エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース
2005年06月20日
奥能登塩田村-恒環境化と生物的時間 (2001.09.09)
8月上旬に夏休みの1週間を能登半島でゆっくり過ごしてきました。地元の人には、「どうして、こんな何もないところに1週間もいられるの?」といわれましたけど、テーマパークもファミリーレストランもない能登半島は最高のバカンス地だと思っている私です。
今年で能登半島は3年目。今年は、奥能登塩田村に寄ってみました。
こじんまりして居心地の良い博物館です。まず、クイズがありました。おひとつ、いかが?「海の水をすべて蒸発させると、どのくらいの塩が残るでしょうか?」
答え:高さ35メートルの塩の高原が残るそうです。
解説:地表の70%は海。その海に約3%の濃度で塩が溶けています。
現在、世界中で年間2億トン弱の塩が生産されているそうですが、そのうち、海水から直接作る塩は25%ぐらいだと書いてあってびっくりしました(それが主流かと思っていました)。岩塩からが40%、湖塩からが30%だそうです。
面白いことが書いてありました。紀元前4〜5世紀、ローマ帝国時代、兵士への給料は「塩」でも支払われていたそうです。「兵士の塩」というラテン語、「サラリウム」から、お馴染みの「サラリー」という言葉が来ているんですって。
塩を作る方法を、時代を追って示すジオラマが4つ並んでいました。
最初は、「藻塩焼き」です。50センチ角ぐらいの箱の中で、古代の人間をかたどった小さな人形たちが塩を作っています。藻についた塩を海水で洗い流し、それを煮詰めて作っています。
次が「揚げ浜・入り浜塩田」です。ちなみに、この塩田村では、500年前と同じ、揚げ浜式で塩を作っています。桶で何往復もしながら海水を大きな桶に集め、砂の上に、霧状に撒きます。かん砂(海水のついた砂)を集めている人形もいます。集めたかん砂の上から海水をかけ、かん水(濃い塩水)を貯めます。それを合計18時間ほど炊いて、水分を蒸発させるという製法です。
入り浜式は、潮の満ち引きを利用して、海水を自動的に浜に引き入れる方法で、瀬戸内海地方に適しており、江戸時代から昭和の初め頃まで盛んに行われました。
3番目のジオラマを見たとき、「わぁ、いいなぁ!」と思いました。「流下式塩田」と書いてあります。
「海水を緩やかな傾斜をつけた粘土製の流下盤に流し、太陽熱で蒸発させて濃い海水にする。これを竹の枝で組んだ枝条架の上からたらして、風力でさらに水分を蒸発させ、残った塩水を釜で似て、塩を作った。昭和30年代に行われた製法」。
太陽熱と風力で海水から塩を作るなんて、いいなぁ〜と思ったのでした。
最後のジオラマは、そのまえ3つのものとはまるで異質のものでした。「イオン交換膜法」という、現在主流の製法です。
その名前から、何となく「化学的に」塩を作っているのか、と思っていましたが、そうではなく、やはり海水を濃縮・蒸発して作るのですね。3%の濃度の塩を効率よく集めるために、イオン交換膜を使います。この膜を通り抜けられない微妙なミネラルや成分があるでしょうから、やはり天然の塩とは違うのでしょう。
私が「前の3つと全然違う!」と思ったのは、なめてみたわけではなくて、そのジオラマの外観でした。それまでの3つはどれも、海があり、浜があり、お日さまの下で人間が作業しています。
それに対して、最後のジオラマは、「工場」なのでした。大きな建物の中で工程が行われているのでしょう、人の姿も見えませんし、もちろん、その工場の中で作業している人からも、海やお日さまも見えません。
「このような工業的な生産方法によって、それまでは雨など天候に左右されていた塩づくりが、安定して行えるようになった」という解説を見ながら、東工大の本川達雄先生の『時間 生物の視点とヒトの生き方』(NHKライブラリー 922円)を思い出しました。
