エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース
2006年03月26日
ECOPLUS高野孝子さんの地球日記などにより(2006.3.26)
特定非営利活動法人ECOPLUSの会報の冬号に、代表理事である高野孝子さんが書いていらっしゃる「猛雪の中で想う」を、許可を得てご紹介します。
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「逃げ出したいくらいだ」と70歳代半ばの父が笑った。
冬には町中が雪の中に埋もれ、電線と同じ高さの雪道を歩いていた頃を知っている人たちも音を上げるほどの今年の豪雪。
「里に雪が降り出した」と聞いたのは2005年11月30日(2004年の積雪開始は12月23日)。その時私は摂氏30度のシンガポールにいた。帰国すると一面の銀世界。止まずにひたすら降り続き、低い気温の中で比較的軽い新雪はどんどん積もった。12月から1月上旬、人びとは休みなしに外に出ては家のまわりから雪をどけ、屋根から雪を下ろし、道の雪を崩した。
車社会の今、歩く人をほとんどみかけなくなった町中に、長靴を履きスゲガサとシャベルを持った人たちがあふれでた。動ける人間は、子どもも年寄りもみんな除雪にあたった。そうせざるを得ないほど、雪は容赦なく降り積もり、暮らしに脅威となった。
道路脇の雪の壁は高さ3メートル以上になり、もう店も家も入り口がわからない。どこに横道があるかもわからず、急に人や車が飛び出してくる。国道だろうが構わず人びとが歩いている。歩道のスペースがないのだ。
南魚沼でも雪が多い清水集落では、1月半ばで4.5メートルの積雪だった。私が暮らす所はそれより50センチは少ない。でも3階から外に飛び出して家を掘り出す。待ったなしだ。一日中、かつ連日になってくると、北極遠征時の緊迫感を思い出す。
80歳代の人の記憶にもない雪の降り方。これも温暖化が影響していると言われている。温暖化で日本海上空の湿気が高まり、それがさらなる雪となる。地球規模で海流、気流、気圧が関連しながら変化し、世界の異常気象が続いている。
1月16日付けの英国インディペンデント紙に、地球ガイア理論で知られる科学者ラブロック氏が、もはや温暖化は手がつけられず、人類はそのためにほとんど絶えるだろうと、これまで以上に直接的な表現で記している。1月30日にもヨーロッパの科学者らが、温暖化の進行状況についての警告レポートを発表した。これまでにも多くの科学者が、温暖化が伴うすさまじいコストを警告してきた。
今年が特に大雪だとは言え、越後はずっと雪が深いところだった。しかし、山脈を隔ててのこの変化はあまりに激しい。東京がカラリといい天気の時、山の向こう側では大抵、雪雲が世界を押しつぶすかのように厚く目の前を覆っている。
このギャップは昔も想像しがたいものだったようだ。
江戸時代に雪国の暮らしを描いてベストセラーとなった鈴木牧之と編集者の山東京山の1830年初頭の書簡がある。その中で京山は「雪国の暮らしがこれほどのものとは思い至らなかった」と書いている。
推敲を重ねながら、牧之が送った雪掘りの絵や、あんまさんが雪道を外して家と雪道の間に転げ落ち、天窓を破って家の中に落ちてきた話し(つまり雪道が家よりも高い)などを聞きながら、江戸暮らしの京山は初めて雪国の暮らしに実感を持つようになった。
人びとが自由に行き来できるようになった現代でも、目の前にないものを想像し、理解することは困難だ。
エコプラスが始めた「ただ、働き隊」は、雪国での労働体験を介して人びとの理解とつながりを深める試みだ。
新潟県や南魚沼市始め、今、多くの自治体でボランティアを募集している。地域の人たちは自分たちの暮らしを守るのが精いっぱいで、他の人たちの助けまで手が回らない。
しかし雪下ろしには危険が伴う。またただの労働力としてでは寂しい。「ただ、働き隊」は、労働を通して地域の智恵や文化に触れる。関わった人たちには社会認識が変わる体験になっているようだ。
それでも雪は、恐るべき力であると共に恵だと私は思う。米も酒も豊富な水も雪のおかげだ。雪の世界は素晴らしい。雪が大気を清浄化し音も消してしまう。一瞬の晴れ間は何にも変えがたい高揚感をもたらす。
一方で猛雪のまっただ中、一日中作業を続けている除雪車や、雪を積んでどこか「捨てる場所」を探しに走るトラックの列を見ながら、重機や化石燃料、貴重な地下水をばくだいにつぎこんで維持しなくてならない車社会とライフスタイルの無理を思う。「災害対策法」が適用になり、今は税金を天井なしで使い続けている。あと3ヶ月後にはすっかり消えている雪なのだ。これを「災害」にする理由の一つには核家族化もある。
持続可能性を現実にすることには、人びとの価値観やライフスタイルのちょっとした変化だけでなく、社会構造を含む根本的でラディカルな変化や発想が必要だ。昔からの智恵と最先端の技術で、新しい世界を開けないだろうか。
(参考)
ラブロック氏インディペンデント紙記事
