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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2005年06月20日

ひっそりと時代の最先端、経木工場見学記 (2001.02.24)

森林のこと
 
私は富山へ出張する機会が多いのですが、そのたびに「鱒寿司」をいただいたり、おみやげに買って帰ります。美味しいですよね。これまでは「中身」にしか興味がなかったのですが、その美味しい鱒寿司が美味しく入っている「箱」はどうやって作られているのか、初めて知りました。 経木(きょうぎ)ってご存じですか?  木材を薄く削りとったもの。「剥ぐ(へぐ)」から来た「片木」「折」(へぎ)。きわめて古くから行われていたもので,適宜の長さに輪切りにした原木をなたで割り,それを〈へぎなた〉などと呼ぶ刃物で薄く削りとった。「経木」とは片木を短冊形にして経文を書写したことによる呼称で,三条西実隆の日記には法華経を書写するために経木を買った記事があり,そうした写経の遺品としては奈良元興寺極楽坊に鎌倉〜室町期のものが伝存している。片木がより薄く,より表面のなめらかなものになるためには,台鉋(だいがんな)が必要であった。それは15世紀ごろに登場し,さらにくふうが施されて幕末には紙のように薄い製品ができるようになる。そして,現在では片木一般を経木と呼ぶ。(平凡社世界大百科事典より) 経木には、「厚経木」と呼ばれる厚さ1mmのものと、「薄経木」という厚さ0.25mmのものがあります。薄い方はおにぎりを包んだりするのに使います。厚い方は、ぐるりと輪にすれば「曲げ物」(底とふたをつけて、お弁当や和菓子の容器になります)。2枚張り合わせて折り目を付ければ、角形のお弁当箱のぐるりになります。それから魚屋さんや八百屋さんで値段が書いて置く「手札」にもなります。 北見でこの歴史ある「経木」を作っている工場に連れて行ってもらいました。とっても素敵な経験だったので、ご紹介したいと思います。原料は北海道のエゾマツです。元玉と呼ぶ、木の元の節のない部分を使います。お祖父さんは曲輪職人だったという2代目の工場は、小さいけど温かい空気の中に職人さんたちの<気>が感じられる、そんな工場(こうば)でした。 小雪のちらつく中、工場の前で「皮むき」をしていました。運ばれてきた太いエゾマツの木の樹皮をほとんど手作業のように器具を使って剥きます。大きな製材工場だと轟音と共に一瞬にして裸の木がごろりと出てくるのですが、ここでは、木を転がしながら少しずつ剥いていきます。 樹皮が向けたら、「玉切り」です。折箱の大きさに合わせて、46〜76cmの長さに木を切ります。 次が「割り作業」と呼ばれるもので、薪割りのようなものです。すとんとした丸太の棒を、鋸で切るのではなく、縦方向に割るのだそうです。このように「割る」のは、自然(木)に逆らわないので、割った断面は木の節や癖でガタガタです。それを見ながら、取り方を考えるそうです。 そのように一本一本の木と"相談"しながら、「木取り加工」をします。必要な長さや幅を考えながら、木の長さを揃えたりします。 そしていよいよ「突き作業」と呼ばれる「剥ぐ(へぐ)」作業です。とても簡単な造りの機械で、いってみればカンナを歯を上向けに置いた上を、枠が左右に滑るだけです。その枠に木の板を置いて、枠といっしょに滑らせると、カンナの歯で薄く削られて、下のローラーで伸ばされて出てきます。1分に50枚という、リズミカルな動きです。 その前に立つ職人さんはとても忙しく、キビキビと動いていらっしゃいます。手は板を押さえて忙しく左右させながら、出てくる薄い板片をすばやく調べて、カンナの歯を微調整しています。「同じエゾマツからとっても、堅い板もあれば柔らかい板もありますから」とのこと。 削っているうちに節などが出てくると、それ以上は削りません。本当に「木と相談しながら」作業なさっているようでした。この作業は職人芸です。経験が要るそうです。木に「耳を傾ける技能」なのだろうなぁ、と思いました。 ローラーから次々と出てくる薄い板片を集めて、ざっと調べながら揃え、「両端落とし」です。大きさを揃えて、乾燥室で4日ほど「乾燥」させます。乾燥室には、細かい仕切がついた棚がたくさん並んでいて、この薄い経木を2枚ずつその仕切に入れ、十分に空気に触れるようにして、乾燥します。