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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2007年08月01日

余談:読書のインタビューより(2007.08.01)

コミュニケーション
 

前号の余談つづきで、読書についてちょっと。少しまえにイーズメールでも配信したことがあるので、重複して受け取られた方、ごめんなさいー。

迷路絵本の翻訳を親子共訳で出させてもらったことがあります。子ども向けは、流行の激しい大人向けに比べると、長く書店に置いてもらえ、じっくりと売れていくようです。いまでも「書店で見つけました」「偶然買ってびっくりしました!」という声をいただいて、うれしく思っています。

こういう絵本です。

マルコ・ポーロの迷路―黄金の国をめざせ! アンナ・ニルセンのめいろブック

ダーウィンの迷路―緑の楽園をめざせ! アンナ・ニルセンのめいろブック

この出版社のインタビューで私は以下のようなお話をしました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

―今回の「アナ・ニールセンのめいろぶっく」では初の親子共訳ということですが、一緒に制作されていかがでしたか?

すごく楽しかったですね。子供たちと一緒に一冊の本を一緒に読み進めて、その内容をつかみ、日本語に訳していくという進め方は初めてのことでしたので、面白かったですよ。

流れとしては、まず子供たちとああだ、こうだとわいわい言いながら一緒に訳したものを一回私がまとめて、プリントアウトしたものを子供たちにもう一度見てもらって、「やっぱりこのほうがいいんじゃない?」「ここはわかりにくいんじゃない?」と赤を入れてもらいました。“なるほど!”という指摘がいっぱいありました。

―そうすると、ご自身の中では新しい発見があったのですね。

そうですね。子供たちって、基本的にこういうふうに表現した方がわかりやすいとかしっくりくるというのを感覚でもっているんですよね。私の場合、文章を翻訳することが仕事なので特にそうかもしれないのですが、大人はまず文字を通して情報が入りますよね。でも、子供たちは自分たち自身が遊ぶ立場に近いので、どういうふうに書いてあれば楽しく遊べるかって考えるんですよね。

例えば、原本に“orchard”と書いてあるので、そのまま訳すと“果樹園”になります。でも子供たちは、「そう書いてあってもイラストはそうなっていないじゃない? イラストに合わせるべきだよ」って譲らない。「この本を読む子供たちは別に原書の英語を見るわけじゃないんだから、英語がどういうふうに書いてあっても関係ないんだよ」って言われちゃいました(笑)。

―翻訳される前には、実際にお子様たちにはめいろで遊んで頂いたようですがいかがでしたか?

“ウォーリー”とか大好きなのでそれに似た雰囲気だねって話していました。特に、イラストがページごとに展開するでしょ。マルコポーロやダーウィンの旅という設定でたくさんの世界が入っているからそれがとても面白かったみたいですね。

―実際に、お子様たちはよく本を読まれているんですか?

大好きですね。子供たちが小さい頃から、本だけは上限を設けずに読みたいというだけ買ってあげていました。今では、友達ともよく交換し合っているみたいですよ。うちの子たちはクリスマスや誕生日に「プレゼント何がいい?」って聞くと、「図書券がいい!」って言うんですよ。親としては楽なので嬉しいんですが(笑)。

―今回、この絵本は“子供の想像力をはぐくむ絵本”とういコンセプトで打ち出しているのですが、教育の観点から子供にとって想像力を育むには何が大切だと考えていらっしゃいますか?

一番大事なのは、じゃまされない時間だと思います。つい、親はついああだこうだと言ってしまいがちですが、とにかく子供にとっては安心して一人きりになれる時間と空間がないと、いくら絵本を与えたとしてもだめですね。子供にとっては宿題みたいになってしまうから。

一番良いのはほうっておくこと。私も子供の時に読んだ本を娘にあげたりするんですけど、いくら「昔、お母さん好きだったから…」って話してもその時に興味がなければ聞いてくれないんですよ。それよりも、なんとなく本棚に置いてあったりして、いつか何かの時にそれと出会ってもらうというのが一番です。

子供は本を好きになったり読み出すタイミングって様々だと思うんです。ですから、みんなが小さいときに読まなくてもいいと思います。ただ、どのタイミングでも読みたいと思ったときに読める環境を提供してあげるのが親の役割かなと思います。

―確かに、つい親ですとあれこれ口を出してみたくなりますよね。

どうしてそうなってしまうのか、いくつかの理由があると思います。一番はやっぱり「投資対効果」を考えてしまうところでしょうね。“今日買ってあげたら、今日読んで欲しい”とかね。

でも、私たち大人でもいつか読むかなと思って何年も前に買った本を最近読んだりすることってよくありますよね。それは、子供も同じだと思うんです。この本良いかなと思って買ってあげても、子供がそれを発見するのは3年後かも知れない。それでもいいと思えないんだったら、買わないほうが良いかもしれません。

あと、短期的な見方として、「これを読むことで何か力がつくんじゃないか」と考えてしまうことも理由でしょうね。もちろん、副次的効果として力はつくかも知れないけど、それを目的とした瞬間に子供にとって面白くなくなっちゃう。面白いものは面白いものにしておかないとね。

もちろん、勉強のための本もあってもいいと思いますが、想像力を養う意味で考えるとじゃまをしないのがいちばんです。親にとってはとても難しいことかもしれませんけど。

―枝廣さんご自身は小さい頃どのような本を読まれていらっしゃったんですか。

私は、田舎にいたことと家があまり豊かではなかったので、そんなにたくさんの本を買ってもらったわけではなかったのですが、それでも母親が奮発して、小学校の低学年が読めるような良いお話がたくさん詰まったシリーズを買ってくれたんです。うれしくてうれしくてね、それを繰り返し読んでいました。今でも、背表紙から中のイラストまで覚えているほど、何百回と読みましたよ。

今、このように言葉を使って書く仕事をしているのは、そのときの経験があったからだと思っていますし、文章を書いていても、自然にリズムや文字の並びが残す印象を直に感じて書き進められるのは、あのときの多読のおかげですね。

―最後に、読者に向けてメッセージを頂けますか。

絵本でも本でも、そこにある紙や文字、絵を通して、自分だけの世界に入っていけることが読書の醍醐味であり、本質だと思っています。「結果的に」何かを学んだり、何かが身についたりすることもあるでしょうけど、それを目的にすると、自分の世界を楽しむことはできなくなっちゃう。

勉強のための読書と、楽しみだけの読書と、その両方に時間をとれるといいですね。本を読むことで、時間が止まっているようなのに、時計を見るとあっというまに時間が過ぎているような至福の時を味わえる人は本当に幸せだと思いますよ!

 

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