エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース
2005年06月21日
桜貝と棚田と資源ゴミ (2000.08.16)
桜貝が絶滅の危機に瀕していることをご存知でしたか?
サクラ貝:ニッコウガイ科の二枚貝。北海道南部から九州、さらに朝鮮半島や中国にかけて、水深20mほどの細砂底に生息する。近年の海岸の環境汚染で絶滅の危機に瀕している。
小貝の産地として、能登の増穂浦、鎌倉の由比ガ浜、紀伊の和歌浦が、日本三名所だそうですが、現在では、能登の増穂浦が桜貝の産地としては随一、とお土産コーナーに書いてあります。
いま、夏休みの能登半島一周旅行中。増穂浦で山ほど小さな貝殻を拾ってきたところです。静かな入り江の白い砂浜の波打ち際に、小さな貝殻の帯がどこまでも続いています。
しゃがんでよーく見てみると、桜貝、キサゴ、ツメタガイ、ウノアシ、トマヤガイ、その他名前も知らない小さな貝殻がたくさん重なり合っていて、その昔「貝殻大好き少女」だったわたしは、海水浴そっちのけで、近くのスーパーで仕入れたタッパーに、あれも、これも、と熱中して貝拾い(^^;)。
小貝で有名、というだけあって、本当に小さいんですよ。大き目のツメタガイ(これは二枚貝に穴を開けて食べちゃうカタツムリみたいな巻貝です。よく貝殻に丸い穴があいているのは、コイツの仕業です。でもその穴に糸を通すと、貝殻のネックレスができます)は1〜2cmのものもありますが、あとはmmで表示するようなちっちゃな貝たちです。
大きさは8mmでも5mmでも3mmでも、どの貝も完全な完結した姿をしているのに感動してしまいます。誰かが「貝殻はコスモス(宇宙)だ」と言ったのを読んだことがありますが、本当にそんな感じです。
ここ増穂浦には、厳寒期になると、100メートルに及ぶピンクの帯が海岸線を彩ることもあるそうです。いつまでも小さな貝殻のたくさん打ち寄せる、とりわけ美しい華奢な桜貝もたくさんたどり着く浜であってほしいと、心から思います。
お土産コーナーには「平安朝より縁起のよい貝です。能登路より開運をどうぞ」と、小さなビンに詰めた桜貝が並んでいました。
汐染める 増穂の小貝拾ふとて
色の浜とは いふにあるらん
(西行法師)
昨日は増穂浦をあとに、輪島へやってきました。輪島の周辺は棚田で有名なところです。よく知られている「千枚田」には今日寄る予定ですが、昨日も海の景色を眺めようとたまたま車を停めた谷あいにも、棚田が何枚も重なっていました。
棚田を見た人はだれでも思うでしょうけど、「これを維持するのは本当に大変だろうなぁ」と思います。機械はもちろん入る余地がありませんし、あれだけの急勾配の斜面にしがみついているような小さな、何十枚もの田んぼのお世話して歩くことは、本当に根気の要ることだろうなぁ、と思います。
いちばん上の棚田は、子ども用の小さなビニールプールぐらいの大きさでした。穂を垂れ始めている金色の小さな田んぼを見ていたら、前に見た写真集を思い出しました。
「アジアの食料」という写真集の中にも、棚田の写真がありました。やはりこのくらいの小さな棚田で、年老いた農家の人がはいつくばるようにして手入れをしている写真でした。その写真に添えられていたキャプションは、「1年間、大変な思いをして手をかけて、この田から取れるコメは、4人家族の1週間分に満たない」。
ここ輪島の民宿には、各階に5つずつゴミ箱があって、部屋にも分別して捨ててください、とお願いの紙がはってあり、分別回収が進んでいることがわかります。輪島市が作成した分別回収のポスターを見ていたら、17種類に分別していることが分かりました。それぞれにわかりやすい説明文と絵をつけているので、これなら迷わずに分別できそうです。
先日の講演会で、最初に「エコクイズ」というのをやったのですが、そのひとつに「市町村によって分別回収の方法は異なりますが、細かく分けているのは何種類まで分けているところがあるでしょう?」というようなクイズを出しました。
どこが「日本一」かは定かではありませんが、答えでは、水俣市の24種類、愛知県碧南市の 32種類、という例を挙げました。輪島市の17種類もなかなかです。
翻っていつも、わが川崎市の現状をナントカしなくちゃ、と思います。「燃えるゴミ、燃えないゴミ」の基本的分別もなく、空き缶、空き瓶、乾電池、粗大ゴミを別に回収するぐらいで、あとはいっしょくた、しかも週に4日も回収にきてくれます。これじゃあ、「どんどんゴミを出しましょう!」みたいですよね。
輪島市の分別回収のポスターには、ご存知「混ぜればゴミ、分ければ資源」というフレーズが大きく書いてあります。「資源ゴミ」という言葉は、ここからきたのかなぁ、と眺めていました。
「資源ゴミ」っていう日本語は、かなりユニークだと思っています。英語にないように思います。英語にしろ、といわれると、けっこう困ります。
「資源になれるかもしれない、ゴミになるかもしれない。その行方はアナタ次第。まだ定まっておりませぬ」みたいな、曖昧な受身的立場にある「潜在的ゴミまたは資源」たちのあり方は、日本的?なのじゃないかなぁ、と。
通訳の場面で「資源ゴミ」と出ると、特に同時通訳ですと考えている暇もないので、recyclable wastes(リサイクル可能な廃棄物)と訳しちゃったりするのですが、たぶん欧米人にとっては、「ゴミはゴミ、資源は資源」じゃないかなぁ、なんて頭の片隅で思っています。今度、聞いてみようと思います。
かつてアメリカに住んでいた頃は、「分別収集」の「ブ」の字もないようなゴミ収集の仕方でしたが、今は変ってきているのなぁ。
最近(わたしがこれま不勉強だったのかもしれませんが)recyclablesという名詞を見聞きするようになってきたので、「資源ゴミ」の英訳には、こちらを使えばよいのかもしれませんね。
ともあれ、線香花火の最後の赤い玉がじゅっと海に落ちるような落陽を眺めたり、朝もやに煙る海面が次第に明るくなってくる様子を眺めたりして、旅先での日々を過ごしています。
民宿では、朝早くからニュースを書ける明るい場所がないのですが、どうやってこのニュースを書いていると思われます?
お風呂や洗面所は、電気はつきますが、椅子がない。多くの宿で使える(普通、使わないって?)手は、階下の自動販売機の前、なのです。夜中でもこうこうと明るい自動販売機の近くには、たいてい休憩用や電話用の椅子があります。
「飲料用自動販売機は一台で1世帯分の電力を消費しています。日本には50人に1台の割合で飲料用自動販売機があり、その電力は原子量発電所1基分に相当します」なーんて、講演では話しているのですが、今日ばかりは、その「無駄な電力」のおこぼれの明かりで、夜が明ける前から本を読んだり、ニュースを書いたりしています。
ただ時々申し訳なく思うのは、運悪く階下に下りてきたお客さんや宿の人を飛びあがらせてしまうんですね。自動販売機の明かりを求めて蛾がひっついているみたい、と自分でも可笑しくなりますが。