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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2007年06月18日

キャンドルナイトの講演録 後編(2007.06.15)

新しいあり方へ
 

(前号からのつづきです)


いま、取り戻す時代が来ているなと思います。たとえば時間を取り戻す。これはスローライフとか、キャンドルナイトもそのひとつです。

あと、火を取り戻す。これはまさにキャンドルナイト。炎の揺らぎは、人間の精神衛生上、すごく大事なものです。自然の揺らぎは、風でもそうですが、火の揺らぎとか、ほんとに大事なんですね。

でもそれがいま、火は危ないとか、いろいろなことを言って、火を使わせてもらえないですよね。人間は火を手にしてはじめて、動物から人間になったといわれています。その火を取り戻すというのは、人間を取り戻すということかもしれない。

あと、お金を取り戻すというのもそうです。世界の経済の中で、たくさんのお金が動いていますが、その動いているお金の中で、実際にモノとかサービスの対価として払われている、実態を伴ったお金というのは2%しかないといわれています。残りの98%は投機です。お金がお金を追いかけて、ぐるぐる地球を回っている。それでアジアで通貨危機が発生したり、あちこちで問題が起こっているわけです。

お金というのはもともと、自分たちのモノとか気持ちとか、体力とか、それを交換するための手段だったじゃないかと。投機とか、お金を増やすとか、そのための目的ではなかった。「もともとのお金を取り戻そうと」いう動きが、たとえば地域通貨の動きです。日本で、数百あるといわれています。

あと、人々のつながり。本当の気持ちよさ。自分自身を取り戻す。「誰かが言うから」とか、「世間が気になるから」とか、「みのもんたさんが言うから」とかではなくて、「みのもんたさんはこう言うけど、私はこう考える」とか、「みんなはこう言うけど、私はこう決める」とか、そういうふうに、一人ひとりの、自分で考えて、自分で選んで、自分で決める。この力をいま、少しずつ取り戻しつつあるんだろうなと思います。

キャンドルナイトはここにも、とても大きなつながりがあると思っています。キャンドルナイトをするということも、何のためにするということも、それもすべて自分でそれぞれ考えて、選んでもらえる。決めてもらえる。

何がいいとか悪いとか、ないんですね。私たち、小学校のときから、正解があって間違いがあって、こちらが偉くて、こちらが偉くなくて、そういうふうな分け方でずっと育ってきていますが、世の中って、そんなものじゃなくて、答えはそれぞれがつくればいいじゃないという世界もある。キャンドルナイトはそのひとつを体現しているのかなと思います。

もうひとつ、「つながりをたどる」ということで、ちょっと違った観点で話をします。キャンドルナイトというのは、先ほど言いましたように、2時間電気を消してスローな夜を過ごす。やったとしても1年間に2回ですね。もちろん、冬至・夏至だけじゃなくて、好きなときにキャンドルナイトはやってくれればいいので、毎週やっている人もいるし、毎月やっているカフェやレストランもあります。ただ、呼びかけとしては年に2回やっています。

ちなみに、私は普段は朝2時に起きるという生活をしています。朝2時に起きるために、夜は8時に寝ます。なので、8時〜10時のキャンドルナイトって、もう寝ているので、いつも参加できません。「私は夢の中で参加します」とか、いつも言っていますが。

私は代わりにキャンドルモーニングをやっています。朝2時というのは真っ暗なんですね。当たり前ですが。明るくなるまでのあいだに、キャンドルモーニングと称して、電気をつけないで、ロウソクの光で手紙を書いたり、本を読んだり、仕事をしたりとか、そういう時間を持っています。

ですから、別にどの時間帯でどういうふうにやってもらってもいいですが、大事なのは立ち止まる時間。ほかとは違う時間を自分につくってあげる。もしくは、周りの人と一緒につくる。朝2時からキャンドルモーニングをやっていても、誰も参加してくれないので(^^;)、いつも1人でやっていますが、それはそれで豊かな時間です。

(中略)

