エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース
2005年06月21日
富山の売薬資料館で学んだこと (2000.07.05)
先週富山に出張していたのですが、少し時間があったので、五百羅漢を見に行き、そのすぐそばにある富山市民俗民芸村の「売薬資料館」を見学してきました。
「富山の置き薬」というフレーズはよく聞きましたし、最近でも仲間の通訳者が富山に出張というと、たいてい製薬関係の仕事なので、今でも「薬の富山」なのだなぁ、と思っていました。
「売薬」というのは、原料薬の購入から、製薬、行商販売や行商人の組織化まで「川上から川下まで」を包含した業態なのですね。
昭和6年まで、富山で薬は鉱工業生産第一位を誇り、昭和30年代まで、富山の3軒に1軒は売薬関係で、ピークには行商人が1万人もいたそうです。
「現在は後継者難や薬局の拡大によって、売薬行商人の数は減少し、1000人ぐらいしかいません」と、入館券販売窓口の方に教えてもらって、「今でも1000人もいるのですか?」とびっくりしました。私の周りには見かけないなぁ。
ともあれ、野生生物が絶滅の危機を脱したかどうかのひとつの指標が「個体数1000」だそうですから、レッドデータブック(絶滅の危機の可能性がある)に登録すべき存在?かもしれません。
300年の歴史を誇る富山の「配置売薬」の仕組みは、年に1〜2回、客先を回り、薬を預け、次回、使ったものは代金をもらい、使っていない古い薬は取り換えて、補充していく、というものです。
「富山の薬は、使った分だけ払う」お客さんに優しい仕組みであることは聞いていましたが、これを「先用後利」と呼ぶ、というのはここで勉強しました。
「先用後利」って、噛みしめるほどにいい言葉で、「先利不知用」(客の役に立とうが立つまいが、売れればいい)みたいな製品や売り方の蔓延している社会が、みんなで「先用後利」に転換したら、どんなに地球に優しい経済になるだろうなぁ、と思ったのでした。本当に使ってもらえるものしか作らなくなりますものね。
ちょっと似た売り方に、アメリカの通信販売などでよく見かける「使ってみて、謳ってある効果がなかったら、代金をお返しします」というのがありますが、あれは顧客満足にはプラスかも知れませんが、環境負荷低減にはあまり役立たないように思いますが、どうでしょうねぇ。
この資料館でとても面白かったのが、行商人の心構え「示談」というものです。
売薬行商人は、行商先(圏)ごとに「組」を作って、行商を行っていましたが、その「組」の中で、お互いに守るべき取り決めを「示談」と定めていました。
資料館に掲示してあった「示談」には、次のように書いてありました。
一.御公儀の法度を守ること
一.旅先地の慣習を尊重すること
一.決まった場所以外でみだりに行商しないこと
一.薬種は吟味して仕入れること
一.仲間の取り決めた値段より安売りしないこと
一.仲間同士の重置(かさねおき)はしないこと
一.仲間宿(定宿)以外に身勝手に宿を取らないこと
一.旅先で仲間が病気になったときは助け合うこと
一.旅宿で酒宴や女遊びはしないこと
う〜ん、「持続可能な商売のやり方」だなぁ、こういうのを定めて、皆で守りながら300年も続けてきたんだなぁ、と感心しました。とても大切な、学ぶべきものがあるように思います。
私がこの「示談」を読んで最初に連想したのは、FSC(森林管理協議会)の「森林管理に関する原則」です。
+各国の法律や国際条約、そしてFSCの定める規準を守ること
+土地を使用したり所有したりする権利は、明確にしておくこと
+もともとその土地に住んでいる先住民の権利を尊重すること
+森林管理は、地域社会や地元の人たちにとっても有益なものであること
+森林のさまざまな恵みを、有効に使えるようにすること
+森林に住む生き物の環境や景観を大切にすること
+事業を行う際は、長期的な計画と手段を明確にして取り組むこと
+森林の状態、産出される木材の量、作業の状態を調査・評価すること
+貴重な自然林は守り、植林などに置き換えたりしないこと
+植林については以上の原則を守ること。植林の活用を社会にとって有益なものにし、自然林への負担を小さくすること
いかがでしょう? 共通するものがたくさんあるように思いませんか?