この本は、日本青年会議所の今年の会頭である土屋さんが、「枝廣さん、本川先生と対談して、面白い話を聞きましたよ。お薦めですよ」と教えてくれたもので、とってもユニークな視点や話が満載の、本当に面白い本です。
本川先生は、「人間一人が食べるエネルギーを『1ヒトエネ』として、自分の体を基準に、エネルギー消費量を考えてみよう」と提唱なさっています。先生は「動物のサイズ」に着目なさっていて、その話もとても面白いのですが、詳しくは本書をどうぞ。関係あるところだけ引用します。
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人間が食べて体が使うエネルギーは他の動物並みですが、現代人はこの他に、石油や石炭などから得たエネルギーを大量に使っています。その量を国民一人当たりにすると、体が使う分の40倍のエネルギーを使っているのです。(中略)
これはものすごい数字です。変温動物から恒温動物へと進化したときに、30倍になったのですが、それをさらに上回る数字なのです。恒温動物の出現といえば、進化の歴史上の大事件です。エネルギー的に見れば、これに匹敵する規模のことが、縄文時代から現代への過程で、我々人類の上に起こったことになります。
変温動物から恒温動物への進化において起こったことは、体内の環境をできるだけ一定にすること、つまり体の恒常性を維持しやすくすることでした。この環境には時間も含まれています。体温を一定に保てば、時間の速度が一定になり、また高い体温は時間の速度を速めました。
これにより、素早く複雑な行動がいつでもできるようになったのです。体内の恒環境化のために、30倍にもエネルギー消費量が増えたのです。
では、私たち人類に40倍のエネルギー消費量の増加をもたらしたものは、いったい何だったのでしょう? 私はこれを変温動物から恒温動物へという変化の延長線上のこととして捉えられるのではないかと思っています。
人類がエネルギーを大量に使うことにより行っていることは、体の内部環境のみではなく、体の外側の環境までをも一定にし、より高速でありながら安定して性格で予測可能な行動を実現することです。
内外すべての環境の恒常化による、高速・高精度・高再現性の獲得といっていいでしょう。私たち現代人は、恒温動物からさらに進んで、「恒環境動物」になったのだとはいえないでしょうか。
エアコンを使えば、体の外部環境まで恒温動物。電灯をつければ夜も昼間と同じような光環境。夜も動いている工場のライン。私たちは夜という不活発な時間を追放し、昼夜ともに同じ環境にもできるのです。通信網、交通網、どれをとっても現代社会はいつでもすぐに何でもできる環境を作り出しました。
ハウス栽培で冬でも夏の野菜が食べられ、季節の制約なし。好きなときに好きなものを好きなだけ食べられるというのは、まさに恒環境と呼べるでしょう。温水プールで冬でも泳げる、夏にスキーができる施設までできています。都市とはまさに環境を一定にしているところ、都会人は恒環境動物になったといえるでしょう。そして私たちはさらなる安定性と高速性を持つ恒環境作りをめざしています。
このような恒環境化は手放しで喜べるものではありまえん。これは莫大なエネルギーにより可能になっているのであり、地球環境そのものは、そのために悪化の一途をたどっています。
自分のごく近くの環境だけを都合良く恒常化するために、さらにまわりの大きな地球環境の恒常性を犠牲にしているのです。地球温暖化、環境汚染、エネルギーをはじめとする資源の枯渇等、恒環境化はやっかいで放置できない多くの問題を生みだしています。
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長くなるので、引用はここまでにしますが、ではどうすれば?という話が続きます。「省エネは幸せである」という小見出しもあります。
塩田村のジオラマに戻りますが、3つの「お日さまの下での、でも不安定な」製塩方法から、最後の「お日さまも雨も関係ない、でも電力で動かしている」工場式製塩方法に移ったときに、製塩の恒環境化が進んだことをまざまざと感じたのでした。
