(前号の続きです。発表者間の意見交換および会場からの質問に答える形で進んだパネル・ディスカションの部分です)
ありがとうございます。私もほかの方々のお話を聞いていて、キーワードとして「つなぐ」という、これは私自身もいつもキーワードにしていることですが、それがキーワードで出てきたなと思います。
きっと、「つなぐ作法」というのがあるんだろうなと思います。多分これから、産業界にしろ、研究機関にしろ、NGO、何にしても、つなぐということとつなぐ作法というのをもっと、単なるスキルとか技術というよりも、私はアート――という意味でアートではないかと思っていますが、そのあたりがきっと、もっと
もっと進んでいくのかなと思います。
何でつなぐかといったときに、たとえば試作品をつくるという研究機関の話もあったし、win-winの関係を提供することでつなぐというお話もあったし、私は「思い」でつなぐというお話を主にさせていただいたと思います。
そうやってつないでいくと何が起こってくるかと言うと、一人ひとりではできなかったことができる。最後に内藤さんがほんとに上手にまとめてくださった、C to Bというのもそうですね。一人ひとりではできなかったことが、つなげることで、それは社会を動かす力になっていくし、社会をつくり出していく力になっていく。
そのときに、3人ともに共通していたのが、ひとつは、それを可能にしているWebという技術だと思います。WebなりITの技術ですね。こういうのが出てきたいま、それがなかった20年前とは違う力を、私たちも社会も手にし始めているのかなと思います。
ただ、内藤さんの最初の話は、ちょっと怖いなというところもありましたよね。なので、「作法」と言ったのは、それを私たちのプラスに使っていくだけの知恵と、自制心も持ち合わせたうえでないと、そういう新しい技術は上手に使っていけないのかなという思いもあります。
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先ほど休憩の時間に、ほかの方からもボランティアの組織について質問をいただいていたので、併せてもう少し詳しくご説明をすると、最初にJFSを立ち上げた時に、一緒にやってくれた人は十数人だったと思います。
私は7年半ぐらい前から環境メールニュースというのを出していて、その読者の方は、私が何を考えて、どういうことをやっているかを知ってくださっていたので、そこに「今度こういうNGOを立ち上げるんだけど、手伝ってください」と呼びかけをして、その人たちと一緒に活動を始めました。
ただ、先ほどご説明したような、チームに分化していったのはもう少し先のことです。最初にWebサイトをオープンした時に全然記事がないと形にならないので、まず100本記事をとにかくつくって置いておこうと。その100本のうち、多分95本は自分で情報を探して、自分で日本語を書いて、自分で英語にして、自分で載せました。当初は、かなりの部分をひとりでやっていたような気がします。
その時に、最初に一緒にやってくれていた人たちが少しずつチームになっていって、自分の得意なところを分担してくれて、そのチームのなかで回り始めて、という形です。
JFSのボランティアは対外的に、たとえばWebサイトなどで募集をしたことはありません。それこそ、ボランティアのなかでのクチコミが回っていて、ボランティアの方がほかのボランティアの方を連れてくるというループで、外に大きく募集をしなくても、新しい人がどんどん入ってきてくれるという形になっています。
そのときのモチベーションは、先ほどお話ししたように、私たちがやろうとしていることに共鳴してくれているというのが多分、ほとんど全員に共通していることだと思います。このままだと地球環境がだめなのではないかと。自分にできることは何かという思いの人がたくさんいるんですね。
そうしたときに、JFSのもうひとつの特徴は、子育て中とか仕事を持っているとか、いつも、どの時間も自由になるわけじゃないけど、でもそういう思いがある人が、子どもが昼寝の間だけ参加をするとか、そういう形態が提供できているので、参加しやすいのだと思います。
