ある方から、「日本は何人養える?・・・一問一答」というメッセージを転送していただきました。とても大切な内容をわかりやすくお書きになっているので、 転載のお願いをし、ご快諾をいただきました。どうぞ、みなさんも一緒に考えてみてください。
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「日本は何人養える?・・・一問一答」
野菜茶業研究所http://vegetea.naro.affrc.go.jp/ 篠原 信
Q1. 日本だけで、どれくらいの食糧が生産できますか?
A1. 石油が現在と同じ値打ちで手に入るなら、9,000万人分くらいは大丈夫かも知れません。1960年代は食糧自給率が非常に高かった(カロリーベースで 79%(1960年))頃ですが、このときそのくらいの人口でした。しかし、石油が高騰するなど、手に入りにくくなると、3,000万人も難しいかも知れません。
Q2. なぜ石油と食糧が関係あるのですか?
A2. 肥料や農薬を作るのに石油が必要です。農業機械を動かすのも、輸送手段もそうですね。
Q3. どのくらい石油が必要なのですか?
A3. 「土のはたらき」(岩田進午著)によると、化学肥料などを使う現代農法では、収穫物の2.6倍(1970年)のエネルギーを投入しなければなりません。1キロカロリー分のお米を作るのに必要な石油は、2.6キロカロリーだということです。化学肥料・農薬・トラクターで育てたお米は、石油でできている、といってよいでしょう。
ちなみに、まだ有機農法が中心的であった頃(1955年)では、投入したエネルギー(労働など)の1.11倍の収穫が得られていました。
Q4. では、有機農業にすれば、食糧問題は解決ですね?
A4. そう単純にいきません。有機農業に必要な有機肥料は、国内でまかなえません。今、日本で生ゴミがあふれかえっているのは、そもそも海外から大量に食料を輸入しているためです。牛糞なども、海外からの輸入飼料が由来です。食糧や飼料の輸入がなくなれば、有機農業で使用する有機肥料も消えてなくなります。
Q5. 山や海もあるのですから、国内だけで有機質肥料くらいはまかなえるのでは?
A5. その前例として江戸時代を考えてみましょう。江戸時代は鎖国していましたから、日本はほぼ完全な自給自足でした。吉宗のいた享保の時代(18世紀半ば)に人口が約3,000万人に達すると、あとは明治維新を迎えるまで、人口が増えませんでした(「近世日本の人口構造」関山直太郎著)。
江戸時代は山林の下草から糞尿まで、リサイクルを徹底していました。それでも3,000万人以上は養えず、5年に一度くらいの頻度で、飢饉があったようです。 3,000万人分以上の食糧をまかなうだけの有機質肥料は、日本の国土だけでは無理でしょう。
Q6. 江戸時代よりも技術が発展している分、江戸時代よりもたくさんの食糧が生産できるのでは?
A6. 技術は進んだ部分と、むしろ失われた部分とがあります。進んだ部分は、ほとんどが石油エネルギーを自由に使えることが前提になっている技術です。化学肥料も農薬もそうです。石油の値段が高くなるなど、手に入りにくい状況になるとこれらの技術は使えなくなります。
逆に、石油エネルギーに頼らない技術は、かなり失われていると思われます。言い換えれば昔ながらの農作業ですが、現在の農家には、化学肥料を使うようになった農業しか知らない人が多くなっています。また、石油に頼らないというのは技術というより、システムに頼っている部分があります。生ゴミを埋めたて、糞尿を下水に捨てていることだけを見ても、よく分かると思います。国内自給率の高かった1960年代は、まだこれらのリサイクルシステムが機能していました。しかし、今はもうありません。
Q7. でも、江戸時代よりは耕地面積は広がっていますよね。
A7. 確かに広がっています。現時点で476万ヘクタール(2002年)、減反などが行われる前では最大で600万ヘクタール(1960年)の耕地面積がありました。しかし、いくら耕作地があっても肥料がまかなえなければその分収穫は落ちます。江戸時代よりも山林は貧しくなっているようですから、その分国内でまかなえる肥料が少なく、江戸時代より厳しいかも知れません。
Q8. 日本は海で囲まれています。魚を余計に食べれば、もっとたくさんの人口を養えるのでは?