売薬行商人は、売懸帳という帳面に、得意先の情報や、それぞれの訪問時に、どの薬が使われていて、いくら払ってもらい、どの薬をどのくらい補充したか、を克明に記録しています。これはまさに、FSCの「8」と同じですよね。
「この行商人の心構えを見ると、全国的に発展した理由が垣間見える」と資料館にも書いてありましたが、時空を超えて発展し持続できる要素が入っていると思います。
300年も昔に、このような「持続可能性の原則」が現場の人々の間から自然発生的にできあがり、法律などなくても皆で守りながら、持続可能な商売をしてきた日本の富山の薬売りのことを世界の人々にも教えてあげたいなぁ、と思いました。
FSCの原則も、各国の専門家が集って大変な作業の末にできたのでしょうけど、「富山の売薬行商人の示談」を参考にすれば、かなりラクになったかもしれない。FSCはこういう原則を作って「進んだ」取り組みをしていますが、まだまだ「進んでいない」業界や分野にとって、この売薬行商人が作り上げてきた「持続可能性の原則」はとても役立つように思います。
入口で全館内が見渡せる小さな資料館ですが、「丸薬の作り方」というビデオを見れば、効率化や利便性を求める人間の生来の性質と、それに伴う機械化・大量生産への道筋が実感できます。
また、「富山の寺子屋では、読み、書き、そろばんに加えて、薬名帳や調合薬付といった売薬の知識を教えていた」という説明文には、日本は「教育の大切さ」を昔から理解・重視していたのだなぁ、環境教育もそうなんだけど、と思ったり、行商人と富山藩との関係には「官民のコラボレーション」の原型が感じられるなど、とても興味深く、楽しいひとときでした。
最後に、FSCとの対比で思ったこと。FSCとは Forest Stewardship Council の略です。日本語訳は「森林管理協議会」として、stewardshipを抜かして(それなりに意訳して)いますが、この stewardship という英語もたいへんに通訳しづらい単語です。
steward というのは、領主館などの執事のことで、辞書を見ると「stewardshipとは steward の役目を務めること」と書いてあって、よくわかりません。よくわからないのですが、この単語は、環境関係の国際会議(欧米人の発言で)ではよく出てきます。
訳しようがないので、そういうときの便利な原則に頼って(^^;)、カタカナで「スチュワードシップ」と訳をつけることが多いです。日本人もそれで何となくわかるのでしょうか、最近では日本人の発言でも「スチュワードシップ」と聞かれることもあります。
この言葉はキリスト教を背景にした言葉です。「人間は神の代理人として世界を世話することを委託されている」という概念です。領主館の領主が「神様」で、領主館のお世話をするのが「人間」なのですね。
FSCも、森林や自然は神様のものだが、人間が代わりにその面倒を見なくてはなりません、という概念が基底にあるのかもしれません。
富山の行商人の例も示しているように、日本には特段「神」や「代理人」などという位置づけをしなくても、仲間や地域の中から自然発生的に、大上段に構えない「ちゃんとお世話し、手入れをする」という発想がある(あった?)ように思います。それは神様のためではなく、自分たち(自分、地域、自分たちを生かしてくれているものすべて)のためなのだと思います。
私には富山の行商人に知り合いがいるわけではなく、資料館見学だけで膨らんだ思いを書きましたので、「ここは違うよ」「こういう面もあるよ」みたいなことがあったら、教えてください。
余談の余談。先日、環境関係の会議で、英/日/中のリレー通訳がありました。中国人の中国語通訳者は、日本語から中国語に通訳するのですが、彼女が休憩時間にこぼしていました。
「中国語には、カタカナみたいな便利なものがないのよー。あなたたちは英語の単語でわからないのは、そのままカタカナでいえばいいけど、中国語ではカタカナみたいにそのまま音でいえばいいって便利なワザが使えないのよー。
コミットメントとか、アカウンタビリティとか、パートナーシップとか、カタカナでいわれても、意味がわからないから通訳できないのよ。ちゃんと日本語に通訳してくれる? まあ、日本人の発表者もカタカナでいっているけどねぇ」
日本語の通訳者一同シュンとしたのですが、たとえばアカウンタビリティは「説明責任」という訳語があるけど、「それではニュアンスが伝わらないから、カタカナでいってくれたまえ」といわれることも多いし〜、とモゴモゴ。
英語通訳者のひとりがいうに、「日本語にカタカナが氾濫しすぎているのを正そうと、文部省の委員会が答申を出したそうよ。でもそのタイトルが『日本語のコミュニケーションについて』とカタカナなのよね〜」。