どうやってモチベーションを持ってくれているのかというのは、会場に、それこそ最初に立ち上げた時からやってくれているボランティアの人が何人もいるので、彼女たちに聞いたほうが、私よりも適切に教えてくれると思いますが、多分、ある大きなことのために、みんなで力を尽くしているということと、それが本当に1ミリ、2ミリの動きかもしれないけど、少しずつ世界に届き始めている。
いま、こちらで売ってもらっている本は、『がんばっている日本を世界はまだ知らない』というタイトルです。私たちの活動の内容を日本語でまとめたものですが、これを何年かごとに出していきたいねという話を、ボランティアの人たちとはしていました。
『がんばっている日本を世界はまだ知らない』というのが第一部だとして、『がんばっている日本に世界が気がつきはじめた」とか『がんばっている日本のまねを世界が始めた』とか『がんばっている日本といっしょに世界ががんばり始めた』とか、そんなふうにタイトルを変えながらつくっていけたらいいねと。
そういう、どういうふうにしたいかとい夢を私も持っているし、みんなにもそういうメッセージを送ることもあるし、それぞれの人のなかで持っている、「何とかしたい」とか「こういう社会をつくり出したい」という思いがそれこそ重なって、続いているんだと思います。
ただ、先ほど言ったように、何かで縛りつけることはボランティア組織の場合はできないし、私はそれを極力排除しようとしてきました。
たとえば、「あなたがいないと困るのよ」という形では長続きしないと思っていました。ですから、JFSのもうひとつの特徴ですが、卒業する人が結構います。
JFSで何カ月とか何年とかやって、「十分にここで学んだので、自分の活動を始めます」とか、「別の活動の場に行ってみます」とか、そうやって卒業する人も結構いて、「これまでありがとう。行ってらっしゃい」と送り出します。そういう人たちがまた戻ってきたりしてくれることもあります。
なので、「あなたがいなくなると困るのよ」とはしない。思いの重なっている人たちでやっていこうと思っています。
そのときに、大切なポイントは、「スケーラブルであることを大切にする」ということです。私が始めた時に、ひとりでほとんどの活動をやっていたように、ひとりだったらひとりでできることがあります。ひとりで30本はきついと思うけど、ひとりになっても月に1本はきっと出せるだろうと。いまの人数だったら30本出せるし、人数が倍になったら60本出せるかもしれない。
「○○でなくてはいけない」というのはあまりないので、スケーラブルでできることができればそれだけいいし、でも、みんなの思いが重ならなくなって人数が減ったら、それはそれでできる範囲で活動すればいいし、と思ってやっています。
その辺がもしかしたら、組織に属しているといいながらも、あまり縛りがない楽なところが、逆に続いているところかもしれませんね。ボランティアの人たちにあとでちょっと聞いてみようかなと思います。
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私は、企業に対してCSRのコンサルティングやCSRレポートにかかわる作業も、第三者意見書を書いたりしているんですが、CSRというのは、企業の社会的責任、Corporate Social Responsibilityですが、CSRといったときに、いまの日本の企業でかなり狭くとらえているところがとても多いです。「コンプライアンスです」と言うんです。
「コンプライアンス」といったときに何を意味しているかと言うと、先ほどのお話と同じですが、「法令遵守」という意味でのコンプライアンス。本当の意味でのCSRというのは、「社会の要請に対して遵守する」ということであるのですが、それを法令遵守というふうにとらえ違えている、もしくは狭くとらえていることから、いろいろな意味で狭いCSR活動になっているなと思うところがあります。
ただ、CSRというのがこれほど出てきて重要視されているのは、企業がNGO化しているというものなのか、それとも、社会のなかで認められなくてはいけないというのが前よりも強くなってきたのかだと思います。
本当は産業界も、もともとは「思いのプラットホーム」で企業をつくっていたはずだと思います。たとえば、戦後間もないころに起業した、いま大きな企業になっているところもありますが、そういったところがなぜ起業したかというのを見ると、いまのNGOの使命とかミッションに書いてあるのと同じようなことを書いている。そのような思いで会社をつくっています。