山の幸、川の幸もどうでしょう?
A8. これだけ世界中から魚やエビをかき集めていながら、数%分(カロリー計算)しかまかなえていません。海産物は重要な資源ですが、人口を養うには充分ではありません。
また、森林面積は江戸時代と変わらないのですが、戦後は針葉樹林が増え、食べられるような植物は少なくなっています。河川の魚もずいぶん少なくなっています。江戸時代より海山川の幸は期待できないと思われます。
Q9. 一人あたりの食糧を作るのに必要な耕地面積はどれくらいですか?
A9. 日本人の今の食生活を維持するには、1400m2(1.4反)必要です。明治末期の食生活なら、600m2(0.6反)です(農林水産省「食料需給表」)。現在の日本の耕地面積から計算すると、現在の食生活で3,400万人分、明治末期の食生活で8,000万人弱になります。過去最大だった600万ヘクタールで計算しても、それぞれ4,300万人と1億人です。現在の日本の人口は1億2千万人ですから、明治の食生活に戻っても、まだ足りません。
Q10. では、輸入がなくなっても米を食べればよい、という話は無理なのですか?
昔はそれができていたのですよね。
A10. 実は、お米を主食にすることができた歴史は、とても浅いのです。大正の末くらいからです。それまではムギやヒエ、アワなどの雑穀が重要な食糧源でした。満州や朝鮮半島から食糧を輸入(当時は強制的移送)するようになって、日本人ははじめてお米を主食にすることができました。
第一次大戦後、シベリア出兵の噂でお米が暴騰し、富山県魚津で主婦たちによる米騒動(1918年)が起きたのが発端だそうです。これにあわてた政府が、朝鮮半島から米を大量に日本に運び(強行に近い)、そのかわりに満州からアワを送っていたようです。朝鮮半島でできるお米の約半分(45.3%)が日本に移送されました(「日本農業100年のあゆみ」暉峻衆三)。日本人が国民的にお米を主食にすることができたのは、このときからでした。ちなみに朝鮮ではそれまで一人あたり0.7石のお米を消費(1915〜1919年平均)していたのに、日本への移出以降、0.44石(1930〜1936年平均)まで落ち込みました。
この歴史的事実だけ見ても、日本のお米だけでは充分な人口を養えないことは明らかです。
Q11. お米よりももっと生産性の高い作物を育てるなどすれば、どうでしょう?
A11. 農水省が1998年に出したシミュレートでは、そうした試算が出ています。減反したところも耕す、新しい耕作地も開拓する、お米にこだわらず、ジャガイモやサツマイモといった生産性の高い作物の方が適している耕作地ではそれを育て、お米の品種もコシヒカリではなくもっと多収の品種に切り替える、そうしたあらゆる最善の方策を採ったとして、8,000万人分の食糧の生産力しか国内にはないようです(国民一人あたり1,760キロカロリー、必要なカロリーの3 分の2)。
しかもこの数字は、石油の利用に支障がないという前提です。食糧輸入が困難な事態は、当然石油も同様と思われますから、8,000万人からその分差し引かなければなりません。堀江武京都大学教授は、別の計算式ですが4,800万人とはじいています(「作物学総論」堀江武・他著)。
Q12. みんなで我慢して、少しずつ分かち合えば、どうにかなるのでは?
A12. そうできるとよいですね。ただ、難しいとは思います。商品相場でも1割足りないだけで値段は倍以上に跳ね上がります。そうすると分かち合う前に、商品が買い占められてどこかへ消えてなくなってしまいます。国が統制経済を行ったとしても、十分なことができないのは、戦争中や、1994年の米騒動を見ても分かります。
また、みんなで少しずつ耕して、自分の食べる分を作るというのにも、難しさがあります。江戸時代には、人口の8割以上が農民でした。それでも5年に 1度の頻度で凶作が起き、姥捨て等の悲しい出来事がありました。そんな時代ですから、武士も含めて、贅沢していた人は皆無に等しかったと思われますが、それでも3,000万人以上に増えることがなかった。この国の持続可能な人口は、鎖国状態であれば、3,000万人が目安になるでしょう。
Q13. でも、食糧も石油も輸入がゼロ、という鎖国のような状態は考えにくいのでは?