動物学者の本川先生を、この「時間」という魅力的なテーマに目覚めさせたのは、ナマコだったという話が最後に書いてあります。いちばん最後から引用します。
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現代日本人は莫大なエネルギーを使って時間を早めています。いつでもどこでもほしいものがすぐ手に入り、やりたいことがさっとできるように、世の中を作り上げてしまいました。いわばエネルギーを使ってこの世を天国にしているわけです。
これに比べてナマコはどうでしょうか? ナマコは動物の中でも、とりわけエネルギー消費量の少ない生き物です。(略)ナマコは工夫してエネルギーの支出を少なくすることにより、栄養価の低い砂のようなものを食べてでも生きていけるようになりました。省エネに徹して、地上に天国を作り上げてしまったのです。
これは我々とは、まったく正反対のやり方です。私たち人類は、膨大なエネルギーを使うことにより、地上に天国を実現しようと試みてきました。今やこのやり方は、破綻に貧しています。(略)
私たちは借金して「良い」暮らしをしています。エネルギーは子孫からの借金ですし、国はまさに借金だらけ、赤字国債の山です。このあたりで、借金して得られた「良い」暮らしを見直さなければいけません。何が幸せかを問い直す必要があります。本書で考えてきた「生物的時間」や「代謝時間」が、問題を見直す際の視点を与えてくれることと私は信じています。
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「生物的時間」とは、たとえば、寿命が2〜3年のネズミも、70年のゾウも、どんな動物も心臓が15億回打つと寿命になる。ネズミは0.1秒に1回、心臓を打ち、ゾウは3秒に1回と差があり、それがその生き物の生きていくペースで、生きていく上絵、それぞれ違う時間を持っている」というお話です。
そして、「時間はずっと一定の速度で流れていくという絶対時間の考え方は、実はキリスト教というか西洋の考え方で、そこでは時間は神様のものなんです。ニュートンの物理学も、アダム・スミスの経済学も、デカルトの存在論もみんなその考えの上に立っています。でも、」(後略)
「時間」と「お金」が、環境問題を含めてさまざまな問題を考えていく上での鍵を握っていると私も思っていますし、モモさんをはじめ(^^;)、同じようにお考えの方も多いようです。
塩田村の博物館の外に広がる塩田(体験もできるのです)を見ながら、そんなことを考え考え、天然塩入りのコーヒーをいただいたのでした。(これはコーヒーかなぁ?という、ちょっと変わった海のお味でした。
能登半島旅行の最終日は、魚津で、昨年から環境活動評価プログラムなどにいっしょに取り組んでいる仲間が集まってくれて、楽しいひとときを過ごしました。
余談ですが、通訳だけやっていたときは、どこに出張に行っても、土地の人とお話しすることもないし、その土地に自分の痕跡?を残すこともなく、そのまま静かに帰京していたのですが、環境活動での出張は、それぞれの土地やその土地の人々とのつながりを作ってくれます。あちこちうかがうたびに、次に会ったときには「最近どう?」と声をかけたい、また、かけてくれる人が増えるのはうれしいことです。
で、翌日、魚津を朝早く出て、新潟の安塚町に寄りました。棚田ネットワークの橋渡しで、ここの「コシヒカリオーナー制度」に参加させてもらっているのですが、「今年のウチの田んぼ」の様子を見に行ったのです。
5月下旬の田植えの時には、10センチぐらいのか細い葉っぱだったのに、立派な青年?になって、稲穂ものぞいています。改めて、「土とお日さまと水」の力を感じました。
「ウチの田んぼ」を貸してくださって、お世話してくれている農家に呼んでもらいました。天井の高い古い家(数百年たっているそうです)で、柱も欄間もいい色になっています。土間には、ジャガイモやカボチャが山積みになっています。(いっぱいおみやげに持たせてくれました)