私たちが一生懸命やろうとしているキャンドルナイトは、もしかしたらキャンドルナイトそのものが目的というよりも、ここで2時間の時間を持ってもらうことが、何かにつながっていくのではないか。そうして、つながりをたどっていけば、私たちが本当に解決したいと思っている問題につながっていくんじゃないか。ほんとにつくり出したい社会につながっているんじゃないか。

ほんとにつくり出したい社会が、「夜2時間電気を消す社会」だとは思いませんが、キャンドルナイトに参加をしてもらうことで、そういったつながりを、私たちはつくっているんじゃないかなと、よく思います。

とても大げさな言い方ですが、いま私は、人類は進化の過程にあるのではないかなと思います。私は、アル・ゴアさんの『不都合な真実』の翻訳などをして、そのあと、温暖化関係の仕事がとても多いです。温暖化という非常に切迫した問題も確かに大きな問題ですが、人類を次のステージに引き上げてくれる、そういうきっかけなんだろうなというふうに思っています。

人間はいま進化の途中にある、と私は思っています。どういうふうに進化をしていると思っているのかというと(私ぐらいしか言っていないので、ほかでは聞かないでしょうけど)、これまでの人類は、ガンジーとかブッダとか例外はありますが、ほとんどの人は、自分の半径50センチ以内、いまからせいぜい5分ぐらいのことを主に考えて生きているのではないかと思います。

たとえば経済にしても、政治家にしてもそう。次の選挙まで、もしくは次の四半期。それぐらいまでしか考えられない。私たちにしても、自分の半径50センチ。せいぜい家族。それぐらいのことをメインに考えている。

いま、進化していると言いましたが、進化したあとの人類は、いま自分が考えたり決めたりすることに、地球の裏側のことまで考える。もしくは7世代あと――200年ぐらいあとですが、そういった時間的・空間的な広がりを持って、いま考えたり、判断したり、決めたりすることができる。そういう人類にいま、私たちは進化しつつあるんじゃないかなと思っています。

つまり、意識や覚醒が広がっている。そうすると、いま私が「これを買おうかな」とか、「これを使おうかな」といったときに、「私にとって幸せ」とか、「自分の家族にとってどう」だけじゃなくて、これを買うことが地球の裏側の人にどういう影響を与えるのかな? これを使うことが、7世代あとの人たちにどういう影響を与えるのかな? ごく自然にそれが考えられるような、そういう人間になっていったら、温暖化やさまざまな社会問題も、解決に向かうんじゃないかと思っています。

私はいま、世界でも日本でも、この進化のきざしをあちこちで見ているような気がしているのです。それは、かけらのように、きらめきのように、あちこちに私には見えるような気がしています。そのひとつがキャンドルナイトの明かりだと思うのです。

700万人もの人が、単なる「電気を消してロウソクつけようよ」という呼びかけに乗ってくる。これ自体が、何かこれまでと違う、ひとつの形を、もしくは流れを表しているように思えて仕方がありません。

もうひとつ、キャンドルナイトというのは、つながる場でもあります。たとえば、行政とか企業とか市民、そして、いろいろな年代の人が参加しますよね。

これまでは、行政は行政の役割、企業は企業の役割、市民は市民と別れていた。でも、新しい世界、新しい社会は、そういうふうに役割分担を分けるのではなくて、お互いに新しいつながり方をする。そういう社会になっていきます。キャンドルナイトを一緒にやるというのは、その格好の練習場所、実験場だと思っています。

たとえば行政にとって見ると、「コラボレーション」とか「パーナーシップ」というけど、行政が音頭を取らなきゃいけないと考えている。もしくは、まったく任せて手を引いてしまう。その両極端ではなくて、そのあいだのあり方を模索する。キャンドルナイトのそのためのひとつの場になってくると思います。

企業についても、「金を出すなら、口も出す」という形でやるんじゃなくて、サポートしながら一緒につくり出していく。これまでにないような「一緒にやる」という形を、札幌だけではなくて、全国のキャンドルナイトの動きを見ていると、その実験場になっているなと思います。