A13. そう極端な話でなくても、たとえば価格が10倍になるというだけでも似たような事態が考えられます。ですから、国内だけで全ての物資をまかなう場合、どのくらいの食糧を生産できるのかを考えることは、一つの目安になります。
Q14. 食糧や石油が10倍にも価格が跳ね上がるのは考えにくいのでは?
A14. 戦争の他に、世界的な不作、あるいは経済混乱が考えられます。日本の場合、経済混乱の可能性があります。1998年のアジア金融危機で、インドネシアは通貨のルピアが、一気に6分の1に値下がりしました。これは、インドネシアの人々にすれば、食糧の値段が6倍に跳ね上がったのと同じことになります(インドネシアは食糧をかなり輸入している)。
実際、経済混乱の間、都市部では食糧がなくなってしまいました。国連の予測では、このときの食糧難のために、二歳以下の子供の半数以上に栄養失調による脳の成長障害が起きた危険性があるということです。日本で同じことがさらに大規模に起きないとも限りません。
Q15. 日本は不景気といっても、インドネシアとは比べものにならない大国です。
食糧のような安価なものを心配することはないのでは?
A15. 大国といっても、虚像の部分が大きいと見ることが重要です。今の日本の円は不換紙幣といって、金(きん)と交換できた昔の兌換紙幣と違い、日本に対する信用だけで値打ちが保たれています。信用がなくなれば、不換紙幣はもともと紙切れでしかありませんから、1,400兆円あるといわれる金融資産も、全部紙切れになります。
Q16. 日本がそんな簡単に経済破綻するでしょうか?
A16. その兆候はいくつもあります。たとえば日本の政府が抱えている借金は1,000兆円に上ります。今は公定歩合という、金利を決める基礎になるものがほとんどゼロですから、借金の利払いも少なくて済んでいます。しかし、いずれ金利は正常化せずにはいませんから、そうなると借金の利払いだけで、40兆円を超えてしまいます。国の一年の税収が45兆円ですから、もう「経営破綻」している状態です。倒産の宣告待ちをしている段階です。
また、日本への信用の高さは、日本企業の強さが支えています。ところが、主要なメーカーはほとんど中国に拠点を築き、日本はすっかり空洞化してしまいました。日本の強さが日本から失われれば、日本の円への信用は簡単に失われ、円は暴落します。暴落すれば、貿易ができなくなります。
Q17. 日本はドルなどの外貨をたくさん持っています。円が暴落しても、ドルで食糧を買えるのでは?
A17. ドルを持っている人と食糧を必要としている人が一致していればその通りですが、そうでないのですからうまくいきません。国のドル資産はアメリカ国債の購入に充てられ、その証券もアメリカ財務省に預けっぱなしだそうです。あまりに巨額で、しかも相手に預けたままなので、危機に至って引き出そうとしても、まず無理でしょう。
ドルを持っている企業は、日本で経済混乱が起きれば中国などへ逃げてしまうでしょう。個人でドルを持っている人も、とりあえず混乱が収まるまで海外逃亡するかも知れません。ドルも持たない、海外に移ることもできない、そして円が暴落して貯金がパーになった国民の大多数が、国内に残ることになります。食糧を海外から手に入れることは、安易に考えられません。
Q18. もしそうだとしても、海外が日本に食料援助をしてくれるのでは?
A18. 期待はもてます。ただ、日本が混乱すると世界が混乱します。日本はやはり経済大国で、世界の14.2%(1997年)もの経済規模を誇っています。そんな国が混乱すると、世界中が大恐慌に陥るので、日本を助ける余裕があるだろうか、という懸念があります。自分の国は自分で何とかする努力が必要でしょう。
Q19. 日本社会は高齢化していて、人口が減少するのも早いと聞きます。少なくなった人口なら、完全自給できるのでは?