山の斜面にたっている家で、開け放した部屋からは、田んぼと、家の前の畑が見えます。ときどき池で鯉が跳ねる音が、鳥の声に混ざります。
「どうぞ」と出してくださったトウモロコシの甘いこと! 「トウモロコシはもいで1時間以内にゆでないと甘さがなくなるんですよ」とのこと。本当にスーパーで買ったのでは味わえないお味です。
真っ赤になるまで枝で熟したトマトや、「皮が固いけど味は美味しい」というナスの田楽(本当に美味しかった!)、時期にあわせて何種類も作っているという枝豆などなど、本当に贅沢なお昼ご飯をいただいたのでした。
山村部の農家に多いと思いますが、このお家は、平日は工事関係の仕事をして、週末に田んぼの世話をして、自宅用と余れば農協に出荷し、時間のあるときに(おばあちゃんの仕事だということでしたが)家の前の畑の手入れをして、自宅用の野菜を作っています。
「農家の人も、こういう自宅用には肥料や農薬は使わない、という話を聞きました」というと、「そうですよ。まっすぐなキュウリしか売れないから、とキュウリをまっすぐにする肥料もあるそうですよ。町の人は、そんなにまでして、まっすぐなキュウリが食べたいんですかね?」
「ここでは農薬はあまり使わないのでしょう?」と私。「最低限しかね。田んぼもそうですよ。だって山の水が田んぼに入って、順々に流れてきて、そこの池を流れている。上で農薬を使ったらすぐに鯉が死んでしまいます。この辺では、昔から、ほとんど農薬を使わずに作ってますよ」
う〜ん、「農薬を使えば、鯉が死ぬ」という、「ああすれば」「こうなる」という因果関係が目の前でわかるということ、「ああ」と「こう」が分断されていることが多いなぁ、といつも思っているので、感じ入りました。
「まえに、農薬の空中散布をしているところをたまたま車で通ってしまったんですけどね、フロントガラスにビシャっと大量にかかってね、ええ?こんなに農薬を撒いて、米を作っているのか、と思いましたよ」とのこと。
開け放した縁側の向こうから、ひんやりと涼しい山の風が入ってきます。もちろんクーラーはいりません。水の流れる音と鳥の声が聞こえます。テレビもBGMもいらないなぁ、と思っていたら、虫が飛び込んできました。
「あ、虫だっ」と身を引いて反応した私を見て、農家のご主人は笑いながら、「そりゃ、虫もいるでしょう」。
この「そりゃ、虫もいるでしょう」という一言に、私は、奥能登で見たジオラマに感じた「恒環境化」が自分にも影響を及ぼしているんだ〜(あたりまえなのですが)と思い、不要な恒環境化からの脱出方法を見出した気がしました。
私にとっては何となく、「虫はいない世界」が普通になっていたのですね。蚊は、人間様の家の中にいてはいけない。だから網戸、蚊取り線香(いまは電気式ですね)、または、窓を閉め切ってクーラー。
でもこの「そりゃ、虫もいるでしょう」という言葉を聞いてから、「そりゃ、蚊もいるでしょう。刺されてもしばらくかゆいぐらいだし〜」とかなり寛容になった私です。
ところで、自宅のベランダでも、田植えの時にもらって帰ってきた苗がバケツの中で、大きく育ち、しっかり稲穂も頭を垂れ始めています。葉っぱも茶色になってきたし、なかなかのカンロクです。受粉させてくれる虫がいないだろうから、実はつかないかも、と心配していましたが、綿棒でポンポンと受粉させてみたのが効いた?ようです。
目下、この数十粒をどうやって「収穫」し「脱穀」して、いただくか?を考えています。安塚町の稲刈りも、人手を使う(棚田なので大きな機械も入らない)やり方だというので、楽しみにしています。
魚津に泊まって朝早く出るときに、魚津駅の立ち食いそばで朝ごはんを食べました。「とっても美味しかったです、ごちそうさま」と立ち去ろうとしたら、お店の方が、それまで見ていらしたのでしょう、「お箸、洗ってあげるよ」と。
マイ箸を洗ってくれた上、熱湯消毒までして、フキンでキュッと拭いて渡してくれました。手の中で温かいお箸がとてもうれしくて、おうどんの美味しさとともに忘れられない思い出になりました。