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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2005年12月25日

「水みらいプロジェクト2003」小学校の発表より(2004.04.14)

水・資源のこと
 
以前、子ども向けに「水」をテーマにお話ししたときの内容をご紹介しました。その際、 >> さて、この富山での「水みらいプロジェクト2003」では、前座のお話をしたあと、学校での取り組みの事例発表を聞かせていただきました。どれも素晴らしい取り組みで、また、私たち大人に「環境と経済」「個人の利便さや好みと環境問題」をどう考えればいいのですか?と真摯に問いかける(そういう言葉は使っていませんが)内容もあり、考えさせられました。こちらの事例発表についても、ぜひそのうちご紹介できれば、と願っています。 << と書きました。主催者と参加者のご厚意で、「素敵だなぁ!」と思った発表の2つをご紹介させていただくことができました。ありがとうございます。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 水みらいプロジェクト2003 大門町立浅井小学校 「水のあるくらしづくり」 私たちの住んでいる浅井地区は、昭和9年の大洪水で大損害を受けています。私たちは、その水の怖さをこれまでたくさん学んできました。一方で、怖さだけでなく、浅いの水のもつ大切さや優しさ、不思議さも学ぶことができました。 浅井小学校では、昨年、それまで地下水を活用し進めてきた「トミヨ」の飼育観察や自然観察池の整備を発展させ、「浅井キッズワールドプロジェクト」を立ち上げました。全校児童が学年ごとに分担して、ミニ水族館の運営、かち込み方式による井戸掘り、地下水を水源とするミニ水田や小川づくり、手作りブランコやベンチがならぶトミヨの里ミニ広場づくりなど、水資源を生かしたかん境づくりを積極的に進めています。これらの活動は、私たち子供たちの主体的な体験活動によって展開されています。 では、私たちの3年生のころからの水とのかかわりを紹介します。 ○ 浅井の水はすごい!(サケの卵のふ化、観察・飼育、放流)<平成13年度:3年生になって> 庄川の養魚場でサケの受精卵を200粒いただき、サケの卵のふ化に挑戦した。学校の井戸から出る地下水は水温も一定で、サケの卵のふ化を可能にした。およそ2週間でふ化し、かわいい1cmくらいの稚魚が生まれた。これまで水道水と同じようにしか思っていなかった浅井の水が、命を育むすごいパワーを持った水に思えてきた。当番を決め、水温や泳ぐ様子など観察し、記録した。2か月で3cmくらいに成長し、エサをやったりうんちをポンプで吸い取ったりもした。3月中旬、体長4〜5cmに成長したサケを庄川に放流した。大きくなって、忘れずにふるさとの川にかえってきてほしい。 ○ やっぱり、浅井の水はすごい!(トミヨの観察・飼育)<平成14年度:4年生になって> 学校のすぐ近くの鴨川には、富山県の危急稚魚トミヨがいる。そのトミヨを川からとってきて、水槽内で育てる活動に挑戦した。飼育を始めてまもなく巣づくりをするトミヨの姿が見られた。しばらくして、ふ化した稚魚が姿を現した。やっぱり浅井の水はすごいと改めて思った。生まれたとき4mmだった稚魚も12mmまで成長し、55日間生存した。(去年は10日間生存。)水槽内を観察し、繁殖期の体の変化、巣づくりの様子、フォバーリングなども確認できた。 ○ 浅井キッズワールドプロジェクト<校内編>(平成15年度:5年生になって) ●水辺の水族館「わくわくフィッシュランド」 18個の水槽でトミヨなど、およそ25種類の庄川水系の淡水魚を飼育している。魚は、川遊びクラブをはじめ多くの子供たちが川に腰までつかりながら捕ったものや地域の人が持ってきてくださったものである。魚の飼育、水族館の管理を5年生が担当している。現在、パンフレットやホームページ、解説ブックなどの作成を考えている。また、解説員の育成も行いたい。 ●みんなで育てよう「アユの養殖プロジェクト」 養魚場からアユの稚魚200匹を譲っていただき、アユの養殖に挑戦した。自分たちで養殖池の水がもれないように修理をしたり、鳥から守るアミをかぶせたりもした。