http://comment.independent.co.uk/commentators/article338830.ece
「手遅れになるまであと20年」タイムズ記事
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2-2017322,00.html
「ただ、働き隊」概要
http://shiozawa.wschool.net/showart.php?lang=ja&genre=12&aid=192
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高野孝子さんは2001年にいっしょに『非戦』(幻冬舎)を作ったチームメートです。エコプラスは、1992年設立の自然体験を提供する「エコクラブ」と、日本と世界の子どもらに地球的視野での環境教育プログラムを提供してきた「ワールドスクールネットワーク」(1994年設立)の二つの母体組織として、2003年6月に設立された特定非営利活動法人。
「エコクラブ」の説明ページに載っているこの言葉が、高野さんたちの活動の精神を伝えてくれます。
> ひとは「自然」があるから生きていける。
> ひとは「ひとりひとり」可能性を持っている。
> ひとりひとりそのまんまで素晴らしい。
> そんな体験をエコクラブは提供します。
エコプラスが、エコクラブ事業としておこなっている「ヤップ島プログラム」の2006年の受付がはじまっています。参加説明会のご案内です。
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「ヤップでは毎日、生きる実感があった」とは去年の参加者の言葉。価値観を大きく揺さぶってくれる深い学びのチャンスです。
http://www.ecoclub.org/showart.php?lang=ja&genre=9&aid=263
特定非営利活動法人ECOPLUSはエコクラブ事業として、ミクロネシア連邦ヤップ島でのキャンプを2006年も行いま す。1992年にヤップ州教育庁との提携で開始して以来、これまで日本人を中心に200人以上の青少年が参加。それぞれに大きな影響を与えてきた本格的な自然体験プログラムです。
自給自足も可能なヤップの伝統的な村に約2週間滞在し、漁や芋掘り、果実収穫、カニ捕りなど、村の人たちから島で生きる智恵や技術を学びながら暮ら
します。村の集会所に宿泊。電気、水道やガスはありません。雨水を利用しトイレも自然の中です。途中二泊ほど家庭に受け入れてもらいます。美しい海に潜り、イカダでマングローブ林に出かけ、ゴミや開発の問題について現状を知ります。同時に、空き缶拾いや屋根ふきなど地域に役立つ活動をします。
主に自分たちの責任の元で考え決定し実行しながら、そのおもしろさを知りリーダーシップについて考えます。生態系の循環の中に自らを置くことで生命や人間と自然の関わりについて考えます。異なる文化を持つヤップの人たちや仲間たちと共に生きることを学びます。観光や個人ではできないコミュニティとの関わり方です。
【目的】
*自然の一部としての人間の位置を実感する
*異なる文化を受け入れる姿勢を培う。
*「豊さ」について多様な見方を得る。
*地球に暮らす一員として、これからの社会のあり方を考える
【時期】2006年7月29日ー8月10日(予定)
【募集人数】12名程度(受け付けは4月26日まで。人数が満ちたら締め切り、8名に満たない場合は中止することもあります。)
【対象】15-22歳程度の健康な男女。身体の障害、国籍は不問。新しいことに取り組み、自分の可能性にチャレンジする意欲を持つ人。異文化や自然、これからの社会のあり方に関心のある人。仲間と共に暮らす困難と楽しさにチャ レンジする人。地元に貢献する意欲のある人。
【費用】14万円ほど/渡航費・保険含まず。グアム宿泊費、現地でのプロジェクト費など込み。
【出発まで】参加者には事前に準備研修が3回ほどあります。
【申し込み、もっと詳しく知りたい人は】
エコクラブ事務局まで連絡してください。過去の報告書は、300円切手同封の上、住所、氏名、電話番号、メールアド
レスを明記し、『ヤップ島プログラム 報告書希望』と書いて事務局まで送付してください。
【説明会】*希望者は連絡をいれてください。
3月27日(月)、4月17日(月)午後6時半から実施予定。
ご都合の合わない方は個別調整しますので、ご相談ください。
プログラム参加希望者は仮・本申込書に書き込んで事務局宛に送ってください。
オブザーバー参加希望者も受け付けています。
申込書、オブザーバー制度やスタッフ、ヤップ島紹介など、詳しくはHPをご覧ください。
エコクラブ連絡先
〒101-0044東京都千代田区鍛冶町2-5-16
TEL:03-5294-1441
FAX:03-5294-1442
e-mail: ecoinfo@ecoclub.org
http://www.ecoclub.org
2004,2005年の事前・事後の様子が以下のサイトにあります。