なので、多分、そういった意味では、思いがあって、思いに重なる人たちと、思いをわかってくれる投資家と、そして思いを伝える相手としての顧客なり、一般消費者という形でのビジネスを築いてきた。
それをずっと守っているところもあります。私はいくつかそういう、大きくしないけれども、大事にそういった存在であり続ける企業をいくつか知っています。、ただ、ほとんどのところがやはり成長を大きく求めていくところで、その思いで始まっていたところ、ミッションで始まっていたところを、かなり失ってしまっているのではないかと思っています。
そういった意味で、5年、10年後の企業ということで言うと、もしかしたら自分の会社の創業理念をもう一回見なさいということかな。その時、何をこの社会でつくり出して、この社会でどういう役に立ちたくてこの会社をつくったのか。企業は、必ずそれがあってつくっているはずだと思うので、そこに立ち戻ることがCSRの活動の大きな一歩だと思うのです。
もうひとつ言うと、昔と比べて、組織が、あまりかちっとした組織の形態を取らなくなってきています。ですから、昔は企業に属している人がNGO活動をするというのはあまりなくて、NGOをやるなら企業を辞めて、ということでした。いまは、企業をやりながらNGOをやっている人も増えているし、たとえば私たちのNGOでも、大手の企業を辞めてスタッフになってくれた人もいます。
なので、価値観が変わってきている。流動性が高まっている。企業の側でもNGOで働いた人を企業の社員に迎え入れるということも、少しずつ日本でも起こってきています。そうしたときにやはり、お金だけでは動かない人が増えてくるんだろうなと思います。
もちろん、最低限必要なものはあるけれども、プラス昇級があるよりも、やはり自分の人生を思うように生きたいとか、生きがいを感じたいとか、最後に「いい人生だった」と言って死ねるための毎日を生きたいと思ったときに、上からの指令とか、査定があるからとか、お金をあげないぞとか、そういうことでは人は動かなくなってくるだろうなと。
そのときに、一人ひとりの胸のなかにある、「私はこういうふうに、自分のこの一生を使いたい」とか「この世の中に生まれてきた本当の務めを、少しでもいいから形にしたい」という思いを、いかに企業が拾い上げて、重ねて、つなげて、大切にするか。
それができる企業と、相変わらず人をコマとしか見ない、言ったとおりに動かないといけない、少しでも違ったり遅れたり、年を取ってしまうと、もう規格外としてはじき飛ばしてしまう、そういった企業ないし組織では、組織の弾力性――これはシステム思考の言葉で「レジリアンス」という言葉があります。私は「弾力性」と訳すよりも「しなやかな強さ」と訳していますが--これが全然違ってくると思います。
システム思考は今日、話ができませんでしたが、何かあったときにポキッと折れてしまう会社と、何かあってもはね返してさらに強くなる会社とあります。会社に限らず、さまざまな組織も、人もそうです。
それはレジリアンスがあるかないかの違いだと、システム思考では考えてます。何がレジリアンスをつくり出しているかという研究が、システム思考にはあります。そのときに、ある固まった形での、号令ですべて動くような組織は、レジリアンスが少ないです。
一人ひとりの思いを大切にして、もうひとつ言うと、「学習する組織」の考え方ですが、一人ひとりが社会とやりとりをして、そこで学んだことを組織の学びに展開していくことができる。それによって常に学び続け、常に進化し続ける。
それが学習する組織の定義ですが、そういった組織であれば、それがNGOでも企業でも研究機関でも、強いと思うし、それはしなやかな強さを持っていると思います。そういった要素がないと、何かあったときにポキッといってしまうのではないかなと思います。
そのしなやかな強さは、意識して組織のなかにもたらすことができます。最初からそれは難しいです。体が硬い人がいきなり柔軟をやっても、足に頭がつかないのと同じです。ただ、少しずつやっていくと、それはできる。
レジリアンスのひとつの例で、面白い話があります。私は宮古島のサトウキビでバイオディーゼルをつくるプロジェクトの見学に行ったことがありますが、そこで聞いた話です。