エサやりや池の掃除を毎日続け、4か月で、4cmの稚魚は16cmまで成長した。 年魚であるアユは、10月になると寿命で死に始めた。そのまま死んでいくよりも何とかしてアユの命をつなげたいとみんなで考えた。アユを売って、そのお金で水族館の魚たちのエサを買い、そのエサを魚たちに与えることでアユの命はつながると考えた。アユを学習発表会で焼いて売った。自分たちでも食べた。アユの命は食べてくださった人たちや自分たちの成長にもつながった。アユは、幸せな・価値のある死に方をしたと思う。 ●ミニ水田「ウメー井戸水生かして一等米プロジェクト」 ミニ水田で米作りに挑戦した。水田横の自分たちでかちこんでいるパイプから、水はまだ出そうになかった。機械で掘り当て、自噴している井戸水もあるが、水田から10mは離れている。電動ポンプを使い、ホースをつぎ足して、何とか水田に井戸水を入れることができた。ウメー井戸水を生かして1等米を作るという思いで10月までがんばってきた。稲刈り、脱穀も教わった。重さは、11.5kg。後は、もみすりと精米、そして、等級検査。少し不安で、どきどきしている。 ●かち込み方式による井戸堀り 10月、1年半以上かけてついにかち込み方式による井戸水がわき出した。5・6年生が中心になって、休み時間にみんなでかち込みを行ってきた。手のひらにはマメができ何度もやぶれた。この井戸水で何ができるか。5年生でこの水の可能性を考え、浅井小のみんなに提案していきたい。地域の方々にも喜んでもらえる浅井の井戸水の有効活用とは何だろう。 ○ 浅井キッズワールドプロジェクト<地域編>「鴨川復元プロジェクト」を発展させよう(次年度に向けて:6年生になったら) 6年生が中心となって、魚などの生き物がすみよい環境をつくり、昔のきれいな川の姿を取り戻そうと考え、「鴨川復元プロジェクト」を考えた。鴨川の実態調査として、生き物調査、水草調査、ゴミ調査を行った。その結果を踏まえ、地域の方々と協力して「藻刈り十字軍」を結成し、鴨川の伸びすぎた水草の刈り取りやごみ拾いを行った。鴨川に以前のような流れが少し戻ってきた。昔のような美しい鴨川にするために、わたしたち5年生も、6年生の活動を受けつぎ、発展させていきたい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「水みらいプロジェクト2003」 富山市立堀川小学校 発表原稿 私たち、堀川小学校6年1組では、4月からいたち川の環境について、水質、指標生物、魚、ゴミの種類や量、などを手がかりに一人が自分の課題をもって調べてきました。今日はその中から分かったことや考えたことを紹介します。 いたち川は、大山町と富山市の境界、常願寺川の常西合口用水から始まり、上流区間は農業用水として利用されており、富山市内、堀川小学校区の東端の市街地を流れ、神通川につながっています。いたち川は作家、宮本輝さんの「蛍川」の舞台として紹介され、映画化もされました。 私たちは、校区を流れるいたち川の次の3ヵ所を中心に、環境調査を行ってきました。末広橋付近は、回りに田んぼが多く、川岸に土がたまり草がたくさん生えているところです。いたち川は交通量の多い立山通りに架かる橋です。商店も見られ、人通りも多くなります。法蓮寺橋付近は、静かな住宅地になり、川沿いのベンチは、近くの人の憩いの場になっています。 私たちが観察を始めて、まず驚かされたのはゴミの量です。 いたち川橋付近は、人通りが多いせいでしょうか、ゴミが大変多く見つかりました。空き缶を拾ってみると何と、一時間で50個も拾いました。それらは、錆びてぼろぼろになっています。実験でも錆び水で水が汚れてしまうことが分かりました。 落ちているゴミの種類を調べると、歯ブラシ、ハンガー、皿や茶碗のかけら、時計や携帯電話に至るまで、私たちの生活で使うもの全てあるのではないかと思うくらいでした。 中には、中身が残った漂白剤やサラダ油の容器も捨てられていました。スプーン一杯の油を水に流すと、魚がすめるまでには家庭のお風呂ぐらいの水で薄めなくてはいけないと聞いたことがあります。これは、いたち川にとって致命傷になるのではないでしょうか。 また、私たちが不思議に思うのはお店のレジや免許証入りの財布が落ちていたことです。レジには、小銭で165円が残っていました。