エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース
2005年06月21日
「豊かなのはだれ?」 (2001.10.14)
台湾人の友人が、こんなメールを転送してくれました。(原文は英語です)
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「新聞に素敵な記事が載っていたの。ほんとうに味わい深い記事なので、読んでほしいなと思って。」
ある日、大変にお金持ちの家の父親が、息子を田舎へ連れて行きました。息子に、人々が実際にどれほど貧しくなれるものかを見せようと思ったのです。
父親と息子は、田舎の大変に貧しい農家で数日間を過ごしました。
田舎から戻る道中、父親は息子に「どうだった?」と尋ねました。
「とってもよかったよ、お父さん」
「人々がどんなに貧しくなれるものか、わかったかい?」父親が聞きました。
「そうだね」と息子は答えました。
「おまえはこの旅で何がわかったんだい?」父親が聞きます。
息子は、こう答えました。「僕たちの家には犬が1匹しかいないけど、あの農家には4匹いたよ」
「僕たちの家には、庭の真ん中までのプールがあるけど、彼らにはどこまでも続く川があるんだね」
「僕たちは、輸入したランタンを庭に下げているけど、彼らには夜、星があるんだね」
「僕たちの家の中庭は玄関までだけど、彼らには地平線いっぱいあるんだね」
「僕たちは、小さな地面に住んでいるけど、彼らの住んでいるところは見えないぐらい遠くまで広がっているんだね」
「僕たちには、僕たちに奉仕する召使いがいるけど、彼らは他の人々に奉仕しているんだね」
「僕たちは自分たちの食べ物を買うけど、彼らは自分たちの食べ物を育てているんだね」
「僕たちの家のぐるりには、僕たちを守るための壁があるけど、彼らには守ってくれる友だちがいるんだね」
息子の返事に、父親は言葉を失いました。
そして、息子はこういいました。
「お父さん、僕たちがどんなに貧しいのかを見せてくれてありがとう」
私たちはよく、自分が持っているものを忘れて、自分が持っていないものばかりを気にしてしまいます。
ある人にとってはどうでもいいものが、別の人にとってはなくてはならないものであることもあります。
これはすべて、それぞれのものの見方に依っているのです。
もし私たち全員が、「もっとほしい、もっとほしい」といらいらするのではなく、与えられたものの恵みに感謝するようになったら・・・? と思いませんか。
毎日毎日、私たちに与えられるものすべてを喜びたいですね。特に友だちを。
(翻訳:枝廣淳子)
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