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アラン・アトキソンのちょっと昔の記事から「新マンハッタン計画」(2007.09....
エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース
2007年10月04日
アラン・アトキソンのちょっと昔の記事から「新マンハッタン計画」(2007.09.26)
前回、2つほぼ同じメールニュースが配信されてしまいました。ごめんなさい。
どちらか削除しておいてくださいな。
いま、スイスのチューリッヒに来ています。昨日から2日間の会合に参加しています。とても面白いです! こちらのレポートは次号で送りますね。
さて前回、「少し昔の・アランの書いたもの」をご紹介したついでに、もうひとつ、「少し昔の・アランの書いたもの」をご紹介します(9.11のあとに書かれたものなので、かなり昔の、というべきかな?)。こちらも実践和訳チームが訳してくれました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
新マンハッタン計画
アラン・アトキソン
http://www.atkisson.com/pubs/FR28901.html
多くのアメリカ人にとって、9月11日に起きた同時多発テロの惨劇は、今も生々しく脳裏に焼きついている。私が言葉を交わす人々も、ほとんど皆、以前のように外出したり、買い物を楽しんだり、ディズニーランドへの旅行を計画するなど考えられない、と言う。
ほとんどの人たちが、いまだ慰めを求める気にすらなれずにいる。
だからこそ、近頃ニュースで取り上げられているように、この国の政治家たちが国民に向かって発破をかけている言葉は、恐ろしいほど虚しく響くばかりだ。買い物しよう、お金を使おう、休暇の計画を立てよう、景気をよくしよう、だなんて。要するに、消費しよう、という呼びかけだ。
これほど多くのアメリカ人に直接的、個人的な打撃を与えた9・11テロの衝撃の深さは、他国に住む人々には理解されにくいかもしれない。世界の惨事のスケールから考えれば、死者6,000人というのはさほど大きな数字ではない。最近、インドや中央アフリカでは自然災害により多数の犠牲者が出たが、その数と比べるとゼロがいくつも足りない。あるいはユダヤ人大虐殺や、あの恐ろしい「マンハッタン計画」の産物である1945年の広島原爆投下でも、犠牲になった民間人死者数は桁違いに大きな数である。
しかし、9月11日に失われた6,000人の命は、そうした数字をはるかに越える影響をもたらしている。アメリカ合衆国という国は、人の動きが多く、人間関係が広範囲にわたるところだ。アメリカ人は、転職回数も多いし移動範囲も広い。ほとんど国中の人々とつながりがあるといってもいい。知人の知人、と6人分知人の糸を手繰れば、世界中のあらゆる人にたどりつけるという「6次の隔たり」説は、ここ米国で生まれたものだ。実際はたった2人分でつながることもよくある。
つまり、自分の知人、あるいは知人の知人が、同時多発テロの犠牲になったという人は驚くほど多いことになる。しかも大抵、その知人とは一人ではなく複数だ。
こうした個々人の喪失感は、当然のことながら、人々に計り知れない悲しみをもたらし、また深い自省を促しつつある。必要なだけ時間をかけて、自分を振り返ってみよう。考えるべきことはたくさんあるのだから。
私自身が以前にも増して痛切に考えさせられたのは、この国の経済が、いや、実のところこの国の国民性が、どれほど大きく消費に依存しているかということだ。国のリーダーたちが「金を使おう」と必死に煽るのは、こうしたことも理由の一つである。不景気だからと皆が消費を控えると、経済は徐々に停滞していく。だから、消費の勧めも理由があってのこと。国民に消費行動を起こさせ、来るべき世界的不況の痛みを軽減しようとの狙いなのだ。
しかし、このように消費を呼びかけるのは、ひどい皮肉でもある。政治家が奨励する旅行や車など物を買うという消費行動は、ほとんどが海外の石油への依存度をますます高めることにつながるからだ。そもそもアメリカが中東からの石油に依存していたことこそ、長く悲惨な外交政策のもつれを生み出す発端となったのだし、そこから生まれたさまざまな怒りが、ひいては世界規模のテロの陰謀へとつながっていったのではなかったか。
非道なテロ行為をアメリカ人の消費のせいだと言っているのではない。人道に反する犯罪は許されざるものである。しかし、米国の消費、特にエネルギー消費のあり方が、地政学的、あるいは経済的な脆弱さを生み出してきたという事実に目を向けようと私は言いたいのだ。世界の産油量に占めるOPEC(石油輸出国機構)加盟国産の石油の割合が次第に増すだろうと考えられるため、こうした脆弱さは将来も大きくなるばかりだろう。
私たちが、何かとてつもなく思い切ったことをしない限りは、だ。
テロに立ち向かうための包括的な戦略の一つとして、私たちは自らのエネルギー政策を根本から見直すべき時に来ている。しかも米国のエネルギー政策だけではなく、先進工業国全体のエネルギー政策を変えなければならない。
各国がエネルギーを自国で賄い、エネルギーの持続可能性を確保することを目指すのだ。
9・11の教訓を胸に、大規模な研究開発プロジェクトを立ち上げようではないか。いまだかつて世界に例を見ないようなプロジェクトを。科学技術のあらゆる知見を結集しよう。そして、クリーンで安全かつ安定したエネルギー資源をできるだけたくさん開発しよう。
ただし、原子力エネルギーは問題外だ。テロの脅威がはびこる時代に、危険な標的となるものを増やすなんて、ばかげた話だからだ。原子力発電所が一カ所でも爆破されれば、一瞬にして何千という命が失われ、その後もゆっくりと命は奪われ続ける。そして地球は広範囲にわたって汚染され、何世代もそれが続くのだ。
だから、原子力ではなく、水素燃料電池や太陽発電用のソーラー・パネル、風力タービンを推し進めよう。一人一人が省エネルギーの達人になろう。まだ名前も知らない未知のエネルギー源を見つけだそう。地球温暖化や中東へのエネルギー依存問題、都市の大気汚染といった問題を解決しつつ、同時に、ネットの世界よりもっと地に足のついた、形あるものをベースにして「新ニューエコノミー」を作りあげていこう。
そして、こうした取り組みを「新マンハッタン計画」と名づけてはどうだろう。先のマンハッタン計画の忌まわしい遺産を清算し、テロで亡くなった6,000人もの人々や彼らが愛していた人、つながりのあった人など、図らずも犠牲となった多くの人たちのことを記憶に刻み込むために。
うまくいったからといって、悲劇が消え去るわけでも、失ったものが取り戻せるわけでもない。しかし、もし成功すれば、この国を、そして世界を、わずかでも元気づけることにはならないだろうか。