誰かが中身を取り出して捨てたんでしょうか。もしかしたら犯罪がらみのゴミの可能性もあります。 法蓮寺橋付近には、町内会の方が立てられた看板や行政が立てた看板もあります。しかし、そんな看板の横に袋に入ったビールの缶が捨てられているのです。 こんなゴミを捨てる人は、ゴミと一緒に人間としての良心も捨ててしまうのでしょうか? しかし、たくさんのゴミをしり目にたくさんのマガモが悠々と泳いでいるのです。ときどき大きなサギも飛んできます。そして、水の中にはたくさんの生き物が生息していることが分かってきました。 末広橋付近を観察すると、ややきれいな水の指標となるトビゲラやカゲロウの仲間、カワニナが多く見られました。また、ヤマメの稚魚をはじめ、ウグイ、トミヨ、トウヨシノボリ、シマドジョウ、などたくさんの魚もすんでいました。ウスキヒメリゴケなど、緑色をしたコケも多く見られます。 水の透明度を調べると、透視度が50cm以上あり、COD(科学的酸素消費量)は8ppm以下と水質は比較的よいことが分かったのです。科学文化センターの調査からも昭和40年代には、魚がすめないほどの川だったのが、下水道の整備により、以前に比べ、水質はよくなっているということが分かりました。 しかし、いたち川端付近には、やや汚れた水の指標となるミズムシやヒルが多く見られました。コケも黒いものが多く、末広橋付近に比べて水質が悪い場所があることが分かります。 ただ、観察ポイント全体を通してみると、ゴミの量に比べ、意外といたち川の水はきれいだということが分かりました。市街地を流れるいたち川にたくさんの生き物が息づいていることに私たちは、とても驚かされました。 9月に入り、いたち川の生き物にとって心配なことが起こりました。 法蓮寺橋付近の河川改修工事が進みれ、川岸がコンクリートで固められ、小さな公園のように整備されました。もともと法蓮寺橋付近には、魚がたくさん見られますが、コンクリートの護岸には土や草が少なく、水生生物の数や種類も少ない場所でした。それにこのような工事が進むとさらに生き物が少なくなってしまうのではないかと考えました。 そこで、工事をしているおじさんや住民の方にインタビューをしてみました。すると、工事をしておられる方は、「ぼくだったら川岸にビオトープをつくりたい」という方や「洪水を防ぐには大切な工事だよ」とおっしゃる方もいました。地域の方は「きれいになってよい」「洪水の危険が減る」と工事を歓迎する答えが多くありました。 生き物の立場に立つと、コンクリートより土や草の多い川の方がよいのですが、地域の人の立場に立つと、コンクリートで固められた護岸工事も大切になってくるのです。「昔からここは洪水の多いところなんだよ」という地域の方のお話から、私たちは、いたち川沿いにたくさんのお地蔵さんがあることを思い出しました。 いたち川の歴史には、洪水との戦いの歴史もあったのです。 いたち川沿いのお地蔵さんには、洪水を沈め、人々のいのちと安全を守るという地域の方々の願いが込められています。特に石倉町の延命地蔵は有名です。湧き水は富山県の名水百選にも選ばれ、たくさんの人々が訪れます。そのいわれには、安政5年(西暦1858年)の地震で立山カルデラの鳶山が崩れ、雨と共に濁流が常願寺川を流れ、いたち川沿いも泥の海になったと記されています。以来、幾度も、洪水に見舞われ、いたち川の住民は大変な苦しみを経験されたそうです。 私たちは、これまでの活動を通していたち川に20回以上出かけて活動を進めてきました。その中で、いたち川には人間の捨てたゴミが多いこと、その中で、たくさんの生き物が息づいていること、近年は下水道の整備などにより、水質がずいぶん改善されていること、いたち川と洪水の歴史など、いたち川が私たちのくらしと深いつながりがあることに気がつきました。そして、何よりも川での活動が楽しくなり、いたち川が好きになってきました。 ある日、いたち川のゴミを拾う田辺さんの姿を見つけました。また、堀川中学校の岡田さんたちが立てた看板がありました。私たちと同じように、いたち川がきれいになってほしいという思いをもつ人がいることに嬉しくなりました。わたしもいたち川で拾ったガラスのかけらで看板を作ってみました。これを見て、いたち川の環境に関心をもつ人が増えてくれたらいいと思います。 