私は大学の時に心理学を勉強していました。心理学で時々使う話ですが、「ヤマアラシのジレンマ」という話をご存じですか? ヤマアラシって、ハリネズミみたいなものですね。こういうお話です。

ある寒い夜に、2匹のヤマアラシがいました。あまりに寒いので、寄り添ってあったまろうと思って近づくと、お互いの針が刺さって痛いのです。「痛い!」と言って離れると、今度は寒い。どれぐらいの距離でいるのがいちばんいいのかというのを、近づいたり離れたり、痛い思いをしたり、離れすぎて寒かったりしながら、2人でいちばんお互いに居心地のよい、そして痛くも寒くもない距離を模索して、探すことができました。

ほんとにできたかどうかわかりませんが、そういう話があります。

たとえば行政とか市民とか企業のコラボレーションって、いまそういう状況なんだろうなと思います。これまでと違うパターンで、お付き合いをする。これまでとは違う距離感でやりとりをする。これぐらいかな。近づきすぎると、何か違うな。遠ざかると、何か離れちゃったなと。それでお互いに様子を見ながら、調整をしながら、お互いにとって、そして全体にとっていいコラボレーションを進めていく。

キャンドルナイトは、私たちはもともと市民発の活動でやっていますが、始めてすぐに環境省が「一緒にやりたい」と言ってきてくれて、「じゃあ、一緒にやりましょう」と言って一緒にやってきました。私たち、「100万人のキャンドルナイト」でも、環境省とわれわれNGO側が、どれぐらいの距離感でやったらいいのかということを試行錯誤しながらやっています。

お金を持っていたり、大きなことができるのは環境省だけど、でも思いを持っていて、やりたい気持ちと、始めたきっかけを持っているのは私たちだ。そういった人たちが、どうやって、お互いのために、そして全体のために、いい距離感が取れるのかということを、私たちも模索しているし、各地でもそうなのだろうなと思います。

各地にキャンドルナイトの活動があり、私たちが中心になってやっている「100万人のキャンドルナイト」があり、それからいま、世界に広げようと思っている世界のキャンドルナイトがあります。でも、これらが階層としてきちんと役割分担が決まっているというものではありません。

各地で、まるでロウソクの炎の揺らぎのように、非常にいろいろな形で、模索をしながら形をつくっていく。私たち「100万人のキャンドルナイト」もそうです。いま世界に広げつつあるキャンドルナイトでは、英語のニュースレターをつくって配信していますが、いま48カ国に配信して、この国々でキャンドルナイトを一緒に、それぞれ始めてくれる人たちが出てきています。キャンドルナイトが、世界でぐるっとできたらいいなと思ってやっています。

このあいだ、モーリシャスという小さな国で、「キャンドルナイトをやりたい」と言いだしてくれた人がいて、「どういうふうに始めたらいいの?」と言うので、われわれのチームで、「始めるにはこうしたら」「こういうことには気をつけて」という、最初の始めるためのキットを英語でつくって送ってあげました。市長さんとか、いろんな人が参加をして、一緒にやってくれたという写真を送ってくれました。

ニューヨーク、フランス、ベルギー、カナダ、オーストラリア、あちこちで。あと、韓国も大きな動きになってきていますが、起こっています。

最後に、キャンドルナイトを広げたいと思って参加されている方が多いと思うので、そこだけちょっと話をしておしまいにします。

何か新しいものを始めよう、広げようと思ったときに、大体この「イノベーション普及のカーブ」というカーブが当てはまります。最初はなかなか離陸しない。あるところで離陸すると、そこから急激に増えていき、浸透して、最後に飽和するという形です。

キャンドルナイトの動きで言うと、もう離陸をしたのかもしれません。だいぶ認知度も上がっているし、広がっている。でも各地の動きで言うと、まだ離陸期にある所もたくさんある。