宮古島というのは、とても台風の強い所なので、サトウキビしかできない土地ですが、ちょうどサトウキビが大きくなったときに台風が来るそうです。
なので、何十年も前から、宮古島の人たちはサトウキビの品種改良をしていて、いまの宮古島のサトウキビは、強い風が来ると自分から寝るそうです。強い風がなくなると立ち上がってくるんだそうです。強い風のときにがんばって立っていたら、折れてしまいますからね。品種改良でそうなったというのを聞いて、サトウキビにできるんだったら、人だって、組織だってできるだろうと思います。
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工業化時代の最終形と新しい社会のはざまにいる個人の行動ないし矛盾は、というご質問ですが、そのとおりだと思っています。これまでの工業化時代の最終形になりつつあり、それではやっぱりいけないとか、それが快ではなくなった人たちが増えてきている。
そういう人たちが、新しいものを目指して、新しい社会に移行しつつあるというのと、いまの工業化時代を別に否定はしないけれども、別の形の快があるという意味で、新しい社会に移行しつつあるところがあるんだろうなと思っています。
具体的な「つなぐ作法」についてのご質問ですが、やはりNGOといっても、たとえば1本の記事をどういうスケジュールでつくるかというのは決まっています。でも、そのときに、自由意思で参加してくれているボランティアですから、指名をして、もしくは命令をしてさせることはできません。
たとえば「この記事を1週間後には英語にして出さなきゃいけない」といったときに、英訳チームのお世話役さんは、「この記事、誰か英語にしてください」ということをMLに投げます。ちゃんと手が挙がれば進むし、挙がらなかったときは、お世話役の人が何回も「これ、まだ売れ残っているけど、誰かやってくれませんか」みたいに呼びかけてくれて、何とかやっています。
ただ、やはり全体として「こういうことをやりたいんだ」ということを、みんな意識をしてくれていると思うので、できる範囲で、それぞれできる力で、多少無理をすることもあっても、やってくれているんだろうなと思います。
いちばん大事なのは、そういうプロセス管理やスケジュールを守るということも含めて、それぞれのチームの、もっと大きく言うと、JFS全体のトーンをどういうふうにセッティングするかということだと思います。
最初JFSを立ち上げたころ、トーン・セッティング(どのような雰囲気を設定するか)を随分気をつけてやりました。そこを気をつけないと、MLベースでやっていると、中傷や非難でチームがぐちゃぐちゃになることは、容易に想像されたからです。でもおかげさまで、私たちのチームは、中傷とか非難のメールは1本もなく、みんながサポートし合うような形にトーンがセットできているなと思っています。
もうひとつ、欲望や暴走のご質問に関してですが、ちょっと飛んだ話になるかもしれませんが、恐らく、5000年ぐらいたったら、人類はみんなブッダやガンジーのようになっているのかなと思うことがあります。進化して、意識や覚醒が広がって、いまの自分の目の前のことや、自分の欲望を満たすことだけではなくて、もっと長期的なことや地球の裏側のことも考えられる、そういう人類に進化すれば、いろんな問題が解決するのになと、よく夢想することがあります。
いいニュースは、そういう進化に向けての動きが、カケラですが、あちこちで広がっています。今日はその時間がないので、お話しできませんが、日本でも各地で、世界でもそういうのが広がっている。それは、欲望をコントロールしようといういろいろな試みが結集しているという、ひとつの表れでもあると思うし、そういった努力をすることが、無意識の何かをきっと進化させているんだろうなと。ですから、意識でコントロールするだけではなく、広がっていると思います。
もうひとつ、違う価値観や多様性のご質問ですが、私のNGOで言うと、NGOは私たちだけではないので、私たちのNGOがすべての社会の要請を受け入れる必要は全然ないと思っています。
いろんなNGOがあって、NGOの多様性があるからこそ、さまざまな社会の要請がきっと受け入れられるんだと。ですから、私たちのNGOの得意範囲はここで、私たちはこういうプロセスをやっていて、その思いと使命感に重なる人は一緒にやりましょうと思っています。