生き物がすみやすい環境を守ることは大切ですが、そこに住む人間の立場も考えなくてはなりません。私たちは、生き物と人間がともに生きていく環境をつくることはとても難しいことだと思います。 生き物と人間が共にくらしていく環境をつくるには、私たち自身が水にかかわる環境に対して敏感になり、関心をもつことが必要だと考えています。 これで私たちの発表を終わります。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 水みらいシンポジウムの小学校の発表を聞いて、生き物の立場と地元の人々の立場の衝突など、単に「川をきれいにしましょう」というきれいごとだけでは解決できないことをいっぱい感じたようすを感じました。 心理学をやってきて(学問というより自分自身を被験者にしての実践ですが)つくづく思うのですが、私たち人間は、「不安」や「心の安定を脅すバランスの崩れ」に弱いところがあって、日々いろいろと入ってくる情報や周囲とのやりとりの中で、自分の心のバランスを崩しそうなものがあると、何とか安定をはかろう という力が働きます。防御本能でもあるのでしょう。 受け入れると自分のこれまでの考えや立場が揺るがされてしまうものは、「否定する」「拒絶する」「なかったことにする」「聞かなかったことにする」。 「わからない」という状態はやはり不安定なものですから、「ある一部だけ取りあげて、わかったと思い込む」「それはわかるに足るものではないと考える」。 「解決できない」という状態も、自分の力不足を痛感させられ不安を呼び起こしますから、「大したことではないと問題自体を矮小化する」「包括的な解決策ではないと薄々感じながら、とりあえずできることをもって解決策とし、その問題を終わりにする」。 これまた、体験的に思うのですが、自分ではなく、他人(家族でも、友人でも)が問題を抱えている(と自分が思う)と、それも自分の安定を揺るがしてしまうのですね。「解決できていない状態」は、バランスを崩した不完全な状態として感じられてしまうので、何とかバランスを(よく考えれば自分の心のバランスで すが)取り戻そうと、「こうすれば」「ああしなさい」とアドバイスをしたくなる。極端な場合は、「子どもの喧嘩に親が出ていく」じゃないですが、「代わりに解決してあげようとする」こともあります。特に、子どもが相手だと、自分のほうが大人だからわかっているはずだ、という思い込みもあるのかもしれません。 そこで安易に流れず、踏ん張って「わからない」「解決できない」思いを少しでも抱き続けることは、エネルギーが必要で、快感と言うよりは不快感を喚起しますから大変なのですが、とても大切なことだと思うのです。 なぜこのようなことを書いたかというと、たとえば、上記の「いたち川」をいろいろと調べて考えた子どもたちは、「まだよくわからない」「解決できない」問題をしっかりと感じたと思うからです。そこで「これまでわかったのはこういうことで、その中で自分たちはこう考えた」という、解決できない思いをそのまま抱いて発表していたように感じたからです。 これは、たとえば「川をきれいにしましょう。ゴミを拾いましょう」というだけの「とてもわかりやすく、矛盾もなく、だれもが賛成する解決策や活動」の発表に比べると、歯切れはよくないですし、発表者にも聞く側にも、少しひっかかるところが残ります。 そこで踏ん張ったこと、特に聞いていた大人たちに、「ああ、いい活動だ、すばらしい子どもたちだ」というだけではない、「未解決の不安定さ」を持ち込んで、その安定志向のバランスを少しでも傾けてくれたことに、私は子どもたちの強さを感じました。同時に、そのようなあり方をサポートしてくれたのであろう担当の先生の強さもです。 よく「調べ学習」「問題解決型学習」と言われますが、すとんすとんと竹を割るようには実際にいかない(いっていたら、こんな問題にはなっていない)わけですから、調べてもわかりきらない思い、解決できない落ち着かなさも大切にしてほしい、次へつなげる力にしてほしい、と思います。 話は変わりますが、子どもといえば、昨日たまたま小学5年生と話をしていて、人口の話になったので、ワールドメーターを見せてあげました。 http://www.ibiblio.org/lunarbin/worldpop このようなメーターはいくつかありますが、リアルタイムで(計算にもとづき)現在の世界人口を示すものです。