http://yap.ecoclub.org/top
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高野孝子さんが書いている「地球日記」、とても面白く興味深い日記です。
http://www.ecoclub.org/showindex.php?lang=ja&genre=3
少しまえのものですが、ぜひご紹介したい日記をいくつか。
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高野孝子のメール「地球日記」
2004-05
師としての10の資質
2004年5月末から6月にかけて、ダライラマ法王がスコットランドを訪問したことは以前の地球日記に書いた。
5月30日から三日間、彼の仏教講座に出席することができたのだが、その中で「師としての10の資質」を地球日記の読者のみなさんと共有したいと思う。
英語で10 qualifications of teachers と彼は言っていたが、ここでの「先生」というのは仏教の教えを施す人のことだ。 しかし職業としての教師だけでなく、私たちはそれぞれ生きていく中で、何かしらどこかで教える立場になる。趣味の世界でも、仕事でも、祭りでも、お掃除でも、経験を積んだものが浅いものに教えるし、親も教え
る立場になる。(もちろんどんな時でも一方的に教えっぱなしということはなく、必ず学びがあるものだけれど。)
そんな意味で、私たちの日常と重ねて参考になると思う。
1 柔和であること
2 平和的であること
3 自制心があること
ここまで言って法王は「寛容で自制心があることは基本」と付け加えた。こうした質を備えるには、道徳心があり知恵を持ち、瞑想を通した鍛練が必要だ、と言い、無我ということだと続けた。
4 生徒よりも広く深い知識を持っていること
5 生徒を理解に導くための献身
6 仏典を勉強し、よく知っていること
7 無我、無の悟り
8 教える技術に長けていること
9 利他的、同情の心
10 簡単に希望をなくさないこと、困難に負けない力
最後の点について、よい先生は、生徒に何度も繰り返して同じことを教えなくてはならなくてもあきらめず、怒らないものだと法王は説明した。
そして「自分は、何度も同じことを教えなくてはならないと、つい失望して、覚えられないのはあなたのせいだ、などと言ってしまうから、この資質はないようだ」と大笑いした。
近年の「教育学」では、「共に学ぶ」を強調する。誰かが他の誰かよりも勝っていて、一方的に知識を分け与えるという考え方から、ある知識を持っているものが分かち合って共に学んでいくという姿勢に変わってきた。また、「生徒よりも知識を持つ」ということがむずかしい時代だ。あまりにも情報量が多すぎて、知らないことがありすぎる。技術や時代も急速に変わり続けるから、生徒の立場にある人の方が知っていることもたくさんある。
もちろん、法王が言っている「先生」は意味が異なる。仏教の世界で、長い修業と鍛練を積み重ねてきた人たちのことだ。そこには不変の教えがある。けれども「教わる」には限度があり、悟りも幸福も、最終的には個々人が自分で学んでつかんでいかなくてはならない。おそらく私たちの通常の学びとも重なる点だと思う。「知っている」ことと「わかっている」ことの違いがここにある。
毎日のように世界のあちこちで人々が殺され、台風の被害や難民、うそだらけの政治などのニュースの渦の中でうっ屈としがちだったが、当時取ったメモを見ると気持ちが和らいでくる。なぜだか希望という言葉が浮かび、不透明な明日に向かう力をくれる。
色あせたけれど、お払いを受けた赤い糸はまだ私の左手首にしっかりと巻き付いている。
(9月27日 エジンバラにて)
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高野孝子のメール「地球日記」
2004-09
フリルフスリフ
「私たちノルウェー人は、自然に近く暮らし環境に配慮する民族だと思われたい」。ノルウェースポーツ体育大学のベェルゲ・ダーレさんの言葉です。
「ヨーロッパ」はそれぞれ異なる国々の集まりですが、ノルウェーでびっくりしたのは、多くの家族が山小屋を持っていて、冬のある時期に国民のほぼ全員がそうした小屋に行き、数日間歩くスキーと自然の中での静かな時間を楽しむとい
うのです。小屋には電気や水道がないのが通常というあたりに、彼らの暮らしの幅の広さを見た気がしました。
「ノルディック」というのは主に、エッジのないクロスカントリー用のスキー板で比較的平らなところを歩いたり走ったりすることだと思っていました。ところがそれが「山の森の中を走り谷を飛び越える」という意味だとわかったのは、
ノルウェー人家族と一緒に一日を過ごしたときでした。
8歳の娘と15歳の息子、40代後半のお母さんがびゅんびゅんと森の中をかっとび、 木と木の際どい間をくぐり抜けていきます。繰り返しますが、エッジのついていない細い板でそれをやるのです。山を上る時には「タカコはスキー