もちろんすべて手作業です。 最後に、もう一度寸法を合わせ、検品をして、梱包して出荷です。何とも手を掛けた作業です。富山の鱒寿司でいうと、この近辺の2つの工場で作った厚経木を富山や金沢の折箱屋さんが箱に仕上げるそうです。 「鱒寿司用だけでも年に200万箱分、作っていますよ」。わぁ、200万人もの美味しい気分はこのような工場の職人さんたちが支えてくれているのですね。 さて、節が出てくるとそこで削るのをやめると書きましたが、そのような板は節の部分を切り落とし、寸法が小さくてよいもの用にまた削ります。お弁当箱のフタになり、フタの大きさにならないものはもっと小さな手札などになるそうです。そうして、最後の最後まで使い切ります。 時には、老齢過熟木といって、赤く変色しかかった木もあります。倒れる直前の木なのでしょう。それも大切に削ります。ただ色が見えるとお客さんがいやがるので、薄経木を作って、でんぷんのりでサンドイッチにして、色は出ないように工夫して、やっぱりすべて使い切るそうです。 最初に剥く皮も使い道のない木片もおがくずも、工場や乾燥室の薪ストーブの燃料になります。手作業の助けになるくらいの簡単な機械は電気で動きますが、その他のエネルギーは人力だけ。廃棄物もなし。「わぁ、究極のゼロエミッション工場ですね!」といいましたら、笑っていらっしゃいました。 あとで計算してもらいましたら、家を150軒建てる分の木で、四角い折り箱換算で、年間に4500万箱の製品すべてが作れるそうです。「昭和35年にはこういう工場は50軒もありました。今では8軒だけです。その8軒で力を合わせてやりくりしながら、問屋さんや折箱屋さんとの昔ながらの関係に支えられて、何とかやっています」。 「老舗のお弁当屋さんは、今でも経木のお弁当箱を使ってくれます。関東なら、柴又の寅さんのお団子の箱にもありますよ。崎陽軒のシューマイ弁当もそうです。他のは紙に切り替えても、これだけは、と使ってくれています」と。そして「最近は、木の香りを臭いと嫌う人がいるとかで、紙への切り替えも進んでいるのですが」と淋しそうにおっしゃっていました。 最初から最後まで作業を見せていただいて、「ここの職人さんは、きっと『ききみみずきん』をかぶっているんじゃないかな?」って思いました。かぶったら木や鳥や動物のことばがわかるという「ききみみずきん」です。 「いくら最先端のCADだって勝てないだろうなぁ」と。このように木と相談しながら、どこをどう活かして削ればいちばん上手に、最後の最後まで木を使えるのか、職人さんはスゴイ!と思ったのです。 この工場に「きっと貴方好みだと思いますよ」と私を連れてきてくれた木材業者の方は、「在来工法はそういうものなのです」とおっしゃっていました。「木を見ながら、最大限に木を有効活用するやり方なのです」と。最近少しばかり2×4や、集成材についても勉強させてもらっているので、私にも少しその意味がわかりました。 そして、「いただきます」とは、「(あなたの)命をいただきます」だという言葉を思い出しました。北海道の寒い森の中でしっかり根を張って育った立派なエゾマツを、職人さんたちが余すところなく大切に使い切って作るお弁当箱や手札。しっかり「いただきます」といって使わせてもらい、「森を守るため」というヘンなリサイクル意識で化石燃料を投入してリサイクルしたりするのではなく、ちゃんと土に還すか(埋めれば還る「究極の生分解性製品です)、灰にして自然に還すかして、自然の循環に少しでも沿うように、そして無駄のないように、使わせてもらうことだなぁ、と思ったのでした。 「ゼロエミッション」とか「循環型」とか「自然に還る製品」とか、近年新しいキーワードのように叫ばれていすが、ここ留辺蘂町ではずーっと昔からひっそりとそのような生産を続けてきたのですね。古いモノが新しい。新しいモノを追っていったら「昔」に還ることだという思いを時々しますが、「循環型」というコンセプトも循環するのかしら、と思ったのでした。自分の尾を噛む蛇、ウロボロスみたいに。 これからはシューマイ弁当にしても鱒寿司にしても、中身ももちろん大事に味わいますが、その箱をじーっと見て、遠い留辺蘂町の薪ストーブの暖かな工場の職人さんのリズミカルな動きと真剣な眼を思い出しそうです。しっかり「いただきます」! 駅弁の楽しみが深まりました。
 

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