クルクル回っている数字を一目見ただけで、「地球は大きくならないのにねぇ」と一言添えただけで、ある本質を理解したようでした。 このワールドメーターには、「いつ」と入れると、その時点での世界人口を示す機能もあるので、その子の生年月日を入れてあげました。「生まれてからいままでに9億人以上も増えている!」(といっても9億人がどれぐらいなのか、その子も私も実感がありませんたが・・・) ちなみに、自分の生まれた時点の人口を知ろうと思ったのですが、かないませんでした。1970年以降にお生まれの方は試せます。(_ _; あと、将来の日付も入れられます。いまの勢いで増えていくと、、、、というシュミレーションが簡単にできます。 また話は変わりますが、エイプリルフールに流した [No.974] にお返事をいただきました。 >> しまった、やられました。そんなすてきな町があるなんて、ど、どこ?と、慌てました。 わが町は、郊外のちょっと高台に有るので、車は欠かせません。でも、カーシェアリングや同乗方式、市内への乗り入れ料金徴収制度があったら、免許を持たない人と、車を持たなくても町中へ行く時はご近所さんとこえかけあって、料金等折半しながら会話も楽しく、なんて日常が当たり前になったらすごくいいのになと思います。いまは、声かけるのでもどうしてそこまでするの?と言う感じや、別に個人で出かけるからいいかも、といった遠慮やお節介と思われたくないとか、どうしても先立ってしまい実行に移すことは、とても難しいことのように感じられるのは、私だけではないはずです。 オリックスさんの提案もいいですよね。 それにもまして、早く燃料電池で走ったり、庭にちょっと置いた太陽電池パネルで充電するだけで走ってくれるような、車ができないかな、と思います。車体全体が発電のパネルだったり、走る時に受ける風で発電できるような車ができないかなと、セルフのガソリンスタンドでガソリンをいれる度に思うのであります。 << いいですね!走っているあいだにクルマが発電して、もちろん自分の燃料にするほか、ときどきガソリンスタンドへ行っては、たまった電気を給電してあげるんですね。そのときにもらえるお金で、クルマのローンも払えちゃう。 「元・子ども」の素敵なアイディアですね。(^^; 子どもも元・子どもも、現状を知り、問題の本質を感じ、すぐに解決できないもどかしさを押し潰したり否認しないで、でも、かといって苦虫をかみつぶしたような顔をしているのではなくて、「こんなこと、できないかな?」「こんな世界になったらいいのに」と想像力や空想を広げることの楽しさとエネルギーも知っていられたら、と思います。 「クルマで発電」については、ロッキーマウンテン研究所のエイモリー・ロビンス氏が提唱しているハイパー・カーでも実現しそうです。[No.760] で紹介した内容から引用します。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「走る発電所」を作ろうとしているベンチャー企業をご紹介しましょう。 「走る発電所」って何でしょう? 燃料電池自動車のことなのです。燃料電池については、毎日のように大手自動車メーカーの開発合戦や技術提携の話題が新聞などに載っていますが、その陰に大きなビジョンを持った小さな会社があります。 冬には零下44℃にもなるというロッキー山脈に立つロッキー・マウンテン研究所。中にはバナナの木が育っていますが、スーパーウィンドーや昼光利用、高効率の照明設備などが統合設計されたこの建物では暖房はゼロなのです! 1982年にこの研究所を立ち上げたエイモリー・ロビンス氏は、エネルギー問題を中心に様々な活動を行ってきました。 1991年には、超軽量で燃費は抜群、ハイブリッド『ハイパーカー』のコンセプトを発表しました。彼の進め方のユニークなところは、このコンセプトを広く公開し、誰でも研究開発ができるようにしたことです。 ご存じのように、世界の主要自動車メーカーは、「軽量」「ハイブリッド」「高燃費」「燃料電池」などのテーマで開発にしのぎを削るようになりました。競争が多額の投資を呼び込んで研究開発をさらに推し進める、という彼の思いが実際のものとなりました。