そうしたときに、広げるための戦略があります。何でもそうですが、新しいものをやろうとか、広げようとしたときに、最初にそれを「やろうよ」と言い出す人がいます。皆さん、それかもしれないですよね。

その人たちだけではなくて、それをみんなにとって、「行政にとってはこういういいことがあるよ」「企業はこうだよ」「じゃあ、みんなでこういうふうにやろうよ」という、最初に考えつくのを、一般の人たちにわかるように伝えていく。推進する。そういう人が出てきます。

「じゃあ、やってみようかな」というレストランとかカフェとか、人とか企業が出てくる。大体、主流派は、それを見ていて、みんながやっている様子を見て、「あぁ、安全そうだ」とか、「自分もやらないと乗り遅れる」とか、そういうことで最後に入ってきます。

なので、キャンドルナイトでも何でもそうですが、広げようとしたときに、いまどこまで広がっているのか。次に広げるべきはどこなのか。最初にわかってもらって、あちこちに広げてくれる、推進する人を探さなきゃいけない時期なのか? それとも、推進する人はある程度いるのだから、社会の中でやってみる人を増やす時期なのか? やってみる企業は増えている。それをもっと大きく、主流派に広げる時期なのか? ステージごとにそれぞれ戦略が違います。ターゲットも違うし、アピールの仕方も違う。

ですから、「キャンドルナイト、いいですよ。一緒にやりませんか」という呼びかけだけではなくて、もっとターゲットを絞って、この人たちをここに動かすためにどういうアピール、もしくはどういうコラボレーションができるか。そういうことも考えつつ、広げていってもらえたらいいなと思っています。

最後にひとこと。何をやろうとしても足を引っ張ろうとする人がいます。これはキャンドルナイトに限らず、地域でも組織でも、何かやろうとしたときに、「新しいことは反対」というような人たちがいます。もしくは「おまえがやることは、みんな反対」とか、そういう人もいます。

本当に聞くべき批判とか、建設的な議論は大いにやる必要がありますが、ただ社会のあるパーセントの人たちは、反対のための反対を好んでする人がいるというのは、私の実感でもあります。

そういう人たちは目立つんですね。反対していますから。なので、何とか説得して、わかってもらわなきゃいけない。そこを乗り越えないと、次に行けない。そういうふうに、どうしても思ってしまいます。

私も環境を始めた時に、そういう人たちがいて、「そんなことやって、何になる」とか「こっちのほうが大きい問題じゃないのか」とか、いろいろ言うわけです。一生懸命、議論をして説明しようと思っても、建設的な議論というよりも、反対のための反対をしているんだなということが、だんだんわかってきました。

私は、そういう人たちを「ピラニア」と呼んでいます。いますよね、ピラニアって。皆さんの周りにも、もしかしたらいるかもしれません。

私のいまの作戦は、「ピラニアとは闘わない」ということです。どうしても、闘わなくてはならないのではないか、と思ってしまいます。それを乗り越えないとわかってもらえない気がして。でも、ピラニアと闘うよりも、そのエネルギーや時間を、「そうよね、一緒にやろうよ」という仲間を10人増やすことに使うほうがずっと建設的だし、運動は広がるし、自分の精神衛生上もいい。そう思って、いまはピラニアと闘わないという戦略です。

もしかしたら皆さんも、活動の中でピラニアに会うことがあるかもしれません。闘うべきピラニアは死んでも闘えばいいと思います。でも、そうではない、ただ足を引っ張るためのピラニアは相手にしない、というのもひとつだと思います。

こういう話をすると、「直属の上司がピラニアなんですけど、どうしたらいいでしょう」とか、そういう相談も来たりしますが(^^;)。でも、一般的に、闘わないというやり方もある。それよりも味方を増やすということが、もしかしたらキャンドルナイトのような活動には合っているかもしれません。

最後に、届いたばかりですが、今年の「100万人のキャンドルナイト」に、毎年寄せてくれていますが、オノ・ヨーコさんからメッセージが届きました。サインも届きました。とてもすてきなメッセージなので、皆さんにもお伝えして終わりにしようと思います。