JFSにも違う使命感や違う必要性を感じている人が、時々入っていらっしゃって、「そうじゃない」とか、「こうやるべきだ」とおっしゃる方がいますが、そこはそうではないとはっきり伝えます。
「私たちはこれでやっているので、それが大事だと思うんだったら、どうぞご自分でつくってやってください」とか、「あちらにそういうNGOがありますから、そちらへ行かれたどうですか」とご紹介をするなりして、私たちのNGOが何をやるべきかということは、多様性ということで揺らすことはしていません。社会はひとつじゃないというのも同じ話だと思います。
それから、何を社会の要請と思うのかというのも同じ話だと思いますが、多分、何が社会の要請か、それをどうやって満たすかというよりも、一人ひとりが、いま何が大事だと思うかを考えて、自分で判断して、自分で決めていくことだと思います。それが、同じ思いの人が集まれば、そこにNGOなりグループができるかもしれないし、ひとりだったらひとりでそれをやっていけばいい。
そのときに、誰かほかの人の要請を満たすために自分がいるというよりも、自分が必要だと思うことを社会でつくり出していくのが多分、NGO的な考え方ではないかと思います。もしくは私がやっている会社のひとつがチェンジ・エージェントという名前ですが--「変化の担い手」という意味です--、それはグループであっても個人であっても、変化をつくり出していきたいという、変化の担い手がたくさん増えているので、そういった形で活動していくのかなと思います。
それからC to Bをどうやって実現するのかということで、私がいまやっている活動で言うと、C to Bにするためには、まずBを動かすだけの、もしくは社会を動かすだけの十分なCを広げないとだめなんですね。ひとりが言っているだけでは、Bは動きませんので。
ですので、私がいま、システム思考を使ってやっているのは、広がるための構造をどうつくるか。広げるデザインをどうするか。それを、システム思考を使ってやっています。
広げるためのデザインというのは、とても平たく言ってしまえば、日野さんがお話しくださった、クチコミをいかにつくるかということです。単に、「たまたまクチコミになっちゃった」ではなくて、広がる構造をどうやって、最初から活動するときに入れ込んでいくのかということを、システム思考を使って考えて、実
践しています。昨日、まさしくそのテーマでワークショップをやりました。
ひとつ、私たちの発表のなかで、新しい形なり価値観があったと思います。そういったものが、いま社会の主流派か?といったらそうではないんですね。なので「新しい」といわれるわけですが。
じゃあ、私たちがいま発表したようなことが社会の主流になっていくとしたら、どういった形を取っていくんだろう? これは、50年前からロジャーズという人が、「イノベーション普及理論」というのをつくっていますが、新しい考え方や、新しいやり方、新しい商品でも何でもいいです、それが社会に広がるときに、最初にそれを考えつく人がいる。
たとえばクチコミュニーケーションというような、もしくはクチコミュニティみたいな形で、切り口をアピールする人がいる。そうしたときに、それを今度は推進する人が出てくる。推進する人が、「これって、こういうことなんだよ」「こう使えるんだよ」と伝えることで、「じゃあやってみようかな」と、割と社会のなかでもフットワークの軽い人が動き始める。
社会の主流派が、いちばん最後まで動きません。そういう人たちが動き始めて、「あの人もやっているから大丈夫」とか「様子を見てたけど危なくないから、自分もやってみよう」とか、そうやって社会の主流派がいちばん最後についてくるのだと思います。
ですから、私たち3人が発表したことは、それぞれの分野で、きっと新しい動きなのかなと思っていますが、私たちが考えつく、もしくは推進する立場だとしたら、次の人たちにどうやってそれを広げていけるか。
それが上手に広がりの構造に乗ったときに、今日ここで聞いた話、5年後、「もうどこでもやっているよね」みたいな、もしくは10年後、あちこちで「みんな同じこと、言ってるよね」というふうになっていくのかなと思います。