トヨタのプリウスをはじめ、各社が「3リッターカー」(ガソリン3リットルで100km走る高燃費の自動車)や軽量自動車などを次々に開発しています。 フィジビリティ・スタディを踏まえて、1998年にハイパーカー・インクという会社が設立されました。ハイパーカーのコンセプトを量産し、市場に投入することが目的です。 「私たちがコンセプトを提案して以来、既存の自動車メーカーで多くの技術開発が進みましたが、ハイパーカーのすべてのポイントを盛り込んだ車は開発されていません。それでは自分たちでやろうと決めました」とこのベンチャー企業の会長を務めるロビンス氏。 最近、最初のコンセプトカーが発表されました。5人乗りで通常の車がエアコンに使う動力だけで車を走らせることができます。3.4kgの水素タンクで530km走行。従来の基準を上回る安全な車で、錆や凹みも生じず、自己診断機能で故障もほとんどないという、ちょっと想像を超える車です。燃料電池を使うので排出物はお湯だけ。ロビンス氏は「コーヒーメーカーもつけようかと」とにっこり。 特に面白いのは、「自動車に乗るのは4%の時間だけ。駐車している残りの96%は、発電所として使える」という考え方です。燃料電池はまず建物などの定置型から普及すると思われますが、そのような建物にハイパーカーを"接続"して、車載の燃料電池で発電するのです。「オフィスで仕事をしている間、あなたの車は駐車場で発電し、売電して稼いでくれますよ」と。 「ハイパーカーは、環境に優しいからではなく、他より優れているから売れるようになる。5年以内には市場に広く出ます。10年後には主流派になっているでしょう」とロビンス氏。 世界第1位の産業は自動車製造業で、第2位はその燃料供給業です。米国の最大の会社10社のうち6社は石油か自動車関係です。世界の所得の半分が自動車関連であるという英国の推計からも、環境問題解決のためにも「効果的・効率的な攻め所」であることがわかります。 ロビンス氏はバナナの葉陰から自動車やエネルギー業界をにらみつつ、究極の目的のために、最も効果的に動きを加速するためにはどうしたらよいか、という戦略を立て、その過程で、必要であれば自ら会社を作って動かれているようです。 「会社」のひとつの在り方や意義とその可能性を、ハイパーカーそのものと同じように注目したいと思います。 以下は、すべて英語ですが、ハイパーカー関連のウェブです。 ロッキーマウンテン研究所 http://www.rmi.org/ ハイパーカーのコンセプトなど http://www.rmi.org/sitepages/pid386.php 最近のハイパーカー関連ニュース http://www.rmi.org/sitepages/pid388.php 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 エモリー・ロビンス氏は、私も参加させてもらっているバラトングループ([No.893]参照)のメンバーでもあります。日本での通訳も何度させてもらったことがあります(頭の回転が超速いため、超早口で何度も泣かされてます......)。 バラトンの合宿で聞いたのですが、ロビンス氏は中学生だったころ、「100人の村」の著者であり、デニス・メドウス氏とともにバラトングループを作ったドネラ・メドウスさんの研究を知って、大学の研究室に訪ねていったことがあるそうです。 そこで数時間議論をしたのが最初の出会いだったそう。突然研究室にやってきた中学生ときちんと議論をしたドネラさんもやっぱりドネラさんだなぁ、と思います。それから数十年(バラトングループができてから23年になります)研究でも実践でも、いろいろな面でコラボレーションしたりエールを送りあったりしてきたのだと思います。 富山の水みらいシンポジウムで発表した子どもたちのきらきら輝く目を思い出します。学校の枠にとどまらず、興味や知りたいことがあったら、自分で探したり先生に紹介してもらって、近くの大学や地域の専門家のところにもどんどん出かけていって、聞いたり議論したりできたらいいですね。 そんななかから、「あのときそうしなかったら考えられなかった」世界が、どんどん広がっていくかも。日本のエモリー・ロビンスが生まれるかも。(^^;
 

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