためのスキルを持っている 「その2」がいちばんの基本であり、「その3」のスキルに、伝えるスキルだけではなく、伝わっているか確認しながら進めるための「感受性」が入るなぁ、と思います。 どこかでこんな話をしましたら、ある人が「いやー、自分は感受性が鈍いのでダメですわ」というので、こう答えました。「感受性が鈍いと自覚されているのは、その自覚もない人よりずっとマシですよ(慰めにならないか・・・ 。 でも感受性があってもなくても、伝わっているかを確認する方法はひとつです。相手に聞いてみることです。鈍いなら尚更、相手に確かめながら伝えられたらどうでしょう?」 私は大学・大学院時代は、カウンセリングを専攻していました。来談者中心療法といわれるロジャーズ派でしたから、「とにかく相手の話をひとつずつ確認しながら、どこまでも聴く」のです。もともとそういう志向があったので、ロジャーズ派に惹かれたのだと思いますが、それにしても今につながる訓練だったと思います。 そして通訳の仕事も「相手の話を聞くこと」が基本です。でないと通訳できませんから。同時通訳の場合は、時間的な制約もあって言葉の置き換えになりがちですが、逐次通訳(スピーカーが喋って、次に通訳が喋ると順番にやるもの)の場合は、相手に伝わっているか確認しつつ進めることができます。 数年前にある企業の通訳を3日間したときに、担当部長さんから「これまでお願いした通訳者の中で、キミは2番目に良かった!」と誉めてもらいました。この時はこの企業の外人の方が、日本企業10数社を一社ずつ回ってプレゼンをする通訳を逐次で行いました。 同じプレゼンを10数回通訳したわけですが、全部に同席された部長さん曰く「キミは聞き手の理解レベルに合わせて通訳を変えていたね。客先が技術に詳しいことがわかると繰り返しになる説明は簡潔に済ませ、あまり詳しくない客先では丁寧に訳していたでしょう」。「しかも毎回初めてのプレゼンみたいに!」(実はこれがいちばん大変だった) こうやって考えてみると、「人の話を聞き」「それを伝える」仕事を始めてもう15年になるのだなぁ、と思います。セッティングは「カウンセリング」「通訳」「環境コミュニケーション」と変わってきましたが。 英語のサイトも動き出しましたし、「日本語と日本語」のみならず「英語と日本語」のインターフェイスの役割も少しでも果たしていければと思っています。 *みみをすます この雑談の最後に、私の大好きな詩をご紹介します。長いので一部だけですが、谷川俊太郎さんの「みみをすます」(福音館書店)です。 >> みみをすます
谷川俊太郎 みみをすます
きのうの
あまだれに
みみをすます みみをすます
いつから
つづいてきたともしれぬ
ひとびとの
あしおとに
みみをすます
・・・・・ みみをすます
しんでゆくきょうりゅうの
うめきに
みみをすます
かみなりにうたれ
もえあがるきの
さけびに
なりやまぬ
しおざいに
おともなく
ふりつもる
プランクトンに
みみをすます
なにがだれを
よんでいるのか
じぶんの
うぶごえに
みみをすます
・・・・・ (ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)
・・・・・ みみをすます
きょうへとながれこむ
あしたの
まだきこえない
おがわのせせらぎに
みみをすます << 原文でも( )に入っているのですが、その部分はカウンセリングでも今の自分の仕事にとって座右の銘にしたいほどです。
 

このページの先頭へ

このページの先頭へ