「ひとりで見る夢はただの夢。みんなで見る夢は現実になる」
 愛をこめて オノ・ヨーコより

私たち、一人ひとりみる夢を、みんなで重ねることで、キャンドルナイトという場で重ねることで、現実にしていけたらなと思っています。ありがとうございました。

(質問)

――キャンドルナイトは地道に広がっている印象で、すごくいいと思いますが、もう一歩、社会的なイベントになると、もっといいと思います。世界的な大きな塔、東京タワーのように、シンボリックなものが光を落とすと、それがニュースになる。そういうふうに動かせるといいと思いますが。

おっしゃるとおりだと思います。どうやって広げていくかというときに、一人ひとり説明したり、チラシを配ってわかってもらうという、地道な活動も大事ですが、マスコミの影響力というのもとても大きいですね。

私たちが「100万人のキャンドルナイト」をやって、最初に500万人参加したのは、最初から上手にマスコミとお付き合いをしていたからです。それは、マエキタミヤコさんという、われわれのメンバーが、そういうことのプロですので、その辺は上手に調整をしてくれました。

やはり、ニュースバリューになるような出し方をするというのは、とても大事で、キャンドルナイトそのものが、映像がとてもきれいなので、黙っていてもニュースバリューになります。なので、新聞でもテレビでも、「いつどこへ来ると、こういう画が撮れますよ」ということを、前もって知らせておくと、取り上げてくれることは多いです。

たとえば、それぞれの地元の特性があって、大阪だと、「かに道楽」のカニの光が消えるとか、ああいうのは絶対ニュースになるわけです。そういうのをピンポイントでお願いに上がるというのは、多分、各地でやっていると思います。

私たちの海外展開のチームでも、たとえば、「エッフェル塔とか、そういうのを消したいね」という話をしています。

エッフェル塔の電気を消すというのがひとつの目標だとして、じゃあ、どうやって消すということを現実化するか。それはいろんなやり方があります。

たとえば私たちは、前の環境大臣の小池百合子さんは環境大臣の時に、キャンドルナイトの話を、随分あちこちでしてくださいました。アジアの環境大臣が集まった会議でもしてくれました。ですから、小池さんなり政治家なり、もしくは環境省を通じて、フランスの同じような所に呼びかけて、エッフェル塔を消すというやり方もあるでしょう。

もしくは、私たちの活動を世界に発信している中で、フランスのNGOが、「自分たちもやろうよ」「東京では東京タワーを消しているらしい」「じゃあ、パリだったらエッフェル塔を消そうよ」という話でやってくれれば、それはそれでうれしい。どちらかと言うと、私はそちらのほうが好きですが、いろいろなルートがあると思います。

「こうでなくちゃいけない」というのは、キャンドルナイトはないのですね。いちばんいいのは、目標があるとしたら、可能性のあるものに向かって、打てる手をたくさん考えて同時にやるということです。

私がこのあいだ翻訳をした『大金持ちをランチに誘え!』という本があります。これは環境と関係ないビジネスの本ですが、そこでいちばん大事なポイントとして挙げているのが、「大量行動の原則」というものです。これはNGOでも行政でも使えます。

何かやろうと思ったときに、それにつながりそうな手を30通り考えなさい。普通、30通り考えたあとには、優先順位をつけて、1からやろうとしますね。でもその本に書かれているのは、「30通り考えたら、30通りを同時にやりなさい」ということです。大量行動の原則。結構、優先順位ということを考えがちなわれわれにとっては、ガーンと来るような考え方です。でも結構、それをやってみると――私は30まではいかないですが、やってみると効きます。

エッフェル塔を消すというのは、いまの私たちの大きな目標になっているわけではないので、それをやっているわけではないですが、キャンドルナイトを世界に広げるということで言うと、30ぐらい手を考えて、分担を決めて、いまやろうとしているので、そのうち、エッフェル塔なり、目立つものが消えるといいなと思っています。