がうまいね、これなら安心だわ」と言っていた彼らですが、谷を越え森を走るセクションでは、木にぶつかりそうになったり、大きくえぐれた雪をうまくかわせなかったりして何度も転倒し遅れる私を、何も言わずに待っていてくれました。
彼らの家からただ道路を横切っただけのところから始まるこの広大な丘陵地帯で、家族は冬の間ほぼ毎週末、スキーをはいて過ごすそうです。
「ノルウェー人たちはスキーをはいて生まれてくる」というフレーズがあります。そのくらいスキーは彼らの日常的な活動です。そもそもスキーというのはノルウェー語で、はるか昔からノルウェーで狩りのために利用したことからスキー
が始まったと言われています。現代では歩くスキーは家族のレジャー。ダウンヒルも盛んです。気取ることも気負うこともなく、すぐ近くのゲレンデに出かけたり裏の山を走りに行ったりします。
ノルウェーは自然との関わりという点で独特な伝統文化を持っています。
「フリルフスリフ」。舌をかんでしまいそうですが、直訳すると「自由な野外での生活」。これとまったく同じ概念は英語でも日本語でもありませんが、あえて意訳すれば、暮らしの一部としての野外での活動、でしょうか。何がフリルフ
スリフの肝心なポイントかについてはいろいろな議論があるのですが、自然と共にシンプルに暮らすこと、自然の中で体を動かすこと、それに伴って自然の一部であることを再確認しそれを喜びとすること、というようなものです。精神的な
結びつきを含んでいますが、あくまでリクリエーションであり、これが生活の質の高さとみなされます。そして家族がキーワードです。
体を動かすと言っても、散歩でもカマクラ作りでも、ノイチゴ摘みでもいいのです。競い合うスポーツではなく、特に複雑な道具や大型の施設を伴うスポーツはフリルフスリフではないと言われます。産業化に伴う大型建築や消費文明のも
ろもろから離れることが一つの前提です。しかもこれは日常生活の中に位置しているべきだそうです。
主要なフリルフスリフ研究者の一人であるダーレ先生の授業は「エベレストに登ることも、ノイチゴを摘むことも何の違いもない」と言って始まります。
サーミ民族をのぞくノルウェー人にとってこの特別な自然との関係が、重要なアイデンティティになっています。ある調査ではノルウェー人の79%がフリルフスリフを実行しているということでした。97%という数字もあります。
世界でももっともGNPの高い国の一つでありながら、都市人口が増えてきたのは比較的最近です。自然に近い暮らしから遠ざかったことが危機感となり、近年ますますフリルフスリフが熱心に実行されるようになっています。一方で、ス
ポーツの盛んなノルウェーではエネルギー消費の15%が、スポーツ関連活動や試合会場への移動などに使われています。エネルギー消費を押さえて持続可能な社会を目指すためには、自分たちが暮らす身近な自然環境で自然に親しむフリルフスリフは一石二鳥ということです。
ノルウェーはディープエコロジーという、環境保全の立場に立つ人たちの中では重要な支柱となる哲学の提唱者が出たところです。これもフリルフスリフの伝統から導かれました。
ダーレ先生は子どもの時期の自然体験が、自然との関係や社会での人との関係に深く関係していると言います。
「子ども一人一人が自然の中で自由に遊ぶ権利を持っている。お母さん、お父さん、あなたの子どもたちにフリルフスリフの喜びを知る機会を作ってあげてください」と彼は訴えます。
フリルフスリフの概念は日本の環境の中で展開できるのか、するとしたらどのようなものなのかにも興味があると言います。それは私たち一人一人が考えるに値することでしょう。
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この「フリルフスリフ」という概念がとても興味深く、「でも日本ではあまり知られてないよね」とメールを書いたら、高野さんが話した内容の読めるサイトを教えてくれました。
http://www.ecoplus.jp/showart.php?lang=ja&aid=180&genre=2
ノルウェーの人と自然の関係の哲学であり、ノルウェーの伝統であり、アイデンティティでもあるとか。「フリルフスリフ」という単語は、フリー(自由な)ルフス(空気)、リフ(暮らし)で、「自由な自然の中の生活」という意味になる
そうです。
いいですね!
余談ですが、前にドイツの環境関係者が日本に来て講演をしていたとき、「このなかで、ここ3ヶ月に森林に入ったことのある人は?」と聞いたとき、ほんとうにまばらにしか手が挙がらず(環境活動に関わる人々が聴衆だったのですが)
「ドイツで聞いたら、半分以上の人が手を挙げますよ」とびっくりしていたことを思い出しました。
日本人にとっても、自然との共生が伝統であり、文化でした(......過去形で書くべきか、現在形で書くべきか、迷いました......)。
私たちも、たとえときどきでも、「フリルフスリフ」を体験・実践し、子どもたちにも体験してもらいたいですね。それが「何かのためになるから」ではなく、「ただその喜びに浸る」ために。