A19. 人口が自然に減少するには、長い時間が必要です。しかし経済混乱は、いつ起きるか分かりません。もしこの10年ほどの間に経済混乱が起きたとしたら、日本の食糧事情はかなり厳しくなるかも知れません。日本経済(特に財政)はいつ破綻するか分からない状態ですから、予断を許しません。
Q20. 日本の企業全てが海外に逃げてしまうわけではないでしょう。1億2千万人を養う食糧を買い付けできるくらいの技術は残るのでは?
A20. その通りです。日本から企業が逃げ出しても、まだ高い技術が残っているでしょう。けれども、食べていくことは容易なことではありません。少なくとも、これまでのような食生活は続けられないでしょう。中国が台頭したからです。
中国が工業力をもったということで、世界史的なデフレが起きています。工業製品は産業革命以降、先進国だけが独占していたために高い値段に釣り上げることができました。しかし世界人口の5分の1も抱える中国が工業力を獲得したことで、工業製品は「誰にでも作れる」安っぽいものになったといえます。そうすると工業製品は陳腐化(コモディティー化)して、パソコンのような精密機械もどんどん値下がりしていきます。これまでのような農産物に対する工業製品の価格優位は薄れていくでしょう。
その一方で、中国が贅沢を覚えて、食糧を輸入するようになると世界的に食糧が逼迫し、高騰する恐れがあります。そうなると、工業製品と食糧の値打ちが、逆転するかもしれません。コメ10キログラムとパソコン1台とどちらが高いか分からない、今考えると冗談のような事態もあり得るでしょう。日本は、工業力を大きく削られた上、残った工業力で生産したものも安く買いたたかれ、食糧は高く買わなければならなくなります。国内で3,000万人分の食糧を生産するにしても、あと9,000万人分を養うだけの儲けを出すのは大変なことです。
Q21. 日本はこれから、どうすればよいでしょう?
A21. 長期、中期、短期の時間軸と、地域サイズの空間軸に分けて考える必要があるでしょう。
長期的には、ご指摘のように日本の人口は大きく減少していくと予想されています。そのときには高い自給率を達成できるように、今から国内の生産体制を整えておくことが大切でしょう。
中期的には、大きすぎる人口と小さすぎる食糧生産力とのアンバランスが続きますから、そのギャップを輸入食料で埋める必要があります。そのためには農産物以外の商品で海外に売れる商品を作り続けていかなければなりません。産業の空洞化をなんとか抑え、新規な産業を生み出していく活力が求められます。
短期的には、海外諸国と良好な関係を築くことではないでしょうか。特に、隣国の中国や韓国は今後も経済の発展が予想されます。日本が苦況に陥ったときに、頼りになるのはこうした国々だと思います。
次にどのサイズの地域を考えるかですが、日本全体となると、非常に難しいと云わなければなりません。日本が迎える可能性の高い危機は財政破綻であるため、国の政府そのものが十分機能しうるか、分かりません。従って、日本全体での対策も重要ですが、道府県レベル以下のサイズで対策を練ることが現実的でしょう。
東京などの大都市圏を除けば、自給体制をとれる農業地域は結構あります。どうにかできるところからどうにかして、余力を他府県に振り分けてもらえたらありがたいです。
また、町のサイズでは、キューバのように、プランター栽培などで都市住民が食べ物を自作することも有効でしょう。今さら農村に疎開もできない人は多いと思われますから、そのような人たちのため、都市で行える農業技術の開発が大切と思われます(ベランダ栽培、屋上栽培)。
さらに、国内だけに思考を狭める必要はありません。国家の枠組みで考えるのではなく、人と人とのつながりで考えてみてはどうでしょう。日本で生産することだけにこだわらず、たとえば中国などへ農業指導に行って現地の振興と親睦をはかり、生産した一部を日本に送ってもらうということも可能ではないでしょうか。
緒方貞子さんが「人間の安全保障」と表現しているように、国の枠組みを超えて、人と人とのつながりで、一人一人の生活が安定するようにはかるのです。インターネットの登場は、こうしたことを可能にしてくれます。
誰かだけが富んでその分誰かが損をするというようなこれまでの社会構造を改め、どの国のどんな人も、いたわり合い励まし合える仕組みづくりを、諦めずに続けていきたいものですね。
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