何年先になるかわかりません。それはいろんな動きが絡んでくるので。でも消えたら、「あ、消えたな」と思ってやってください。(^^;

――どうしても環境というのは敷居があるようで、「私は環境に関心がないから」とか、「そういうことは環境に興味のある人がすること」みたいななので、環境色をいかに出さないで、いろいろな人と連係するかということのコツ、戦略の仕方を。

すごく大切なポイントをご質問いただいたと思います。その通りです。私も実は、そういうことを考えて、いろいろと実験をしつつあります。

先ほど言った、私は朝2時に起きているという話をしました。夜8時に寝ているので、今日ももうそろそろ寝る時間ですが。2000年だったか2001年だったか、『朝2時起きで、なんでもできる!』という本を出しました。それはいま3部出ていますが、シリーズで15万部ぐらい出て、たくさんの方が読んでくださっています。

なぜその本を出したかというのも、実はいまお話しくださった、まったく同じ問題意識でした。私はその本を出す前に2冊、環境の本を出したんですね。それはいかにも環境というのがわかるタイトルです。そうすると、書店の環境コーナーに置かれます。環境コーナーに置かれると、もともと環境に関心がある人しか行きません。なので、環境をやっている人は読んでくれて、褒めてくれるんですけど、私は環境に意識のない、もしくは大事だと思っていない人に読んでほしかった。でもそれは完全に失敗しました。

なので、環境、環境していたらだめだということがその時わかりました。そして次に打った手が、『朝2時』でした。『朝2時起きで、なんでもできる!』というのは、書名からしても環境ではないですし、内容も、環境の話はちらっと、私が楽しんでいる活動として出てきますが、環境そのものの話は出ていません。

それはライフスタイルだったり、自己啓発だったり、ビジネス書のコーナーに置かれて、「何だって、朝2時に起きているの? 2時は朝じゃねえよな」とか言いながら、みんな買ってくれるわけです。

そうやって読んでいると、中にちらっと環境の話が出てきて、ちらっと私のメールニュースと登録アドレスが出てくるという。そのチラチラだけで、実は何千人も、私のメールニュースに、あの本から登録してくれました。私はこの方法を「トロイの木馬作戦」と呼んでいます。

これはすごく大事な戦略です。キャンドルナイトにはその余地が大いにあります。キャンドルナイトはロマンチックだし、楽しいし、どういうふうに使ってくれてもいいわけだし、その結果、環境に何か思いをはせてくれたら、大儲け。そうじゃなくても、楽しんでくれれば十分じゃないという、そういうことです。

なので、環境で集まる人たちには環境をメインに出しますが、たとえば私がどうやって朝2時に起きているとか、どうやっていろんな仕事をするようになったとか、キャリアの開発とか、自己啓発とか、ビジョンをどうやってつくるかとか、自分マネジメントをどうやってやるかとか、一見、環境でない話をよくいるし、本にも書いていますが、それはすべて私にとってはトロイの木馬作戦なのです。

だって、環境の本を買うよりも、自己啓発を買う人のほうが絶対多いです。としたら、そちらに置いてもらえる、そちら読んでもらえる。でも、内容としては同じ。

ですから、環境以外の講演もたくさん受けています。自己啓発の話をして、どうやってキャリアアップをするかという話をして、ちらっと環境の話を混ぜたりしています。そういう作戦もあるのだと思います。

世の中はいま、追いついてきているので、あまり「トロイの木馬作戦」を取らなくても、環境メインでも関心を持つ人が増えてきていると思います。

ただ、やっぱりそれでも残ってしまう、まだ環境に関心のない人たちにアピールするときには、「環境って大事なんだよ。まだ気がつかないの?」というアピールよりも、その人たちは何に関心があるんだろう? その人たちにはどういう言葉でしゃべれば聞いてもらえるんだろう? そういうことを考えて、寄り添うような感じで入っていくことができればいいのかな、と思っています。

ありがとうございました。

 

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